はてしないトイレ談義シリーズ

このシリーズは2003年の1月以来、何回にもわたって私のホームページとブログの両方に書き散らしてきたものです。2019年になって、これを ALiS に掲載するに当たってもう一度手を入れ直して短めに編集しましたので、このココログのほうも新しい原稿に差し替えることにしました。

はてしないトイレ談義(1) ~我が名は water closet

トイレのことをWCと言うと知ったのは多分小学生のときです。そしてそれが water closet の略だと知ったのは恐らく高校に入ってからだと思います。

でも、何度かアメリカに旅した時に目にした記憶がなかったので、ひょっとするとこれは和製英語なのかなと思っていたのですが、欧州に行ってみるとあちこちにWCと書いてあるではありませんか。やっぱり使うんですね。

しかし、それにしてもWCとはうまいこと言ったもんです。water という語が入っているところから判るように、正確には全てのトイレを指すのではなく、水洗便所のことです。でも、今は誰も水洗便所なんて言いません。今は誰も電気扇風機とか電気冷蔵庫なんて言う人がいないように。

closet と言うと洋服をしまい込んでおく戸棚だと思いがちですが、もともとは「私室、小室」の意味です。water closet =「水の流れる小部屋」だなんて、まるで阪急三番街みたいじゃないですか(かなり年配の関西人にしか通じない)。

トイレのことをあからさまに言わないという工夫は洋の東西を問わずにあるみたいで、例えば日本では「便所」(=便をする所)と言わずに、「お手洗い」と言います。もちろん手を洗うためだけにも入りますが、本来的な用事は別にあって、その用事を済ませた後、必然的に手を洗うことになる訳です。

「本来的な用事」には言及せずに敢えて「お手洗い」と言うところが奥ゆかしいじゃないですか。「便所」とはえらい違いです。

人前で「便所」などという直截な表現を用いるのははばかられる、という訳で「はばかり」というこれまた奥ゆかしい表現もあります。

では、アメリカ合衆国ではどう言うか。場所を尋ねるときには Where's the men's room? (女性用 ladies' room)。これも巧い表現です。男女別の部屋といえばまず思いつくのが公衆便所です(ちなみに 、男女共通の言い方は rest room と意外につまらないです)。

また、米俗語では男性用トイレのことを john とも言います(女性版の名前もあったはずですが、何でしたっけ?)。

1970年代には、男性用に john、女性用に yoko と書いたトイレがあったそうですが、これなんかビートルズ世代ならではですね。

ところで、プラハのWCに入っていたら、女性用が満員であったらしく、男性用に数人のチェコ人のおばさんたちが侵出してきました。これって往年の大阪のおばちゃんの専売特許だと思っていたのですが、チェコでもそうだったのかとびっくり仰天。寒い国ではそんなこと気にしていられないのかもしれません。

でも、そんなこと気にしない人たちって、きっと「便所行ってくる」とか「ションベンちびりそうだ」なんて言ってるんでしょうね。

まあ、ちびらなきゃそれで良しとしときましょう、この際。


【追記1】

ハワイのマウイ島のラハイナという町に行った時のこと。

Wc

 

 

レストランで食事中にトイレに行きたくなりました。店のトイレの前まで行ったのですが、はたしてどちらが男性用なのか判りません。なぜならそこにはハワイの現地語で"kane", "wahine"と書いてあったから(文字だけで図はありませんでした)。

「kane → 金 → 金玉 → 男」、「wahine → woman の w → 女」という気がしたのですが、確信がなければ入れません。仕方なく席に戻ってトイレの入り口を観察すること10分。漸く白人女性が wahine に入るのを確認してから、そろりと kane に向かったのでした。

ハワイは日本語か英語でOKと思っていたら痛い目に遭いました。


【追記2】

新入社員の頃、社内の他の部署から上司に電話が掛かって私が取りました。

「○○君いるか?」
「ちょっと席外してます」
「トイレか?」
「はい、多分」
「彼は悄然として席を立ったか、それとも憤然として立ったか?」
「は?」
「解らんか? 悄然は小便、憤然はフンや!」

なるほど、これもあからさまに言わない工夫なんですね。


【追記3】

そう言えば、小学生のときウンコがしたくなったらよく「猪木ピンチ!」と言ったものです(これもかなりの年配の関西人にしか通じない)。

ご存じない方のために解説すると、昔アントニオ猪木とジャイアント馬場がタッグ・チームを組んでいて、猪木がピンチになると馬場が出ました。故に、猪木ピンチ!→馬場出る!→ババ出る!

あ、でも、これでは関西の方以外には解りませんね。

関西ではウンコのことをババと言います。ババは主にヒトのウンコであり、動物のウンコの場合はフンと言います。

だから関西ではババフミコとかババフミオという名前は笑われるのです。

昔、関西のAMラジオの人気パーソナリティに馬場章夫という人がいました。ただし、この人の場合はババフミオではなくバンバフミオです。

まったく、こういう話をしだすときりがないですね。
はてしない話題? いや、はしたない話題?


【追記4】

「アメリカではトイレのことを bathroom と言うのではないか?」との指摘を受けました。その通りです。しかし、これは日本人にはしっくり来ません。

「じゃあナニか? アメリカ人は風呂でうんこするのか?」とまでは言いませんが、便所と風呂に同じ単語を使って、本当に前後の文脈で区別がつくのでしょうか?

昔、姉が持っていたカーペンターズのアルバムに、歌詞が"We'll be right after we go to the bathroom"という1行だけの曲が入ってました。対訳には「ちょっとトイレに行ってすぐ戻ってきます」などと書いてあったのですが、私は「ひと風呂浴びたら私たちは正しいだろう」かと思ってました。

(2003年1月記)

はてしないトイレ談義(2) ~マルチユースって、何?

先日東京メトロの某駅でトイレの変な表示を目にしました。トイレの方向を示す矢印が書いてあって、公衆トイレに付き物の男性のマークと女性のマーク、そして車椅子のマークが添えてあります。そこまでは良いのですが、その横に「だれでもトイレ」という文字があるのです。

「だれでもトイレ」って何? まるで誰でも入れる訳ではないトイレがあるみたいじゃないですか?

しかも「だれでもトイレ」の下にはその英訳が載っていて、なんとこれが Multi use toilet。Multi だけが大文字なのも変ですし、multi use と2語に別れているのも変です。toilet というそのものズバリの単語を充てたのも如何なものかと…。

でも、一番おかしいのはマルチユース・トイレと訳した発想じゃないでしょうか? マルチユース・トイレって、えーっと、うんことおしっこと、それから何ができるんだっけ?

意地の悪いこと書いてゴメンナサイね。いや、解るんですよ、車椅子のマークがありますから。でも車椅子の人専用じゃなくて、空いていれば健常者の方も利用してもらっていいですよ──だから、「だれでもトイレ」とまあ、そういう発想なんでしょ?

恐らく『ドラえもん』の「どこでもドア」をもじったんでしょう。考えた人は「やった! なかなかナイスなネーミングだ」と思ったのかもしれません。しかし、「本来は車椅子の方用だけれども空いていれば他の人も」という微妙なニュアンスを「だれでも」というあまりに単純な単語で表すのは無理、と言うかひどいと思います。

私なら文字は書きません。男の人のマークと女の人のマーク、それに車椅子のマークが書いてあれば充分です。それだけで、日本人も外国人も意味は解るはずです。

そもそも「だれでも」なんて名前がついていても、車椅子のマークが付いているところには、よっぽど切羽詰っているんでなければ入りにくいですよ。僕が入っている時に車椅子の人が切羽詰まったらどうしよう、なんて心配なります。

入っても良いということをどうしても知らしめたいのであれば「空いている時は一般の方もご利用ください」などと明確に宣言してあげるべきではないでしょうか?

それを実現したのが、以下の写真の「みんなのトイレ」です。説明文まで書いてあるのは丁寧で良いのですが、でも、トイレって本来みんなのもんじゃないんですかね? そこに「みんなの」という名前をつけることにはどうも抵抗があります。

そんなことを考えながら新宿駅で下車して紀伊國屋書店に入ったら便意を催しました。所謂「青木まり子現象」ですよね。本屋さんに入るとどうして便意を催すことが多いんでしょうね?

で、とある階のトイレに入ったら、これまた公衆トイレによくある貼り紙「備え付けの紙以外は流さないで下さい」があり、そこに落書きがしてあります。曰く、

「じゃあ、うんこはどうすればいいのかって聞いてんだよ」

実は私も以前から同じようなことを考えてました。「備え付けの紙以外は…」という表現を厳密に解釈すれば確かに途方に暮れてしまっても仕方ありません。

まあ、でも、日本語は省略の文化なのです。省略できるものは何を省略しても良い言語なのです。そして、省略できるものはどんどん省略する傾向にある言語なのです。では、「省略できるもの」とは何か? それは前提となっている事柄です。

トイレの個室に入って、出るものが出たら流すのが前提です。だから、そのことは措いておいて「備え付けの紙以外は」という表現をしているのであって、日本人であればそれで充分意味が伝わるはずなのです。

出すものを出しながら、日本語の特徴に行き着いた、とても有意義な一日でした。


【追記】

何年前かのある日、旭川空港のトイレに入ったら、またも貼り紙。

「トイレットペーパーは便器に捨て、それ以外のゴミは汚物桶(ゴミ箱)へ。使用後は水を流してください」

まあ、なんと丁寧なんでしょう! きっと私みたいな性格の人が文言を考えたんでしょうね。

で、下には英語ではなく中国語訳が載ってます。中国語だけで他の言語はありません。旭川空港って中国人観光客が多いんでしょうか? 旭山動物園見に来るんでしょうかね(かく言う私も旭山動物園からの帰りだったんですが…)。

こういうところに書いてある外国語は結構間違いだらけである可能性があるので、正しい中国語かどうかわかりませんが、とりあえずそのまま再掲すれば、

「手紙請扔入馬桶 其餘汚物請放入拉圾桶 使用後請沖水」
(文字化けしてたらごめんなさい)

「請」は please ですよね。ほんでもって、はあ、「便器」は「馬桶」、「流す」は「沖」ですか。いや、それよりも驚くのは(と言うか、私は以前何かで読んで知ってたんですが)「トイレットペーパー」は「手紙」なんですよ!

え、じゃあ「手紙」のことはどう言うんだ、って?

「手紙」は「便」ですよ。「郵便」の「便」、「お便り」です。

え、「便」は「うんこ」だろ、って?

いやいや本当にトイレ談義は尽きません。

(2006年5月記)

はてしないトイレ談義(3) ~これ、要るの?

前からずっと思ってるんですが、新幹線の洋式トイレに入ると「洋式トイレの使い方」というものすごくご丁寧な図解があるでしょう? あれって、いまだに必要なんですかね?

私の場合、最近東阪移動は大抵航空機を利用していて長らく新幹線には乗っていないのですが、まだありますよね、あの貼り紙──人と便器のイラスト2種+「男子小用」&「大便ならびに女子小用」のキャプション。

ポイントは、1)男子のおしっこは立ってするんですよ、2)座るときは和式と反対向きですよ、ということで、とても懇切丁寧な解説なんですが、日本にはまだ洋式トイレを使ったことがなくて、新幹線に乗って初体験、なんて人がいるんでしょうか?

いや、いるのかもしれませんね。

ついつい我々は自分の周りの生活が日本中の常識だと考えがちなんですが、旧い習慣のまま暮らしている日本人がまだいたってちっともおかしくありません。日本の長い歴史の中では洋式便器なんてほんの新参者に過ぎないわけですから。

そう思うとむやみに「こんな貼り紙いらんでしょ、いまさら」なんて乱暴なことは言わない方が良いのかもしれません。

考えてみれば私の洋式便器初体験は高2の時でした。それまで洋式便器がどんなものか全く知らなかったわけではありませんでしたが、自分で初めて使ってみたのは、高2の時、金満家の同級生の家ででした。

やたら毛足の長い高そうな絨毯が敷いてあったり、綺麗な毛糸のO型便座カバーが掛かっていたりしたので「汚しちゃいけない」というプレッシャーもあってのことですが、使用するに当たって少しとまどいがあったのを憶えています。

あれからまだ半世紀も経っていません。最低でも100年くらいは「使い方」を書いておいてあげるのが親切と言うものかもしれません。

ただ、最近では「男子小用」も座って済ませる派が増えていると聞きます。つまり、あの「貼り紙」における「常識」が崩れてきているんですね。

前段で書いたことも含めて、ああいうところの掲示って、本当に難しいと思います。また座って考えてみようと思います。ひらめいたらまた書きます。

(2009年10月記)

はてしないトイレ談義(4) ~貼り紙の違和感

ある男子トイレの小便器の上の壁にこんな貼り紙がしてありました。

いつもきれいにお使いいただいてありがとうございます

なんか、これ、引っかかりません? なんか皮肉に聞こえません?

でも、例えば「トイレはきれいに使いましょう」なんてストレートに書いてしまうと、

俺がきれいに使ってないとでも言うのか、ゴルァ!

などと絡んで来る人がいるんでしょうか? まあ、確かにそういう人もいるかもしれませんね。

そんなことを考えていて思い出したのですが、アメリカ合衆国に行くと Thank you for not smoking という表現にお目にかかります。私はこの表現を初めて目にしたとき、ははあ、「禁煙」という日本語と比べるとなんと柔らかい表現だろう、と驚嘆しました。これがフランクで社交的なアメリカ人気質なのかなあ、と感心しました。

「いつもきれいにお使いいただいてありがとうございます」という表現は実は構造的にはこの Thank you for not smoking とよく似ているのですが、しかし、どことなくなんか違うのです。

たとえタバコを吸おうと思っていても Thank you for not smoking に出くわすと、「あらら、先に言われちゃった(笑)」という感じになるのに、便器を前にして「いつもきれいにお使いいただいてありがとうございます」と言われると、なんかそこら中におしっこ撒き散らしたくなるんですよね。

そんなことないですか?(笑)まいっか。今回はこのぐらいにしておきましょう。いつも最後までお読みいただきましてありがとうございます。──ね? こんな風にクソ丁寧に書かれると、ちょっとイラッとするでしょ?

トイレにおいては丁寧よりもユーモアのほうがみんなを公衆道徳に導くのではないでしょうか? 例えば男子トイレで時々見かけるこんな標語(川柳?)のように:

朝顔の中に落とせよ芋の露
一歩前へ 君のはそんなに長くない

(2011年6月記)

はてしないトイレ談義(5) ~洋式化の障壁

何年か前、ウチの会社の労働組合からトイレに関する要求が上がってきました。

うちの会社のビルは新館と旧館があり、新館は全部洋式トイレです。それに対して旧館は、建った時はまだそれほど洋式への欲求が強くなかった時代だったのか、ごく一部が洋式で、和式便器のほうが数多くありました。

それが何年か前の労使交渉の中でそれらを全部洋式にしてほしいという要求が上がってきたのですが、実はそう簡単に洋式に変えられるものでもないらしいのです。

聞けば、スペースの問題とか。洋式トイレのほうが広いスペースを必要とするので、同じスペースで和式を洋式に変えることはできないのだそうです。

私は最初この理屈を聞いた時にどうもピンと来ませんでした。

確かに洋式のほうが大きいかもしれないが、そんなに違いはないだろう。そもそも便器のキワキワのところに壁が来るわけでもなく、壁と便器の間には余裕を設けてあるのだから、同じスペースに洋式便器も収まるのではないか?──と思っていたのです。

ところが、ある日突然自分の間違いに気が付きました。それは便器と体の位置関係です。図を見てください。

和式便器は細長くて場所を取りません。さらにその細長い便器の両外側に足を置くので占めるスペースはそれほど大きくはないのです。

ところが洋式便器は結構幅広な上に便器の奥側にも(何が入っているのか知りませんが)箱がついています。

しかし、問題はそこではなく、足を置くスペースなのです。和式便器は跨がりますが、洋式便器は腰掛けるために、足は便器の前方に置くことになって、つまり、縦方向の長さがかなり必要になるということです。

もしも個室の広さが和式便器が入るギリギリだったら、同じスペースで洋式便器を入れると足を置くスペースがなくなってしまうのです!

って、こんな事実に気づいて興奮しているのは私だけでしょうかね?

ところで、みんなでこんな話をしていた時に、ひとりの社員が、「あの、和式便器の上に設置して腰掛けられるようにする簡易洋式トイレみたいなのあるじゃないですか? あれならスペース取らないし安く上がるだろうし、あれじゃダメなんですかね」などと貧乏臭いことを言い出しました。

でも、誰かが「お客さんが来た時に、恥ずかしいぞ」と言ったら、みんな急に黙り込んでしまいました。

いやはや今宵もトイレ談義は尽きません(笑)

(2014年11月記)

はてしないトイレ談義(6) ~掃除の担当

我が家ではトイレ掃除は概ね私がやっています。いつからこうなったのか、別に夫婦で話し合って分担を決めたわけでもないのに、不思議と言えば不思議ですが、考えてみれば思い当たるフシがあります。

トイレに入ってトイレが汚れてきたなあと感じたから用を足した後自分で掃除をしたのが最初です。そんなことが何度か続くうちに私がトイレ掃除をする習慣がすっかり定着してしまったのです。

それのどこが「思い当たるフシ」かと言うと、つまり、男性のほうがトイレの汚れに気づきやすいということ。汚れに気づくから掃除する気になり、それを何度か繰り返すうちにすっかり定着したということです。

何故男性のほうが汚れに気づきやすいか分かりますよね?

洋式便器の場合、女性は常に便座に腰掛けます。つまり、便器に背(尻?)を向けて直視しないのです。男性は大のときは腰掛けますが小のときは便器の前に立ちはだかって便器を正視します。だから汚れが目につくのです。

さらに、男性の小用の際は便座を跳ね上げます。すると嫌でも便座の裏側の汚れが目に入るのです。そして、便座が跳ね上がっているために、便器の縁の汚れも目に入ります。だから掃除してしまうのです。

女性の場合は便座が降りているので、便座の裏側も便座の下にあるものも目に入りません。しかも、便座には自分が乗っかっているので便座の汚れに対しても、トイレに入ってきたときと出ていく直前しか気づくチャンスはないのです。

便器の中の汚れに対しては男性も女性も条件は同じような気もしますが、きょう日の便器は汚れにくいように工夫されているし、あの、ペタッと貼っておくやつを貼っておくと、そうしょっちゅう掃除する必要はないのです。

そう、一番汚れるのは便座の裏と、便座が上がった状態で露出する便器の縁です。

何故ならそこにハネが飛ぶからです。それは男性が立って高い位置から小用を足すからです。それで自分で汚した便器の汚れに気がついて、自分で掃除をすることになる。──それが私の男性便所清掃起源論です。

そんなことが続くうちに、とうとう私は、家のトイレに限っては座って小用を足すようになりました。かくして、トイレ汚れの責任論的には、妻と私は五分と五分になったはず。

なのに依然としてなんで私ばかりがトイレ掃除をしているのか、その理由は私にもわかりません。

(2019年3月記)

はてしないトイレ談義(7) ~主張するお尻

昨年2月にハワイ島に行ってきたのですが、滞在していたホテルのトイレがウォシュレットではなかったのがちょっと辛かったです。

もちろん日本のトイレがほとんどウォシュレットになったわけではないので、日本にいても日常生活でウォシュレット以外のトイレに当たることもあります。しかし、日本では、この20~30年以内に建ったビルや家ならかなりのトイレがウォシュレットになっているのではないでしょうか。

自分の身の周りで言っても、家も会社も完全にウォシュレット化されているので、たった数泊とは言え、そうでない環境は辛いと言えば辛いのです。

でも、考えてみたら TOTO がウォシュレットを発売してからまだ40年も経っていません(そもそもウォシュレットというのは TOTO の商品名であって、一般名詞としては温水洗浄便座と言うべきですが)。

今の若い人は40年前の、ウォシュレットが1台も存在しなかった時代を想像できるでしょうか? あるいはそういう環境に耐えられるでしょうか? 数日どころではなく、1年365日ウォシュレットが使えないんですよ。

ウォシュレットは私たち以上の世代の人生の途中で(私の場合は大学時代に)登場しました。あの時の TOTO のテレビCM の強烈な印象を私はいまだに忘れることができません。

それは「お尻だって洗ってほしい」というヘッドコピーでした。

戸川純が出てきてこう言うのです。「手が汚れたら手を洗いますよね? お尻が汚れたらどうしますか?」 そう言って戸川純は手に墨をつけて真っ黒に汚し、それを紙で拭いて見せるのです。

もちろん紙で拭っても墨は落ちません。それどころか墨は薄く手全体に広がって、手が真っ黒になります。

当時の私たちはあの CM を見て、「そうか! お尻はそういう状態になっていたのか!」と改めて愕然としたのです。そして思ったのです。「俺だってお尻を洗いたい」と。

締めのコメントで戸川純は「お尻だって洗ってほしい!」と言います。

それは戸川純(あるいは TOTO)が主語で、「戸川純(TOTO)としては手だけでなくお尻だって洗ってほしいと思う」という意味にも取れますが、お尻を主語にして「お尻としては手だけではなく自分たちのことも洗ってほしいと思っている」と、お尻が主張しているようにも取れます。

そういう意味で秀逸なコピーだったと思うのですが、そう考えると、ハワイ島のお尻はまだ主張をしないおとなしいお尻なのかもしれません。

でも、これは一度覚えてしまうともう抜けるのは不可能だと思います。他の習慣、たとえば酒や煙草やギャンブルの比ではないでしょう。いずれハワイ島のお尻も主張をし始めるのだろうと思います。

(2018年3月記、翌年加筆修正)