映画『我々は宇宙人』
【9月25日 記】 映画『我々は宇宙人』を観てきた。
予告編に魅せられて、何の予備知識もなく見に行ったのだが、いやぁ、すごい作品だった。
門脇康平という 29歳の映画監督/アニメーション作家が、企画から5年の年月をかけて完成したオリジナル・アニメ。
門脇は東京藝術大学を卒業後、アニメ会社に就職し、その後独立し、YOASOBI の MV などを手がけて来たらしい。
オリジナル・アニメに求められるものは作画能力だけではなく、ストーリーの構成力も必須で、そのいずれが欠けても我々を驚かすような作品にはならないが、この作品は、そのいずれについても、凡百の作品を遥かに凌駕したものがある。
まず画のほうについて言うと、背景は徹底して写実的なのに対して、人物はデフォルメされた手書きの線画である。
線画アニメと言うと、人物の輪郭が一本の曲線でスーッと描かれているものを思い浮かべるが、この作品ではまるでデッサンのようなタッチで、輪郭は何と言うか、“毛羽立っている”感じだ。
構図がまた秀逸で、多用される俯瞰映像、そして胸元から煽るような顔のアップ、そこからもっと寄った、睫毛もくっきりの目のアップ。とりわけ目の動き。目による芝居が大げさなくらいフィーチャーされており、強烈に印象深い。
全般に高さを意識した構図(上からと下からの両方)が特徴的で、そこに動きを取り込んだ画作りも巧く、冒頭の高速道路の降り口のシーンなどで描かれた、黒目に映る風景描写なども鮮烈だった。
色遣いも秀逸で、トイレでトイレットペーパーに血が滴り落ちて、巻き取っても巻き取ってもまだ下の紙に血が滲んでいるというシーンは強烈だった。走る車窓から捉えた赤い月など、カメラが動くカットもとてもきれいだった。
光と影のあしらい方は極めて多彩で、美しい。その一方で、人間は必ずしも美男美女には描かれていない。
子どもがよくやる無駄な動き(おどけてまともに走らなかったり、無意味に飛び跳ねたり)の捉え方が本当に巧みで、「ああ、そうそう、子どもって、そうなんだよな」と思わせる。
パンフレットによると、これはロトスコープ(カメラでまず人間の動きを撮影して、それをアニメにトレースする方法)から「要素だけ」「すくい取り」、あとはアニメーターが描き足したらしい。
ストーリーは、後藤翼(CV:慎木悠人、坂東龍汰)とそのクラスメートだった星暁太郎(CV:中込佑玖、岡山天音)の、小学校3年生から 20代前半ぐらいまでの話。
翼は勉強もスポーツもよくできる少年だったが、性格的にはわりと内気で、あまりクラスメートとも馴染めないタイプ。
暁太郎は、「ああ、こんな奴、クラスにひとりぐらいいたよなあ」と思わせるような、落ち着きがなく、何かと規格外れないたずら坊主。
暁太郎のほうから近づいてきて、2人は「相棒」になる。怪獣や宇宙の話で盛り上がったりして、2人はいつも一緒につるんでいたが、ある日、例によって暁太郎のいたずらが過ぎて翼を怒らせてしまい、そこから口さえ利いてくれなくなる。
翼が暁太郎に苛立って仕返しをし始めたことと、同じ学年の女子・小夏への暁太郎の片思いの初恋が、非常にまずい形で繋がってしまい、2人の人生は全く違う方向に転がり始める。
映画がちょうど半分ぐらい過ぎた辺り、会社員になって、暁太郎のことなどほとんど忘れて楽しく暮らしている翼のシーンの途中で、『我々は宇宙人』のタイトルが突然表示される。
「おいおい、ここまでがアバンタイトルかい!」と思ったのだが、そうではなく、その後再び小学校3年生から、今度は暁太郎の視点でストーリーが描き直される。
これによって、前半ではやや謎のまま残されていた部分が、描き直されて明確になる。2人の受け取り方の違いも明確になる。
映画『怪物』(是枝裕和監督、2023年)や『でっちあげ 殺人教師と呼ばれた男』(三池崇史監督、2025年)などでも採られた手法である。
そして、翼が同窓会で屈託なくしゃべっているのを盗み聞きした暁太郎(自分は呼ばれてもいない)の、翼に対する怨みと怒りは最高潮に達する。
それにしても、翼が折り紙に長けていて、(僕らの時代には「ペンキ屋さん」と呼ばれて、習字の授業では禁忌とされていた)「二度書き」が得意だったという設定が見事に活きている。よくまあこんなストーリーを思いついたものだと思う。
── 紙の手裏剣、ハート型に折った便箋、ラブレターの偽造、祝儀袋の文字などなど、小道具の使い方がタダモノではない。
そして、作画面では、構図そのものの面白さ、似た構図が再現される仕掛け、表情の巧みさ、子供らしい仕草の描き方の妙など、こちらもどれをとっても超一流と言わざるを得ない。
いくつか具体的なシーンを挙げると、終盤の、雨の中を暁太郎が翼を追いかけるシーンの疾走感、と言うか、走っているわけだから疾走感は出ていて当然なのだが、それまでと描き方が変わって俄然スピード感が一気に増して激しくなり、そして、その後一瞬捨象された映像になるところもすごくて、観ていて唸ってしまった。
さらにすごかったのは、暁太郎による「チャーハンの鳴き声」! 彼のトグロを巻くようなどす黒い感情が、あの激しくて妙な唸り声に圧倒的に集約されていた。
そして、ラストの「じゃあね」である。
人生にはいろんなことがある。誰かとめちゃくちゃ親しくなることもあるし、恋をすることもある一方、いつまでも胸を去らない怨みや怒りを抱くこともある。
でも、大抵の場合、最後に交わすべき言葉は「じゃあね」でしかないのである。そうでなければ人間は生きていけないから。
そういう壮絶な「じゃあね」でこのアニメは幕を閉じる。
圧倒的な名作となった。


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