映画『ひゃくえむ。』
【9月24日 記】映画『ひゃくえむ。』を観た。一部 CG も使っているが、基本的に線画アニメである。
映画館で予告編を観た瞬間に、「この画風には見覚えがある」と思った。
すぐに魚豊という原作者の名前が画面に出た。この魚屋の屋号みたいな名前は記憶に残っている(ただし、ウオトヨではなくウオトと読むのだそうだ)。『チ。ー地球の運動についてー』を描いた人だ(と言うか、僕が知らなかっただけで、大きな賞も獲っている有名な漫画家だ)。
原作は読んでいないが、NHK でアニメ化された『チ。』は全回観た。べらぼうに面白かった。2クールだったからなおさら見応えがあった。
そして、この『ひゃくえむ。』は彼の連載デビュー作なのだそうだ。これも予告編を観ただけで惹かれるものがあった。
「ひゃくえむ」は言うまでもなく「100m」、陸上競技の話だ。
主人公のトガシ(CV:松坂桃李、ただし小学生時代を除く)の小学校から 20代後半までが描かれる。
トガシは全国の小学生で一番速かった。そこに転校生の小宮(CV:染谷将太、ただし小学生時代を除く)がやって来る。
小宮は走り方もむちゃくちゃで、遅かったし、何よりも彼はスポーツをやっているつもりはなく、ただ何かから逃れるために走っているだけだった。
その小宮にトガシは「100m を誰よりも速く走れたら全てが解決する」と言う。
そう、ここで描かれるのは単に陸上競技ではなく、哲学なのである。トガシだけでなく、いろんな選手の哲学が描かれる(ここで言う「哲学」とは「人生をどう生きるかという問題に向き合うこと」だ)。
トガシは小宮に走り方をコーチする。小宮はすぐに頭角を現すがやがて転校してしまう。
近所には中学のスター選手・仁神がいたが、高校に入ってトガシも仁神も一旦は陸上をやめてしまう。
しかし、後に彼らは再びトラックに集まって来る。長らく行方不明だった小宮も。
他にも絶対王者・財津や万年2位の海棠ら、さまざまなランナーたちの競技と、彼ら一人ひとりの人生哲学が描かれる。この辺りは地動説の歴史を追っているようで実は哲学を語っていた『チ。』に通じるところがある。
さて、こういうテーマになると一番大事なのは画のリアリズムと、その一方でリアリズムを突破する表現力だが、いずれも凄かった。
- 女子選手が走る前に髪留めをするリアリズム
- 実写ではありえない、クラウチング・スタートの真下からあおったアングル
- 足が交互に動いて地面を蹴る際の、地面をしっかり捉えた感じ
- 走り始めて日陰から日向に出るところで、選手の顔を覆っていた影が退いて行く
- 髪の毛がなびく
- 道端の草が揺れる
- 景色が流れる
- ゴール前で鬼の形相になる
- グラウンドが写実的な描写から、ランナーの脳に映るイメージ映像に変成して行く
- 競走の疾走感、人生の疾走感、そして喪失感
とりわけ、大雨のグラウンドでの長回しが凄かった。
いや、カメラを回しているわけではないので、長回しと言うのはおかしいのだが、これは実写の長回しの手法だ。
カメラはカットを変えることなく、選手たちを正面から撮り、横に移り、最後はスタート・ラインを背後から押える。
ピストルが鳴ると同時にカットがクロース・アップに変わる。
そして、どしゃ降りの雨の中での疾走は突然モノクロに変わり、それがそのまま敗北の心象風景になる。
見事な表現力だ。
ロトスコープと言う手法で、実写映像を最初に撮って(もちろんそこには役者たちに対する演出がある)、それをコンテにしてアニメを描く(まずは手作業でトレースしてからアニメ的な表現を加える)のだそうだ。なんと面倒くさい手法だ!
そして、実写を演じた役者の中には元日本記録保持者の朝原宣治もいたというから驚きだ。
道理で人の動きに違和感がない。しかし、それを崩したアニメ的な躍動感は保持している。あっぱれである。人物が呆然としたり泣き崩れたりするシーンでは線画の線自体がボロボロに乱れるという演出も面白かった。
それにしても制服姿で喋りながら歩いている女子選手の仕草が如何にも女の子っぽくてすごいなと思ったのだが、パンフを読むと、走っているシーンだけではなく、こういう普段のシーンも含めて、かなりの部分(全部ではないようだ)を最初に実写で撮ってからアニメ化したようだ。そりゃあ制作に7年以上かかるわなあ。
共同幹事に TBS が入っていたが、これは『世界陸上』との見事な相乗効果を生んだと思う。ここのところ毎日テレビで『世界陸上』を見ていたので、スタートのシーンなどにはかなりグッと来るものがあった。
監督は岩井澤健治。
素晴らしいアニメだった。


Comments