映画『早乙女カナコの場合は』
【3月14日 記】 映画『早乙女カナコの場合は』を観てきた。
そんなにたくさん観ているわけではないけれど、矢崎仁司監督作品には本当にハズレがないように思う。まあ、今読み返すと『太陽の坐る場所』の時には少し貶してはいるがw
しかし、この映画はまさに絶品だった。
で、本筋に入る前にちょっと脇のネタに触れておくと、今回山田杏奈がエロいので驚いた。今までこんな山田杏奈は見たことがない。
男に媚びを売って甘えるタイプの役柄ということもあったし、前半では化粧も濃く、如何にもという衣装を着ていたこともあるが、とにかくエロいのである。肉感的でそそられるのである。
それもこれも映画の中でのキャラの描き方が素晴らしいということの証明だと思う。
この映画は、タイトルこそ『早乙女カナコの場合は』だが、実際は単に主人公の早乙女カナコ(橋本愛)に終始していないのだ。
彼女の大学入学以来の彼氏で、いろいろありながら腐れ縁が切れない長津田啓士(中川大志)、長津田に一目惚れする女子大生の本田麻衣子(山田杏奈)、カナコの大学と就職先(永和出版)の先輩でカナコに告白する吉沢洋一(中村蒼)、そして、同じく永和出版の社員で新人カナコのコーチ役で実は吉沢の元カノの慶野亜依子(臼田あさ美)の5人の主要人物の「場合」が、かなり鮮明に描き分けられている。
よくあるパタンとしてはそれぞれの人物が、主人公/恋人/恋敵/親友みたいな固定的な役柄を与えられて固定的に描かれるのであるが、この映画にあっては、それぞれの人物がお互いに交わることによってそれぞれの関係性が次第に化学変化を起こすのである。── 今までこういう描き方をした映画があっただろうか? そこが一番素晴らしいと僕は思った。
この映画は決して、単にちゃらんぽらんな男に惚れてしまった真面目な女の子の「場合」を描いたものではないのである。この5人のキャラクターが五人五色で非常に個性的に描かれ、如何にもその人らしい「場合」が展開して行くのだ。
観客は「切ないよねえ、でも、その人だったらきっとそうだよね」と思うのである。
僕は原作となった小説は読んでいないが、しかし、これは原作とは多分かなり色合いの違う作品になっているのではないかと思いながら観ていた。そして、終わってからパンフレットを読むと、2時間の映画に切り詰めるために削った部分は当然あるが、やはりそれ以上にいろんな部分を触っているようだ。
台詞の随所にジェンダー・バイアスに絡んだ部分があり、そういうことを考えながら書かれた脚本だということもよく分かる。それは女性に対するものだけではなくて、例えば長津田が「男社会が怖かった」と言う辺りにも現れている。
パンフのインタビューで橋本愛がそのように演じたかったと語っている通り、映画全体が二元論的にジェンダーを語ることを避けた表現になっているのである。
カナコと長津田が初めて会うシーンで倒れ込んだ2人を真上から映したり、長津田が演劇サークルの部室に訪ねてきたカナコの手を取って踊る長回しのシーンとか、そしてそれを踏まえて2人がまた踊るシーンが2回あったり、側を電車が通ってうるさい橋の上でうまい具合に騒音の間を縫って喋るシーンとか、長津田が何か大事なことを言う前には、必ずビールやワインを一口飲んでからでないと口に出せなかったりするところとか、良いシーンがいっぱいある。
人間の変わらない部分と変わる部分を見事に捉えた佳作だと思う。
終わり方も良かった。パンフレットのインタビューで矢崎監督は言っている
観てくださった方々が彼らの「その後」を個々に想像できるように(中略)、映画の中だけで解決して終わっても、きっと元気が出ないじゃないですか。観終わったときに元気が出る映画にしたいというのは、いつも考えていますね。
まさにそんな映画だった。あの後カナコが長津田に何を言い、2人の関係がどうなったのかは分からない。でも、きっと彼女は彼女らしい答えを見つけて、とりあえず一歩前に進んだんだろうと、そんな風に観客が思える映画だった。


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