映画『恋愛裁判』
【1月23日 記】 映画『恋愛裁判』を観てきた。
恋愛を禁止されているアイドルが恋に落ち、グループを抜けて出奔してしまい、所属していた事務所に損害賠償訴訟を起こされる話。
僕は今まで深田晃司監督の作品は1本しか観ていない。なんとなく芸術家っぽい映画を撮る人だという印象があって、割と避けてきた気がする。
それが今回のような下世話な話に指を突っ込んできたのはなんか良いなあと思って観に行ったのだが、実際にはそんなに分かりやすい話ではなく、哲学的とまでは言わないにしても、かなり深い映画になっていた。
それは至極当然のことである。
監督は 10年前に所属事務所に訴えられた女性アイドルの記事を読んでこの企画を立て、当初は搾取の構造とか人権問題とかいう視点で脚本を書き始めていたらしいのだが、取材しているうちに変わってきたと言う。
監督自身がこんな風に言っている:
アイドル業界ってひどいよね。恋愛禁止って人権問題だよね、という側面だけを描くならもっとわかりやすい話にできたと思いますが、現実を知れば知るほどそう簡単には描けないなと実感していきました。(中略)最終的には(中略)複雑なものは複雑なままで、構造的な問題を描こうと方向性が決まっていきました。
そういうことも含めて、却々よく書けた脚本だなと思った(脚本:深田晃司、共同脚本:三谷伸太朗)。
後半は裁判が中心の話になるのだが、前半で描かれていたその裁判に至るまでの、と言うか、恋愛に至るまでの経緯に説得力があった。
映画は主人公でアイドルグループ“ハッピー・ファンファーレ”のセンターを務める真衣(齊藤京子)と、彼女の中学の同級生で今は大道芸人をやっている敬(倉悠貴)の恋愛から始めるのではなく、まずは他のメンバーである菜々香(仲村悠菜)の恋人との2ショット写真が流出して騒ぎになるところから始める。
メンバーとして菜々香を気遣い、庇っていた自分が、次はその立場になるという構造である。
結局菜々香は恋人とは別れ、ファンに謝罪し、彼はただの友だちだと強弁して、元のアイドルに戻っていく。
それとは対照的に真衣は好きになった人を衝動的に選んでしまう。
後に真衣と菜々香が菜々香の実家で口論になるシーンがその対照を最後にもう一度際立たせる。
自分の車で寝泊まりしながら大道芸で全国を回っている敬に、真衣が「すごいね、自分でプロデュースしてるんだ。私たちは全部周りの人たちにお膳立てしてもらっている」みたいなことを言う辺りも面白い。
その一方で、真衣が抜けたあと売れてきたハッピー・ファンファーレの中でもとりわけ人気者になった菜々香が、「昔は苦手なメイクを自分でやっていたけど、今ではメイクさんがやってくれるようになった」と語るのとは真逆で、こういう対照も面白い。
そして、真衣が敬に最初に「何か(大道芸を)見せて」と頼んだときに敬がやってみせたのは(写実的な映画がここだけ急にファンタジーになって)なんと体が空高く浮くという芸だったのに対して、裁判の和解をめぐってギクシャクしてきたときに、またもや真衣にせがまれて敬が見せたのはただのお手玉のジャグリングだったという対照も意味深長だった。
さて、この映画をどう評価するかとなると、結構割れるのではないだろうか。見方によってはこれは尻切れトンボで、なんだか分からない、と言うよりは、なんだか割り切れない終わり方である。監督が逃げているように感じて腹を立てる観客さえいるかもしれない。
結局裁判はどういう形で終わったのかは具体的には描かれないし、真衣と敬の最後はどんな感じだったのかも分からない。梨紗(小川未祐)との友情は続いているが、菜々香とはどうなったのかも気になるところ。
具体的に描いていないがどうなったのかはどの観客にもはっきりと分かる──というようなものではない。そういう描き方とは程遠いのである。彼らがどうなったのか、想像する一人ひとりによって浮かぶものは違うだろう。
しかし、それこそが、まさにこの映画のミソだと思う。
アイドルを棄てて彼氏を選んだ真衣は芸能界から葬られ、その上所属していた会社からは賠償金を請求されたのに対して、彼氏を棄てた菜々香は逆に一気にトップ・アイドルになってしまった。
自分は後々アイドルになる子たちのためにも和解せず戦い続けると誓うが、一方でアイドルの華麗な世界への未練も断ち切れない。そして、最後には和解を決めた彼氏とも別れ、痛切な思いを噛み締めることになる。
でも、それを乗り越えて生きていくしかないということだ。
アイドルはファンや周りのスタッフのために生きるべきか、それともあくまで自分のために生きるべきかという命題は、突き詰めようとしても堂々巡りになってしまう。何故なら「みんなのために生きるのが自分という存在である」と考えるのがアイドルなのだから。── そんなことを考えてしまった。


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