『帰れない探偵』柴崎友香(書評)
「帰れない」と言っても、何か面倒に巻き込まれて帰りたくても帰れないというようなことではなく、とんでもなくマズイことをやってしまったので敷居が高くて家に入れないというようなことでもない。
冒頭の「急な坂の街」を舞台とする章で、この街に来て7日目に突然、いくら探しても自分の事務所兼住居が見つからなくなってしまったのである。途中まではちゃんと記憶通りに道があるのに、最後の最後で住んでいたビルに続く路地の入口がないのである。
しかし、主人公は女性の探偵で、彼女は依頼者の家に泊めてもらうという形で探偵の仕事を継続する。
彼女はその後、その街を出ていろんな国のいろんな地を転々とするのだが、どこに行っても仮住まいである。とは言え、どこに行っても依頼者がおり、あるいは世界探偵委員会連盟から来た仕事があり、失業することはない。
舞台となっているのがどこの国なのかは全く書いていない。中東だったり米国だったりするのかな?と想像してみるのだが、登場人物には意外に日本人の名前を持つ人が多い。それが漢字であったりカタカナ書きであったりする違いはあっても。
そして、それ以前に、いろんな事情があって(それも詳細には書かれていないのだが)、彼女は自分の生まれた国に戻ることもできない。厳密に言えば、戻ることはできるのだが、戻ってしまうと望まない事態に巻き込まれてしまうのだ。「地震の多い国から来た」とあるから、多分そこは日本なのだろうが、政治的な体勢が僕らの知るものとは完全に変わってしまっているのである。
そんな不思議な設定に加えて、もっと奇妙なのが、この物語の各章の冒頭は「今から十年くらいあとの話」というフレーズで始まることである。10年前ではなく 10年後の話が過去形で語られるのである。
時間が時間の速度で過ぎた。
という不思議なフレーズがある。滞っているのか、逆流しているのか? いずれにしても時間がもやっと流れて行く。
「木原さんは、なぜ、ここに来たんですか?」
「ここから先へ行けなかっただけだ」
堂々巡りで、どこへも行けない感がある。
作中に、どこかの空港で見知らぬ男から「カフカの『城』って読んだことありますか?」と問われるシーンがあるが、まさにカフカ的な、どこにも行けない感がある。
これはそういう小説なのだな、と合点が行った。
どこかで混じったわずかな誤ったデータが影響を与えているのでは? そして、地図に現れた、その差異が、現実の街にも影響しているとしたら? 坂の街のわたしの部屋に帰る路地が消えてしまったのは……。
確かに、ほんのちょっとしたことがそんな風に全てを変えてしまうことがあるのかもしれない。
柴崎友香の本を読むのは、『春の庭』、『寝ても覚めても』に続いてこれが3冊目だが、そのいずれにも通じる「行き場のなさ」がある。
そして、描かれているストーリーは、凡そ現実的ではない不思議な世界なのだが、その非日常が続くと日常になってしまうような怖さがある。
結局のところ、何も解決せずに小説は終わってしまう。いや、そもそも何も起きていなかったのかもしれない。
不思議な小説である。だが、彼女はきっと僕らが見ていない何かを、区別がつかない日常と非日常の接点を、密かに見ているのだと思う。



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