『三頭の蝶の道』山田詠美(書評)
【1月28日 記】 最初の感想としては、ちょっとアウトローっぽい作家だと思っていた山田詠美がこんな堂々たる、オーソドックスな小説を書くのか!という驚きだった。
いや、描かれている人物たちは、いずれも確かに堂々たる「女流作家」や編集者たちなのだが、常に「女流」という桎梏に縛られて、決してその時代のオーソドックスにはなれなかった存在だ。
Amazon の宣伝文句にはこうある:
「男とか女とかじゃないのよ、文学に魅入られているか、いないか、なのよ」。女性作家が「女流」と呼ばれた時代、文学に身を捧げた女たちの創作の業を描く、著者40周年記念作。
確かに、女流作家の業(ごう)みたいなものが、章ごとに語られる対象と語る主体を変えながら、怒涛のように描かれている。そして、ここで語られた作家たちは、この作品の中で順番に死んで行くのである。なんとも言えない構成ではないか。
小説の中で使われている言葉は、さながらこれらの大家たちが自らの作品の中で使ったような、練りに練った、とても濃厚な表現になっている。
あの死刑囚の書いたもの、私も読んだわ。確かに読み手の心を泣かせるわね。でも、それって彼が本物の人殺しだって知ってるからでしょ? (中略)事実に助けられてる小説なんて…
間宮乃里子の唇に歯の跡を付けるほどの悲しみは、今、凪のような静けさを経て、愉悦の色を帯び始めています。
佳代には森羅万里が舌なめずりをするのが解りました。それは、他者からは見えない作家の舌によるものでした。
それも作家らしいと言えば、らしいのでしょう。彼ら、彼女らは、経験が付けた傷をわざと完治しないよう心がけているふしがある。
ここには推理小説や時代小説、SF、ファンタジー、ライトノベルなどの作家は登場しない。むしろ昔気質の、些か仰々しい文壇の話に終始しているのだが、それだけに時代とジェンダーを余す所なく語り切っている感がある。
重い。とても重い。だが、これは過ぎ去った時代の、今は誰もそんな冠を付けて呼ばない、今では存在しない「女流作家」の話なんだろうか?
いや、そうは思えない。それは人間存在の暗部に光を当てた話であり、とりわけ山田詠美本人を含む作家と呼ばれる人種の業を描いたもののように思える。
山田詠美がこの先どこに進んで行くのかをじっくりと見守りたい気がする。


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