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Monday, April 20, 2026

Netflix『フランケンシュタイン』

【4月19日 記】 ギレルモ・デル・トロ監督の『フランケンシュタイン』を漸く Netflix で観た。

死体の断片を繋ぎ合わせて作られた怪物が、実は死ぬことができないというのはまことに斬新な設定だった。

それは本来有限のものが無限になってしまったという転倒であり不遇であり、日本人に馴染みの「無常感」とは言葉の意味において正反対のことを物語っているのだが、にも関わらずなんとなく無常感めいたものを感じてしまうから不思議だ。

怪物(ジェイコブ・エロルディ)の産みの親であるヴィクター・フランケンシュタイン(オスカー・アイザック)の、高圧的な父親(チャールズ・ダンス)に対する反感、そして、有能な医者でありながら母を救えなかった父親に対する復讐心、母親の命と引き換えに生まれてきた弟、その弟(フェリックス・カンメラー)の婚約者エリザベス(ミア・ゴス)を、かつて自分が母の愛を独占していたように奪いたいと思う気持ち。

── そういう人間関係を見ていると、何か因果や輪廻のようなものを感じてしまう。ミア・ゴスがヴィクターの母クレールとエリザベスを二役で演じているところがミソだ。

怪物の味方になる2人の人物、エリザベスと近くの村に住む盲目の老人(デイビッド・ブラッドリー)が怪物に優しくしたのは、いずれも決して理性的な判断ではなく、何か超越的な感性によるものだった。

そういういろんな意味でかなり宗教的で、少し東洋的な感じもする作品だったと僕は思う。

もちろん怪物が映画の中で最初に読んだ本は恐らく旧約聖書で、映画の最後は赦しと救済の物語になっているところなど、基本的には極めてキリスト教的、西洋的な作品なのではあるが。

なんであれ、恐ろしい怪物の映画をこれほど美しく撮れる監督はデル・トロ以外にはいないと思う。

誕生直後は如何にも下等で醜い印象のあった怪物が、どんどん悲哀を帯びた美しい存在に変わって行く辺りは、もちろんジェイコブ・エロルディの好演と特殊メイクの技術にもよるのだが、これはやはりデル・トロにしか描き切れなかったんじゃないかという気がする。

如何にもギレルモ・デル・トロらしい美しさとグロテスクさと、そして残酷さに満ちた名作だと思った。

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