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Tuesday, September 30, 2025

Googleマップに「情報の修正の提案」

【9月30日 記】 Googleマップというのはあらゆる公共施設を網羅しているのかと思っていたらそうではなくて、この間、上野恩賜公園野外ステージ(旧名:水上音楽堂)に鈴木智貴のウクレレ・コンサートを聴きに行ったときに、場所を確認しようとして検索すると、何故か旧東京音楽学校奏楽堂(現在の東京藝術大学奏楽堂とは別の場所です)に旗が立つんですよね。

で、本来の場所である不忍池の南端に接する地点には何の印もありません。それで、生まれて初めて「情報の修正の提案」というのをやってみました。

すると、Google からはすぐに「編集が承認されました」との返事が来たのですが、肝心の地図上の情報はいつまで経っても訂正されません。

「24時間かかることがあります」とは書いてありましたが、何日経っても元のままです。

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Saturday, September 27, 2025

映画『ブライアン・エプスタイン』

【9月27日 記】 映画『ブライアン・エプスタイン 世界最高のバンドを育てた男』を観てきた。

ビートルズの、厳密には2代目だが、実質的には初代にして彼らを世に出したマネージャーのブライアン・エプスタインの伝記映画である。

僕は洋画に明るくないので監督も役者もあまり知らないが、監督のジョー・スティーブンソンは映画とテレビの実績はあるがそれほど有名な人ではないようだ。それに対して役者たちは結構名のあるところを揃えたようだ。

この手の作品を見るときに注意しなければならないのは、いつも書いているように、ここで描かれていることがそのまま歴史的事実ではないということだ。登場人物に 24 時間密着取材していたわけではないので、その時に何があって何を言ったのかなんてことは誰にも分からないし、仮に誰かが密着していたとしても、もしも2人が密着していたらその2人が書き留めたことにも少なからず違いが出るだろう。そんなものだ。

ドラマを観ていて一番驚かされた展開や感動した台詞が、実は脚本家の創作だったなんてことはザラにあるだろう。

ただ、さすがに脚本家も残っている資料に正面から食い違うことは書きにくいだろうから、概ね大筋はこんな感じだったのかな、と思いながら見るのが良いと思う。

その前提で、この映画についてまず言えるのは、一時はドレス・デザイナーになりたいと言ったり、演劇学校に通ったりしていた家具屋の息子が、一家が多角経営でやっていたレコード屋に若者向けのロックの在庫を増やして一大人気店に育て、ビートルズの評判を聞いて興味を持ち、キャバーン・クラブに彼らのライブを観に行って感激し、やったこともないのに彼らの楽屋を訪ねてマネージャーをやらせてくれと頼み、とうとう本当のマネージャーになってしまう──なんてことが本当にあるのか!という驚きである。

しかも、彼らは大ブレイクして大ヒットを連発し、時代を代表するバンドになってしまうのだ。うーん、今ならありえないかな。

でも、戦後の日本の音楽界もそうだけど、才能ってなんかこんな風に集まってきて、言ってみれば梁山泊ができてしまうのである。

ビートルズの4人も、ブライアン・エプスタインも、ジョージ・マーティンも。

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Friday, September 26, 2025

映画『THE オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ MOVIE』

【9月20日 記】 映画『THE オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ MOVIE』を観てきた。TV版に引き続いて監督・脚本・編集・主演はオダギリジョー。

NHK でやった TVシリーズはあまりに面白くて、season 1 と 2 を通して全部観たと思う。

僕にとってオダギリジョーは、役者としてもとても魅力的かつ個性的で強く惹かれる存在だが、初監督映画作品となった『ある船頭の話』(2019年)もまた素晴らしい出来で、圧倒された。

ただ、あのような芸術的な作品もさることながら、やっぱりオダギリの本分はこういうハチャメチャな作品であるような気もする。僕はこの線が大好きだ。

何しろオダギリジョーが着ぐるみをきて警察犬・オリバーに扮しているのである。そして、その姿は他の人たちにはちゃんとシェパードに見えているのだが、担当ハンドラーの青葉一平(池松壮亮)にだけは中年のグウタラなおっさんに見えているという設定だ。

ところが、TVシリーズのファンで、この設定や各人物の役柄などをしっかり把握している人たちにとっては、この映画は最初のシーンからさっぱり訳が分からないのである。

ナイトクラブみたいなところで、漆原(麻生久美子)、柿崎(本田翼)、三浦(岡山天音)、志村さん(鈴木慶一)ら犬係の連中が飲んでいる。舞台では歌手(深津絵里)が歌っている。そこに人間の姿をしたオダギリジョーが入ってきて、やがて撃たれるのである。

これは誰かの夢に違いない。次のシーンは誰かがベッドで目を覚ますシーンだろう、と思ったら、みんなが警察犬を訓練している狭間県警鑑識課犬係の日常風景。

さっきのは何だったんだ?──しかし、そこは結局分からないままストーリーは進んで行く。深津絵里は歌手ではなく、一平たちに新人研修をした超優秀なハンドラーだが、驚くとヤギみたいに気絶してしまう(笑)羽衣弥生なのだった。

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Wednesday, September 24, 2025

映画『ひゃくえむ。』

【9月24日 記】映画『ひゃくえむ。』を観た。一部 CG も使っているが、基本的に線画アニメである。

映画館で予告編を観た瞬間に、「この画風には見覚えがある」と思った。

すぐに魚豊という原作者の名前が画面に出た。この魚屋の屋号みたいな名前は記憶に残っている(ただし、ウオトヨではなくウオトと読むのだそうだ)。『チ。ー地球の運動についてー』を描いた人だ(と言うか、僕が知らなかっただけで、大きな賞も獲っている有名な漫画家だ)。

原作は読んでいないが、NHK でアニメ化された『チ。』は全回観た。べらぼうに面白かった。2クールだったからなおさら見応えがあった。

そして、この『ひゃくえむ。』は彼の連載デビュー作なのだそうだ。これも予告編を観ただけで惹かれるものがあった。

「ひゃくえむ」は言うまでもなく「100m」、陸上競技の話だ。

主人公のトガシ(CV:松坂桃李、ただし小学生時代を除く)の小学校から 20代後半までが描かれる。

トガシは全国の小学生で一番速かった。そこに転校生の小宮(CV:染谷将太、ただし小学生時代を除く)がやって来る。

小宮は走り方もむちゃくちゃで、遅かったし、何よりも彼はスポーツをやっているつもりはなく、ただ何かから逃れるために走っているだけだった。

その小宮にトガシは「100m を誰よりも速く走れたら全てが解決する」と言う。

そう、ここで描かれるのは単に陸上競技ではなく、哲学なのである。トガシだけでなく、いろんな選手の哲学が描かれる(ここで言う「哲学」とは「人生をどう生きるかという問題に向き合うこと」だ)。

トガシは小宮に走り方をコーチする。小宮はすぐに頭角を現すがやがて転校してしまう。

近所には中学のスター選手・仁神がいたが、高校に入ってトガシも仁神も一旦は陸上をやめてしまう。

しかし、後に彼らは再びトラックに集まって来る。長らく行方不明だった小宮も。

他にも絶対王者・財津や万年2位の海棠ら、さまざまなランナーたちの競技と、彼ら一人ひとりの人生哲学が描かれる。この辺りは地動説の歴史を追っているようで実は哲学を語っていた『チ。』に通じるところがある。

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Monday, September 22, 2025

Amazon からのメールのその後

【9月22日 記】 8月29日に書いた記事の続報。──ったって、続報が来ないという続報なのだが(笑)

ひと通りおさらいしておくと、僕がこのブログに張っている Amazon へのアフィリエイト・リンク(Amazon ではこれを Amazonアソシエイト・プログラムと呼んでいる)に何か問題があるとのメールが Amazon から送られてきたのだが、どこに問題があるのか分からない。質問しても答えてくれない。

詳しくは前の記事を見てもらいたいのだが、仕方なく僕は、山ほどあるリンクに自分が加えたアレンジをやめ、山ほどあるデッド・リンクを貼り直すという作業を開始した。

しかし、そこで友人が、ひょっとしたら引っ掛かっているのはそこではなくて、アソシエイト・プログラムの設定画面ではないかとヒントをくれた。

調べてみると、確かに、そこに登録されていたのはもう閉めてしまった昔のホームページのアドレスひとつだけで、このココログは登録されていなかった。それで閉鎖した HP を消し、ココログと note  を新たに登録してみた。

Amazon に訊いてもどこが悪いのか教えてもらえないので、本当にここが問題だったのかどうかは定かではないが、なんかここだったような気もする。

それで、URL の修正作業はまだ途中だった(と言うか、当然そんなに早く終わるわけがない。「10営業日以内」なんて土台無理な話だ)が、一応 Amazon に「違反警告/通知に対する対応完了報告」の手続きを採った。

しかし、Amazon からの連絡はない。ままよ、巨大企業って大体がそんな態度だ。

その後 Amazon からはアフィリエイトのキャンペーンの案内なんかも来ているから、これで無事に「お咎めなし」になったのだろうと考えるのは多分甘くて、ある日突然「あなたのアカウントを閉鎖します」なんて連絡が来るのかもしれない。

あるいは、なんであれ連絡は来ないのかもしれない。

まあ、いいさ。しかし、僕の作業はこれで終わりにはならなかった。

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Saturday, September 20, 2025

映画『宝島』

【9月20日 記】 映画『宝島』を観てきた。

原作の直木賞受賞作は読んでいないので知らないが、この時代の沖縄を描くとなると、必然的にジャーナリスティックな方向に寄ることになるだろう。

僕は大友啓史という監督は、歴史物も扱いはするけれどその根っこはどこまでもエンタテイナーであると思っていて、彼がこれをどんな風に描くのか興味が湧いた。

しかも、大友啓史と並んで高田亮が脚本に名を連ねている(他に大浦光太)。この組合せがどういう化学反応を起こすのかも楽しみだった。

戦後の沖縄。駐留していた米軍から物資を奪い、貧しい島民たちに分け与えてきたオン(永山瑛太)、グスク(妻夫木聡)、オンの弟のレイ(窪田正孝)ら、通称「戦果アギヤー」、そしてオンの恋人のヤマコ(広瀬すず)。

ある夜「予想外の戦果」を挙げたリーダーのオンが消息を絶ってしまう。

刑事になってオンを探すグスク、ひたすらオンの帰りを待ち、いつしか小学校の教師になったヤマコ、米軍に捕まって投獄されたことがきっかけでヤクザになってしまったレイ。

オンの失踪の謎と血眼になってオンの消息を探るグスクたちと、米軍占領下から本土復帰までの沖縄の難しくて辛い歴史を重ねて描く。

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Wednesday, September 17, 2025

ココログ https化

【9月17日 記】  僕がこのブログを書いているサイト/サービスのココログが、今頃になってやっとという感じだが、漸く https化した。

これ、http のままだとセキュリティ・アプリに「このサイトは危ない」などのアラートを出されたりして鬱陶しかったのだが、漸くそれも解消する。

で、その通知はだいぶ前にもらっていたので、そろそろ https化したかな?と思って調べてみると、全然していない。URL は http:// のままである。

で、調べてみると、これは nifty が勝手に変更してくれるのではなくて、自分で設定変更しなければならなかったのだ。と言っても、設定のページを開いてボタンをクリックするだけ。

これで見事に https化完了。

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Tuesday, September 16, 2025

『PRIZE』村山由佳(書評)

【9月16日 記】 村山由佳を初めて読んだ。かなり話題になっている小説だが評判を裏切らない面白さだった。

直木賞作家である村山が、何度も直木賞候補になりながら結局は獲れず、直木賞がほしくてほしくてたまらない女流作家・天羽カインを描いている。

それは、「はぁ、直木賞の選考ってそんな風にやっているのか」という業界物ルポルタージュ的な面白さには留まらない。むしろ、そんなことはどうでも良くて(つまり、仮に直木賞について多少デフォルメしたような部分があっても構わなくて)、描かれている人間自体が面白いのである。

各章は1人の作家と2人の編集者の視点から描かれており、その感じ方の違いがまず面白い。そして、その関係性が徐々に変化して行くところが面白い。

特筆すべきは(全部ではなく部分的にしか紹介されないが)作中作の面白さである。

作中作が面白い小説の最たるものはジョン・アーヴィングの『ガープの世界』に出てくるガープ作の『ベンセンヘイパーの世界』だが、小説にこういう構成を取り入れられるのはよほど自信があってのことだ。

この小説に出てくる天羽カイン作の『テセウスは歌う』も同様で、「最後の2行を削ったほうが良くなる」「いや、2行のうち1行は残したほうが良い」という作家と編集者のやり取りを通じての推敲をめぐる展開にこれだけの説得力があるのは、まさに作家の力量によるものである。

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Monday, September 15, 2025

映画『ふつうの子ども』

【9月15日 記】 映画『ふつうの子ども』を観てきた。

呉美保監督の作品を観るのは、前作『ぼくが生きてる、ふたつの世界』を観ていないので、実に 10年ぶりである。

初めて観た『オカンの嫁入り』(2010年)で良い監督だなと思い、『そこのみにて光輝く』(2014年)で度肝を抜かれた。その次の『きみはいい子』(2015)年も素晴らしかった。

そして、後者2本の脚本を手掛けた高田亮が今回の脚本も手掛けている。この人も端倪すべからざる実力者である。

小学校4年生の子どもたちの話である。

スウェーデンの Z世代の環境活動家グレタ・トゥーンベリに憧れて環境問題に目覚めてしまった心愛(ここあ、瑠璃)。

環境問題について難しいことはあんまり分からないのだが、心愛のことが好きで、彼女に気に入られたい一心で彼女の「活動」に手を貸す唯士(ゆいし、嶋田鉄太)。

その2人の間に入ってきたのは、心愛が気を許している陽斗(はると、味元耀大 = みもとようた)。活発な陽斗によって、3人の行為はエスカレートして行く。

最初は「車に乗るな!」みたいな環境保護のための自前のチラシをいろんな車に貼って回る程度だったのが、やがて肉屋にロケット花火を打ち込んだり、牧場の柵を壊して牛を逃がしたりし始め、逃げた牛が交通事故を引き起こすに至る。

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Friday, September 12, 2025

レコード・レクターズ 2025年10月号

【9月12日 記】  レコード・コレクターズ 2025年9月号に引き続いて 10月号を入手した。特集記事が 9月号の「昭和歌謡名曲ランキング 60年代編」に引き続いて、予想通り「昭和歌謡名曲ランキング 70年代編」だったからだ。

前回に引き続いて今回も記事を書いてみた。

前回は 38人の執筆者の投票によって 150曲が選ばれていたが、今回は少し増えて 40人の執筆者の投票を集計して第200位まで紹介されている。

前回の 60年代のチャートでは選ばれたことを意外に思う曲も「それ、何でしたっけ?」みたいな曲もゼロだったが、今回は投票者が多いこともあるし、多分発売された楽曲の数も多いだろうから当然と言えば当然なのだが、チラホラと意外な曲も入っている。

そして、今号でも、各執筆者がそれぞれどの 30 曲を選んで投票したかがつぶさに紹介されている。

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Thursday, September 11, 2025

(続)ウェンズデーのハンド

【9月11日 記】  前に「ウェンズデーのハンド」という記事を書いた。

Netflix の『ウェンズデー』の登場人物(と言って良いのかどうか分からないがw)のひとりである右手首から先だけの存在が、オリジナルの英語バージョンでは Thing と呼ばれているのに、日本語版ではハンドという名前になっていることについての記事である。

で、昨日 Netflix で season 2 の最終話まで観て驚いた。

Thing = ハンド が一体誰の右手だったのかという種明かしもさることながら、それだけではなく Thing という名前の由来の説明が見事だった。あまりに感心したので再び記事にすることにした。

(ただし、そのことについて書くと、必然的に大きめのネタバレになってしまいますので、これからご覧になる方はこの文章を読むか読まないか充分考えてください)。

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Wednesday, September 10, 2025

黴取るです

【9月10日 記】  かつて住んでいた家では浴室のカビ取りというのは結構厄介な仕事だった。

カビ取り剤やカビ防止剤などいろいろ試してみたが、その直後は問題ないのだが暫くするとやっぱりカビが生えてきて、結局同じ作業をいつまでも繰り返すことになる。

それが前の家から急に楽になった。多分それは 24時間換気のおかげではないかと思っている。

28歳の時にワンルーム・マンションに移って以来ずっとマンション暮らしだが、昔のマンションには 24時間換気なんてシステムは備わっていなかった。

それが前のマンションに移った時に初めて付いていて、でも、最初はなんか贅沢な気がして、また、電気代がものすごくかかるのではないかと思い込んだりもしていて、暫くは使っていなかった。

それが何かのきっかけで使うようになってみると、風呂の壁や床や天井に目立つカビがはびこるようなことは全くなくなった。正直驚いた。そして電気代も増えていなかった。

ただ、それでも床と壁の境目や浴槽と壁の境目などにはやっぱりゆっくりと赤っぽいカビが生えてくる。

それを除去するために、僕はカビトルデスという商品を使っている。

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Tuesday, September 09, 2025

映画『遠い山なみの光』

【9月9日 記】 映画『遠い山なみの光』を観てきた。

原作がカズオ・イシグロの 1982年の処女作。監督が石川慶。そして、石川監督ということは撮影監督はいつものポーランド人──となると、もうそれだけで堂々たる文芸作品の芬々たる香気が漂ってくる。

事実これは圧倒的な映像芸術であった。たとえ如何にも CG で描いたという感じの遠景であっても、それはノスタルジーと後悔の念の両方に染まった戦後日本の実景に見えた。

いや、この映画が圧倒的な映像芸術であったのは、単に画面がきれいとか、そういうことではなく、小説にも散文にも描けない、映像でしか描けない「何か」を描いていたからだ。

僕が驚いたのは、オープニングでいくつか出てきたロゴの中に、是枝裕和の分福があったことと、スタッフ・ロールでカズオ・イシグロ本人がエグゼクティブ・プロデューサーとして名を連ねていたことである。

分福の福間美由紀プロデューサーは原作にはなかった数多くの設定を提案して採用されたとのことだ。

そして、カズオ・イシグロは石川監督から送られてきたプロットを読んで「素晴らしいプロットでした」と言い、解釈を委ねてくれたと言う。

原作では悦子(1950年代は広瀬すず、1980年代は吉田羊)と佐知子(二階堂ふみ)の関係についてそれほど明示的には書かれておらず、読者が「ということは、そういうことなのか?」と読み取るような構成だったそうだ。

カズオ・イシグロはこう言っている。

この映画は、今の世代のための”語り直し”なのです。

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Sunday, September 07, 2025

映画『8番出口』

【9月7日 記】 映画『8番出口』を観てきた。

予告編を何度か見た段階では全く観る気がなかったのだが、公開が始まってみると僕の周りの多くの人が褒めていたの観てみようと思った。

当初観る気が起こらなかった理由は2つあって、そもそも「地下鉄の駅の出口が分からなくて迷う」というジャスト・ワン・アイデアで2時間の映画が構成できるんだろうか?と思ったのがひとつ。そして、監督が川村元気だという点も僕にブレーキを踏ませた。

後者について先に書くと、過去プロデューサーとして数多くの名作を手掛けてきた川村だが、監督第1作となった『百花』を観て、「ああ、この人は監督はやらないほうが良い」と思ったからだ。

ただ、監督としての川村は撮影前から確固たるイメージを持って演出するのではなくて、現場で俳優やスタッフの意見をどんどん取り入れて構築して行くタイプとのことだ。ということは、前作では出演者やスタッフとの組合せが悪かったということなんだろうか(しかし、まあ、前作も結構立派な賞をもらったりしているわけで、他人の感じ方というのはよく分からないが)。

そして、前者について書くと、これは元々がゲームだったそうな。ゲームだと言われると、「ああ、なるほどな」という気がする。ワン・アイデアから映画を作るのとゲームを膨らませるのとでは全然違ってくる。

登場人物に役名はない。最初は地下鉄に乗っている「迷う男」(二宮和也)の主観映像(映像だけでなく音響も、迷う男がイヤフォンを外したり、電話に出たりするたびに変わる)。そして、地下鉄を降りて歩きはじめると「迷う男」はいつしか迷路に入ってしまい、そこからカメラは二宮の姿を映し始める。

通路の途中に掲示があり、何度か通るうちにその意味が分かってくる。

通路の途中で異変を見つけたら引き返し、異変がなければそのまま進むと「出口0」の表示が「出口1」に変わり、これを続けて行くとやがて「出口8」に通じる。しかし、異変を見落として先に進んだり、異変がないのに引き返したりすると、表示はまた「出口0」に戻ってしまうのだ。

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Saturday, September 06, 2025

映画『海辺へ行く道』

【9月6日 記】 映画『海辺へ行く道』を観てきた。横浜聡子監督。

結構有名な原作漫画があるらしいのだが、それにしても如何にも横浜聡子らしい、まさに横浜聡子ワールド。

妙竹林な話である。出演者のひとりである宮藤官九郎は、最初脚本を読んで「なんと言うか、モヤモヤっとし」て、原作漫画を読んだら「ますます分からなくなって」、撮影してみて、「きっとわからなくていい世界なんだな」と思ったと言っている。

そう、この映画は不思議な登場人物が不思議な行動をする不思議なシーンが満載だが、いちいち解釈しなくて良いのだと思う。いや、もちろん解釈したければすれば良いが、多分原作者も監督も、それぞれ何等かの“思い”はあるにしても、逐一確固たるメッセージがあるわけではないのだと思う。

僕はただ降ってきた雨が身体に染みるのを感じるように観た。(読み返してみると、以下ちょっと書きすぎたかもしれない。ネタバレを避けたい方は登場人物の紹介までで読むのをおやめ下さい。)

舞台はアートで移住者を呼び込もうとしている田舎町。メインのキャラクターは4人の子どもたち:

中学の美術部員で、新聞部の紙面づくりや演劇部のセットの美術なども手伝っている奏介(原田琥之佑)。その後輩で同じく美術部員で、念力でスプーンを曲げたりできる良一(中須翔真)。2人の先輩で今は高校生になって、自分のアトリエで変なものばかり作っているテルオ(蒼井旬)。奏介の同級生で熱血新聞部員のほのか(山崎七海)。

そこに絡んでくる大人たちとしては、会話からするとどうも親子ではないようなのだが奏介と同居している寿美子(麻生久美子)。奏介に、「君には才能がある」と言って仕事を依頼する A氏(諏訪敦彦)。この街に流れてきた、粗悪品を実演販売して生計を立てている高岡(高良健吾)とその恋人のヨーコ(唐田えりか)。彼らに家を世話する不動産屋の従業員・理沙子(剛力彩芽)。その理沙子に家を紹介してもらって、やがては理沙子と同居するようになる、借金を抱えた彫刻家ケン(または万次郎、村上淳)。海辺の岩場でこの季節だけランチ店をやっている静香(坂井真紀)、その店にウェットスーツを着て海からやってくる五郎(宮藤官九郎)、奏介の、こちらは実のおばで芸術家たちの借金取り立てをしているメグ(菅原小春)、奏介たちのクラスの担任(宇野祥平)ら。

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Wednesday, September 03, 2025

映画『九龍ジェネリックロマンス』

【9月3日 記】 映画『九龍ジェネリックロマンス』を観てきた。

原作漫画は読んだことがないが、テレビのアニメ版は全話観た。めちゃくちゃ面白かった。しかも、映画版は池田千尋が監督だと言うのでとても楽しみにしていた。

このアニメはレグザの片岡秀夫さんの分析によると、視聴者の中心は最初は男性もいたのに次第に女性中心となったとのこと。SFサスペンスだと思って見始めた男性層が「なんだ、ラブ・ロマンスか」と思って逃げて行ったのではないかというのが片岡さんの解釈だ。

ただ、この映画版では、冒頭近くでいきなりテレビ画面の中で蛇沼(竜星涼)がジェネテラについて語るシーンがあり、そして早い段階で、九龍城砦の外側で蛇沼とグエン(栁俊太郎)が会って第二九龍の成り立ちについて語るシーンがあった。

僕は、ああ、映画版ではむしろ SF に寄せようとしているのかなと思った(最後まで見ると決してそうではなかったのだが)。

アニメ版においては、何故あんな正8面体が宙空に浮かんでいるのか、そして、それが何をしているのかがずっと解き明かされないまま展開していたのが、まさに SFミステリ的な不思議な魅力になっていたので、映画でこんなに早く種明かしが始まったことについては、僕としては、「ちょっと分かりやすくなりすぎて残念だ」と感じたのだった。

しかし、まあ、それも2時間の映画に収めるためには仕方のないことで、そういう意味では蛇沼の生い立ちや父親との確執など、彼の背景を語る部分を省かざるを得なかったのも頷ける。

その一方で、アニメ版ではかなり早い段階で鯨井令子は自分に過去の記憶がないことに気づいているが、映画では令子(吉岡里帆)は、「そう言われれば」という感じで途中からそれを強く意識し始める。

ことほどさように、この映画は、アニメとは細部についてはいろいろと共有しながら、展開自体はかなり違う形に仕上げてあった。

原作漫画はまだ連載継続中なのだそうだが、原作者の眉月じゅんはアニメ、映画それぞれの展開を尊重し、かつ評価もしているようだ。

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Monday, September 01, 2025

昔書いた文章は短かった

【9月1日 記】  前の前の記事に書いた通り、Amazon の指示を受けて今、このブログに張った Amazon への全リンクをチェックして書き換え作業をしている。

その多くは書評なのだが、HTML をチェックするだけではなく、ついつい昔書いたものを読んでしまう。

で、これは予想したことだが、昔書いた書評について、その多く(と言うか、あるいは「ほとんど」と言ったほうが良いかもしれないが)について、全く記憶がない。

今の僕がその本の内容について全く記憶がないばかりか、そんな本が存在することさえ知らない作品について、昔の僕はそれを読んだと主張して、なんだかんだと書いている。

もちろん、中には少し記憶のある本もあるし、記事を読み返すうちに少し思い出したりすることもあるが、記事を読んでも全く何も思い出さない本が大半である。

このブログにも何度も書いているように、僕は読んだ本でも観た映画でも、次から次へと忘れてしまう。他の人はそんなことないんだろうか?

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