Thursday, July 31, 2025

ことばというテーマ

【7月31日 記】 僕が最初に自分のホームページを持ったのは 2001年2月である。当初のタイトルは wise  word web だった。後に Wordrobe of Words に改題した。

タイトルから分かるように、それは言葉についてのホームページだった。

インターネットに書くことなんて何もない──とずっと思っていたのだが、ある日「言葉についてなら興味もあるし、それなりの知識もあるので、何か書けるかも」と思ったのが発端だった。

そのホームページの1コーナーであった trivialities から独立したのがこのブログで、それはブログというものが大流行し始めた 2005年5月だった。

そこは映画評と書評中心のもとのなったが、一方で Wordrobe of Words のほうは手書きHTML による運用の限界から 2018年1月で閉鎖を余儀なくされ、以後はこのブログにも時々言葉に関する文章も書いている。

そして、閉鎖によって失われた Wordrobe of Words のコンテンツのいくつかを保存する意味もあって始めたのが note である。それは 2019年の12月ごろだったかなと思う。

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Wednesday, June 11, 2025

『浮世絵現代』展(東京国立博物館表慶館)

【6月11日 記】  昨日東京国立博物館の表慶館で『浮世絵現代』展を観てきた。ちなみに写真撮影 OK の展覧会だった。Photo_20250611165701

里中満智子、池田理代子、安藤モヨコ、水木しげる、石ノ森章太郎、ちばてつや、楳図かずお、山藤章二、さいとうたかお、池上遼一ら新旧の漫画家だけでなく、黒川紀章、横尾忠則、草間彌生らアート界の大御所たち、さらに和田誠、ビートたけし、安彦良和ら僕らがよく知っている人もいれば、名前は全然知らなかったけれど世界的に認められているらしい世界中のアーティストたちが、あくまで自分たちの感覚と解釈で新たに描き上げた現代の浮世絵の数々が展示されていて、全く飽きなかった。

そして、作品そのもの以外で非常にインパクトが強かったのが、ところどころに添えてあった浮世絵の作り方についての詳しい解説である。

浮世絵というものがどういう手順で作られるのか全く知らなかったわけではないのだが、具体的な説明文や行程を収録したビデオに触れると、ひとつには「よくまあこんな面倒くさいことをやるなあ」と、そしてもうひとつには「よくまあこんなに精緻にできるものだ」という驚きにあらためて襲われる。

とかく絵師ばかりが脚光を浴びるが、浮世絵はあくまで絵師、彫師、塗師、版元の4者の共同作業であるということがよく分かる。

そう言えば、NHK の大河ドラマ『べらぼう』でも前々回の放送で、元の絵は同じなのに、版元の適切な指示によって塗師が絶妙に彩色したものとそうでないものの仕上がり具合の違いを見て、歌麿(染谷将太)が驚くシーンがあったばかりだ。

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Thursday, May 08, 2025

人生7度目の歌舞伎

【5月8日 記】  歌舞伎座に歌舞伎を観に行ってきた。

思えば一昨年の正月に「人生初歌舞伎」というタイトルで記事を書いて、その文章を、妻と2人で「また行きたいね」と話したという記述で結んだ。

あれから数えて今日で7回目の鑑賞。夫婦ともに歌舞伎が好きになって結構続いている。中味についていろいろ批評するほどの鑑賞力はついていないけれど。

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Monday, January 13, 2025

翻訳されない米文学

【1月12日 記】 僕は米文学が好きなのである。と言うか、好きな作家がアメリカ合衆国に多いのである。

J.D.サリンジャー、クレイグ・ライス、W.P.キンセラ、ハーラン・コーベン、ジョン・アーヴィング、ポール・オースター、ドン・デリーロ、リチャード・パワーズ、スティーヴ・エリクソン…。

まだ存命中の作家も多いのだが、ところがそういう人たちの新刊があまり出ないのである。売れないんだろうな、と思う。

大きな書店に行っても、文学の棚はどんどん面積が狭くなっている。その中でも米文学の棚は、とうとう一段の半分ぐらいしかなくなっていたりする。

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Tuesday, July 23, 2024

サブスクリプションに思う

【7月23日 記】  有料コンテンツが次第に増えている気がする。

例えば note なんかでも、最初は無料記事を書いていた人が、読者が増えてくると有料に変えたりすることもある。そして、その多くはバラ売りではなくサブスクリプションである。

「1本100円くらいだったら出してくれるだろう。月額500円くらいならそんなに負担にはならないだろう。だったら有料にしても良いかな」みたいに謙虚に考えて始める人もいるだろう(もちろん、不遜にも「俺様ぐらいになると、ほんとはもっと払ってもらって当然だ」と思ってやっている人もいるのだろうが)。

確かに、1本1本は大した額ではない。しかし、前にどこかに書いたかもしれないが、収入の乏しい年寄りになってしまうと、「毎月定額いくら」というのは却々きついのである。もし来年死んでしまうのであれば余裕で払えるのだが、100歳まで生きるかもしれないと考えると途端に心細くなる。

一月500円でも仮に合計5つのサブスクリプションに支払うと一月2,500円、年間3万円である。もしも一月1,000円なら6万円だ。これを 30年続けると 180万円になる。

大した額じゃないじゃないかと思われるかも知れないが、読みたいなと思うコンテンツは軽く 10 を超えている。だから、やっぱり厳選しないと危ないのである。収入が乏しいだけに払い続けることには不安感が伴うのである。

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Friday, March 22, 2024

【note】オープン・エンディングを糾弾するよりも大切なこと

【3月22日 貼】 久しぶりに note の記事を貼り付けておきます。

note には週1以上のペースで書いているので、その記事へのリンクをいちいちここに載せているわけではありません。

かと言って、note に書いた記事を厳選しているわけでもなくて、たまに思い出したらここにもリンクを張る程度です。

もしも気が向いてお読みいただいた節には、いや、お読みいただいてお気に召した場合は、非会員でも♡は押せますので、よろしくお願いいたします。

今回は映画のエンディングについての note です:

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Wednesday, January 31, 2024

三宅香帆の記憶力

【1月31日 記】 最近僕は三宅香帆のことばかり書いているが、また彼女の記事を読んで感心してしまった。

先日読んだのは note で『ゴールデンカムイ』(原作漫画と実写映画)を夏目漱石の『こころ』と対比して、いずれも「生き残った者の罪悪感を描いた物語」であると総括した記事(有料)である。

この読解力、分析力はすごいと思う。

その読み込む力をすごいと思うのも確かだが、しかし、僕にはできないなと思う一番の理由は、度々書いているように、僕は読んだもの、観たものをいつまでもはっきりと憶えていないということだ。

『ゴールデンカムイ』はさすがに映画を見た直後だからまだいろんなことを思い出せるが、例えば『こころ』となると(僕は少なくとも2回読んでいるはずだが)非常に心許ない。

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Monday, December 18, 2023

批評の時代から、考察の時代へ

【12月18日 記】  最近、三宅香帆の書いたものをよく読んでいて、それで僕のブログや note にもよく彼女の名前が出てくるのだが、さっき読んだ彼女の note (有料)は「批評の時代から、考察の時代へ」という内容だった。

どういう違いかと言うと、

考察 → 作者が提示する謎を解くこと

批評 → 作者も把握していない謎を解くこと

で、最近は考察的な文章のほうが人気があると言うのだ。

彼女は書いている:

なぜなら正解かどうかわからない解釈なんて、知っても面白くないからだ。製作者(※ママ)が忍ばせた、ひそかな真実を知ることが、考察の楽しみ方なのだろう。

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Sunday, November 19, 2023

三宅香帆と映画『ゴジラ -1.0』の追々々記

【11月19日 記】  このところ僕のブログと note は、三宅香帆の記事と映画『ゴジラ -1.0』の記事が非常に多くなっているのだが、三宅香帆が映画『ゴジラ -1.0』について note に書いた記事を読んでこの2つが繋がってしまい、また書かざるを得ない気分になった。

この三宅香帆の分析がまたしても見事なのである。

有料記事なのであまり内容を書きすぎてもいけないのだが、彼女は「戦後」がファンタジーの舞台になってしまっていると指摘しているのである。同じような例として、福原遥が扮した女子高生が戦時中にタイムスリップして特攻隊員と恋をする映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』を挙げている。

「ファンタジーとして機能している」とはどういうことかと言えば、第二次世界大戦が遠い昔の歴史物語として扱われているということだ。

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Saturday, September 30, 2023

人物が描けない作家

【9月30日 記】  後には大作家と呼ばれる人でもデビュー時には結構酷評されていたりするものだ。

例えば、もうあまりはっきりした記憶はないのだが、村上龍が『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞の受賞が決まった際には、確か怒って選考委員を辞めた人がいたのではなかったか。

もっともっと前の石原慎太郎のときも確か同じような物議を醸したはずだ。

今日は緒真坂さんという人の講演を聴きに行ったのだが、その中で、後の大作家が直木賞を受賞した際、あるいは受賞を逃した際の審査員の講評をいくつか紹介していて面白かった。

結構多くの作家が先輩の作家である選考委員にボロカスに言われているのである。

例えば源氏鶏太あたりが「大変面白かったが、直木賞の品格には値しない」みたいなことを言っているのは、直木賞というものを何だかものすごく身勝手に解釈しているような感じがあって見苦しい気もするのだが、でも、いろんな選考委員の酷評ぶりを聞くと、まあ、何が言いたいのか分からんでもないという面もある。

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