はてしないトイレ談義シリーズ

このシリーズは2003年の1月以来、何回にもわたって私のホームページとこのブログの両方に書き散らしてきたものです。今回ホームページのほうを閉めるにあたって、ひとつのファイルにまとめてこのブログ内のホームページという形で公開し直すことにしました。

はてしないトイレ談義

トイレのことをWCと言うと知ったのは多分小学生のときです。そしてそれが water closet の略だと知ったのは恐らく高校に入ってからだと思います。

ところが、大人になって何度かアメリカ合衆国には行っているのですが、一向にWCという表示を目にしません。それでひょっとするとこれは和製英語なのかもしれないと思い始めていたのですが、欧州に行ってみるとあちこちにWCと書いてあるではありませんか。やっぱり使うんですね。

しかし、それにしてもWCとはうまいこと言ったもんです。

WCは厳密にはトイレのことではなく水洗便所のことです。もっとも今は水洗が当たり前なので誰もわざわざ水洗便所とは言いません。これは扇風機や洗濯機、冷蔵庫に「電気」という接頭語をつけないのと同じです。

話を元に戻しましょう。closet と言うと洋服をしまい込んでおく戸棚だと思いがちですが、もともとは「私室、小室」の意味です。water closet =「水の流れる小部屋」だなんて、まるで阪急三番街みたいじゃないですか(ごめんなさい。関西、それも京阪神の人にしか通じないジョークでした)。

トイレのことをあからさまに言わないという工夫は洋の東西を問わずにあるみたいで、例えば日本では「便所」(便をする所=何というあからさまな表現か!!)と言わずに、「お手洗い」と言います。もちろん手を洗うためだけにも入りますが、本来的な用事は別にあって、その用事を済ませた後、必然的に手を洗うことになる訳です。

「本来的な用事」には言及せずに敢えて「お手洗い」と言うところが奥ゆかしいじゃないですか。「便所」とはえらい違いです。

人前で「便所」などという直截な表現を用いるのははばかられるのです。という訳で「はばかり」などというこれまた奥ゆかしい表現もあります。

では、アメリカ合衆国ではどう言うか。場所を尋ねるときには Where's the men's room? と言えば良いでしょう(女性用は women's room じゃなくて ladies' room でしたよね? 自分に関係がないとちゃんと憶えていないもんですね。もちろん男女とも rest room と憶えておけば問題ないのですが…)。これも巧い表現です。男女別の部屋といえばまず思いつくのが公衆便所です。

また、米俗語では男性用トイレのことを john とも言います。確かそれに対する女性版の名前もあったはずですが、これも忘れてしまいました。

1970年代には、男性用に john、女性用に yoko と書いたトイレがあったそうですが、これなんかビートルズ世代ならではですね。

ところで、プラハのWCに入っていたら、女性用が満員であったらしく、男性用に数人のチェコ人のおばさんたちが侵出してきました。これって大阪のおばちゃんの専売特許だと思っていたのですが、チェコでもそうだったのかとびっくり仰天。寒い国ではそんなこと気にしていられないのかもしれません。

でも、そんなこと気にしない人たちって、きっと「便所行ってくる」とか「ションベンちびりそうだ」なんて言ってるんでしょうね。

まあ、ちびらなきゃそれで良しとしときましょうか、この際。


【追記1】

ハワイのマウイ島のラハイナという町に行った時のこと。

Wc レストランで食事中にトイレに行きたくなりました。店のトイレの前まで行ったのですが、はたしてどちらが男性用なのか判りません。なぜならそこにはハワイの現地語で"kane", "wahine"と書いてあったから。

「kane → 金 → 金玉 → 男」、「wahine → woman の w → 女」という気がしたのですが、確信がなければ入れません。仕方なく席に戻ってトイレの入り口を観察すること10分。漸く白人女性が wahine に入るのを確認してから、そろりと kane に向かったのでした。

ハワイは日本語か英語でOKと思っていたら痛い目に遭いました。


【追記2】

新入社員の頃、社内の他の部署から上司に電話が掛かって私が取りました。

「○○君いるか?」
「ちょっと席外してます」
「どこ行った?」
「さあ、多分トイレだと思うんですが・・・」
「トイレか・・・。彼は悄然として席を立ったか、それとも憤然として立ったか?」
「は?」
「解らんか? 悄然は小便、憤然はフンや!」

なるほど、これもあからさまに言わない工夫なんですね。


【追記3】

そう言えば、小学生のときウンコがしたくなったらよく「猪木ピンチ!」と言ったものです。

ご存じない方のために解説すると、昔アントニオ猪木とジャイアント馬場がタッグ・チームを組んでいて、猪木がピンチになると馬場が出ました。故に、猪木ピンチ!→馬場出る!→ババ出る!

あ、でも、これでは関西の方以外には解りませんね。
関西ではウンコのことをババと言います。ババは主にヒトのウンコであり、動物のウンコの場合はフンと言います。

だから関西ではババフミコとかババフミオという名前は笑われるのです。

関西のAMラジオの人気パーソナリティに馬場章夫という人がいます。ただし、この人の場合はババフミオではなくバンバフミオです。

まったく、こういう話をしだすときりがないですね。
はてしない話題? いや、はしたない話題?


【追記4】

「アメリカではトイレのことを bathroom と言うのではないか?」との指摘を受けました。その通りです。しかし、これは日本人にはしっくり来ません。

「じゃあナニか? アメリカ人は風呂でうんこするのか?」とまでは言いませんが、便所と風呂に同じ単語を使って、本当に前後の文脈で区別がつくのでしょうか?

昔、姉が持っていたカーペンターズのアルバムに、歌詞が"We'll be right after we go to the bathroom"という1行だけの曲が入ってました。対訳には「ちょっとトイレに行ってすぐ戻ってきます」と書いてあったのですが、私は「ひと風呂浴びたら私たちは正しいだろう」かと思ってました。

(2003年1月記)

続・はてしないトイレ談義

久しぶりにトイレの話です。3年以上前に書いた「はてしないトイレ談義」にそのまま書き足そうかとも思ったのですが、あの文章にはもうすでに追記4までついているので改めて章を起こすことにしました。

先日東京メトロの某駅でトイレの変な表示を目にしました。トイレの方向を示す矢印が書いてあって、公衆トイレに付き物の男性のマークと女性のマーク、そして車椅子のマークが添えてあります。そこまでは良いのですが、その横に「だれでもトイレ」という文字があるのです。

「だれでもトイレ」って何? まるで誰でも入れる訳ではないトイレがあるみたいじゃないですか?

しかも「だれでもトイレ」の下にはその英訳が載っていて、なんとこれが Multi use toilet。Multi だけが大文字なのも変ですし、multi use と2語に別れているのも変です。toilet というやや下品な語感のある単語を充てたのも如何なものかと…。

でも、一番おかしいのはマルチユース・トイレと訳した発想じゃないでしょうか? マルチユース・トイレって、えーっと、うんことおしっこと、それから何ができるんだっけ?

意地の悪いこと書いてゴメンナサイね。いや、解るんですよ、車椅子のマークがありますから。つまり、身体障害者も使えるトイレなんでしょ? でも、身体障害者用と書いてしまうと健常者が入ってはいけないような誤解を与えてしまう。空いていれば健常者の方も利用してもらっていいですよ──だから、「だれでもトイレ」とまあ、そういう発想なんでしょ?

恐らく『ドラえもん』の「どこでもドア」をもじったんでしょう。考えた人は「やった! なかなかナイスなネーミングだ」と思ったのかもしれません。しかし、「障害者用だけれども空いていれば健常者も使える」という微妙なニュアンスを「だれでも」というあまりに単純な単語で表すのは無理、と言うかひどいと思います。

駅員の方が相互に会話する際の符牒としてなら別に構わないと思います。構内にはトイレがいくつかある場合もありますから区別する意味合いで。例えば、

駅員A「トイレが詰まってるらしいんですよ」
駅員B「どこのトイレ?」
駅員A「4番線の『だれでもトイレ』です」

でも、その表現を一般のお客さんにまで拡大して理解させようってのは酷ですよ。私なら文字は書きません。矢印があって男の人のマークと女の人のマーク、それに車椅子のマークが書いてあれば充分です。それだけで、日本人も外国人も意味は解るはずです。そして、現地に行ってみれば自分が入れるのがどこなのかは判断がつくはずです。

第一、障害者用の施設に「だれでも」なんて名前がついていても、相当切羽詰っている時は別として、なかなか入りにくいもんです。入っても良いということをどうしても知らしめたいのであれば「空いている時は健常者の方もご利用ください」と明確に宣言してあげるべきではないでしょうか?

でも、私はやっぱり、「自分が入っている時に切羽詰った障害者の方が来られたらどうしよう」と考えてしまうので、そう書いてあってもよっぽど追い込まれたケースにしか入れないと思います。

そんなことを考えながら新宿駅で下車して紀伊國屋書店に入ったらうんこがしたくなりました。

あれ、本屋さんに入るとどうして便意を催すことが多いんでしょうね?

そして、とある階のトイレに入ったら、これまた公衆トイレによくある貼り紙「備え付けの紙以外は流さないで下さい」があり、そこに落書きがしてあります。曰く、

「じゃあ、うんこはどうすればいいのかって聞いてんだよ」

実は私も以前から同じようなことを考えてました。「備え付けの紙以外は…」という表現を厳密に解釈すれば確かに途方に暮れてしまっても仕方ありません。

ただ、私はそこで躊躇することなく、備え付けの紙と一緒に便を流してしまいました。貼り紙の文言にいちいち囚われたりはしません。何故か?

日本語は省略の文化なのです。省略できるものは何を省略しても良い言語なのです。そして、省略できるものはどんどん省略する傾向にある言語なのです。

では、「省略できるもの」とは何か? それは前提となっている事柄です。

トイレの個室に入る限りはおしっこかうんこするのが前提です。うんこが出たら流すのが前提です。だから、そのことは措いておいて「備え付けの紙以外は」という表現をしているのであって、日本人であればそれで充分意味が伝わるはずなのです。

うんこをしながら日本語の特徴に行き着いた、とても有意義な一日でした。


【追記】

旭川空港のトイレに入ったら、またも貼り紙。

「トイレットペーパーは便器に捨て、それ以外のゴミは汚物桶(ゴミ箱)へ。使用後は水を流してください」

まあ、なんと丁寧なんでしょう! きっと私みたいな性格の人が文言を考えたんでしょうね。

で、下には英語ではなく中国語訳が載ってます。中国語だけで他の言語はありません。旭川空港って中国人観光客が多いんでしょうか? 旭山動物園見に来るんでしょうかね(かく言う私も旭山動物園からの帰りだったんですが…)。

こういうところに書いてある外国語は結構間違いだらけである可能性があるので、正しい中国語かどうかわかりませんが、とりあえずそのまま再掲すれば、

「手紙請(1)入馬桶 其餘汚物請放入拉(2)桶 使用後請沖水」
(ウェブ上で中国の文字をちゃんと表せないのでこんな書き方したのですが、(1)は手偏に「乃」、(2)は土偏に「及」です)

「請」は please ですよね。ほんでもって、はあ、「便器」は「馬桶」、「流す」は「沖」ですか。いや、それよりも驚くのは(と言うか、私は以前何かで読んで知ってたんですが)「トイレットペーパー」は「手紙」なんですよ!

え、じゃあ「手紙」のことはどう言うんだ、って?

「手紙」は「便」ですよ。「郵便」の「便」、「お便り」です。

え、「便」は「うんこ」だろ、って?

ところで、誰ですか、私が便器に腰掛けながら貼り紙を書き写しているさまを想像しているのは。

いやいや本当にトイレ談義は尽きません。

(2006年5月記)

はてしないトイレ談義(番外編)

2006/5/13の記事「映画『間宮兄弟』1」に頂いた朱雀門さんのコメントに「中盤を過ぎたあたりから不覚にも膀胱がキリキリしてしまった」という下りがありましたが、実は僕も『博士の愛した数式』を観た時に同じ思いをしました。で、僕の場合は辛抱しきれずに途中で抜けました。

何を隠そう僕はトイレが近いのです、大なり小なり。つまり、うんこもおしっこも。トイレに行きたくて死ぬほど悶え苦しんだ経験も数多くあるのですが、今回はその中でも極め付きの体験談を披露します。

さて、何を隠そう僕はトイレに関する文章をいくつかHPのほうに掲載してます

あれは7~8年前、僕が本社のテレビ編成部にいたときのこと。テレビ編成部には年2回の改編期の前に必ず借り出される仕事がありました。それは、関西の某大スポンサーに対してその社が提供している番組の今後の企画内容を説明するというものでした。

そういう説明は普通は営業マンの仕事です。しかし、相手が大スポンサーであるために単なる売り子ではなく企画の専門家が出向くという丁寧なスタイルを採ってました。企画の専門家と言えば本当はその番組を作っている制作マンなんですが、スポンサーと制作マンを直接対峙させるのを嫌ってなのか、何故か借り出されるのは編成の企画担当でした。

当時僕は企画班のチーフみたいな立場にあったので、直接の説明者ではなく、その付き添いみたいな形で同行する破目になりました。で、僕の場合は元営業マン、しかも元タイムセールス(つまり番組を売りに行く)担当でしたのでそういう経験は山ほどあったのですが、直接の説明者であった男性A君と女性Bさんは全く営業経験がありません。

なにせスポンサー様と直接口を利くのも初めてで、「自分が言い損なうと月額何千万円の提供料金がパーになる」みたいな過大なプレッシャーを受けていたようでした。

で、2人は周到な予習をし入念なリハーサルを重ねた上で当日に臨みました(なんと前夜は午前2時までやってたと後で聞いてびっくりしました)。

僕はと言えば、実はスポンサーに到着した時点で軽い尿意を催しており、会議室に入る前にトイレに行っておこうと思ったのですが、受付に行って名前を告げたら間髪を入れず宣伝担当者が現われてしまったので機会を失ってしまいました。

会議室に入ると業界で有名なやり手の女性宣伝チーフが気さくな感じで現われ(と、ここまで書いてしまうと在阪局の関係者ならどこのスポンサーか判ったと思いますが)、すぐにプレゼンは始まりました。

提供してもらってる番組がたくさんあって、それをそれぞれの番組の担当であるA君とBさんが順番に説明します。ところが正直言ってこの2人、予習のしすぎ。で、予習したことを全部喋ろうとする。そりゃまあ結構なんですが、やたらと時間がかかるんですよ。それに喋りすぎると相手の聞く気を削いでしまうことが多く、また逆に突っ込まれやすくなる傾向があるのです。

もう少し慣れてくると、頭に詰め込んできたことを全て吐き出すのではなく、相手のリアクションを見ながら相手が食いついてきそうな側面にテーマを絞り込んで行くとか、わざと説明を省いて相手に質問させ、そこで用意してあった非常に納得の行く解説をするとか、そういうテクが身についてくるのですが、なにせ真面目一本槍・リハーサル数時間の2人ですから微に入り細を穿ち滔々と延々と喋る喋る。その間、僕の尿意はじりじりと高まってきます。

で、敵もさるもの、名うての女性宣伝チーフが楽しむかのように突っ込んでくる。A君・Bさんしどろもどろ。最初は僕も横から助け舟出したりしてたんですが、次第にその余裕は消えうせ、膀胱はパンパンに空気を入れたドッジボール状態。胴体が尿瓶だとすれば胃のあたりまで尿が溜まってきているのではないかという感じで、もうおしっこのことしか考えられない。頭の中真っ白と言うか、真っ黄色と言うか・・・。

今なら急にポケットの携帯を取り出して、緊急の電話が入った振りをして会議室を飛び出るという裏技もあるのですが、当時は携帯なんか持ってません。途中からプレゼンそっちのけで何とか会議室を抜け出すことばかり考え始めたのですが、もう脳が理路整然と動きません。

う゛ー、まだ終わらんか・・・。もう、尿が脳にまわってきた。オー、ニョー!、じゃない、オー、ノー!

A君、Bさん、もう君らは喋らなくて良い。喋っても突っ込まれるだけだ。いや、頼むからもう喋らないで。予定稿の半分で話を打ち切って。お願いだがら゛。

で、もう指一本触られたら漏れてしまうという状態で辛うじて会議は終わりました。会議室を出て一歩踏み出すごとに震えるような痺れるような・・・。

で、悪いことにスポンサー側の出席者が全員でお見送りについてきます。「トイレ」という言葉を発する間も与えてくれずエレベータ・ホールに誘導され、ボタンが押され、エレベータが来て、ええい、ままよ、このまま下に降りてからするしかない。背中をかがめて歯を食いしばって、ぎこちないお辞儀をして無言でエレベータに乗り込み(もうひと言も発する余裕がない)1Fへ。

チンッというエレベータの到着音さえも膀胱に亀裂を走らせそうです。ところが1Fで降りたそこはホールとビルの出口。なんとトイレはなかったのです!

(2006年5月記)

続々・はてしないトイレ談義(改訂版)

以下は2009年7月18日にブログ trivialities & realities に書いた記事です(Web 用に多少手直ししてます)。

ブログにもトイレの話は何度か書いているのですが、この時の記事は言葉に関する文章でしたので、こちら(HP)にまとめたほうが良いかと思い転載することにしました。ブログの記事は日々消えて行ってしまいますが、HPに置いておくと一覧性も、テーマごとの一貫性もありますので…。

転載するに当たって、【追記】も認めましたので、併せてお読みいただけると幸いです。しかし、自分で書くのも変ですが、私はどうしてこんなにトイレ談義が好きなのでしょう(笑)。


Everyonesroom さて、今回はこんなものを見つけてしまったので、また書くことになりました。位置づけとしては上記2の続編と言うことになります。

これは図柄としては『続・はてしないトイレ談義』に書いたものと同じです。あの時は文言が「だれでもトイレ」だったものが、今回は「みんなのトイレ」──私が書きたい趣旨は前回と同様です。

「みんなのトイレ」って何ですか? 単純に考えれば「公衆便所」と同義? いや、書いた人はそういうつもりじゃないんですね。だって、車椅子のマークがありますから。

本来は障害者用なんです、多分。ただ、障害者用と書いてしまうと健常者が全く使えない。そうではなくて、本来は障害者用なんですが空いていれば健常者も使って良いですよ、というニュアンスが表したかったのです(今回はまさにそういうボディ・コピーがついてます)。

しかし、なんでまたその気持ちがこういう表現になるんでしょう? よくよく考えてみたら意味ないんですもん。

私だったら「みんなのトイレ」なんて意味不明な表現ではなくて、車椅子マークは残した上で「お体のご不自由な方優先です」などと表記します。

でも、そう書き換えたところでやっぱり意味のない表現なんです。だって「本来は障害者優先だけど健常者も使える」とか「空いていれば誰が使っても良い」などと言っても、トイレの個室は空いてなければ使えないのです。

そうすると、このトイレの使用規則を決めた人の意思が活きるのは、そのトイレのドアの前で車椅子の人と健常者が鉢合わせしたときだけです。

そういう場合は、健常者が(たとえ今にも漏れそうでも)「あ、お先にどうぞ(-_-;)」ということになるのです。

そうでない場合はどうか? 僕からすると、空いてたってそうそう使えやしません。自分が入っている時に切羽詰まった車椅子の人が来たらどうしよう、なんて考えてしまいますから。

そういう時はいくら「みんなのトイレ」などという言い訳めいた表記があったとしても、このトイレに入ってしまったことを大いに後悔するでしょう。早く出てあげようと思っても、うんこは急に止まらない。特に腹具合の悪い時は終わったかと思ったらまだ続きがある。

でも、僕がこんなことをしている間に、外で待っているあの人は・・・。そもそも彼らは使えるトイレが少ないのだから何が何でも早く出てあげなければ・・・。

今からそんな光景が頭に浮かんでしまうので、もう本当にズボンを下ろす暇さえ危機的な状況にあるのでなければ、おいそれと「みんなのトイレ」などには入れないのです。

ならば不用意に変なトイレは用意しないでいただきたいです。むしろ「車椅子ご利用の方専用」「健常者使用厳禁!」などと表記しておいてもらいたいものです。

でも世の中に「だれでもトイレ」「みんなのトイレ」的な表記がどんどん広がっているのは、運行、いや運用する側からすると専用にすると無駄が出るなんて考えちゃうからなんでしょうか?

あるいは「障害者専用」などと書いてあると文句を言ってくる健常者がいるということなんでしょうか?

うんこ漏れそうな時って誰でも大変なものです。「空いていれば」なんて言うけれど、これはやっぱり車椅子で入って来られる方のために常時「空けておく」べきものなのではないでしょうか?

それを考えると、やっぱり僕は「みんなのトイレ」に入るのは遠慮しておこうと思います。漏れそうでも走って他を捜します。


【追記】

前からずっと思ってるんですが、新幹線の洋式トイレに入ると「洋式トイレの使い方」というものすごくご丁寧な図解があるでしょう? あれって、いまだに必要なんですかね?

私の場合、最近東阪移動は大抵航空機を利用していて長らく新幹線には乗っていないのですが、まだありますよね、あの貼り紙──人と便器のイラスト2種+「男子小用」&「大便ならびに女子小用」のキャプション。

ポイントは、1)男子のおしっこは立ってするんですよ、2)座るときは和式と反対向きですよ、ということで、とても懇切丁寧な解説なんですが、日本にはまだ洋式トイレを使ったことがなくて、新幹線に乗って初体験、なんて人がいるんでしょうか?

いや、いるのかもしれませんね。

ついつい我々は自分の周りの生活が日本中の常識だと考えがちなんですが、旧い習慣のまま暮らしている日本人がまだいたってちっともおかしくありません。日本の長い歴史の中では洋式便器なんてほんの新参者に過ぎないわけですから。

そう思うとむやみに「こんな貼り紙いらんでしょ、いまさら」なんて乱暴なことは言わない方が良いのかもしれません。

考えてみれば私の洋式便器初体験は高2の時でした。それまで洋式便器がどんなものか全く知らなかったわけではありませんでしたが、自分で初めて使ってみたのは、高2の時、金満家の同級生の家ででした。

やたら毛足の長い高そうな絨毯が敷いてあったり、綺麗な毛糸のO型便座カバーが掛かっていたりしたので「汚しちゃいけない」というプレッシャーもあってのことですが、使用するに当たって少しとまどいがあったのを憶えています。

あれからまだ半世紀も経っていません。最低でも100年くらいは「使い方」を書いておいてあげるのが親切と言うものかもしれません。

ただ、最近では「男子小用」も座って済ませる派が増えていると聞きます。つまり、あの「貼り紙」における「常識」が崩れてきているんですね。

前段で書いたことも含めて、ああいうところの掲示って、本当に難しいと思います。また座って考えてみようと思います。ひらめいたらまた書きます。

(2009年10月記)

おしっこと貼り紙の言語社会学(?)

私がよく行く映画館にシネ・リーブル神戸というところがあります。そこの男子トイレの小便器の上の壁にはこんな貼り紙がしてあります。

いつもきれいにお使いいただいてありがとうございます

まあ、ここだけじゃなくて、こういう貼り紙のあるトイレには時々遭遇するのですが…。

で、例によって、と言われそうですが、私はこの表現に何か引っ掛かりを憶えてしまうのです。はい、いつものことです(笑)

だって、これ、皮肉に聞こえません?

この貼り紙は(あるいはこの貼り紙を書いた人は)私が現に今(あるいは今までずっと)きれいに使っているのか汚れをまき散らしているのか、どこかでちゃんと見て知っているのでしょうか? そんな訳ないでしょう?

ならば知りもしないのに勝手に「いつもきれいにお使いいただいて」と断定されるのは嫌味じゃないですか。なんか皮肉っぽい表現になっているとは感じませんか? 私の根性が曲がっているのでしょうかね(笑)

いや、この表現が皮肉っぽいかどうかは別としても、素直に「きれいにお使いください」では何故ダメなのでしょう? 現にそんな風に書いてあるトイレもあります。

みんなが使うトイレです。きれいに使いましょう。

なんてね。

でも、この貼り紙を書いた主はその表現は採らなかった。何故か? そんな風にストレートに書いてしまうと、

俺がきれいに使ってないとでも言うのか、ゴルァ!

などと絡んで来る人がいると踏んだのでしょうか? そこまでガラが悪くなくても、気を悪くしたりする人がいるかもしれないと気を遣ったのでしょうか?

まあ、確かにそういう人もいるかもしれません。しかし、例えば「ここからお入りください」というのは「お前はいつも違うところから入ってくるだろうが、このバーカ」という意味ではありません。いや、もちろん、そういう意味合いを込めることもできますが、特に文脈も脈絡もないところでそんな風に受け取るのは受け取るほうが歪んでいるのだと放置して良いのではないでしょうか?

つまり、私にはどうしてそこまで気を遣うのかが解らないということです。いや、そもそもそこまで気を遣って「いつもきれいにお使いいただいてありがとうございます」という表現にたどり着いたのか、それともあまり何も考えずに(でも、裏側では何等かの気持ちが働いて)こういう表現にたどり着いたのか、その辺のところが読みきれなくて、なんだかすっきりしないのです。

しかし、それを言い出したら「お忙しいところ失礼いたします」とか「お急ぎのところ申し訳ありません」なんてのも同じではないか、という意見もあるかもしれません。確かにそれはそうなんです。でも、それほど気になりません。何故ならこの2つは見事に慣用句になっているので、元の意味を失って形だけのものになっているからです。

よく使われているから意味を失って気にならないけど、それほど使われていないから意味が目立って気になるというのはおかしいではないか、と言う人もおられるでしょうが、ま、言葉なんてそういうものです。

日本中のほとんどすべてのトイレに「いつもきれいにお使いいただいて…」という貼り紙が出現する時代になれば、それはきっと気にならないものになるでしょう。

ところで、話は変わりますが、アメリカ合衆国に行くと Thank you for not smoking という表現にお目にかかります。私はこの表現を初めて目にしたとき、ははあ、「禁煙」という硬い表現と比べるとなんと対照的なんだろう、と驚嘆しました。これがフランクで社交的なアメリカ人気質なのかなあ、と感心しました。

「いつもきれいにお使いいただいてありがとうございます」という表現は構造的にはこの Thank you for not smoking とそっくりなのですが、しかし、どこかなんか違うのです。

たとえタバコを吸おうと思っていても Thank you for not smoking に出くわすと、「あらら、先に言われちゃった(笑)」という感じになるのに、便器を前にして「いつもきれいにお使いいただいてありがとうございます」と言われると、なんかそこら中におしっこ撒き散らしたくなるんですよね。

そんなことないですか? やっぱり私の根性が曲がっているのでしょうか(笑)

しかし、それにしても日米のこの違いは何なのでしょう?

英語では Thank you が冒頭にあるのに対して日本語では「ありがとうございます」が後から追いかけるからでしょうか?

それとも「いつも」という表現が余計なのでしょうか? これがあるために「お前はいつもおれのことを知ってんのか!」とツッコミたくなるのでしょうか?

あるいは英語では Thank you の後が否定の表現であるところが却って限定的で好感を与えるのでしょうか? 例えば「横にこぼさずに出しきっていただきましてありがとうございます」と変えたらどうでしょう? 否定表現を入れることによって感謝の対象をすごく狭い範囲のことに限定し、「いつもきれいに使っている」などという証明しにくい抽象的なことを言うのをやめれば、悪印象は緩和されるのでしょうか?

それとも、日本語の表現が硬すぎるのでしょうか。上の「横にこぼさずに」みたいなユーモアを入れ込んだ表現にしておけば角は立たないのでしょうか?

いろいろ改善案は考えられるのですが、何故私がこんなに一生懸命考えているかと言えば、それはやはり「いつもきれいにお使いいただいてありがとうございます」という表現に、なんかどこかで引っ掛かりを覚えてしまうからなのです。

どうでしょう、皆さん? そんなことないですか? え、そんなことどっちでもいいですか? ええ、どっちでもいいって人もたくさんいるでしょうね。

でも、どっちでも良いとお感じになる心の広い方にこそ憶えておいて頂きたいのです。自分ではなんでもない表現に他人が引っ掛かりを覚えることがあるということを。

私も時折そういうことを忘れてしまって、自分がなんとも思わないから他人に対してもそれで良いだろうと軽率に動いてしまって反感を買い、大失敗することがあります。

そういうことがあるので、今回はちょっと書いてみた次第です。

いつも最後までお読みいただきましてまことにありがとうございます(ね、ちょっと、イラッとするでしょ?)

(2011年6月記)

続々々々はてしないトイレ談義

今、僕の会社ではトイレ談義が盛んです。

それはトイレの洋式化についてです。なんと組合からの要求にも上がってきています。

思えば洋式トイレが世の中に出てきた頃は(などと言うと若い人は驚くかもしれませんが、それは僕らの世代が子供だった頃の話で、そんなに大昔のことではないのです)、「あんなところに直に座ると病気がうつる」とか「やっぱりしゃがまないと出るものも出ない」などと言って敬遠する人が多かったのに、いつの間にか日本人の排泄様式も洋風化してしまったようです。

ウチの会社は今年新館が建ったのですが、そこは全部洋式トイレです。それに対してその隣の旧館は、建った時はまだそれほど洋式への欲求が強くなかった時代だったのか、ごく一部が洋式で、和式便器のほうが数多くあります。

それで、今に至ってそれらを全部洋式にしてほしいという希望が強くなっていて、会社側も真剣に考えてはいるようなのですが、そう簡単に洋式に変えられるものでもないらしいのです。

聞けば、スペースの問題とか。洋式トイレのほうが広いスペースを必要とするので、同じスペースで和式を洋式に変えることはできないのだそうです。

僕は最初この理屈を聞いた時にどうもピンと来ませんでした。

確かに洋式のほうが大きいかもしれないが、そんなに違いはないだろう。そもそも便器のキワキワのところに壁が来るわけでもなく、壁と便器の間には余裕を儲けてあるのだから、同じスペースに洋式便器も収まるのではないか?

──と思っていたのです。

ところが、ある日突然自分の間違いに気が付きました。それは便器と体の位置関係です。

和式便器は縦長です。(ま、どっちが縦でも良いのですが、ここでは便器上、いや便宜上長いほうを縦と言うことにします)。仮に個室内に和式便器を横に置くとすれば、個室の幅は便器の縦の長さ+αで収まります。

で、人はその便器の両側に足を着いて跨るので、そこには足のスペースが必要です。つまり、個室の奥行きが便器の幅と同じだと用が足せないのです。

もちろん、そんなトイレはなくて、両足を置くスペースを計算して、和式の個室は便器の形に沿った横長の長方形ではなく、足を置くためにより正方形に近い形になっています。

で、そのスペースに洋式便器は入らないのかといえば、洋式のほうは卵型で和式より幅を取りますが、和式の足を置くスペースを使えば入らないはずがありません。

しかし、問題は足を置く位置なのです。

和式は便器の両側に足を置きます。しかし、上に腰掛ける洋式の場合は、便器の前方(正確には斜め前方)に足を投げ出して坐るのです。

だから、便器を横に置く想定で言えば、和式の場合は個室の幅=便器の縦の長さ+α程度で済むのですが、様式の場合は個室の幅=便器の縦の長さ+投げ出した足を収めるスペースが必要なのです。

大人の足の付根から膝までの長さ、そして、靴を履いた足のサイズを考えると、少なくとも便器の縦の長さより40~50cm の余裕が必要となるでしょう。

パイプの位置の調整と改築費用を別とすれば、この必要なスペースの違いが洋式化への最大の障壁だったのです!

って興奮して書いてるんですけど、こういうことって、気づいてなかったのは僕だけで、皆さんは「そんなこと当たり前じゃないか?」っておっしゃるんでしょうかね?

ともかく僕は気づいていませんでした。

ところで、みんなでこんな話をしていた時に、ひとりの社員が、「あの、和式便器の上に設置して腰掛けられるようにする簡易洋式トイレみたいなのあるじゃないですか? あれじゃダメなんですかね」などと貧乏臭いことを言い出しました。

その発言は「お客さんが来た時に、恥ずかしいぞ」というひと言でかき消されてしまいました。

いやはや今宵もトイレ談義は尽きません(笑)

(2014年11月記)

トイレ掃除の法則

【6月3日特記】 トイレ掃除をしていて気がついたことがあります。

我々男性は洋式便器の便座を上げて小用を足します(男性も座って小用を足そうというムーブメントについてはここでは措きます)。しかるに女性は常に便座を下ろした状態で使います。

というわけで、便座の裏の汚れは女性よりも男性の目に留まりやすいのです。

それがどうした?と言われると、別にどうかしたわけではないのですが、最近我が家の便器をたいてい僕が掃除しているのは、自分では意識していなかったけれど、そういうことの影響もあるのかなという気がしてきたのです。

トイレ掃除なんて一切やらないというぐうたら亭主の場合は別でしょうが、こういうのって、一旦気になり始めると常にとても気になるようになるのです。

それで一旦気がつくと、掃除をしないではおられなくなります。便座の裏ってすぐ汚れるんですよね。

ウチの夫婦の間では家事分担のルールなんて何もありません。でも、知りすぎた者がやるしかないのです。

これって、社会のあらゆることに通じる法則ではないでしょうか(笑)

(2016年6月記)

便所飯談義

若者の間でこういうことがいまだに行われているのかどうかさえ分からないのだが、所謂「便所飯」についてもう何年もずっと気になっていて、もう何年もずっと考えていて、ふと思い立ったことがあるので書いてみたい。

何を今さらと言われるかもしれないが、「はてしないトイレ談義」というシリーズ・エッセイを物している僕としては書かずにいられないのである(笑)

ひとりで食べているのを見られるのが恥ずかしいからという理由でトイレで食事をする若者が出てきたのはいつごろのことだったろう。それは僕には全く理解できない行為だった。

まず、僕はひとりで飯食うことに何の抵抗もないし、それを他人に見られても恥ずかしいなどとは思わないのである。

もちろん世相というものは変わって行くので、ひとりで食べていることが恥ずかしく思われる時代が来ても、恥ずかしく思う世代が現れても、それはそれで不思議ではない。問題はそこから先なのだ。

僕はなんであっても便所で飯は食べたくない。便所は臭くて汚いところである。そんなところで食事をしたくない。たとえひとりで食べているのを見られることが恥だと思っていたとしても、それよりも便所で食べることのほうが屈辱的である。

──と、ここまで考えてふと気づいた。トイレによっては最近はあまり汚くも臭くもないところもあるではないか、と。

僕らの世代は、自分たちが子供だった頃の臭くてきったないトイレのイメージが染み付いているのである。自宅のトイレはそれほどではなくても、所謂公衆便所は、どこのものであってもとにかく汚らしくて悪臭がしたものだ。

そう、単純にそのイメージが僕らの便所飯を阻止しているだけではないか、と。

今、トイレは全般に清潔で衛生的になった。見た目もきれいになり、悪臭も抑えられるようになった。そして、そういうトイレしか知らない若者だから、便所飯ができるのではないか?

つまり、便所飯をするかどうかの分かれ目は、我々のメンタリティの差異ではなく、トイレがきれいか汚いか、臭くて汚いイメージが染み付いているかどうかの差ではないのか、と。

僕らは普段からよくそういうことをすっ飛ばして、「まったく、最近の若い奴らは」などと毒づいてみたりする。でも、意外なところに原因や発端があったりするものなのだ。

いや、ひょっとしたら、僕のこの便所飯の考察は的外れであるかもしれない。しかし、いずれにしてもこの手のことは常に意識していなければならないと思った。

ものごとの表面だけを見ていてはいけない。僕らの知っているトイレと彼らのトイレはまったく別の場所なのかもしれないのだ。

(2016年9月記)

紳士なら座って

お正月にはお正月らしくないことを書きたいという意識が働くもので、今日はおしっこについて書いてみたい。

去年のいつごろだったか、秋のある日から家で小用を足すときには便座に座るようにしている。

以前から「男子も座り小便」運動を推進している人たちがいることは知っていたが、あまり心動かなかった(2016年6月の記事でも確かに心動いていない)。それが、とある飲食店のトイレにあった貼り紙で「紳士なら座って」と推奨(と言うか、むしろ嘆願かな?)しているのを見て、急にやってみる気になった。

そもそもは家のトイレ掃除をいつからか僕がやるようになったことが遠因だ。

僕がトイレ掃除をやるようになったのには何の理由もきっかけもなく、ただ気がついたらそうなっていた。我が家ではほとんどそんな感じだ。多分僕がやらなかったら妻がやる。ただ、毎回妻がやらないうちに僕がやっているにすぎない。

ま、それはともかくとして、掃除をしているとやはり便器の汚れが気になるものである。

立って高所から家庭用の便器に排尿するとやはり跳ねが飛ぶ。昨今便器の研究/改良は驚くほど進んでいて、多分そういう対策も講じられているはずだが、それでも跳ねが飛ぶ。「どんなに跳ねが飛んでいるか、素っ裸でしょんべんしてみれば分かる」と書いている人がいて、試しに風呂上がりに素っ裸でやってみたら、なるほどおっしゃる通りであった。

でも、何度も書くがその時には心が動かなかった。多分、僕が掃除をすることはたまにしかなかったからだろう。

で、いざレギュラーで掃除をやり始めると、座って小用を足すと便器の汚れは軽減されるのではないかとの思いに囚われ始め、試してみないではいられなくなった。

で、試してみた。で、仮説は証明された。で、面倒くさいのと、冬場は若干寒いというデメリットを乗り越えて、座って小用を足している。

あ、これ「はてしないトイレ談義」の最新コーナーに加えても良いかな。このシリーズはこのブログと1月末で廃止するホームページに分散しているので、1ファイルにまとめて近々ここに再掲したいと考えている。