【10月9日 記】 佐藤正午の小説を読んでいつも頭に浮かぶ(ので、いつも書評に書いている)のは、彼が読者を宙吊りにしたままどこか分からないところに引っ張って行く作家だということだ。
「宙吊り」と言われてどういう意味か分からないかもしれないが、僕が思い浮かべているのは英語の suspend という動詞である。
suspend の基本的な意味は「吊るす」であり、だからズボンつりのことを suspender と言うわけだが、「一時的に止める」「保留する」なんて意味もあって、それが宙吊りに通じるのだ。suspense という名詞はそこから派生している。
そう、佐藤正午の小説には謎が散りばめられている割にはあまり「ミステリ」っぽくはないが、しかし、間違いなく一息もつけない「サスペンス」なのである。
読者はこの話がどう転がるのか、主人公がどういう目に遭うのか、そんなことがよく分からないまま、まさに宙吊りにされて地面に足が届かないまま、著者の筆致に運ばれてしまう。いや、と言うよりも、著者の筆致に追いつこうとして、必死で先を読み漁ってしまうのである。
この小説は、妊娠中に逮捕され、刑務所内で男の子を産み、出所後当然のように夫に離婚を迫られ、「死んだ母親」として息子に会うことも許されなかった主人公・かおりが、その辛い思いを胸に抱きながら、そして、前科者に対する世間の冷たい風を受けながら、千葉から西へ西へと流れて行く物語になっている。
佐藤正午は日常生活におけるちょっとしたズレや違和感を描くのが巧い作家だ。そして、今回もそんなちょっとした違和感から小さな綻び、小事件、そして悲惨な事件へと繋げている。いつも通り、出だしから巧い。
◇
ケチで親戚一同から疎んじられていた大伯母の晴子の葬儀から小説は始まる。みんな生前の彼女を偲ぶでもなく、好き勝手にどんちゃん騒ぎをしている。
庭に柿の木がある。大伯母がその腐りかけた柿の実に唇を当ててチュルチュル、ズルズル吸っていたというグロテスクな話も披露される。
いとこの慶太がもぎった柿の実でジャグリングを始めて拍手喝采を得るが、その一方で、「そんなことをしたら晴子伯母さんに呪われるぞ」とも言われる。
もう不吉なサスペンスが始まっている。
そんな中、かおりは泥酔している夫を車に乗せて帰路につくが、そこで人を轢いてしまう。
運転中に親友の鶴子から電話があり、「あたしが人殺しになっても電話に出てくれるかな」などと言われた直後に轢いてしまう。
いや、轢いたとはっきりとは書かれていない。あれはやっぱり人を轢いた衝撃だったのか?というところで文章は途切れる。
その辺りで、僕らはもうすでにかなり高い位置に宙吊りにされてしまっている。
そして、次の章は、もう栃木の刑務所を出所して、夜勤明けで煙草を吸っているかおりから始まる。
事故の顛末も、逮捕されるシーンも、裁判の描写もなければ、服役中の生活についても一切省かれている。この辺の時間の飛ばし方も巧い。
そういう過去を読者に詳しく伝えないまま、作家は主人公の現在の苦悩だけを描く。不安が煽られる。
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