映画『星と月は天の穴』
【12月24日 記】 映画『星と月は天の穴』を観てきた。
モノクロ作品である。
ただし、スモーク・サーモンのピンクとか、信号機の赤とか、16歳の娼婦(MINAMO)の口紅とか、瀬川紀子(咲耶)の盲腸の手術跡とか、B子(岬あかり)の口紅とか、ポストにハガキを出しに来た少年が切手を貼るために舐めたときの舌とか、ところどころで部分的に赤い色がつく。
そして、終盤の矢添克二(綾野剛)と紀子の連れ込み旅館での濡れ場では、全体にうっすらと色がつく。
舞台設定は 1969年である。
ほぼ全員が昭和初期から中期の日本映画の俳優たちのような喋り方をする。特に綾野剛は感情をほとんど見せないような喋り方をする。そして、カメラを固定した長回しが非常に多い。映画は淡々と進んで行く。
綾野剛は、ことこの映画に関しては「書かれてあるセリフに感情や表情の豊かさが含まれているので(中略)、”セリフにある情報を補填する芝居”を一切なくすことを心がけていました」と言っている。大変面白い。
これは、小説家の矢添の女遍歴と言うか、男と女の情念と言うか、そういうことを描いた映画である。
今の時代、下手すると「女を物としてしか見ていない男」と指弾されかねない内容でもあったが、まあ、そこには 1960年代という時代性も加味して考えなければならないし、矢添は必ずしもそんな風に一辺倒な描き方はされていない。
まだ 43歳なのに総入れ歯で、それに対するコンプレックスを隠しているという設定が、ある意味マスキュリニズムを嘲笑っている感がある。ひたすら強引で身勝手な男のように見えながら、実はどの女とも究極のところまで行き着けないのは、自身の結婚生活が1年で破綻して、妻が男と逃げてしまった経験がトラウマになっているからだという設定もある。
それらを考え合わせると、少し切ない。
しかし、それにしても矢添は若くて魅力的な女を見ると(相手が娼婦であろうと学生であろうと)セックスのことしか考えないし、中には最初は「精神的な関係」などと考えていた相手もいたが、結局最後には誰とでもやってしまうんだから、如何なものか(笑)
と言うか、こんな話を今の時代に映画化してどうするの? こんなダラダラした話をどうやって終わらせるの? などと途中で思わずにいられない映画だったし、寝落ちしそうになった所もあったが、しかし、なんか心の深いところにひっかかる映画であったのも確かである。
あまり情報を収集しないまま観に行ったのでエンドロールで初めて知ったのだが、これは吉行淳之介の小説の映画化だった。あー、確かに。そう言われれば、曰く言い難い世界だ。
原作では 1966年であったものを、荒井晴彦は最初は現代に置き換えて脚本を書いていたが、思い直して 1969年にしたという。それによって、70年安保やアポロ11号などのエピソードを入れ込むことができたのだ。
吉行淳之介については、僕は高校時代にいくつか読んだ記憶がある。
しかし、それなりの読後感はあったものの、なんだかはっきりとは分からない感じもあった。そりゃそうだ。こんな世界を17、18歳の男の子が理解できるはずがない。
これはやっぱり、ある程度枯れかけてきた男の感慨なのだろうな、としみじみ思った。
しかし、それにしても監督・脚本が荒井晴彦、撮影が川上皓一、音楽が下田逸郎という、こう言っては何だが、とんでもないロートル軍団である。でも、多分この人たちでないとこういう映画は撮れなかったんだろうなと思う。
主演格の咲耶をはじめとして、女優たちの脱ぎっぷりは大胆で(ただし田中麗奈は除く)、彼女たちの黒々とした陰毛が脳裏に焼き付いて離れない(笑)
咲耶は雰囲気のある良い女優だなと思ったら、なんと吹越満と広田レオナの娘だそうな。そう言われれば広田レオナに非常によく似ている。今後もっと出てくるんじゃないかな。
荒井晴彦らしい、エロチシズムと余韻に満ちた堂々たる映像作品だった。


Comments
わたし、15、16歳のころ、吉行淳之介をすこぶる愛読しておりました。
フェミニズムの洗練を受け、いまは心が動きません。
なんだか別の人間になったような塩梅です。
Posted by: 野原 | Thursday, December 25, 2025 10:10
> 野原さん
やれやれ、「15、16歳のころ、吉行淳之介をすこぶる愛読して」いたことに驚くべきなのか、「フェミニズムの洗練を受け」たことに驚くべきなのか、どっちなんでしょうね?
Posted by: yama_eigh | Thursday, December 25, 2025 14:31
あ、「洗礼」でした。
足腰の定まらぬところに「やれやれ」と首を振るのが最適解だと思います。やれやれ。
Posted by: 野原 | Thursday, December 25, 2025 17:07