Monday, November 03, 2025

『カフネ』阿部暁子(書評)

【11日2日 記】 2025年本屋大賞受賞作である。

出だしから面白かった。41歳のバツイチ社会人・野宮薫子が、先日亡くなった弟・春彦の婚約者だった小野寺せつなを喫茶店で待っている。待ち合わせの時間を 20分過ぎてもやって来ない。

ブルーデニムのつなぎ服を着て「どこの作業員だ?」と思われるようないでたちのせつながやっと現れたと思ったら、弟に紹介されたときと同じく無愛想でつっけんどんで物の言い方に遠慮がない。

その薫子が、ひょんなことからせつなが働いている家事代行会社「カフネ」が宣伝も兼ねてやっている家事代行ボランティアを手伝うことになる。2人は決して意気投合したわけではなく、むしろその逆だったが、薫子の片付けの才をせつなが見出したのだった。

困っている家庭に2人が行き、薫子がビニール袋を2枚持って猛然と片付けをやり、せつなが途轍もなくテキパキと見事な料理を大量に作る描写が読んでいて小気味良い。

困っている家庭も事情はそれぞれで、薫子とせつなに対する人当たりもさまざまだ。

その辺の描き方が面白く、どんどん読み進む。

その間に弟の謎の死の状況や、(終盤では)その真相が語られ、弟ばかりを可愛がってきた薫子の母親と薫子との関係が語られ、薫子の不妊治療と離婚が語られ、カフネの創業者や、春彦の死の第一発見者であり親友でもあった男とも関わり、そんな風に周囲の風景がどんどん流れる中で、薫子とせつなの関係も微妙に変わって行く。

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Thursday, October 23, 2025

『百日紅』杉浦日向子(書評)

【10月23日 記】 映画『おーい、応為』を観たら、どうしても原作となった杉浦日向子のこの漫画を読み返したくなって、古い作品とは言え、映画が公開されたタイミングだからきっと出ているだろうと思って探したら、ちくま文庫上下巻で手に入った。

上下合せて 30話あったが、読み直しても、僕が『漫画サンデー』の連載を読んだのがどこからどこまでだったのかさっぱり思い出せない。しかし、この画、このタッチ、そして何とも言えないこの筋運びはやはり今も鮮烈に印象に残っている。

まず、思ったのは、やはり葛飾応為ことお栄は、映画『おーい、応為』で描かれているほど、気の強い女という感じではなく、もっとぬぼーっとした感じである。

腹を立てて怒鳴ることもあるが、もうちょっと、傍から見ると何を考えているのか分からないような、ちょっとふわっとした女性でもある。

あれが大森立嗣の解釈であったのかもしれないし、長澤まさみ主演ということでああいう女性像を思いついたのかもしれないし、あるいは、映画はこの漫画と別の小説の両方を原作としているから、小説のほうの描き方がそうだったのかもしれない。

現に、この漫画の中には「応為」という画号は一切出てこない。

ま、いずれにしても、映画と小説と漫画が食い違っていても何の問題もない。

一方で、映画に出てきたのと同じエピソードもいくつかあった。

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Wednesday, October 22, 2025

『恋とか愛とかやさしさなら』一穂ミチ(書評)

【10月21日 記】 一穂ミチは去年『砂嵐と星屑』を読んで魅了され、「次は長編を読んでみたい」と書いた。

今回手に取ったのは多分長編とまでは言えないだろう(Kindle本だと長さがうまく掴めない)。短編あるいは中編ぐらいの小説が2作収められている。

表題作の『恋とか愛とかやさしさなら』は女性カメラマンの新夏(にいか)を主人公とする話なのだが、出だしがいきなり

ファインダーを覗く時、いつもかすかな罪悪感を覚えた。

とあって、「え?どういう意味?」と思ってしまう。巧い導入だ。

新夏は、友だちの結婚式の写真撮影を請け負ったりはしているが、自分では自分のことを、父親の写真館を手伝ったり、一流カメラマンのアシスタントを務めたりするだけの半人前だと思っている。

新夏は、自分が人生のサイクルの岐路に差し掛かっているのを感じた。(中略)進級前の春休みみたいな気分。

などと、独特の表現をしてくる。

その新夏の婚約者の啓久(ひらく)が、ある日盗撮で捕まることで物語は動き出すのだが、彼女はこういう場面で多くの女性が考えそうなことを考えない。ありがちな反応を示さない。もちろん激しく動揺するし腹も立つのだが、

そもそも、許すとか許さないとか、新夏が決断する問題なのか。

と思い直したりもする。彼女のこの辺りの思慮の深さがこの物語のキモだと思う。

しかし、この思慮の深さが彼女を抜けられない泥沼に陥れてしまうのだ。

幸い事件は示談で収まり、啓久の両親は必死でそのまま2人を結婚させようとする。啓久も新夏に謝る一辺倒である。でも、新夏は割り切れない。

許さなければ、何らかの罰をわたしが啓久に与える? それが「別れる」ってこと? 答えの出ない悩みを壁打ちしているのが苦しい。

こういう描き方は非常に新しいと思った。新夏は言う:

「恋人」って、非正規雇用みたいだ。

苦悩の中に醒めた面もある。

わかり合う、ということを思う時、カップのアイスをスプーンで端からこそげていく光景を連想した。わからない部分をひたすら取り除いていけば、真ん中にろうそくみたいに残った自分がぐらぐら揺れている。

落ち込む中にかすかなユーモアもある。

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Thursday, October 09, 2025

『熟柿』佐藤正午(書評)

【10月9日 記】 佐藤正午の小説を読んでいつも頭に浮かぶ(ので、いつも書評に書いている)のは、彼が読者を宙吊りにしたままどこか分からないところに引っ張って行く作家だということだ。

「宙吊り」と言われてどういう意味か分からないかもしれないが、僕が思い浮かべているのは英語の suspend という動詞である。

suspend の基本的な意味は「吊るす」であり、だからズボンつりのことを suspender と言うわけだが、「一時的に止める」「保留する」なんて意味もあって、それが宙吊りに通じるのだ。suspense という名詞はそこから派生している。

そう、佐藤正午の小説には謎が散りばめられている割にはあまり「ミステリ」っぽくはないが、しかし、間違いなく一息もつけない「サスペンス」なのである。

読者はこの話がどう転がるのか、主人公がどういう目に遭うのか、そんなことがよく分からないまま、まさに宙吊りにされて地面に足が届かないまま、著者の筆致に運ばれてしまう。いや、と言うよりも、著者の筆致に追いつこうとして、必死で先を読み漁ってしまうのである。

この小説は、妊娠中に逮捕され、刑務所内で男の子を産み、出所後当然のように夫に離婚を迫られ、「死んだ母親」として息子に会うことも許されなかった主人公・かおりが、その辛い思いを胸に抱きながら、そして、前科者に対する世間の冷たい風を受けながら、千葉から西へ西へと流れて行く物語になっている。

佐藤正午は日常生活におけるちょっとしたズレや違和感を描くのが巧い作家だ。そして、今回もそんなちょっとした違和感から小さな綻び、小事件、そして悲惨な事件へと繋げている。いつも通り、出だしから巧い。

ケチで親戚一同から疎んじられていた大伯母の晴子の葬儀から小説は始まる。みんな生前の彼女を偲ぶでもなく、好き勝手にどんちゃん騒ぎをしている。

庭に柿の木がある。大伯母がその腐りかけた柿の実に唇を当ててチュルチュル、ズルズル吸っていたというグロテスクな話も披露される。

いとこの慶太がもぎった柿の実でジャグリングを始めて拍手喝采を得るが、その一方で、「そんなことをしたら晴子伯母さんに呪われるぞ」とも言われる。

もう不吉なサスペンスが始まっている。

そんな中、かおりは泥酔している夫を車に乗せて帰路につくが、そこで人を轢いてしまう。

運転中に親友の鶴子から電話があり、「あたしが人殺しになっても電話に出てくれるかな」などと言われた直後に轢いてしまう。

いや、轢いたとはっきりとは書かれていない。あれはやっぱり人を轢いた衝撃だったのか?というところで文章は途切れる。

その辺りで、僕らはもうすでにかなり高い位置に宙吊りにされてしまっている。

そして、次の章は、もう栃木の刑務所を出所して、夜勤明けで煙草を吸っているかおりから始まる。

事故の顛末も、逮捕されるシーンも、裁判の描写もなければ、服役中の生活についても一切省かれている。この辺の時間の飛ばし方も巧い。

そういう過去を読者に詳しく伝えないまま、作家は主人公の現在の苦悩だけを描く。不安が煽られる。

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Thursday, October 02, 2025

『ブレイクショットの軌跡』逢坂冬馬(書評)

【10月2日 記】 どういうきっかけでこの本を選んだのかは憶えていないのだが、ものすごく評判になっていた『同志少女よ、敵を撃て』を、迷った挙げ句結局読む気にならなかった記憶はある。多分何かでこの本のことを知って、こちらのほうが自分には向いていそうだと判断したのだろう。

読み進むうちにまず思ったのは、この作家はよくこれだけいろんなことを知っているなあ、ということだった。

自動車の期間工、中央アフリカの民兵組織、ファンド・グループ、サッカー、高次脳機能障害、反社会的勢力…。

もちろん全部最初から知っていたわけではなくて、いろいろ調べたのだろうけれど、一つの小説の中によくもこれだけ多種多様の情報を詰め込もうとしたものだ。

で、モテない期間工の話があって、中央アフリカの紛争の話があって、日本の一流企業の話があって、これがどう繋がるのかが分からない。そろそろ繋がってくるころかと思うと、また不動産業に従事する新たな人物が登場し、この先一体どうするの?と思っていたら、その辺から話はどんどん繋がっていく。

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Tuesday, September 16, 2025

『PRIZE』村山由佳(書評)

【9月16日 記】 村山由佳を初めて読んだ。かなり話題になっている小説だが評判を裏切らない面白さだった。

直木賞作家である村山が、何度も直木賞候補になりながら結局は獲れず、直木賞がほしくてほしくてたまらない女流作家・天羽カインを描いている。

それは、「はぁ、直木賞の選考ってそんな風にやっているのか」という業界物ルポルタージュ的な面白さには留まらない。むしろ、そんなことはどうでも良くて(つまり、仮に直木賞について多少デフォルメしたような部分があっても構わなくて)、描かれている人間自体が面白いのである。

各章は1人の作家と2人の編集者の視点から描かれており、その感じ方の違いがまず面白い。そして、その関係性が徐々に変化して行くところが面白い。

特筆すべきは(全部ではなく部分的にしか紹介されないが)作中作の面白さである。

作中作が面白い小説の最たるものはジョン・アーヴィングの『ガープの世界』に出てくるガープ作の『ベンセンヘイパーの世界』だが、小説にこういう構成を取り入れられるのはよほど自信があってのことだ。

この小説に出てくる天羽カイン作の『テセウスは歌う』も同様で、「最後の2行を削ったほうが良くなる」「いや、2行のうち1行は残したほうが良い」という作家と編集者のやり取りを通じての推敲をめぐる展開にこれだけの説得力があるのは、まさに作家の力量によるものである。

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Monday, August 25, 2025

レコード・コレクターズ 2025年9月号

【8月25日 記】 『レコード・コレクターズ』2025年9月号を買った。特集が「昭和歌謡名曲ランキング 60年代編」だったからだ。

本当は一番ほしいのは「70年代編」なのだが、それはまだ存在しない。しかし、「60年代編」を出したからにはそのうちにきっと「70年代編」も出すつもりなのだろうと踏んで、まあ、メインの前の前菜みたいなつもりでとりあえず購入した。

これがどうやって選ばれたかと言うと、この雑誌の執筆者38人の投票によるものである。

1960~69年に発売されたシングル盤を対象として、各審査員が第1位から 30位までを選び、それを集計して上から順に 150曲が紹介されている。

僕としてはあまり上のほうには興味はない。というのも、そういう形で選ぶと平均化/平準化されて、あまりとんがった作品は上位に現れて来ないからである。

これがもし、例えば高護(こう・まもる)氏がひとりで選んだというのであれば、目を皿のようにして読んだと思うが、高氏は選出委員ではないし、案の定、予想できるようなランキングになっていたので、ザーッと目を通しただけである。

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Sunday, July 06, 2025

『4321』ポール・オースター(書評)

【7月6日 記】 電子書籍の困ったところは一見してその本の分量が分からないことである。本屋で紙の本を手に取れば、その分厚さと質量、そして活字の大きさや行間の広さ、そして改行が多いのか少ないのかというようなところから大体の分量は感覚的に掴める。

しかし、電子書籍にはそもそもページ数というものがない。フォントの大きさやレイアウトは読者がカスタマイズできるので、ページ数を表示する意味がない。そのため「何ページ読んだ」「あと何ページぐらい残っている」という感覚が全く掴めないのである。

ただ、全体の何%読み進んだのかという表示は出る。それだけが頼りである。

僕はいつもは Kindle を開くのは電車に乗っている間だけなのだが、この小説をそういう読み方で読んでいると1日に1% 行くか行かないかだった。

それで、一体どのくらいの分厚い本なんだ?と本屋に行って見つけてみると、これがやたら分厚い。ページ数としてはほぼ 900ページ。しかも、段組である。

そこで初めて、こんな読み方をしていると読み終わるのに1年かかると分かって、途中からは家にいるときも読むようになった。それでも結局3か月近くもかかってしまった。長い長い小説である。

で、読み始めると、これがかなり混乱する内容だ。

アーチー・ファーガソンというユダヤ系アメリカ人の一生を描いた小説なのだが、章が改まるたびになんだか分からなくなる。

まず、時代が戻ったりする。それだけではなく、前の章では書かれていなかったエピソードや事件や人間関係が描かれている。次の章ではまた何年も時代が進んでいたりして、まるで前の章と関係ないみたいにストーリーが展開する。

読み進めば読み進むほど、なんか前に書いてあったこととうまく辻褄が合わなくなってくる。しかし、読み進んでしまうと、もうどの部分とどう辻褄が合わないのかさえ分からなくなる。で、全然バラバラかと言えばそうではなく、前に書いてあったこととごく自然に繋がっているところもある。

(この先、ちょっとネタバレを書いています。僕はこのことを読む前に知っていたかったけれど、何も知らずに読みたいという人もいるでしょう。読むか読まないかは各人の判断に任せます)

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Monday, June 02, 2025

『楽しい音の鳴るほうへ』和田博巳(書評)

【6月2日 記】 和田博巳と言えば僕にとってははちみつぱいのベーシストであって、その他の彼のキャリアについては何も知らなかった。

この本の中で彼は自分のベースを下手だ下手だと言っているが、僕は全く下手だとは思っていなかった(まあ、よっぽど下手なら別だが、そうでなければ僕にそもそもベーシストの巧拙なんか分からないのも確かだが)。

はちみつぱいは(随分後にライブ・アルバムも何枚か発売されたりはしたが)アルバムを1枚だけ出して解散したバンドだから、僕が彼の演奏を聴けたのは『センチメンタル通り』に収められた9曲(復刻版CD のボーナス・トラックを含めても 11曲)だけなのだが、そのいずれの演奏においても僕は彼のベースの音運びが確かに好きだった。

はちみつぱいが解散すると、少なからぬメンバーがムーンライダーズのメンバーとなったわけだが、それ以外の人たちもいろんな新しいバンドのメンバーとなったり、スタジオ・ミュージシャン/バック・ミュージシャンとしていろんなアルバムで名前を見かけたりする中で、和田博巳だけは全く名前が見つからず、この人はどうしたのかな?音楽をやめちゃったんだろうか?などと怪訝に思っていた。

しかし、しばらくするとプロデューサーとして彼の名前を見つけて、ああ、まだこの人は音楽界隈にいたんだと思ったりもした。

しかし、この本を読むまで、最初はロック喫茶の店主であり、最近ではオーディオ評論家として活躍しているなんてことは全く知らなかった。

北海道の山奥で育った彼は、東京の大学を受験すべく東京に出てきた。

しかし、受験に失敗して大学に行く気がなくなり(と言うか、予備校に通い始めてすぐに進学する気がなくなっていた)、ジャズ喫茶に通い、やがてそこでアルバイトの職を得て、そしてある時、父親に資金援助を請うてジャズ喫茶のオーナーとなり、しかしすぐにジャズ喫茶では食えないと思ってロック喫茶に転じたら、それが時代の趨勢と合致して結構流行り、梁山泊よろしくそこにいろいろなミュージシャンや音楽関係者が集まり、そして、彼がいつしかプロのミュージシャンとなって行く姿がビビッドに、そしてあっけらかんと書かれている。

副題にあるように、ここで主に描かれているのは 1967年から 75年、和田は 1948年生まれだから、彼が 19歳から 27歳までの時代である。

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Tuesday, April 15, 2025

『深夜の美学』菅原正豊(構成:戸部田誠)(書評)

【4月15日 記】一般の人はあまりそういうことをしないのかもしれないが、僕は番組のエンディングを真剣に見て、演出家やプロデューサー、制作プロダクションの名前などをチェックしている。

それはお前が放送局に勤めていたからだと言われるかもしれないが、そうではない。僕は中学生ぐらいからずっとそれをやってきた。

当時はプロデューサーという人が何をする人かなんて全く知らなかったが、「でも、この人がプロデューサーの番組は全部面白いな」と気づいたのである。

逆にそういうことに気づいたから、番組制作に興味を持って、放送局に入社したのかもしれない。

ただし、僕が菅原正豊という人名、およびフルハウスあるいはハウフルスという社名をはっきりと認識し、未来永劫記憶に刻み込んだのは就職してからである。多分、『クイズ世界は SHOW by ショーバイ!!』や『夜も一生けんめい。』、『マジカル頭脳パワー!!』など、日テレが大躍進を遂げたころの番組を彼が手掛けていたころだろうと思う。

『タモリ倶楽部』や『メリー・クリスマス・ショー』、『平成名物TV いかすバンド天国』も菅原が作った番組だったということは少し遅れて知った(あるいは、気づいた)のである。

ちなみに、それ以外にも『タモリのボキャブラ天国』、『チューボーですよ』、『THE夜もヒッパレ』、『出没アド街ック天国』、『どっちの料理ショー』、『秘密のケンミンSHOW』など、菅原正豊/ハウフルスが手掛けた大ヒット番組は枚挙に暇がない。

そんな番組の中で僕が一番好きなのは 1986年と 1987年のクリスマスに放送された『メリー・クリスマス・ショー』である。

桑田佳祐、松任谷由実らの超豪華オールスターキャストで作られた音楽バラエティで、幸いにして僕は生で観ており、かつ VHS に録画もしており、今ではそれをデジタルに落とした DVD が僕の宝物である。

このときに出した赤字が元で会社が潰れたというのは有名な話だし、この本の中で菅原が明石家さんまについて語っている部分が彼の制作の姿勢を表しているようでとても興味深い。

司会は、桑田くんと相談して、さんまさんが面白いんじゃないかっていう風になったんだと思いますね。桑田と仲が良かったですから。僕は付き合いがなかったし、正直、あまり得意ではないタイプ。さんまさんは、番組を自分がやりたい色にするタイプだから。でも、やっぱり、“桑田佳祐の番組”というのがあったから、そこはあまり我を出さずにやってくれました。さんまさんは、番組に参加してものすごく感動してくれましたよ。だから、翌年も頼んだら、すぐに出てくれましたから。

それ以外の番組でいうと、『イカ天』は最初の1、2回は見逃したのだが、途中からは熱中して全回隈なく見尽くしたし、『タモリ倶楽部』の「空耳アワー」はこれまたそのうちのいくつかを DVD に保存していて、YouTube で過去映像を漁ったりもしている。

とにかく、この人の作るものはべらぼうに面白いのである。

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