Monday, October 20, 2025

ひと組のコンピレーション・アルバム

【10月20日 記】  僕も年を取って初めて気づいたのだが、人間、年を取ると死を意識するようなるようだ。これは僕だけではなくて、結構いろんな人から同じような話を見聞きする。もちろん人によって濃淡はあるのだけれど。

で、僕は何事かを成し遂げた人ではないので、自分が死んだあと歴史的に残るようなものは何もない。僕と親しかった人がひとりもいなくなる、例えば 100年後とかには、僕の存在を匂わせるものは、有形無形を問わず、完全にこの世からなくなるだろう。

それはそれで構わない、と言うか、仕方ない、と言うか、いや、もっと何の感情もなく、ただそうだろうと思うのだが、ひとつだけ心残りなのは僕の音楽CD のコレクションである。

僕がネット上に書き散らしてきた何千編もの文章にも、僕が買い求めて読んできた書物にも、実はそれほどの執着はないのだけれど、僕が買い集めてきた CDコレクションには執着がある。

それは非常に僕らしいものであるし、唯一無二の存在だと思うのである。それが置き去りにされると、せっかく買い集めた労力が無に帰するような気がして、残念で仕方がないのである。

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Tuesday, October 07, 2025

「プラスティック」と「ビニール」の語感

【10月7日 記】  最近「プラスティック」という言葉(あるいは「プラスチック」、大阪のおっちゃん・おばちゃんたちは「プラッチック」などとも言ってました)の持つイメージが変わってきたと思うのです。

きっと若い人たちはそんなことないんだろうと思いますが、僕らが子供だった頃は、プラスティックと言えばもっぱら硬いものでしたから。

多分、当時の日本にはまだ柔らかいプラスティック製品があまりなかったんだろうと思います。

当時の僕らにとって典型的なプラスティック製品といえば、それはプラモデルでした。

はい、硬いプラスティック。そして、透明ではなく、色がついていました。

それから各種おもちゃ関係。グリコのおまけもそうでしたし、後の時代にはプラレールなどという大ヒット商品も出てきました。

女の子たちの人形も、僕らの幼少期にはセルロイド(これもプラスティックの一種なのですが)だったのが、次第にセルロイドよりも割れにくいプラスティックに変わって行き、今のフィギュアにたどり着いたのだと思います。

あとは何かな、弁当箱かな。筆箱もあったかな。

いずれにしても、それらは全て(でなかったとしたら大抵)硬めの素材でした。

じゃあ、柔らかいものは何と言っていたかと言えば、それは「ビニール」です。典型的なのは「ビニール袋」。

ところが、これは大人になってからのことですが、ビニール袋のことを英語では a plastic bag と言うのだと知って大変驚きました。え? あんな柔らかくて透明のものを「プラスティック」って言うのか!って感じ。

ちなみに、東京の名の通ったホテルのフロントで、外国人に Do you have a plastic bag?(ビニール袋ないですか)と訊かれて、意味がわからず何度も聞き返しているホテルマンを見かけたことがあります。

そして、「ビニール傘」もまた a plastic umbrella です。

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Tuesday, July 01, 2025

10スキの人”The Man of 10 Likes”

【7月1日 記】 先日 note に「10スキの人 ”The Man of 10 Likes”」という記事を書いた

のだが、もうまさに笑けるぐらいその状態が続いている。

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Friday, May 16, 2025

「毎日更新」に思う

【5月16日 記】  note を見ていると、よく「申し訳ありませんが、今日は投稿をお休みします。明日はちゃんと書きます」みたいなことを(「記事」ではなく「つぶやき」として)書いている人がいる。

これにいつも違和感を覚えてしまう。

僕は、このブログを始めるときにも、まず「毎日更新するのだけはやめよう」と決めた人間だ(それは無理に書こうとしてつまらない文章を書いてしまうのを避けたかったからだ ── ただし、そのおかげでつまらない記事を書かずに済んでいるかどうかはまた別の話であるw)。

だから、まず何が何でも毎日更新しようとする心意気が理解できない。でも、「毎日更新」を標榜している書き手は note には少なくない。僕にとってこれはかなりの驚きなのである。

その上で、なんで「今日は更新しません。すみません」と謝るのだろう? これは誰に対して謝っているのか?

誰も毎日書いてくれなんて頼んでいない。もちろん、毎回読むのを楽しみにしている読者もいるのかもしれない。そして、その人たちがひょっとしたら「毎日楽しみにしています」みたいなメッセージを送っているのかもしれない。

しかし、まあ、それはそうしょっちゅうあるものではなく、大体ブログなんてものはどれぐらいの人たちが毎回楽しみにしてくれているのかなんてことは却々分からないものなのである。

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Friday, May 09, 2025

世襲について思うこと

【5月9日 記】  歌舞伎を見るといつも思うことがある。

僕が父親との折り合いが悪かった、と言うか、父親を忌み嫌っていたからなのかもしれないが、僕は小さい頃から自分の父親の職業を継ぐ人の気持ちがどうしても分からなかった、と言うか、親と同じ職業を選ぶ人間を軽蔑していたとさえ言える(もちろんそれは「偏見」とよぶべきものなのだが)。

小さな貿易商を営んでいた僕の父親は、僕が小さい頃から僕に自分の会社を継がせようとしていたが、僕は小さい頃から父親の会社を継ぐのだけは絶対に嫌だと思ってきた。

その観点からすると、歌舞伎みたいな世襲制の世界がよく崩壊せずに続いているなあと驚くのである。

「俺は歌舞伎なんかやりたくない」という子息はいないのだろうか?

もっとも、実際には親の跡を継いで歌舞伎役者になることを拒否した人もそこそこいるのかもしれない。ニュースは有名人のことしか報じないから、歌舞伎役者の息子が他の世界の有名人になっていたら別だが、一般のサラリーマンなんかになっていたら、それが世間に報じられることはないだろう。

でも、それにしても、歌舞伎役者の息子でロック・ミュージシャンになったり、画家になったり、学者や政治家になったりした例もあまり聞かない。

確かに、歴史を振り返ると、歌舞伎役者をやめて映画スターになった人なども何人かはいる。しかし、それは大相撲をやめてプロレスラーになった人数より遥かに少ないんじゃないかな?

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Tuesday, April 29, 2025

中間尿

【4月29日 記】  昨日、人間ドックで採尿して、ふと思い出した。あれは4年前かな。尿路結石で泌尿器科を訪れたときのことだった。

どこの泌尿器科でもそうだと思うのだが、受付を済ませるとまず尿検査がある。そして、その際必ず言われるのが「中間尿を取れ」ということである。

その病院は年配の患者が多いので、案内は親切で、ただ「中間尿を取れ」と言われるのではなく、「尿の出始めと終わりを避けて中間の尿を取ってください」などと説明されるのである。

しかし、そのとき、その説明を聞いた年配の患者がこう言ったのである:

そんな難しいことできるかっ!

僕は吹き出しそうになった。

このお爺さんがどういう観点で「難しい」と言ったのかは知らないが、僕の考えでは尿を採取すること自体はそれほど難しいことではない。難しいのはどこからどこまでが「中間」なのかという判断である。

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Saturday, April 19, 2025

あの素晴らしい愛をもう一度

【4月19日 記】

あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない

と歌ったのは加藤和彦・北山修の『あの素晴らしい愛をもう一度』(作詞:北山修、作曲:加藤和彦)だが、同じ花を見て同じように美しいと感じることは必ずしも「愛」ではないと思う。

いや、「愛ってそんなもんじゃない」と言いたいわけじゃなくて、そういう現象って必ずしも愛とは限らない、いや、むしろ恋愛以外でもよく見られる現象だと思う。

例えば、僕が通っている英会話学校にたくさんいる外国人教師の中にアニメ好きのカナダ人男性がいる。

放送で言う各クールの初めには必ず「今期は何観てる?」という話になるのだが、僕と彼の選んだアニメがかなりの確率で一致するのである。

これだけたくさんのアニメが放送されているのにもかかわらず、そして、2人が選んだ作品は必ずしも大人気作品とは限らないのに、である。

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Thursday, April 03, 2025

甘いもの

【4月3日 記】  成人男性、とりわけ酒飲みに多いのですが、甘いものが苦手って人いるじゃないですか(もちろん、女性やそれほど酒飲みでない人にもいますが)。僕はあれが不思議で不思議で仕方がありません。

だって、子どもは大抵甘いものが大好きじゃないですか。

僕には子どものころから大好きでいまだに好きなものもありますし、子どものころは苦手だったけど今では美味しく食べているものもありますし、子どものころからずっと嫌いな食べ物もありますが、子どものころは好きだったのに大人になったら嫌いになったものなんてひとつもありません。

もちろん、例えばチープなジャンクフード的な食べ物の中には、「子どものころはどうしてあんなものを旨い旨いと言って食べていたのだろう?」と思わないでもないものもあるにはあります。でも、そういうものが今は嫌いかと言えばそんなことは全然なくて、むしろ時々無性に食べたくなったりもします。

つまり、子どものころ好きだったものはそう簡単に嫌いにはならないと思うんですよね。

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Sunday, March 09, 2025

数字に対するちょっとした執着

【3月9日 記】  特に今日は書くほどのことはないのですが、それでも今日だけは(普段はそんなことは全く思わないのだけれど)無理やりにでも何か書いておこうかな、と思います。

理由は単純で、今月は 1日、3日、5日、7日と、奇数日には全部、と言うか、奇数日だけに記事を上げてきたから、今日も上げておこうか、ってな感じ。

まあ、そんなことに拘って 31日まで続けようなんて気はさらさらないのですが、でも1桁の間ぐらいはやっておこうかと(笑)

こういう数字が並ぶのって気持ち良いじゃないですか? そんなことない?

僕の場合は日常生活の至るところでそういうことを意識してしまいます。

でも、それは誰にでもあることで、例えばゾロ目とか、キリ番とかの例を挙げると分かるでしょ?

よく「コンビニで買い物したら合計税込みで 777円だった」とか言って 、レシートの写真を X にアップしてる人いますよね。あんな感じ。

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Thursday, February 27, 2025

大の月と小の月

【2月27日 記】  「1月は往ぬ、2月は逃げる、3月は去る」などと言うが、年の初めはことさら時間の流れが速いような気がする。

とりわけ2月は 28 日しかないから、あっという間に過ぎてしまう。

しかし、そこでふと思った。

何故 2月だけを、極端に短い 28日に設定したのだろう?

12か月のうち、大の月が7、小の月が5あって、小の月の中で2月だけが 28日(閏年は 29日)で、あとの4か月は 30日だ。

この不均等がなんだか僕には気持ちが悪い。

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