『ニュー日本文学史』三宅香帆(書評)
【5月21日 記】 日本文学史を学びたい(あるいは、学び直したい)と思ってこの本を手に取った人もいるんだろうけれど、わりと古くからの三宅香帆ファンからしたら、これは文学史の教科書ではなく、ただただ三宅香帆の解釈を楽しむ本である。
「なるほど、三宅香帆はこの作家を、この作品をそんな風に解釈して、そんな風に位置づけたのか」と、時には目から鱗を落とし、時には顔に笑みを浮かべながら読んでしまう。
そもそも、日本文学史と名乗るには、取り上げている作品があまりに少ない、と言うか、スカスカで、「この内容でこのタイトルじゃあ、詐欺だと言われたりしないだろうか?」と心配しながら、「ああ、なるほど、そういう観点で彼女はこの作家を取り上げたのか、そういう目論見でこの作品をここに入れ込んで来たのか!」と、読み進むにつれてどんどん楽しくなる。
何しろ古典文学だから、僕にとってはそれほどよく知っている作家はなくて、でも、そこそこ好きな作品もあって、その一方で全く読んだことのない作品も取り上げられており、その辺の塩梅がこれまた楽しいのである。
ここで描こうとしているのは、面白いものを生み出そうとし続けてきた結果、新しさゆえに批判されて怒られ続けてきた歴史です。
(「はじめに」より)
そう、それが彼女の日本文学に対する歴史認識なのである。
ここに書かれているのは、彼女が『考察する若者たち』で書いた、「考察」とは対照的なものとして位置づけられている「批評」そのものであり、その批評を実践するとこういう本になるんだよというお手本なのである。
平安時代から<転生もの>は存在していたとか、『平家物語』は日本で最も速くメディアミックスされた作品だとか、鴨長明はミニマリストで、彼の良さは人間臭さにあるとか、芭蕉の句は「日本の空気を読む文化へのアンチテーゼ」であるとか、本居宣長が<二次創作>をしていたとか、それまでツッコミ不在のボケだらけだった日本の小説界の流れを完全に変えたのは漱石だったとか、もうほんとに枚挙に暇がないほど面白い分析と解釈の連続である。
これはまさに三宅香帆ファンのための読み物であると思う。
そんな中で、僕は今まで『徒然草』の「あやしうこそもの狂ほしけれ」の意味を取り違えていたことと、『好色一代男』の「一代」の意味を理解していなかったことが分かった。
そういう実利もあったことが、これまたとても嬉しい。


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