Sunday, September 27, 2020

狭心症と左乳首の電話

【9月27日 記】 以前、狭心症になったことを書いた。その際に、朝から晩までずっと左の胸ポケットに iPhone を入れていたことが原因だったのではないかという自説を述べた。

「スマホと狭心症」

それとは別に、もう少し前に、左胸ポケットに入れた iPhone が勝手に電話をかける話を書いた。この話は何度か書いている。僕はこれを「左の乳首が勝手に電話をする」と称している。

「My Softbank アプリが消えた」 

この話は最初妻も信用しなかったのだが、2人で話をしながら歩いている時に、僕の携帯から彼女の携帯に電話がかかってきて、おかげでそれが事実であることを証明できた。

さて、この2つのことが、今日僕の頭の中で繋がった。

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Wednesday, September 23, 2020

ホタル族の絶滅

【9月23日 記】 僕が住んでいるマンションの掲示板に、最近誰かがバルコニーで煙草を吸っていたようだが、規約違反なのでやめるように、との通告が貼り紙になっていた。

僕自身はもう10年以上前に煙草をやめているし、一方で他人の煙草がそれほど気になるタチでもないのでそんなに神経を尖らせてはいないのだが、やはり気になる人は気になるのだろう。換気口や窓から臭いが入ってきて耐えられないと言う。

思えばホタル族という言葉があった。調べてみると30年ぐらい前に流行した言葉だ。

それは、室内での喫煙を疎まれた(主に)男たちが、仕方なくバルコニーに出て喫煙するようになり、夜間にそれを遠く外から眺めていると、あちらのバルコニーにもちらり、こちらのバルコニーにもちらりと火が灯り、それが夏の蛍のようであったことからついた名前だ。

つまり、30年前にはバルコニーは喫煙禁止地帯ではなかったのだ。

家族の意向を尊重するため、家族の健康を守るため、(主に)男たちは自らバルコニーに出て紫煙をくゆらせていたのだ。

それが今では、バルコニーに出ることによって同居家族は守られたとしても、それは即、近隣の部屋への迷惑行為となって糾弾されるハメになる。しかし、糾弾されても仕方がない。入居の際にそういうルールになっていることはちゃんと聞いているのだから。

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Thursday, September 17, 2020

マニアの王道

【9月17日 記】 Pokémon GO をやっていると本当に人間の多様性に気づかされる──というような記事をちょうど2年前に書いた。

目からポケモンが剥がれた

このときは会社の同僚のことを念頭に置いて書いたのだが、その後ネット上に攻略法などを書いているセミプロみたいな人の文章を読んでなおも驚いた。世の中には本当にいろいろな指向性の人がいるものである。

だが、今日書こうとしているのは、そういう極端な人(ったって何も書いてないのでどこが極端なのか全く説得力がないだろうがw)の話ではなく、妻のことである。

妻は Pokémon GO をやらない。ゲームの類は全くやらないわけではないが、やるものはかなり限られているし、そもそもあまりいろんなものを自分の iPhone にインストールしたがらない。

しかし、彼女は時々気紛れに Pokémon GO をやる──僕の iPhone で。

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Wednesday, August 26, 2020

聴き分ける耳の機能

【8月26日 記】 石川啄木も「ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」と歌っているが、確かに生まれ育った土地の言葉を聞くとほっとすることがある。

僕の場合は最初の転勤からかなりの期間、東京に、と言うか、東京での仕事に馴染めなくて精神的に結構キツイ日が続いたので、とりわけそうだったのかもしれない。

電車の中でふと大阪弁を耳にすると、「あ、関西人がおる!」とびくんっと反応した。そして、少しほっこりした。

そのうちに東京での暮らしが嫌ではなくなって、結局生涯で5回転勤して大阪と東京の間を2往復半した。東京に行くのも大阪に行くのも「~に帰る」と言うようになった。

そして、大阪本社と東京支社の間を何度も出張で行き来しているうちに、ほんとうに自分が今どこにいるのか分からなくなる瞬間が出てきた。

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Sunday, August 23, 2020

死にたいと思ったこと

【8月23日 記】 先日、何で読んだのか憶えていないのだが、誰かが「長年生きてきて今までに一度も死にたいと思ったことがない人はほとんどいないだろう」みたいなことを書いているのに遭遇して、心底仰天した。

みんなそんなに死にたいのか? 幸か不幸か、僕は死にたいと思ったことは一度もない。気になったので、すぐに妻にも訊いてみたのだが、彼女もないと言う。

比喩的にであればそういう表現が脳裏に浮かんだこともあったかもしれないし、「ああ、もう、ほんとに死にたいよ」みたいなことを口に出したことも、あるいはあったかもしれない(そんな記憶はないし、自分がそんなことを言いそうな気もしないが)。

でも、それは本気で死ぬことを望んでいるわけではない。

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Friday, August 21, 2020

日本語は難しい。

【8月21日 記】 日本語は難しい。いや、日本語に限らず、言葉によるコミュニケーションは全て難しいのかもしれないが…。

僕はむしろ「共感が湧かない」と言うのに近いニュアンスで「分からない」と書いたつもりだったのだが、それが「理由や仕組みを理解できない」「どうしてそんなことになるのか推察できない」という意味に取る向きもあるようだ。

どうしてそんな風に取られるのかよく分からない。いや、「分からない」と書くとまた誤解を生みそうだ。でも、どうしたら良いのか分からない。いや、「分からない」と書くのはもうやめよう(笑)

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Sunday, August 16, 2020

人混みの効用

【8月16日 記】「人混みは苦手だ」と言う人がよくいます。私にはあれが今イチ分かりません。

もちろん私も満員電車は嫌です。それは体と体の物理的な接触、と言うか、むしろ圧迫があるからです。でも、それがなければ、つまり、体と体が密着したり、間近に体臭を感じたりするほどでなければ、電車に大勢乗っていても別になんとも思いません。

あるいは、渋谷のスクランブル交差点みたいな人混みだと、(まあ、コロナ禍の今は人が減っているのでそれほどでもないでしょうが、少し前までの状況を考えると)確かに歩きにくいなとは思います。でも、それだけです。

都会には人が大勢います。街に出れば、当然そんな大勢の人たちとすれ違い、行き来することになります。でも、その人たちはほぼ全員が、私の知り合いでもなんでもなく、私とは何ら関わりのない人たちです。

そんな人たちであるなら、それがたくさんいようと少ししかいなかろうと、そんなに違いは感じません。体の接触がない程度の人混みは、私にとっては言わば強い風のようなものです。

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Friday, July 17, 2020

定期券で入場できない不思議

【7月17日 記】 駅ナカというネーミングで駅構内のお店が充実し始めてから、JR の駅(JR だけじゃないのかもしれませんが)では時々「買い物のために入場する場合は入場券が必要で、定期券で入ることはできない」みたいなアナウンスを始めています。

私は、え?そうだったのか?という意外な思いでいます。そんなこといつ決めたんだろう?

どうも JR側が作った身勝手なルールに思えて納得が行きません(JR だけじゃないのかもしれませんが、他の会社を調べるのも面倒なので、ごめんなさい、とりあえずここでの主語は JR にしておきますね)。

だって、定期券って、改札口の通行手形みたいなもんじゃなかったんですか? 少なくとも私はそう理解していました。

A駅から H駅までの定期券を持っていたら、A駅、H駅はもちろんのこと、その中間の B, C, D, E, F, G駅の全てで自由に乗り降りできる通行手形。

システム上そういう風になっているかどうか(つまり、乗り降りした駅が定期券で定めた区間内に収まっていれば通すという仕組みになっているかどうか)は知りませんが、運用上はそう考えないと辻褄が合いません。

もし定期券で入場してそのまま出口から出てはいけないのであれば、そういう場合はフラッパーゲートが閉じる設定になっていないとおかしいでしょ? それをやらずに金を払えというのはご都合主義じゃないですかね?

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Sunday, March 08, 2020

「いいね!」とか「スキ」とか考

【3月8日 記】 僕もいろんなところに文章を書き散らしているが、facebook の「いいね!」とか twitter の「いいね」とか、あるいは note の「スキ」とか、なんであれそういうのは僕が書いたものにはあまりつかない。もちろんそのことには随分前から気がついている。

で、そういうのがいっぱいつくに越したことはないのだが、とは言え、芥川賞がほしくてほしくて、選考委員に嘆願の手紙を書いた太宰治ほどに渇望しているわけでもない。

ただ、なんでなんだろうな、とは思う。しかし、なんでなんだろうな、と思うだけで、そこから先、こうではないかと推理してみたり、じゃあこうしてみようと改善を図ったりということもない。

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Friday, March 06, 2020

他人と同じであることの気持ち悪さ

【3月6日 記】 他人と同じであることの気持ち悪さと他人と同じでないことの不安──僕は間違いなく前者を感じるタイプだが、では後者は全く感じないかと言うと、必ずしもそうではないかもしれない。ただ、僕の場合、後者を感じるときは総じて精神状態の悪いときだと思う。

あるいは厳密に言うと、他人と同じでないことの不安なのではなく、他の誰よりも(あるいは他の大多数の人よりも)自分のレベルが低い、劣っているのではないかという不安なのではないかな。つまり、同様かどうかを気にしているわけではないのだ。

そもそも他の人がひとりひとり違うのだから、ひとりひとり違うものに同調できるはずがないとも考えているので、他人という集合と自分を比較することがないのかもしれない。

他の人と全く同じ人間なんて存在するはずがない一方で、他の人とあらゆる点で違っている人間もいない(もし、いるとしたら、それはヒトではない)。だから、人はある程度他人と同じで、ある程度他人と違うに決まっている。

でも、生きて行く中でどちらを指向するかと言われると、僕は他人と違う方向に向いて進むほうだ。

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