映画『ふつうの子ども』
呉美保監督の作品を観るのは、前作『ぼくが生きてる、ふたつの世界』を観ていないので、実に 10年ぶりである。
初めて観た『オカンの嫁入り』(2010年)で良い監督だなと思い、『そこのみにて光輝く』(2014年)で度肝を抜かれた。その次の『きみはいい子』(2015)年も素晴らしかった。
そして、後者2本の脚本を手掛けた高田亮が今回の脚本も手掛けている。この人も端倪すべからざる実力者である。
小学校4年生の子どもたちの話である。
スウェーデンの Z世代の環境活動家グレタ・トゥーンベリに憧れて環境問題に目覚めてしまった心愛(ここあ、瑠璃)。
環境問題について難しいことはあんまり分からないのだが、心愛のことが好きで、彼女に気に入られたい一心で彼女の「活動」に手を貸す唯士(ゆいし、嶋田鉄太)。
その2人の間に入ってきたのは、心愛が気を許している陽斗(はると、味元耀大 = みもとようた)。活発な陽斗によって、3人の行為はエスカレートして行く。
最初は「車に乗るな!」みたいな環境保護のための自前のチラシをいろんな車に貼って回る程度だったのが、やがて肉屋にロケット花火を打ち込んだり、牧場の柵を壊して牛を逃がしたりし始め、逃げた牛が交通事故を引き起こすに至る。
ここで描かれているのはほんとに「ふつうの」子どもたちである。子どもだって彼らなりにいろいろ考えているのだ。そりゃあ、考えが足りないためにまずいことになったり、一途な思い込みのためにまずいことになったりもする。
だが、それは決して特殊なことでも由々しき事態でもない。逆に、そういう現場にいる大人たちが「しゃんと」していなければならないのだ。
この映画に出てくる大人たち──担任の浅井先生(風間俊介)、唯士の母・恵子(蒼井優)、心愛の母・冬(瀧内公美)らの反応がそれぞれ極端に違うが、いずれも如何にもありそうな感じで、「おいおい」と言いたくなる。
とりわけ瀧内公美の暴走ぶりがすごかったが、その一方で蒼井優のなんか中途半端な感じもリアルだった。
そんな大人たちに責められても毅然とした態度を崩さない心愛。
僕は大学時代に教職課程は取らなかったし、結婚しても子どもができなかったのでそんな他人事みたいなことを思うのかもしれないが、この映画を観ていて、「やれやれ、確たる覚悟もなく教師や親になんかなるもんじゃないな」と思った。
グレタ・トゥーンベリを持ち出したのは菅野和佳奈プロデューサーのアイデアらしいが、高田亮はそこに「60~70年代の学生運動や連合赤軍の事件」を重ねていて、「何らかの志を持って活動を始めた集団が当初の目的から離れて仲間割れしていく物語をやりたいとも思っていた」と言っていて、これを読んだ僕はあまりの発想の自由さに仰天した。
そんなとんでもない背景を、小学校4年生の話にこっそりと滑り込ませているのである。
主人公の唯士を演じた嶋田鉄太は実績のある子役だが、冒頭のクロースアップから最後の最後まで、あの何とも言えない八の字眉毛の情けない表情が良かった。
こちらに歩いてくる顔のどアップを正面から引きながら撮るシーンが2箇所あった。バラエティでジェットコースターに乗ったりバンジージャンプをしたりするお笑いタレントが小型カメラ付きヘルメットで顔の固定映像を撮るような場合ならともかく、ドラマでああいう撮り方も珍しいなと思ったのだのだが、あの顔はそんな風に撮りたくなるのかもしれない(笑)
それに対して、生まれて初めての演技だった瑠璃は、冒頭から終始変わらぬ強さと堅さと、その堅さが突然和らぐラスト・シーンの笑顔の対比が見事だった。
子どもたちにも大人の役者と同じような指示を与えた上で、徹底的にディスカッションしながら演技指導したという呉監督の手腕なんだろう。
今回も良作。軽くて深い映画だった。



Comments