ベルトとカードと権力
【6月6日特記】 6月から始まった2つの制度に思いを馳せてみる。
ひとつは自動車の後部座席でもベルトの着用が義務づけられたこと。もうひとつは taspo という年齢を証明するカードがなければ自販機で煙草が買えなくなったこと。
幸いにしてベルトをするのは実は嫌いなほうではない(さすがにタクシーではしていなかったが長距離バスではこっそり締めていた)ので、これは大した痛手ではない。煙草は去年止めてしまったので、こちらは全く関係がない。
問題はいつの間にこんなことが決まったのかちっとも知らなかったということ。
さすがに施行の日より前には知っていたが、一体いつ誰がどんな風に審議してこんなことが決められたのか、その法改正に至るまでの経緯を不幸にして知らない。
僕は車も持っていないし、車に対して興味も持っていない(持っているのは身分証明書に使う運転免許証だけだ)。また、前述のとおり、今では煙草も吸っていない。だから、この2つの法改正の動きに目がとまらなかったのかもしれないが、そもそも割合報道されていたにもかかわらず自分が気づかなかっただけなのか、それともあまり報道されることもなく決まってしまったのかもよく知らないのが情けない気もする。
僕らを縛るものは直接的には安全ベルトであり自販機のシステムなのだが、その向こうには法律があり、そしてその向こうには国家権力がある。
国家権力は一見僕らを守ってくれる存在のように見えることもあるだろうが、実は権力は民を解放することは決してない。権力がやることと言えば僕らを縛ることだけである。そして、その衝動を実現して行くマシンが政治である。
今回のベルトや taspo は少なくとも僕にとっては痛くも痒くもないし、何ら構えるほどの法改正ではない。
しかし、油断をしていると知らないうちにいろんなところで権力が僕らを縛りにかかってくるということは肝に銘じておく必要があると、今回のことを通じて思った。
そう、興味がないからと油断していてはいけない。そこをすり抜けて行くのが常に政治の巧妙なのである。政治には常に神経を張り巡らせておく必要がある。


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