お金を借りる構造、非難を浴びる構造
僕なら銀行に行って10万円下ろす。銀行には10万円くらいの貯金はあるし、それを下ろして使えば利息は一銭も払う必要がないのだから。
しかし、銀行預金が10万円もない、あるいは預金はあるけど、何らかの理由でそれを下ろす訳には行かないとしたら?
──次の給料日まで待つ。給料日になれば10万円以上のお金が入ってくる。10万円も使ってしまうと来月は苦しくなるかもしれないが、節約に心掛ければ今すぐどうかなってしまうというほどでもないから。
いや、そもそも無職なので来月になっても収入はない、あるいは給料日まで待っても10万円を大きく上回るような収入はない、あるいは収入はあるけど既に借金の返済に追われているのでまずそれを支払う必要があり、従ってさらに10万円もの余裕はないとしたら?
──何に10万円使おうとしていたのか知らないが、僕なら使うのをあきらめる。何だか知らんが辛抱することにする。
それが何らかの事情であきらめられないとしたら?
──それはつまり自分の意志では払わずに済ませられないということであり、じゃあ、そういう状況って何なのかと言えば、つまり借金があって返済を迫られているということに他ならない。
こうやって色々と場合分けして考えて行くと、結局この「意外に利息の安い」借金に手を染めるのは、大ざっぱに行ってしまうと、それを返す当てのない人なのである。
僕は別に消費者金融に恨みはない。賢く健全に利用している人だって、きっといるんだろうな、くらいには思っている。でも、自分とはなんか縁遠いもんだという意識があった。
この広告を見て改めてロジカルに考えてみると、僕が縁遠いのは借りる必要がないからで、借りなければならない人は返す当てのない人だという構造が浮かび上がってきた(「健全に利用している人」は多分「借りなければならない人」とは違うはずだ)。
この構造がある限り、消費者金融業者はきっとどこかで非難を浴びることになるのだろう。非難を浴びるのは消費者金融業者が極悪非道だからではない。こういう構造を如何ともし難いからである。
ちょっと哀しい構造である。



Comments