映画『海の沈黙』
倉本聰という大御所が脚本を書いた映画だが、実は僕は倉本聰作品にはほとんど接することなく今日に至っている。『前略おふくろ様』も『北の国から』も『やすらぎの郷』も観たことがない。
今回観ていてすぐに思ったのは、とてもよく整理された脚本だということ。設定やストーリー作り、台詞回しなどもあるんだろうけれど、彼が脚本の名手と言われるのは多分こんなところにあるんだろうなと思った。
冒頭が田村安奈(小泉今日子)が占い師に見てもらっているところ。どうやらかなり当たっているらしい。
その一連の台詞で安奈と夫である日本を代表する画家・田村修三(石坂浩二)の現在の関係性を観客に説明する。そして、安奈は最初否定し、その後はぐらかすが、占い師は彼女の心の奥深くに思いを寄せた男がいると言う。
映画の出だしとして、とても巧い構成だと思う。
そして、その次の修三の展覧会のシーンからストーリーは動き出す。
そこに展示してあった作品のひとつが修三自身によって贋作だと見抜かれるのである。しかも、修三はこの贋作作家のほうが自分より上ではないかという実感を抱いている。
そこからはちょっと複雑になってくる。
映画は観客にいろんな謎を投げかけて観客を引っ張る。登場人物の多い話で最初は見えない部分も多いのだが、しかし、観客が混乱する前に巧みに情報を小出しにして繋げてくる。
それでまたその設定に引っ張られて観客は前のめりになる。やっぱりとても手際の良い脚本だと思う。
観ていると最初のほうで想像がつくことなので、ネタバレを恐れず書いてしまうと、その贋作を描いたのが津山竜次(本木雅弘)という画家で、元は修三と同じ先生に師事していた美大の同窓生であり、かつ安奈の恋人でもあった。
津山はある事件を起こしたことから退学になり、画家生命も失い、今は小樽で一匹の犬とひっそりと暮らしている。今でも 130号の大きなキャンバスに絵を描いている。その彼に「番頭」として 30年間寄り添ってきたのがスイケン(中井貴一)という正体不明の男である。
その他にも刺青を入れる女たち(清水美砂と菅野恵)の話や、贋作を掴まされた地方の美術館の館長(萩原聖人)の話なども絡んできて、結構要素が多いのだが、テーマははっきり見えている。
美とは何か? 贋作とは何か? そして人──何と言って良いのか分からないが、人の、しかも深~いところがぬるりと描かれるのである。
何十年ぶりかで再会する竜次と安奈のシーンがとても美しい。冒頭からクロースアップを多用して役者の表情をたっぷり見せるカメラワークなのだが、本木も小泉も本当に見事に微妙な表情を見せてくれる。
演じるほうもお互いにそうだったのだろうが、観ている側も何十年も前のシブがき隊のモックンとなんてったってアイドルだったキョンキョンの姿が被ってくるのである。彼らの昔を彷彿とするのである。
お互いに長い年月をかけて今のような素晴らしい俳優になったのだ。
若松節朗監督らしい重厚な映画だった。
少ない台詞でこれだけの深い印象を与えられるのはやっぱり倉本聰の力なんだろうか。
映画の中に出てきた絵画がいずれも力強く魅力に溢れていたことも、この映画を説得力のあるものにした。『海の沈黙』というタイトルも素晴らしい(映画の内容を見事に暗示している)。
そして、主演の2人。主演男優賞と主演女優賞の両方を受賞しても不思議ではないと思う。
ただひとつだけ。僕らは石坂浩二が大体何歳くらいなのか知っているわけで、それが頭にあるからなのかもしれないが、石坂浩二と仲村トオルと本木雅弘が大学の同窓だったとはどうしても思えない。外見的にもあまりに年が離れすぎてやしないだろうか? それだけがちょっと残念だった。
【11月24日 追記】 X(旧 twitter)を見てみると、この映画での女性の扱いについて、炎上気味と言っても良いくらい、かなり叩かれている。それらを読んで、なるほどと思うところも多い。
加えて、総じて若い人たちにはほとんど響くところがなかったようだ。



Comments