« Play Log File on my Walkman #160 | Main | 「プラスティック」と「ビニール」の語感 »

Sunday, October 05, 2025

映画『火喰い鳥を、喰う』

【9月27日 記】 映画『火喰い鳥を、喰う』を観てきた。

本木克英監督の作品は何本か観ていて、面白いものもあったが特別ファンだというわけでもない。今回観ようと思ったのは脚本が林民夫だったからだ。派手さはないけどとても巧い脚本家だと思う。

横溝正史ミステリ&ホラー大賞を受賞した原浩の同名小説が今作の原作である。

映画の冒頭は高い木の上から撮ったようなロング・ショット。

男女の2ショットだが、誰なのか識別はできず、そこからカメラが寄って行くでもなく、大半は木の葉に隠れていて、観客に見せる画としてはあまり考えられないオープニングである。構図に変な緊張感がある。

撮影は藤澤順一である。全編にこの人の技が活きていると思った。

さて、2ショットの男女は信州・松本で暮らす大学助教の久喜雄司(水上恒司)と夕里子(山下美月)の夫妻である。そこに警官がやってきて、3人で検分しているのは久喜家代々の墓の墓石である。

墓石に彫られていた、雄司の祖父の兄である貞市の名前と没年を記した1行が荒っぽく削り取られているのであった。

そして、彼らを遠くから見つめている白いワンピースの少女。気づいているのは雄司だけだ。

そんな変なことが起きるのは日記が見つかったことと関係していると夕里子は言う。

日記とは南方で戦士した貞市の日記で、現地でたまたまそれを預かったジャーナリストの与沢(森田望智)とカメラマンの玄田(カトウシンスケ)がそれを届けに来た。

日記の前半は従軍日誌だが、戦地で取り残された貞市が後半に延々と書き綴ったのはジャングルに生息する火喰い鳥を食べたいという異常な執着心だった。

そして、与沢らがそれを届けにきたときに、突然玄田がスイカにかじりつきながら「久喜貞市は生きている」と口走ったり、夕里子の弟の亮(豊田裕大)が藪から棒に手帳を奪って「ヒクイドリヲクウ ビミナリ」と書き始めるなど、不可解な展開が続く。

戦争の生き残りで貞市の戦友だった老人がガバっと起きて、ドアップで「火喰い鳥!」と叫ぶのも怖かった。

そこで止まることなく、その後も次々に変なこと、怖いことばかり起こり、夕里子は旧知の超常現象専門家・北斗(宮舘涼太)に助けを求める。だが、不幸は次々と起こり続ける。

宮舘の大げさすぎる臭い演技は、まあ、そういう役柄なのかもしれないが、結構鼻につく。ただ、そんな彼に苛つく水上と、複雑な思いに沈む山下の演技は却々良かった。

映画の本質からは外れるかもしれないが、この映画は山下美月の魅力が溢れ返る作品になっていたと思う。

で、全体によくできた話なのである。ストーリーとしては今イチ分からない展開になってしまうのだが、しかし、よくできた話なのである。

よくできた話というのは、「最後に鮮やかに展開して物事が解決する」というような意味ではない。「こんなえらいことになったが、あれをああしてこうやったら見事に解決しました。メデタシメデタシ」みたいな展開にしなかったところこそがよくできた話なのである。

全てがすっきり解決しないと承知しないような観客もいるのかもしれないが、無理やり丸く収めようとしていないところこそが、非現実な話をリアルなものにしているのである。だからこそ怖いのである。

映画の中で、北斗が雄司に「あなたは超常現象を信じないかもしれないけれど、自分の周りで次々に変なことが起きていることは認めざるを得ないでしょう」みたいなことを言うシーンがあったが、これはまさにこの映画を観ている(超常現象を信じない)観客が感じることなのである。

さて、観客が「え? それで?」と思っているうちに映画は終わってしまう。昨今ではこういう終わり方を嫌がる人もいたりするのかな? でも、余韻というものが宿るスペースはそこなのだよ、と僕は言いたい。

深い深い、とても良い終わり方だった。

やはり林民夫の筆は冴えている。

|

« Play Log File on my Walkman #160 | Main | 「プラスティック」と「ビニール」の語感 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



« Play Log File on my Walkman #160 | Main | 「プラスティック」と「ビニール」の語感 »