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Tuesday, July 16, 2024

映画『ルックバック』

【7月16日 記】 映画『ルックバック』を観てきた。

なんだか知らんがこの映画、僕の周囲では誰も彼もが、寄ってたかって褒めるのである。普段映画のことなんか facebook に書かない人たちまでこのアニメに触れて褒めている。

僕としては非常に気持ちが悪いのである。逆に観る気が失せてしまう。でも、まあ、観てみないと始まらんし、1時間の短編だし、と一瞬気が変わったので、もう一度気が変わらないうちに観に行ってきた。

冒頭が主人公が中学時代に書いた作中作だった(もちろん見始めた時点ではそのことは判らない)ということもあったし、いずれにしても線画の平面アニメだったので、これはアニメにする必要があったのかな?漫画で充分ではないか?というのが第一印象だった。

しかし、観ていると、構図に圧倒的な面白さがある。よくもまあその場面をその角度から描こうと思ったなと驚くような構図がある。そして、その構図が少し動くとこれまた面白いのである。その辺にアニメとしての真骨頂がある。

画の感じからしたら、やっぱりアニメらしいダイナミックな動きではなく平面の線画という感じなのだが、非常に目が大きい人物も、奥行きの深い背景もともに魅力的であるし、その特徴を活かして静止画を多用した進行にしたのも巧いと思う。

設定やストーリーは全く知らずに観たのだが、結構引き込まれた。

藤野歩は小学校4年生。絵が巧く、学年新聞に4コマ漫画を連載している。運動神経も良く、クラスの人気者だ。漫画を書くことには自信がある。

ところが、不登校女子のクラスメイト京本が描いた漫画を観てショックを受ける。クラスメイトからも「京本の絵と比べると藤野の絵はフツーだな」などと言われてしまう。

負けん気の強い藤野はそこから、友だちとも遊ばず勉強もほっぽりだして、必死で絵の勉強をし始めるが、6年生の途中でふと嫌気がさしてやめてしまう。

そして、小学校の卒業式のあと、担任に頼まれて京本の家まで卒業証書を届けに行くのだが、そこで京本は初対面の藤野に「藤野先生」と呼びかけ、自分が藤野の漫画の大ファンであったことを告げる。

そこからこの2人が大学生の年齢になるまでが描かれている。

藤野は中学生・高校生でありながらプロの漫画家になり、京本は背景画担当のアシスタントとなる。藤野は京本を連れ回して彼女の社会復帰を助け、自身も漫画家として成功の道を歩む。京本も引きこもり生活から抜け出し、やがて美大に進みたいと言い出す。

2人の性格がよく描かれている。藤野が右利きであるのに対して京本は左利きであるのもなんとなく暗示的である。原作では(後述のネームを見ると)2人とも右利きのようだ。

気が強い一方で自分の淋しさを素直に表現できない藤野は、京本が美大に馴染めるわけがない、自分の言う通りにしていたらうまく行くんだと怒鳴る。でも、皮肉なことに、京本は藤野にに頼らずに生きてみたいのだと言う。

そして悲劇が起こる。

最後の部分で観客は、「あれ? これ、どっちの世界が現実なんだ?」という、莊子の『胡蝶の夢』のような感覚に陥ることになる。こういう物語の構造は非常に巧い。そして、深い。

観客に自由な解釈を許す映画は良い映画である。

僕は、うまく言えないが、「あ、人生って、こういうもんだよな」と思った。それが具体的にどういう意味なのか説明を求められると明確に答えられないのだが、とにかく「人生ってこういうもんだ」という気がした。

原作は『チェンソーマン』で知られる藤本タツキが『少年ジャンプ+』に描いた読み切り漫画で、なんとそのネームのペーパーバック版が来場者特典になっていた。

監督・脚本・キャラクターデザインを手掛けたのは押山清高という、この世界ではかなり名の通った人らしい。そして、主人公・藤野の声を務めたのは河合優実だ(エンドロールで知った)。

ひたむきで、切なくて、余韻の深い、非常に優れた映像表現だった。

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