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Saturday, August 30, 2025

ヘボン式と訓令式

【8月30日 記】  昨夜、妻はテレビをを観ていた。別室で別のことをやっていた僕が入って行くと、「ねえねえ、新橋って M だって知ってた?」と訊かれた。

何のことかと思ったら、NHK『チコちゃんに叱られる!』で、

駅の表示では、どうして新宿は SHINJUKU で、新橋は SHIMBASHI になっているのか? どうして同じ「ん」なのに新橋は M なのか?

というのをやっていたのだ。

僕はびっくりした。

まずは JR の表示で新橋が SHIMBASHI だということに、今の今まで妻が全く気づいていなかったということに。

僕は「ことばのウェブ」というホームページをやっていた(すでに閉鎖)くらいだから、普段から言葉遣いには強い興味と深い関心があって、ローマ字の表記を見るたびに、「この会社(例えば JR)はちゃんと(外国人も馴染みやすいように)ヘボン式で書いているな。でも、あの会社は訓令式なのか」などとチェックしている。

ヘボン式とか訓令式とかいう名前は知らなくても、ローマ字の書き方にはいろいろあることは誰でも知っていて、かつ、ヘボン式では日本語の「ん」に N が充てられるケースと M が充てられるケースがあることぐらいは誰でも知っているのだと思い込んでいた。

ところが、昨日の『チコちゃんに叱られる!』では、そのこと自体が出題に採用されており、しかも学者がそれを「B や P のような、両方の唇がくっつく音の前では N は発音できない(しにくい)」などとしかつめらしく解説して、さらにわざわざ外国人にそれを発音させたりもしている。

そして、3人のスタジオ出演者が誰もまともに答えられないではないか!

なにそれ! びっくり。

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Friday, August 29, 2025

Amazon からのメール

【8月29日 記】僕はこのブログに数多くの Amazon へのリンクを張っている(全てが Amazon というわけではなく、例えば「映画.com」などへのリンクもあるが、これは後述するアフィリエイトにはなっていない)。

これは Amazon Associates という名前のアフィリエイトで、つまり、誰かがこのブログ内のリンクから Amazon に飛んで、そこで何かを買うと僕に分け前が入るという仕組である。やり始めてそろそろ 20年くらいになるかな。

ただ、僕は、ここにも以前から何度か書いている通り、分け前がほしくてこれをやっているわけではない。

  1. 著作権法に全く触れない形で、自分のブログに本の表紙や CD や Blu-ray Disc のジャケットの写真を表示したい。
  2. そして、記事を読んでくれた人の利便性を考え、その写真をクリックすると Amazon の当該製品のページに飛べるようにしたい。

という、ただそれだけの理由である。

収入があるったって、こんなマイナーなサイトだと本当に微々たるもので、特に近年はそんな形でものを買う人が減っていることもあって、最後に売上報告を受けたのが1年ちょっと前のなんと僅か 20円である。そういう意味でも、このサイトに限って言えば、アフィリエイトのシステムなんてあってもなくても良いものなのだ。

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Tuesday, August 26, 2025

『お坊さまと鉄砲』

【8月26日 記】 一昨日、WOWOW から録画しておいた映画『お坊さまと鉄砲』を観た。

僕はテレビで録画して観た映画についてはいちいちここに書き残していないのだが、2日経って、この映画については何としても何か書いておきたい気になった。

めちゃくちゃ良い映画なのだ。

調べてみたら去年のキネマ旬報の外国映画部門で第22位に入っていた。僕は そんなこと全く知らずに、ただ WOWOW の番組ガイドを読んで面白そうだと思って観たのだが、これが当たりだった。

「心温まる」などと言う人もいるだろう。でも、僕らが得る感慨はそんな単純なものではない。「切ない」「やるせない」「ちょっと笑える」「笑えない結末」「心洗われる」「考えさせられる」…そんな複雑な思いにさせる、非常によくできた映画だった。

資本構成としては、ブータン=フランス=アメリカ=台湾の合作。監督はパオ・チョニン・ドルジ(ブータン人だろうか?)。

舞台は 2005年のブータン王国。代々の国王が広く国民の尊敬を集め、一時「世界一幸福な国」ということで日本でも話題になった。

その国王が政治から退き、他国に倣って民主制を導入し、初の国政選挙を実施したのが 2005年である。

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Monday, August 25, 2025

レコード・コレクターズ 2025年9月号

【8月25日 記】 『レコード・コレクターズ』2025年9月号を買った。特集が「昭和歌謡名曲ランキング 60年代編」だったからだ。

本当は一番ほしいのは「70年代編」なのだが、それはまだ存在しない。しかし、「60年代編」を出したからにはそのうちにきっと「70年代編」も出すつもりなのだろうと踏んで、まあ、メインの前の前菜みたいなつもりでとりあえず購入した。

これがどうやって選ばれたかと言うと、この雑誌の執筆者38人の投票によるものである。

1960~69年に発売されたシングル盤を対象として、各審査員が第1位から 30位までを選び、それを集計して上から順に 150曲が紹介されている。

僕としてはあまり上のほうには興味はない。というのも、そういう形で選ぶと平均化/平準化されて、あまりとんがった作品は上位に現れて来ないからである。

これがもし、例えば高護(こう・まもる)氏がひとりで選んだというのであれば、目を皿のようにして読んだと思うが、高氏は選出委員ではないし、案の定、予想できるようなランキングになっていたので、ザーッと目を通しただけである。

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Sunday, August 24, 2025

映画『大長編 タローマン 万博大爆発』

【8月24日 記】 映画 『大長編 タローマン 万博大爆発』を観てきた。いやぁ、面白かった。

僕はこんなものが NHK の深夜の5分番組として放送されていたことを全く知らなくて、この映画についても一昨日まで存在さえ知らなかったのだが、激賞しているコラムを立て続けに読んで、「これは見なきゃ!」と思った。

タローマンのタローが岡本太郎から来ていると知ったからだ。

舞台は 1970年の大阪万博に沸く日本。CBG(地球防衛軍)とでたらめヒーローのタローマン(岡村渉)が活躍している。

そこに昭和100年(= 2025年、つまり今年だ)の未来から、70年万博を破壊すべく奇獣が次々と送り込まれてくる。一方、2025年の CGBの兵士隊長で機械人類エリートのエラン(これも岡村渉)が助けを求めてやってくる。

折しも 2025年には宇宙大万博が開催されることになっているが、完璧な秩序社会の転覆をめざす「原始同盟」が宇宙大万博の開催を阻止しようとしている。彼らのでたらめを止めるためにはでたらめの力が必要なので、タローマンを未来に連れて行って戦ってもらいたいと言う。

などと書くと、ちょっと不思議ではあってもややシリアスなものを想起するかもしれないが、この作品はそうではない。もう、完璧に全編脱力感に満ちている。

  • 着ぐるみ、クロマキー合成、ミニチュア、マペットなど、どれをとっても何とも言えない安い画に仕立ててある。1970年と言うよりはむしろ 60 年代特撮の安っぽさに満ちた、独特の柔らかいトーンの天然色である。
  • スーツも模型も持ち小物も限りなくチープだ。
  • 次々と繰り出されるパロディ。でたらめな設定、ご都合主義な展開。上滑りする演技。
  • そして、全てのデザインが無駄にサイケだ。
  • 模型をストリングで釣って動かしているのだが、そのストリングがはっきり見えている(もちろんわざとだ)。
  • 明らかにオール・アフレコなのだが、音と唇が多少シンクしてなくてもお構いなしだ(笑)
  • 15 分に 1回、唐突にアイキャッチと言うかジングルと言うか(テレビだと CM との繋ぎ目に入れる短い静止画)が出てきて、観ている側の集中力をぶった切ってくれる(笑)
  • タローマンが、自分が映っている映像のフレーム(外側の黒味)を引っ剥がして弾除けにする(だからそこから画面のアスペクト比が変わるw これはぶっ飛んだ演出だった)

など、徹底した昭和チープ感と、あの頃の未来に対して抱いていた笑えるくらいの全幅の信頼感と、そして常人の発想を超えた展開で失笑を呼び起こす。

だが、その根底にあるのは岡本太郎なのである。

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Friday, August 22, 2025

映画『隣のステラ』

【8月22日 記】 映画 『隣のステラ』を観てきた。

福本莉子は東宝シンデレラ・オーディションでグランプリを獲って、出演映画もこれで 15本目、そのうち数本は主演と言えるポジションである。

しかし、その割にはなんか却々ブレイクしてこないという印象がある。ガツンッとアピールしてくる何かが欠けているのである。

事実、今日の劇場の客層も大多数は同じく主演の八木勇征目当てと思われる女性客で、福本莉子目当てと思われる男性層はほとんど見当たらない。

じゃあ、僕が福本莉子のファンだから見に行ったのかと言うと、そうではない。

監督の松本花奈はこれが 12本目の映画。前作『明け方の若者たち』は僕も観ていて、これは結構良かった。他にもテレビドラマや配信版の【推しの子】などとも観ていて、僕は良い監督だと思っているのだが、こちらもなんか抜けきれない感じが残っている。

で、この映画も結局なんとなくブレイクしてこない、抜けきれない感じで終わってしまった。

原作は少女漫画で、もしも幼馴染で隣に住んでいた男の子が売れっ子芸能人になってしまったら、というジャスト・ワン・アイデアで構成されたドラマなので、そこからの展開が難しい。

最初から2人とも内心惹かれ合っていることは見え見えなので、あとは途中でどういったすれ違いを演出するかということになる。確かにこの映画でもそういうすれ違いは設定されていて、そこからハッピーエンドになだれ込んで行く展開なのだが、あまりにありきたりで、んー、もう少しひねりようはなかったのかな?などと考えてしまう。

あとひとつ、何かが足りないのだ。

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Thursday, August 21, 2025

マウス買い替え

【8月21日 記】  マウスを買い替えた。

先日来、右手首の小指側の付け根が痛くて病院で診てもらったら、石灰が溜まっているとのこと。

石灰が何故溜まるのかは医学的に解明されていないらしいが、石灰自体は溶けてしまうこともよくあるので、とりあえずは痛み止めと湿布で様子見である。

で、先生曰く、パソコンを使うときに手首をデスクやパソコンにつかないようにしなさいとのこと。

それで、ハンドレストを買って、できるだけ手首を浮かせて打ち込むようにし始めたのだが、問題はキーボードではなくマウスではないかという気がしてきた。

これまでは、在宅勤務で PC を家に持って帰ったり、また会社に持って行ったりする際に嵩張らないように、とにかく薄型の小さいマウスを使っていた。

しかし、薄型のマウスだと必然的に手首がデスクにつくのである。まあ、つかない人もいるかもしれないが、僕が自分のマウスの使い方に改めて注意を向けてみると、右手首の小指側をデスクに押しつけて、しかも、デスクをこれでもかとばかり強く押すような形になっていた。

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Wednesday, August 20, 2025

ニッポン制服クロニクル

【8月20日 記】 友人に誘われて弥生美術館に『ニッポン制服クロニクル』を観に行ってきた。

この展覧会の監修に森伸之の名前がある。

僕はこの人が物した『東京女子高制服図鑑』の、多分初版本を持っていた。Img_2971

展示場のガラスケース越しに写した(→)のでちょっと見にくいかもしれないが、そう、この本だ。

著者が女子高生の写真を撮ることは自らに禁じて、ひたすらスケッチをして作り上げたというこの本は、著者のすてきなイラストと的を射た解説、そしてあくまで東京に絞ったことが功を奏して、とても良い本に仕上がっていた。

中身は、そう、こんな感じ(↓)だった。

Img_2970

その後、同じ著者のものも含めて同工異曲の書籍がたくさん出版されたが、僕はこの本に優るものはなかったと思っている。

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Monday, August 18, 2025

『世界99』村田沙耶香(書評)

【8月18日 記】 読み終わって一番の感想は、ああ、しんどかった!ということ。無駄に長い小説だ。

僕は Kindle の合本版で読んだのだが、とりわけ上巻がしんどい。下巻になると少しマシになるが、とにかく上巻がゲロ吐きそうなくらい面白くない。生涯で読んだ小説の中でも一二を争う面白くなさだと思いながら読み進んだ、と言うか、先を読むのに呻吟した。

何を描こうとしているのかは解らないでもない。と言うか、僕なりの解釈は立つ。しかし、これではほとんどただの呪詛ではないか。読んでいて後味が悪い。むしろ意図してそういうグロテスクな世界を描こうとしているのだろうけれど、僕から見たらそんなことのために一生懸命アイデアを練っている作家の存在こそがグロテスクである。

最初のほうでまず反感を覚えたのは、主人公の空子が

私は、このとき、自分には性格がないと知ったのだった。(中略)「性格」とは自分で作るものなのだ、とこのとき理解した。

と語るところで、これがまさにこの作品の核となる設定で、空子は他人をトレースし、まるで何かをダウンロードしてインストールするみたいにして、そのコミュニティの構成員として相応しい性格を作り上げ、相手に見事に呼応するのだ。

世間ではこの設定が何か画期的な設定のように評されている部分もあるのだが、僕はむしろ、そんなこと当たり前に誰だってやっていることであって、今さらそれを書くことに、しかも、ことさらこんな風に戯画的に描くことに何の意味があるんだろう?と思った。

そして、空子は自分のことを

自分には性格がないだけではなく、感情もないのかもしれない。そういえばどう考えて捻り出してみても、今までに一度も、怒ったことも、心から悲しいと思ったことも、周りに合わせるのではなく自発的に爆笑したこともない。

と言うのだが、小説を読み進んで行くと、その後に次から次へと感情を表す表現が山のように出てきて、完全に破綻していると思った。

そもそも感情がないなどという全くリアリティに欠ける設定にするよりも、元からあった感情を上塗りして完全に隠してしまうようにしてその場に合った人格をインストールするとしたほうが、そこに人間らしい葛藤も生まれてきて、ダイナミックな構造になって良いのではないかと僕は思う。

そう、そこに出てくるのはまるで塗り絵のような人間像なのである。それは作者が意図して風刺的に描いているのだろうが、そんなもので人間が描き切れるのか?という気がした。

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Saturday, August 16, 2025

「記録的短時間大雨情報」に思う

【8月16日 記】 昨今「記録的短時間大雨情報」が発令されることが少なくないが、これを聞くたびに違和感を覚える。「短時間記録的大雨情報」じゃないのか?と。

この用語を作った人は多分、

「記録的」は「短時間」だけにかかるんじゃなくて「短時間大雨」全体にかかるんですよ

という説明をするのだろうが、それはそういう説明を受けて初めて、あるいは聞いた人が頭の中で整理し直して初めて腑に落ちることだ。

良い文章の書き方を指南した文章読本的なものを読むと、関連性の近い語は近くに置いたほうが良いと書いてある。例えば

彼はこの期に及んでそんなことを言うのは卑怯だと言った。

よりも

この期に及んでそんなことを言うのは卑怯だと彼は言った。

のほうが良い文章、と言うか、意味が通って理解が容易い文章だと言われる。

これは主語と動詞の例だが、修飾語と被修飾語も隣に置いたほうが分かりやすいのは言うまでもない。

逆に言うと、修飾語の後に続くのが被修飾語だと思うのは自然な感覚で、「記録的短時間大雨情報」と言われると、「記録的」は「短時間」にかかるものだと思ってしまうのだ。

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Tuesday, August 12, 2025

ウェンズデーのハンド

【8月12日 記】Netflix の『ウェンズデー』 season 2 が始まった。

で、観ていて今頃になって気づいたのだが、あのドラマに出てくる手首から先だけの存在(右の写真の右下; 妖怪とか幽霊とかいう言い方は正確ではなく、まさに存在としか言いようがない)は、日本語版ではハンドという名前になっているが、原語では Thing なのである。

これで思い出したのは Fantastic 4 の Ben が The thing と呼ばれていること。

こちらは宇宙で放射線だかなんだかを浴びてしまって全身が岩のようになってしまい、「もはや人とは呼べない。モノである」というような感じなのだろうけれど、アダムス・ファミリーのハンドはどこからどう見ても(傷の縫い目はあるが)手そのものであって、ちょこまか動き回るだけに日本語の感覚としてはモノと言われるとちょっと違う気がする。

この辺が日米の言語のニュアンスの違いなんだろうか?

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Sunday, August 10, 2025

『劇場版 TOKYO MER 走る緊急救命室 ─南海ミッション─』

【8月10日 記】 『劇場版 TOKYO MER 走る緊急救命室 ─南海ミッション─』を観てきた。

このシリーズはテレビドラマのレギュラー回も2時間スペシャルも全部観たし、前回の映画版も観た。

しかし、それにしても、まあ前作は当然リクープはしたんだろうけれど、さらにもう1本劇場版を作るほどバカ当たりしてたっけ?という気はしながら見に行ったのだが、いやあ、観るとやっぱり面白いのである。

予告編を観て、なんで TOKYO MER の北見チーフ(鈴木亮平)が「南海MER」にいるのかということと、南海MER というのはどこを舞台にしているのか(僕は当然東京都の管轄区内である小笠原諸島辺りかと思っていた)のが分からなかったのだが、それは映画が始まってすぐに説明がある。

まずは、TOKYO MER の成功を受けて、今では札幌、仙台、名古屋、大阪、福岡にもそれぞれ MER が発足しており(前の劇場版で出てきた横浜MER ってどうなったんでしたっけ?)、加えて鹿児島・沖縄両県の島嶼地区をエリアとする南海MER の試験運用が始まっているという設定だ。ちなみに TOKYO MER はご存知の通り東京都の管轄、それ以外は国/厚労省の管轄である。

その指導官として TOKYO MER から北見チーフと看護師長の夏梅(菜々緒)が南海MER に出向しているという設定だったのである。

南海MER のチーフ候補は、田舎の小さな病院の元勤務医で、経験も乏しく、決断力にも欠ける牧志(江口洋介)で、とは言えほとんど出動要請もないので、船上では釣りや料理に脳天気に興じているありさま。

残りのメンバーとしては、まず、そんな牧志の態度にいらついているのが、TOKYO MER に憧れて看護師と船の操舵士・機関士の免許を取得して使命感に燃えている常磐(高杉真宙)。牧志に半ば呆れ半ば諦めている麻酔科医の武(宮澤エマ)。そして、いざというときになって「私、死にたくありません」などと尻込みしてしまう看護師の知花(生見愛瑠)、という面々。

そんな南海MER のメンバーが諏訪之瀬島(これは実在する島のようだ)での大噴火災害に対処するという物語。

さらに新しい登場人物としては、武医師に惚れて猛烈アタックをかけている、やや変人の島の漁師・麦生(玉山鉄二)がいる。

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Saturday, August 09, 2025

サラリーマンをバカにしてはダメよ

【8月9日 記】 昔ベルウッドから発売されて LP で持っていた『1971年 全日本フォークジャンボリー2』が、2004年に CD で復刻されていたことを今頃になって知って、何十年ぶりに手に入れて聴いてみた。

間違いなく、あの頃の時代の息吹を感じさせる作品だ。今は息吹なんてどこにあるのか分からないけれど、あの頃には間違いなく、そこに「息吹」が感じられた。

「オリジナル・リリース:1973/11/10」とあるから、僕がこのアルバムを買って聴いていたのは、高校生の頃だったんだろう。

ちなみにあの頃持っていた何十枚か、ひょっとしたら 100枚以上のレコードは、父親の借金で実家が差し押さえられたときに、他の家財道具一式と一緒に僕の手には戻らないものになってしまった。

今回このアルバムを再度入手したのは、もちろん聴きたい曲がたくさんあったからだが、とりわけ聴きたかったのは岩井宏の『サラリーマンをバカにしてはダメよ』だ。

この歌を聴いたことがない人は、タイトルだけ見て、日本のサラリーマンを擁護する歌だと思ったかもしれないが、そうではなくて、これはむしろ嘆きであり皮肉である。ただ、サラリーマンに対する皮肉ではなく、日本の社会に対する静かな皮肉であり、そこに曰く言い難い哀愁がある。

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Friday, August 08, 2025

ヒデとロザンナ再評価

【8月8日 記】  最近、ヒデとロザンナにハマっている。子供の頃には気づかなかった彼らの魅力を再発見し、再評価しているというわけだ。

大ヒットした『愛の奇跡』や『愛は傷つきやすく』の他にも『粋なうわさ』や『真夜中のボサノバ』(これは『ローマの奇跡』のB面)、『望むものはすべて』など良い曲がたくさんある。

そもそも日本の歌謡界にあってコーラス・デュオ、コーラス・グループとなると、古くはザ・ピーナッツ、もう少し後になると狩人やあみん、あるいは、あまり際立ってはいないが自分たちでしっかりハーモニーをつけていたキャンディーズなどが浮かぶが、男女ペアのハーモニーとなるとヒデとロザンナに比肩する存在はあまり思いつかない。

(紙ふうせんとか、さくらと一郎とか、いるにはいるけれど、所謂「一発屋」が多くて、これだけ多くのヒット曲があって、かつ、ごく一部ではなくかなりのパートできれいなハーモニーを聞かせてくれる存在は、他にはトワ・エ・モワぐらいかな)

男声が上のパートを歌うハーモニーというのは本当にきれいなのだ。実際には女性の声は男性より高いので、男性が3度上のパートを歌っているようで実は6度下だったりする(そして、ユニゾンはオクターブになる)のだが、いずれにしてもヒデのビブラートを極力使わずまっすぐロングトーンを押してくる声に、メリハリつけながら絡みつくようなロザンナのハーモニーが、なんと言うか、あでやかなのである。

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Wednesday, August 06, 2025

『べらぼう』がべらぼうに面白い

【8月6日 記】  前の記事で NHK の朝ドラは長らく観ていないと書きましたが、同じく大河ドラマについても、もう何十年も観ていませんでした。昔は全作見ていた母につられて一緒に観たりもしたのですがが、大人になってからは全く観なくなっていました。

その僕が今は、毎週毎週『べらぼう』をものすごく楽しみにして、テレビに釘付けになっています。

僕は映画は主に監督と脚本家で、そして、テレビドラマは概ね脚本家で選んでいます。誰が出演しているとか、どんなジャンルの物語かといったことよりも、自分が好きな監督が演出していること、信頼する脚本家が書いていることのほうが僕にとっては優先事項なのです。

今回このドラマを観ようと思ったのは、脚本が森下佳子だと知ったからでした。はい、動機はたったそれだけで、物語の内容にも出演している俳優にも取り立てて惹かれるものはありませんでした。

僕がこのブログで初めて森下佳子について書いたのは 2006年1月19日、「森下佳子から目が離せない」というタイトルで、TBS金曜ドラマ『白夜行』の見事な脚色について触れています:

ある意味で平板であったり単調であったりする原作を枠組みだけ活かして一旦ぶっ壊し、そこにオリジナルの台詞で息吹を吹き込んで行くその才能たるやタダモノではないと思う。

その後、彼女が手掛けたさまざまなテレビドラマや映画について、僕は度々このブログに記事を書いています。まさに目が離せない脚本家なのです。

この『べらぼう』においては、史実に則しながら、部分部分で大胆にアレンジしたオリジナルの筋運びがまことに見事なのです。

  • 幼少期についてはあまり資料が残っておらず、若い頃の素性がよく分からない喜多川歌麿を、火事場で記憶喪失になっていたところを主人公・蔦屋重三郎に拾われて育てられたという設定にした。その後、大プロデューサー蔦重の下で売れっ子絵師として開花するのは広く知られたこと。
  • 吉原のトップ花魁で、盲目の高利貸し・鳥山検校に身請けされたことぐらいしか分かっていない五代目・瀬川を、吉原育ちの蔦重とは幼馴染で、互いに思いを寄せていたという設定を加え、吉原の掟のために添い遂げることはできなかったという切ない関係を描いた。
  • 同じく看板花魁であった誰袖については、史実としては田沼意次・意知親子の家来であった土山宗次郎に身請けされたという伝承ぐらいしか残っていないところ、それを実は誰袖は田沼意知と相思相愛の関係にあり、意知が世間体を嫌って表向きは土山に見受けさせたという設定にしたことによって、田沼意知が佐野政言に斬り殺された事件を絡めて悲恋のストーリーを構成した。

などなど、枚挙にいとまがありません。

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Sunday, August 03, 2025

好きな女優が歩む道と僕が歩む道

【8月3日 記】  僕には好きな女優がたくさんいる。このブログの記事にも「◯◯は僕の大好きな女優だ」みたいな記述は(検索してみようとも思わないが)探したらたくさん出てくるはずだ。

それに対して「僕の大好きな男優だ」というのはほとんど書いていないんじゃないかな。

ま、それは僕がヘテロセクシャルの男性だから仕方がないのだけれど、それにしても次から次へと好きな女優が現れるのは、やっぱりある程度たくさん映画を観ているからだと思う。

3番手以下の脇役であっても、あるいはほんの端役であっても、ああ、この子いいなあと思うことがよくあるのは、それだけいろいろな映像、いろいろな場面に触れる機会があるからだと思う。

一方、映画ではなくテレビから出てくる女優もいる。その最たるものは NHK の朝ドラである。

NHK朝ドラはかつて新人発掘の宝庫で、それはオーディションによって毎回無名の女優を主演に選んでいたからだ。

しかし、ある時点から NHK は朝ドラのヒロインには全くの新人ではなく、若いとはいえすでに人気のある女優を主演に据えるようになった。

僕にとってはそれが NHK朝ドラを新鮮なものでなくしてしまった面もあったのだが、その代わりに、朝ドラで主演女優の同級生とか妹などの脇役で注目されて、後に売れ始める女優が出てくるようになった(もちろん主演女優の夫役とか弟役で男優が注目されるというパタンもある)。

ところが、僕はもう何十年も朝ドラは観ていない。2006年の『純情きらり』が通して観た最後の作品だが、じゃあ、その前は観ていたかと言うと全然そうではなくて、それがこの数十年で観た唯一の朝ドラなのである(それは僕が大好きな宮﨑あおいが主演だったからだ)。

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