映画『ルックバック』
僕は原作の漫画は読んでいないが、映画化されたアニメは観ていて、とても良いアニメだと思った。
それを是枝裕和監督が映画化すると聞いてびっくりしたのだが、予告編を観ていると、タイトルロゴも同じだし、アニメと同じ構図のカットもいっぱい出てきて、さらに驚いた。
是枝監督もこの漫画の大ファンで、そのことを話したら「一度お会いになります?」と仲を取り持ってくれる人がいて、実際に原作者の藤本タツキに会いに行ったそうである。
是枝監督としては単に「素晴らしい作品をありがとうございました」と感謝の意を伝えに行ったつもりだったのだが、先方にしてみれば、是枝監督が来るからには実写映画化の申し入れだろうと思っていたらしく、「え? それだけ?」みたいな妙な空気になってしまい、一旦はその場を辞したが、帰りのタクシーの中で映画化を決意したのだそうだ(実はその仲立ちした人がこの映画のプロデューサーであり、彼は最初から是枝監督での映画化を考えていたようだ)。
出口夏希と蒔田彩珠の共演となると、思い出すのは同じ是枝裕和が総合演出を務めた Netflix の『舞妓さんちのまかないさん』である。
このドラマでは出口は準主演で、舞妓になりたくて青森の中学を卒業して京都に出てきたばかりの少女・すみれ役、蒔田はそのすみれを預かる屋形の女将の娘・涼子の役だった。
蒔田はすでに是枝作品の常連になっており、また、蒔田のほうが花街においては先輩格の役だったこともあって、僕は蒔田のほうが年上だろうと思っていたのだが、実は出口のほうが1歳年上だった。
かなり若い時から見ているが、この2人もすでに20代半ばになった。その2人が、小学生時代を演じた子役の後を受けて、中学生以降を演じている。
さて、アニメを観ているのでストーリーは先刻承知。漫画家を目指す2人の少女の物語である。2人はコンビを組んで中学時代にデビューし、その後も順調だったが、やがて一方が違う将来を描き始めて、2人は別れる。
大部分が原作に忠実で、前述の通りアニメと同じ構図もたくさん出てくる。
藤野(七瀬ふうり、出口夏希)は子供の頃から漫画がうまく、クラスメイトには褒められ、自分でも自信を持っている。京本(岡田六花、蒔田彩珠)は不登校の少女で、藤野にずっと憧れていたが、自分自身は藤野のようにうまく書けないと感じて、劣等感を持っていた。
しかし、藤野が学年新聞に毎週連載していた4コマ漫画を、京本が月1回だけ描くことになり、その絵を見た藤野は自分より遥かに巧い子がいることに驚き、嫉妬する。
卒業まで顔も見たことがなかったが、先生に頼まれて京本の卒業証書を家に届けに行って、2人は初めて顔を合わせる。そこで京本は「私、藤野先生のファンです」と言って、彼女への憧れを一気に口にする。
それを聞いて、藤野が帰り道に有頂天になるシーンが素晴らしい。
BGM が流れる中、最初は小走りだったり水溜りをスキップしたりしていたのが、音楽が前奏に引き続いて主旋律が始まるタイミングと見事にシンクロして、藤野は脱兎のごとく駆け出す。途中からは小声でメロディをハミングしながら。
あれは一体どうやって撮ったのだろう?と驚いたのだが、家に帰ってパンフレットを読むと、先に音楽を作って、それを七瀬ふうりの耳の裏側に装着したイヤホンから流しながら撮ったのだそうだ。
そういう素晴らしい画が山ほどある。
アニメと全く同じように、部屋の中で藤野は奥のデスクに向かって、こちらに背中を見せながら漫画を描く。京本は手前の床に座って、低いテーブルに向かって横顔を見せながら絵を描く。藤野は人物を、京本は背景を。
そう、この映画を観ていると、映画にとっても背景というものが如何に大切かがよく分かる。
原作の設定のままであり、原作者の故郷でもある秋田県でのロケが美しい。
畑、原っぱ、田舎道、遠くの山、近所のお寺、桜、一面に白以外の色が全く見えない雪原、そして飛んでくる白鳥。
歩いている藤野を遠景で捉えているところに白鳥が飛んでくるシーンがあって、これもどうやって撮ったのだろうと不思議だったのだが、たまたま白鳥が飛んできたので慌ててカメラを回したら、出口がそれに気づいて、台本にはない台詞で芝居をしてくれたとのことだ。
さらに、僕が好きだったシーンは、デビューが決まって浮かれた2人が街へ出たところ。
藤野が京本の手を握って、横断歩道を走って渡る。2人の性格の対照が見事に出ている。横断歩道で他の通行人とすれ違うのだが、それまでの静かで人も少ない田舎の風景からガラッと変わる辺りが心象風景となって、あの斜め下からのアングルも相俟ってとても印象的なシーンになった。
出口夏希の明るい演技が目立つが、蒔田彩珠の内にこもる、しかし意外に強さも感じさせる演技も素晴らしい。
なんと、まだ映画化の話が全くないときに、蒔田と一緒に食事をした是枝監督が、彼女にこの原作漫画をプレゼントして、「別に具体的な話は何もないんだけれど、もしこの作品を映画化するときには京本役をやってよ」と言ったのだそうである。すごい!
あと、すごいなと思ったシーンは、それまでずっと藤野に従い藤野を支えてきた京本が、美大に行きたいから連載の手伝いはできなくなると、初めて自分の意志を持って藤野に宣言するところ。
2人の台詞に合せて交互にワンショットを抜くのではなく、何箇所かは蒔田の台詞をオフにして、出口のワンショットのままにしている。ここでの台詞も含めて、藤野の勝ち気な性格と、苛立ちと、それでも京本のことを思う気持ちがよく表せていた。
そして、カメラは最初は出口の左横顔と蒔田の右横顔のアップを交互に撮っていて、最後は正面からのワンショットを切り返して交互に映した。つまり、口論している2人を横から客観的に見ている構図から、別れ際には藤野と京本がお互いに相手を見つめ合う視線に切り替えたのである。
あまりに見事な手法に唸ってしまった。
そして、音。
小学生時代の、カリカリとシャーペンで紙に書き、ごしごしと消しゴムで擦る音。本格的に漫画家デビューを目指して、 G ペンでケント紙にガリガリ描く音。そして、プロになってデジタルのアプリが取り入れられ、ディスプレイの画面をそれ用のペンでコツコツとなぞる音。成長とともに音も変わるのである。
「両手を 10 回こすり合わせてから耳に当てると海の音が聞こえる」というのも、その場面で同じように客席でやってみたくてたまらなくなったのだが、隣のおっさんが気になってやらなかった。家に帰ってやってみると、これは聞こえる人と聞こえない人がいるらしいが、僕にはしっかり聞こえた。
書き始めるときりがない。とにかくすばらしい風景と台詞と表情が山ほど出てくる。ちょっと長くなりすぎたので、この辺りで終わりにするが、本当に見事な作品に仕上がっていた。
当然、アニメと同じく、パラレル・ワールド的な、と言うか、胡蝶の夢的な部分も残されていた。これは定かには分からない部分ではあるのだが、非常に余韻が深い。
頭の中にいつまでも場面が、画が残っている。



Comments