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Sunday, May 10, 2026

映画『幕末ヒポクラテスたち』

【5月10日 記】  映画『幕末ヒポクラテスたち』を観てきた。

何の予備知識もなかったが、監督が緒方明だと知った途端に、もう観ると決めていた。監督にとっては 12年ぶりの劇場用映画であり、僕にとっては『のんちゃんのり弁』以来、なんと 17年ぶりに観る緒方作品である。

『ヒポクラテスたち』と言えば、1981年の大森一樹監督の誉高いデビュー作である。僕も劇場で観ているが、古尾谷雅人主演の医学生たちの群像劇という程度のことしか憶えていない。

でも、この『幕末ヒポクラテスたち』が『ヒポクラテスたち』を意識している、と言うか恐らくそのオマージュになっていることは疑いない。

── 何の予備知識もなくても、その辺りまでは想像がつく。

だが、冒頭にクレジットが出るまで、これが京都府立医大創立150周年記念事業企画だったとは知らず、ああ、そういう流れだったのか、と思った。ご存じない方のために書いておくと、大森一樹は京都府立医大の卒業生である。そんな彼が『ヒポクラテスたち』を撮ったことが、当時とても話題になった。

そして、この映画では「製作総指揮:大森一樹」とクレジットされているのである。そうか、大森一樹か最初から噛んでいたのか、と。

しかし、家に帰ってパンフレットを読んでみたら、それだけではないことも分かった。

緒方明は大森一樹の下で助監督を務めていたのだそうだ。そして、忘れてしまっていたが、当時自主映画で名前が売れ始めていた内藤剛志も『ヒポクラテスたち』に出演していたのだそうである。

さらに、ナレーターを務めた室井滋(この声は聞き覚えがある。誰だったか?とずっと考えていたのだが)のデビュー作は大森一樹監督の『風の歌を聴け』だった。彼女がどんな役で出ていたかははっきりと憶えているのだが、あの映画が大森一樹監督だということを忘れていた。

前置きがめちゃくちゃ長くなった。設定とストーリーを書いておこう。

主人公は幕末の京都の田舎に住む蘭方医・大倉太吉(佐々木蔵之介)。同じ村で太吉と対立しているのが、どんな病にも葛根湯を処方して馬鹿笑いする漢方のヤブ医者・荒川玄斎(内藤剛志)。

病弱の妹を診てもらおうと太吉を尋ねたのが、実は呉服屋の若旦那なのだが、博打に入れあげていて、どこから見てもやくざ者にしか見えず、礼儀も何もあったものではない新佐(藤原季節)。

冒頭は太吉と玄斎のディスり合いから始めて、やがて、賭場で金を盗もうとして刺された新佐を太吉が生まれて初めて手術するエピソードがあり、そして、摘出された自分の腎臓を見ているうちに新佐が感じるところがあって、心を入れ替えて蘭方医を目指すという展開になる。

冒頭から BGM が軽快で(後で調べたら、音楽を担当したのは coba だった)、加えてナレーションがコミカルで、ああ、これはコメディ・タッチの映画なのか、と映画が既にスタートしている今ごろになって思った。

実際には全編がコメディということではないのだが、台詞の妙、そして、新選組が絡んでくるなどの展開の妙があり、そこかしこでフッと笑えた。

脚本がこれまた大御所の西岡琢也で、オリジナルではなく、森繁久彌主演の『ふんどし医者』という映画(1960年)を原作としているようだが、これは原作と言うよりいくつかの設定を借りてきたという感じで、西岡の手腕を感じさせる良い台本だった。

医学や医学の倫理などを描いてはいるものの、何も難しいことを考える必要がない娯楽作品で、笑って楽しんで「ああ、面白かった」で構わないと思う。でも、とても良い映画だ。

しかし、最後の最後に京都府立医大の宣伝めいた映像が出てきて、「これでは完全に企業PR映画ではないか。よくこんなものを引き受けたな」としばし唖然としたのだが、しかし、「単なる PR では終わらせないぞ。必ず上質のエンタテインメントに仕立てあげてやる」という矜持を感じさせてくれたし、まさにその通りになっていたと思う。立派なもんだ。

で、パンフレットを読んで、これまた驚いたのだが、これは京都府立医大創立150周年記念事業企画に大森一樹本人が応募して最優秀賞に選ばれた企画だったのだ。

そして、大森は自分でも脚本を書く人だが、これに関してはかつて喧嘩別れした西岡に脚本を頼んだ。しかし、脚本が出来上がったあと、大森は白血病で他界してしまい、企画は頓挫。

その1年後に、これまた大森とは一度は喧嘩別れしたものの、後に深くつきあうようになっていた緒方明に白羽の矢が立ったとのことだ。

曰く因縁だらけの企画である。でも、確かに大森の思いが沁みてきているような作品だった。

重ねて書くが、そんなに重みはないが、とても良い映画なのである。

最後に出演者の女性陣について。

日本髪を結われてしまうと、どうも顔が分かりにくくて、佐々木蔵之介の妻役を好演していたのは、顔を見ながら、「えっと、これは誰だったかな?」とずっと考えていたのだが、真木よう子だった。

僕の大好きな女優だが、そうか、もうこういう役をやる年齢になったのか、と感慨深かった。さらに、本人が「もうきれいな役はやりたくない」と言っていたということを知って、なおさらあっぱれだと思った。

そして、藤原季節の妹役は、クレジットを見て初めて気づいたのだが、『ソロモンの偽証』で華々しくデビューを飾った藤野涼子だった。26歳になったようだ。

45年前に自分が書いた文章を読み返してみると、『ヒポクラテスたち』については、「確かに巧い映画作家ではあるけれど、『だからどうしろ』というのがなく、これではノンポリである」などと、僕はあまり褒めていない。

しかし、その5年後にテレビでもう一度見直したときに書いた文章では、「あの時の自分の認識は浅かった。ここで描かれているのは若者たちの自己撞着であり、それを軽やかに乗り越えて行く姿である」などと、分かったような分からんようなことを書いている(笑)

ただ、この『幕末ヒポクラテスたち』にも、同じような軽やかさがあったのではないかな、と改めて思ったりもした。

これで大森一樹も浮かばれるのではないだろうか。

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