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Friday, February 28, 2025

映画『知らないカノジョ』

【2月28日 記】  映画『知らないカノジョ』を観てきた。贔屓の三木孝浩監督作品。

2021年に日本で公開された。フランス映画の翻案物らしい。

主演は中島健人と milet。中島健人には驚かないが、 milet の起用には驚いた。

役柄からして歌えて弾ける人でなければならないし、できれば劇中の曲も書ける人が良いということで起用したのだろうが、それにしても演技初体験の彼女を抜擢するのはかなりの冒険だっただろう。

(演技未経験のシンガーソングライターの主演と言えば、2006年に YUI を起用した『タイヨウのうた』という映画があった。僕は当時 YUI の結構なファンだったが、これは観ていない)

ただ、三木監督は milet の MV を手掛けた時から彼女の役者としての可能性を考えていたりしたそうで、今回は演技のレッスンから始めたとのこと。

この映画では、最初のほうのシーンで milet のアップになる度に、「なんか取ってつけたような表情だな」と思ったりもしたのだが、中盤以降はそうでもなくなった。映画は順撮りしたわけではないだろうから、これは最初は僕の先入観であり、次第に見慣れたということなのかもしれない(笑)

僕が milet をしっかり認識したのは(それまでにも間違いなく聞いてはいたのだが)かなり遅く、昨年の TVアニメ『葬送のフリーレン』の EDテーマ曲『Anytime Anywhere』だった。この名曲でしっかり名前を憶え、音源も手に入れて何度も何度も聴き、自分でもカラオケで歌うまでに至った。

彼女はこの映画でもストーリーに納得感を与える、とても素敵な曲を披露している。

ボーカリストとしての彼女の魅力は、ファルセットの高音に注意が惹かれがちだが、僕は中低音の声の張りだと思っている。

話が逸れてしまった。映画に戻そう。

冒頭はいきなりセピア調の画面で、ヴァーチャル・ゲームに出てきそうな戦闘シーンである。中島健人が敵に追われ、逃げる中で milet と出会う。

── と、これは実はリク(中島健人)の頭の中で展開している自作のファンタジー・アクション・ノベルで、実は今は大学の講義の最中であり、隣席にいた友人の梶さん(桐谷健太、大学8年生という設定)に先生が来たと教えてもらいながら夢想に耽り続けていたため、先生に創作ノートを取り上げられてしまう。

やがて、リクは学内で同じ学部のミナミと知り合う。

教授の部屋でノートを取り返したリクが警備員に負われて逃げ込んだ講堂で、ミナミは一人で弾き語りをしていた。そして、そこにも警備員が現れ、一緒に逃げるうちに失くした創作ノートをミナミが拾って届けてくれたことから、二人は一気に距離を詰める。奇しくもミナミが、リクが書いた小説の最初の読者になったのである。

彼女は言った。「すっごく良かったよ」と。この台詞は後にも出てくる。その辺りの脚本上の仕掛けは巧い。

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Thursday, February 27, 2025

大の月と小の月

【2月27日 記】  「1月は往ぬ、2月は逃げる、3月は去る」などと言うが、年の初めはことさら時間の流れが速いような気がする。

とりわけ2月は 28 日しかないから、あっという間に過ぎてしまう。

しかし、そこでふと思った。

何故 2月だけを、極端に短い 28日に設定したのだろう?

12か月のうち、大の月が7、小の月が5あって、小の月の中で2月だけが 28日(閏年は 29日)で、あとの4か月は 30日だ。

この不均等がなんだか僕には気持ちが悪い。

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Sunday, February 23, 2025

映画『かなさんどー』

【2月23日 記】  映画『かなさんどー』を観てきた。

ガレッジセールのゴリこと照屋年之監督は前作『洗骨』を観たのだが、これが馬鹿にならない、とても良い映画だったので、今回も観ようと思った。

冒頭はルージュをブラシでつける女性の口許のアップ。誰の唇なのかはまだ分からない(そして、この口許のシーンは後にもう一度出てくる。が、そのときは別の人物だ ── こういう組み立ては巧い!)。

次は廊下を奥に向かって歩いて行く女性の姿を後ろから追う。こちらも腰から下しか映らないので誰なのかはまだ分からない。水玉模様の青いフレア・スカートが揺れる。そして、そこからすらりと伸びた足には白いヒール。

この監督がこういう画作りで映画を語り始めることに僕は驚いた。男性の監督ではあまりない画だ。大九明子監督みたいな画作りだと思った。

廊下の突き当りには車椅子に座り酸素吸入の管をつけた浅野忠信がおり、その背後に看護師(どうやらここは病院の廊下らしい)と作業服を着た男性。

その男性が浅野に「社長、奥様が来られました」と耳打ちしたところで、青いワンピースの女性の全容が映るのだが、年齢的には凡そ妻とは思えない若い女である。その女がポーズを取り、品を作り、微笑む。

そばで見ていた別の入院患者が「財産目当てとしか思えない」と隣の患者に言う。

ここまではスジの見当がつかないのだが、次第に明らかになる。

青いワンピースの女は、長らく関係断絶していた父・知念悟(浅野忠信)がもう長くないとの報を受けて、渋々東京から伊江島に帰ってきた娘の美花(松田るか)。そして、作業服の男は悟の会社の部下・小橋川(Kジャージ)だった。

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Saturday, February 22, 2025

映画『ゆきてかへらぬ』

【2月22日 記】  映画『ゆきてかへらぬ』を観てきた。

根岸吉太郎監督が 2009年の『ヴィヨンの妻』以来 16年ぶりに撮った映画(その間、何して食ってたんでしょうね?)と言うが、僕にとっては 2005年の『雪に願うこと』以来20年ぶりの根岸作品だ、と思い込んでいたのだが、調べてみたら『ヴィヨンの妻』も 2007年の『サイドカーに犬』も観ていた。

その2作品はそれだけ印象に残っていなかったんだろうなと思う。逆に言うと、『雪に願うこと』の印象がそれだけ強かったということか。

で、自分が書いた『ヴィヨンの妻』の映画評を読み返してみると、褒めてはいるが貶してもいる。どうして現代劇を撮らないんだろう?というのが一番の不満であったようだ。

僕は旧い時代を描いた映画は積極的には観ようと思わない。昔を描いて今に通じるものを感じさせるという手法もあるにはあるのだろうけれど、そんな回りくどいことせずに今の時代を描いてほしい、今の時代の映画を観たいというのが僕の志向である。

ところが、今回も舞台は大正時代。脚本は『ヴィヨンの妻』と同じく大御所・田中陽造だ。

描かれるのは中原中也と小林秀雄と長谷川泰子。それぞれ、木戸大聖、岡田将生、広瀬すずが演じている。

木戸大聖はここのところよく見る俳優だが、今回は大きな役をもらった。

しかし、中也は良いが、小林秀雄をこんなイケメン俳優が演じて良いのだろうか、とも思った(まあ、中年以降の写真しか見たことないのだが)。

ま、それは良いとして、さて、雑駁なまとめ方をしてしまうと、この3人が三角関係になるのである。

僕は中原中也の詩も小林秀雄の評論も読んだことはある。僕にとっては中原中也は天才詩人であり、それに対して小林秀雄は単に試験問題によく使われる文章を書く評論家だった。

しかし、あれ?この2人って同じ時代の人だったのか?というのが最初の感想だった。

と言うか、この2人ってほんとに知り合いだったのか?と言うか、こんなに親しかったのか?と言うか、ほんとに一人の女を取り合ったの?というのが映画を見始めてすぐに思ったことだったのだが、大筋事実であったようだ。

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Friday, February 21, 2025

鍋と爪と口笛

【2月21日 記】 ラーメンを作った妻が面倒くさがって鍋のまま食べながら、

鍋からラーメン食べたら結婚式に雨が降るからやめなさい

ってよくお母さんに言われた、と言う。

それは一度も聞いたことないな。全く記憶にない。

そしたら、(自分たちの結婚式の日に)本当に雨が降ったよね

とも言う。ついでにそれも全く記憶にない(笑)

ま、でも、確かに子どもの頃にそんなフレーズをたくさん聞かされた記憶はある。

食べてすぐ横になると牛になる

なんてのも同じで、要するに親がいくら「行儀が悪いからやめなさい」って言ったところで、行儀なんてものは子どもにとっては何の説得力もないから言うことを聞かない。それで、いろいろ不吉な予言を吹き込んで子どもを不安にさせて抑え込もうという魂胆だ。

夜に爪を切るのは「世を詰める」と言って不吉だ

なんてのもあったな。それは祖母から聞いたんだったか。

夜に爪を切ると親不孝になる

という言い方もあった。

しかし、いずれにしても、これは行儀が良いとか悪いとかとは関係がなさそうだ(昼なら良いが夜切るのは行儀が悪いという理屈は納得が行かない)。では、なんでそんな言い伝えができたんだろう?

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Tuesday, February 18, 2025

JR族

【2月18日 記】 2016年に3度目の東京転勤をした時には、家は私鉄沿線だったし、会社も地下鉄沿線だったので、Suica よりも良いかなと思って PASMO を選んだ。

ところがその後、家も JR沿線に越したし、会社も辞めてしまい、むしろ JR を使うことのほうが多くなった。

PASMO は夫婦2人とも使っていたのだが、妻も今では JR を使うことのほうが多く、買い物をする際にも Suica で払って JREポイントを貯められる機会が多いからと、最近では2枚遣いになっている。

僕はカード型ではなくモバイルPASMO を使っていたので、まあスマホに PASMO と Suica の両方のアプリをインストールして使うことも可能なようだが、なんだか面倒くさそうなので、いっそのこと モバイル PASMO を解約してモバイルSuica に完全に乗り換えることにした。

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Monday, February 17, 2025

映画『ショウタイムセブン』

【2月17日 記】  映画『ショウタイムセブン』を観てきた。大変面白かった。

10年前の韓国映画を現代の日本の要素を取り込んでかなりアレンジしたらしい。監督・脚本は元NHK の渡辺一貴。

折本眞之輔(阿部寛)はラテ兼営局NJB の看板ジャーナリストであり G帯ニュースショー『ショウタイム7』のキャスターであったが、何があったのか今ではラジオで同じ時間帯にどうでも良い感じの番組の DJ をしており、後輩アナの安積(竜星涼)がキャスターを引き継いでいる。

その折本のラジオ本番中に視聴者からの電話が入り、発電所を爆破すると言う。折本は本気にせず、「勝手にやれ」と言い放ったら、その3分後に本当に発電所が爆破される。

これをチャンスと考えた折本は、警察には通報せず、P の東海林(吉田鋼太郎)に掛け合って『ショウタイム7』のスタジオをジャックし、生放送で犯人と電話で対決する。

犯人はスタジオ内にも爆弾を仕掛けたと言っており、本当に小規模な爆発が起きる。

さて、犯人の真の狙いは何なのか、どうして折本を指名してきたのか、折本が『ショウタイム7』を降りざるを得なかった本当の理由は何だったのか、犯人は次にどんな行動に出るのか ── そんな謎と波乱を折り込みながら、ドラマは局のスタジオというほぼワン・シチュエーションで展開される。

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Sunday, February 16, 2025

『庭の話』宇野常寛(書評)

【2月16日 記】 僕は宇野常寛を note でフォローしていて、本になっているものも含めて彼の書いたものはかなり読んでいる。

だから、彼の思考過程もわりと理解しているつもりなのだが、この本を読んで改めて思ったのは、彼がなんと広い分野の人間や著作と交流し、援用し、自分の理論を組み立てているか、ということである。

そもそもどうしてソーシャルメディアの話が庭の話になるのかというところが非常に頷けるのである。

他の分野から理論や考察を借りてきて自分の専門分野に合体するというような手法は、従来多くの学者たちがやってきたことである。カール・マルクスも、マックス・ウェーバーも、大塚久雄もそうだった。でも、最近はあまり見かけないのではないか。

しかも、学者でもない、別に試験に通らなくても誰でもなれる「評論家」の宇野常寛がこんな面倒くさいことをやっていることに驚くのである。

ガーデニング、ケア施設、民藝、ハンナ・アーレントの活動的生活、中動態、美味しんぼvs孤独のグルメ、小杉湯、坂口安吾『戦争と一人の女』、そしてもちろん彼が前から取り扱ってきた吉本隆明 ── このべらぼうな知の集積に僕らはまず驚いてしまう。

彼は、note『「速すぎるインターネット」を克服するための攻略ポイント』の有料部分にこう書いている:

もちろん僕にはかつて提唱した「遅いインターネット」に大きな反省がある。それは他のところでも述べているのだが、メディアの問題をメディアの中だけで解決しようとしたことだ。

その反省がこのような膨大な労作に繋がったのである。

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Saturday, February 15, 2025

映画『聖なるイチジクの種』

【2月14日 記】  映画『聖なるイチジクの種』を観てきた。

家の中で拳銃を失くした主人公が妻と娘たちに対して疑心暗鬼になる映画だと聞いていたのだが、なかなか銃を失くす場面が来ない。それまでに延々と政治的な描写が続く。

確かにそこまでにたっぷり時間をかけてイランという国の政治と社会の状況を描いておかないと、(イランについて詳しくない一般の観客に対しては)この後半が活きて来ないということはよく解った。

でも、おかげで 167分の大作である。

映画の手法としても、あまりすっ飛ばしたりはしない。

例えば現代の日本やハリウッドの映画なら、廊下を歩いて行くシーンの次はドアを開けるシーン、それから部屋の中から撮った入室するシーン、座った人物のアップ、みたいな感じで進んで行くのだが、それらをワンカットで全部押さえようとする、みたいな形である。

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Friday, February 14, 2025

映画『大きな玉ねぎの下で』

【2月14日 記】  映画『大きな玉ねぎの下で』を観てきた。いやー、ほんとに良い映画だった。

言うまでもなく原案は 1985年に発表された爆風スランプのあの名曲である。

あれは中高生の甘酸っぱい失恋を歌った歌で、当時の僕はとっくにそんな年代は過ぎていたが、でも、ああいう気持ちは確かに経験したものであり、胸にずしんと響いた。

そして、そうか、日本武道館の屋根のてっぺんを玉ねぎになぞらえたのか、と感心した。

とは言え、あの歌で歌われたのは 1985年からさらに遡った昔の時代であり、1985年当時でさえすでに文通なんかしている人はいなかった。

それを今の時代の映画としてどうやって描くのかが疑問だったのだが、しかし、脚本を手掛けたのは高橋泉である。これはきっと面白いと思って見に行ったら、まさにアタリだった。

僕が初めて高橋泉の脚本に触れたのは 2005年に彼が監督も兼ねた『ある朝スウプは』だった。今の場所に引っ越す前のユーロスペースで観て、あまりのすごい脚本に愕然とした。そして、翌年『14歳』も観た。

以来彼を追いかけてきたのだが、最初は如何にも自主映画の脚本風だったのが、2010年頃からは完全に商業映画の新進脚本家という感じになってきて驚いた記憶がある。

僕は大体監督の名前で映画を選んでいるが、草野翔吾という、自分が名前を記憶していない監督の作品であるこの映画を観たのは、ひとえに高橋泉と桜田ひよりの名前に惹かれてのことである。

桜田ひよりは子役出身なので、実はもっと前から目にしてはいたはずだが、僕がしっかりと名前を憶えたのは、彼女が 2018年に主演した女子高生麻雀映画『咲 -Saki- 阿智賀編 episode of side-A』だった。以来僕は彼女の大ファンになった。

つい何年か前まではショートカットの、割合男の子っぽい役柄が多かった(とりわけ『映像研には手を出すな!』では男の子役だった)が、最近では髪の毛も伸ばして恋愛ものの主役を張ったりもしている。それはそれで嬉しい。

ちなみに僕が神尾楓珠の名前を憶えたのはかなり遅く、2019年のテレビドラマ『左ききのエレン』だった。思えば2人とも、僕がかつて勤めていた放送局の出資映画やテレビ番組で名前を憶えたわけである。

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Thursday, February 13, 2025

スマホで昼飯

【2月13日 記】今日、初めて入る店で昼飯を食った。

席について、あれ? メニューも置いてないし注文も取りに来ないなと思ったら、気がついたら目の前に QR コードがあった。

あ、これを読み込んで注文するタイプか、と気がついて事なきを得た。しかし、それにしても最近こういう店、増えてきたね。

スマホを持っていないお客さんが来たらどうするんだろう? ── これは店を非難しているというよりも純粋な疑問。

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Monday, February 10, 2025

記憶について考える

【2月9日 記】このブログにも何度も書いているように、僕はいろんなことを次から次へと忘れてしまう。

一度観た映画であっても、観たという事実さえ記憶になくて、見始めてから少なくとも暫くは一度観たということを思い出さないし、推理ドラマだったりすると、映画が終わる 10分前くらいに漸く、「そうだ、こいつが犯人だ!」と気づく(と言うか、思い出す)とか…。

「ああ、この小説、前から読みたかったんだ」と思って買った本を読み終わり、「ああ、面白かった」とその本を本棚に持って行ったらそこに同じ本があった(しかも、僕の場合、紙のカバーがかかっていないということは既に読み終えているということだ)とか…。

映画や本だけではない、日常生活の中で起きたいろんなことを次々と忘れる。

もちろん全てを忘れるわけではない。映画や小説でも部分的に克明に憶えているシーンや表現があることもあるし、ほとんどすべて忘れていても、それが面白かったか面白くなかったかという記憶だけは残っていたりする。

そんな僕の文章を読んでくれていた、僕と同年齢の友人が、先日、「君はいつもそんな風に言っているけど、そこまで達観できたら楽だろうね」と言うので少し驚いた。

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Sunday, February 09, 2025

「キネマ旬報」2月号増刊(2)

【2月9日 記】 今年もまた毎年やっているキネマ旬報ベストテンの得票分析をしてみます。

キネマ旬報ベストテンは、審査員がそれぞれ合計 55点を持って、1位には 10点、2位には 9点、…、10位には1点と入れて行き、その合計得点で順位が決められています。今回 2024年第98回の審査員は、前回と同じく「本誌編集部」を含めて 60名でした。

で、僕が何をやっているかと言うと、それぞれの映画の得点を、「合計点=点を入れた審査員の人数×平均得点」という形に分解してみるのです。

例えば同じ 150点獲得の映画でも、一方は

(a)合計150点=30人×平均5.00点

他方は

(b)合計150点=20人×平均7.50点

だったとすると、(a) は多くの人に広く受けた映画、(b) は特定の人の心に深く刺さった映画と言えるのではないか、ということです。

これは統計学的には必ずしも正しい手法とは言えないのでしょうが、1~10位くらいまでに絞ってやってみると、それなりに審査員たちの評価の傾向が見えてくる気がして、それが面白くて毎年やっています。

さて、2024年の結果は:

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Friday, February 07, 2025

映画『ファーストキス 1ST KISS』

【2月7日 記】  映画『ファーストキス 1ST KISS』を観てきた。

塚原あゆ子監督も早いもので5本目の劇場用映画である。

僕は坂元裕二のことは良い脚本家だと思ってはいるが、熱狂的な信者ではない。

ただ今回、塚原あゆ子 + 坂元裕二という取り合わせがどんな風になるのかについては興味があった。

硯駈(すずり・かける、松村北斗)とカンナ(松たか子)は出会ったその日に強く惹かれ合い、交際1か月で結婚を決めたのだが、知り合ってから 15年の年月が過ぎるうちに、気持ちも言葉もすれ違うようになってきて、ついに離婚届を提出するというその日に、駈は駅で線路に落ちた赤ん坊を助けようとして電車に轢かれて死んでしまう。

── と、ここまでは導入部分なので、テキトーに手早く描いても良いところなのだが、さすがに坂元裕二の脚本に手抜きはない。

駈が電車に轢かれるところから始まって、駈の遺影があるカンナの部屋に移り、デザイナーとして舞台美術を手掛けているカンナの職場のシーンとなり、同僚の杏里(森七菜)の台詞でカンナが離婚したこと、彼女の最近の日々が冴えないことを匂わせながら、仕事場で奮闘するカンナの姿もユーモアを交えて描いて行く。

その帰り道にカンナは 15年前の初めて駈と会った日にタイムスリップして、駈と出くわしてしまう。駈は 29歳、自分は 45歳である。

その日はさすがに何もできなかったが、前と同じことをすれば同じようにタイムスリップできることを発見したカンナは、何度もあの日に戻って、駈が死なないで済むように歴史を変えようとする。

ここでは熱烈に愛し合っていた2人ではなく、倦怠期を迎えていたのに、やっぱり駈を生かせたいと思い始めたカンナの気持ちの変化を捉えたところがミソである

しかし、カンナが行って何かをするたびに、歴史は少しは変わるのだが、駈がその日に死ぬことだけは変わらない。

── というような設定の映画だ。

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Thursday, February 06, 2025

映画『君の忘れ方』

【2月6日 記】  映画『君の忘れ方』を観てきた。

坂東龍汰の名前を憶えたのは、2021年の WOWOW の連続ドラマW『ソロモンの偽証』で、2015年の映画版では清水尋也が演った不良少年・大出を演じたときだ。僕は清水尋也の名前もこの役の時に憶えた。どちらも非常に印象に残る役だった。

それからずっと坂東龍汰をある意味追いかけてきたのだが、順調にいろいろな役をこなし、ついに去年 10月クールの TBS『ライオンの隠れ家』(僕も全話観た)での障碍を持った若者の役で一躍ブレイクした。

西野七瀬については、例よってアイドルに弱い(自分が若い頃にはそうでもなかったのだけれどw)僕のことなので、乃木坂46 時代は全く知らなかったのだが、本格的に女優としてデビューしてからは結構好きでよく見ていた。

とりわけ『恋は光』での、主人公・神尾楓珠を支える幼馴染みの役などは出色の出来だったと思う。

というわけで、要するにこの映画の主演の男優も女優も好きなのである。

そして予告編を見る限り面白そうでもあった。

でもなあ、監督が聞いたこともない奴だからなあ…というのが、僕が映画館に行くのを躊躇していた理由だったのである。

ところが一昨日、学生時代からの友人からのメッセージで、作道雄監督が実は僕らの共通の知人の息子さんだと知って、「こりゃ、見なきゃ」となったわけである。

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Wednesday, February 05, 2025

掘り出しモノ賞

【2月5日 記】 昨年末に 2024年の掘り出しモノ賞を選ぶのをすっかり忘れていた。『チャチャ』か『アット・ザ・ベンチ』かのいずれかかなと思ったのだが、『アット・ザ・ベンチ』を選んでおきたい。

存在さえ知らなかった映画で、会社員時代の映画好きの先輩に教えられて見に行っただけに、これこそ“ほんまもん”の掘り出しモノという気がする。

奥山由之という、映画の世界ではまだあまり実績のなかった監督だが、CM界では有名な人らしく、この小さなオムニバス作品に有名な俳優たちが集まった。

よく書けた脚本で、画作りも、役者たちの演技も非常に良かった。次回作が楽しみな監督である。

ちなみに、僕がこれまでに選んできた作品のリストは下記の通りである:

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「キネマ旬報」2月号増刊(1)

【2月5日 記】 今年もまた『キネマ旬報』2月号増刊が届いたので、僕が年末に書いた「『キネマ旬報』ベストテンの20位以内に入ってほしい邦画10本」とつきあわせてみたい。

まず、僕が選んだ 10本を改めて挙げておく:

  • デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章/後章
  • 青春18×2 君へと続く道
  • ミッシング
  • あんのこと
  • 違国日記
  • 劇場版モノノ怪 唐傘
  • ナミビアの砂漠
  • 八犬伝
  • 本心
  • 雨の中の慾情

毎回書いている通り、これは、

他の映画賞ではなく「キネ旬の」
10位以内ではなく「20位以内に」
「入るだろう」ではなく「入ってほしい」

10本である。そして、上記は僕が観た順番であって評価の高い順ではない。

さて、まずは 2024年キネマ旬報日本映画部門の1位から20位(4位、14位、19位は同点で複数作品)までを提示する:

  1. 夜明けのすべて
  2. ナミビアの砂漠
  3. 悪は存在しない
  4. Cloud クラウド
  5. ぼくのお日さま
  6. ぼくが生きてる、ふたつの世界
  7. ルックバック
  8. 青春ジャック 止められるか、俺たちを2
  9. ラストマイル
  10. あんのこと
  11. 箱男
  12. 基盤斬り
  13. 侍タイムスリッパー
  14. 一月の声に歓びを刻め
  15. 正体
  16. ゴールド・ボーイ
  17. 十一人の賊軍
  18. 違国日記
  19. 辰巳
  20. ミッシング

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Monday, February 03, 2025

ある意味での演歌批判と、五木ひろしの再評価

【2月3日 記】  僕は最近、五木ひろしを再評価している。いや、正確に言うと、五木ひろしが歌った楽曲を再評価している。

なぜなら、大雑把に「演歌」と括られるジャンルにあって、彼が放ったヒット曲にはかなり斬新なものが多かったと、今頃になって気づいたからだ。

世代的な特徴と言っても良いのかもしれないが、僕(ら)は積極的には聴かないものの、さりとて演歌というジャンルに拒否感はない。いや、逆かな? 演歌に拒否感はないけれど積極的に聴くには至らない、と言うべきか。

それはどうしてかと言うと、同じような曲ばかりだからだ。

演歌というのはある程度伝統を踏まえたものだから、その伝統を守り続けると同じような歌ばかりができてしまうという面はあるだろう。それはちょうどアメリカにおけるカントリーやブルースみたいなものなのかもしれない。

しかし、カントリーやブルースにもいろいろな色合いのものがあり、新しいものも順次出てきている。

それに対して演歌は、詞・曲ともにどれを聞いても同じような歌が溢れかえっている。いや、

もちろん時々毛色の違う作品もあるし、その中には名曲というべきものも少なからずある。演歌のサブ・ジャンルもいくつか新しくできてきた。でも、それは昭和の中期までで、昭和の終盤以降、演歌はほとんど進化していない印象がある。名曲と呼ぶべき作品もほとんどないのではないか?

昔の焼き直しみたいなメロディがものすごく多いのである。それは前奏が始まった途端に痛感する。

例えて言うなら“チャンチャカチャン演歌”なのだ。どれもこれもチャンチャカチャンなのである。

昔、平野雅昭という人が歌った『演歌チャンチャカチャン』というのがあったじゃないですか? と言っても、1977年のスマッシュ・ヒットなので、「そんなもん知らん」と言われそうだが(笑)

いろんな演歌を ♪ チャーンカラッチャッチャッチャ という口三味線の間奏で次々に繋いで行くやつ。それぞれ違う歌なのに全部 ♪ チャーンカラッチャッチャッチャ で繋がって何の違和感もない。

僕はあの歌はある意味で演歌のマンネリズムをパロディ化したものだと思って聞いていた。

そして、今この時代に『演歌チャンチャカチャン』に追加で入れ込んでも何の違和感もない、詞も曲もいつまでも“昭和”を引きずった演歌が平成になっても令和になってもたくさん残っているのである。

旧態依然たる男女の関係を、聞いたような節回しに乗っけて歌う演歌が、いつまで経っても幅を利かせているのである。

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Saturday, February 01, 2025

鎌倉アルプス

【2月1日 記】  昨日、友人に誘われて「天園ハイキングコース」にハイキングに行ってきた。「鎌倉アルプス」などという素敵な別名を持つコースである。

途中、何箇所かのポイントから富士山をきれいに望むことができる、素晴らしいコースだったのだが、日頃の運動不足もあって、まずは下山してしばらく歩いていたら突然右足の太ももが攣って歩けなくなったり、帰宅してから足も腰も筋肉痛で、一晩明けた今も続いていたりと、結構大変だった。20250131

しかし、それにしても、最高地点である大平山の頂上は海抜わずか 159m である。

そんなものあっという間だろうと高を括っていたのだが、これが結構しんどい。

まっすぐな坂を 160m の高さまで登るのであれば、たとえ山道であっても、確かにどうってことないだろう。現にそんなイメージでいた。

しかし、実際に行ってみると、急な勾配を登ったかと思うとそこからしばらく下り坂が続いたり、また上りまた下りの繰り返しである。

せっかく必死で昇った高さが、下り坂でチャラにされてしまうことの切なさを何度も痛感した挙げ句、ようやく頂上にたどり着くのである。

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