照明のモード、成長のモデル
【6月9日特記】 出張で東京に来ている。地震以降2回目だが、依然として照明が落としてあったり、エスカレータが止まっていたり。これでもエスカレータはだいぶ動き出したとのことである。
照明は、一番明るい蛍光灯の部分を間引いてあるので、以前との比較の中では結構暗さが際立つ。でも、考えてみたら、アメリカやヨーロッパに行くと夜はこんなもんかなあとも思う(もちろん欧米にも一晩中輝いているネオン街はあるにはあるが)。
いや、別にそれだけのことである。ただ、そういう事実に気づいたというだけのことを書いている。アメリカやヨーロッパの薄ぼんやりした照明が正常で、これまでの日本が異常であったなどとは言わない。
日本はそれで回っていたのである。多分、たくさん電気を使って、電力会社にたくさん電気代を払い、たくさん儲けた電力会社はそこから巨額の設備投資をし、それでまた工事の会社などに資金が還流し――などという、うまい回り方をしていた面もあったはずだ。
いや、だからと言って、とりたてて、電気は使ったほうが良いのにと言うつもりはない。日本は偉いんだと言うつもりもない。
ただ、ふとそういうことに思い至って、ああ、日本ってそういうモデルだったんだと気づいたのである。ともかくそういうモデルでここまで来たのである。
これから先どういうモデルが良いのかは、みんなで考えて行けば良いことである。
ちなみに、今の薄ぼんやり照明は、前の出張時には幾分貧乏臭く思えたが、2回目の今日はなんだかそれなりに風情があって悪くないと思えてきた。日本人の感性が変われば多分自然にモデルも変わってくるのであろう。


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