Thursday, July 04, 2019

アンケートに答える

【7月4日 記】 アンケートに回答していると、選択肢が偶数個しかないものがよくある──「賛成」と「反対」の2つだけとか、「とても良い」「良い」「悪い」「とても悪い」の四者択一とか。

調査の常識として、選択肢は奇数個でなければならない。それは中央値をつくるためだ。例えば、「どちらでもない」「普通」等々。

もちろん、よく知らなくて、何も考えずに偶数個になっている場合もあるだろうが、わざわざ偶数個にするには理由がある。

それは奇数個にしてしまうと、大多数が「普通」や「どちらでもない」などの中央値を選んでしまうからだ。それだと傾向がよく見えない、傾向をはっきりさせるためにあえて中央値を選ばせない構成にしているのだが、それは単にデータを歪めているにすぎない。

例えば僕が答えるとして、「映画が好きか?」であれば多分「とても好きだ」を、「日本酒が好きか?」であれば躊躇なく「全く好きではない」を選ぶだろうが、「革製品が好きか?」であれば選択肢が偶数個しかなかったら途端に迷うのである。

革製品と言っても靴と財布とベルトぐらいしか持っていない。でも、現に革製品を使っているわけだし、それが嫌いなわけでも避けているわけでもない。かと言って、特に革を愛好して、進んで革製品を買うようなこともない。

だから、どっちでもないのだ。フツーなのだ。思い入れがないのだ。もっと言えばどうでも良いのだ。それを「とても好き」「好き」「嫌い」「とても嫌い」の4つ中から選べと言われても困る。

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Monday, July 01, 2019

ビートルズ

【7月1日 記】 僕らはビートルズが解散してから後追いでビートルズを聴き始めた世代である。

勿論ビートルズの存在は知っていた。マッシュルーム・カットだとかエリザベス女王から勲章をもらったとか、社会現象として知ってはいたが、でも彼らの音楽を理解するにはまだ成長が足りなかったのである。

そのおかげで僕らの世代は、いや、僕だけなのかもしれないが、親や親の世代の人たちによって変な先入観を植え付けられてしまった──と今になって思う。

特に父親である。父はビートルズを下手だと言った。曲を聞きながら「へったくそやなあ」と吐き捨てた。

でも、今になって考えてみれば、楽器を全く弾けない父に演奏が巧いかどうかなんて分かるはずがない。

父が言っていたのは主に歌のことである。でも、それは例えば美空ひばりよりジョンやポールが下手だという意味だ。そう言われると悲しいことにそんな気がしないでもないのだが、でも、美空ひばりとビートルズを比べるのはピタゴラスの定理とフライドポテトの優劣を問うようなもので、本来並べて比較することのほうがおかしいのである。

父は英国のビートルズも日本のグループ・サウンズも十把一絡げにして「下手だ」「低級だ」と言った。

GS をひとまとめにして「下手だ」と言ってしまうのも間違いであり、今聴き直すと巧いプレイヤも少なからずいたし、その後の J-POP を支えた作曲家やミュージシャンも輩出しているので、巧いか下手かはともかくとして、才能のあるメンバーがたくさんいたのも事実である。

ただ、あんまり巧くない GS も確かにいた。そして、小学生の僕らにとってはビートルズより GS のほうが親しい存在だったこともあり、「GS は下手」=「ビートルズも下手」という変な連想が働いてしまって、僕はずっとビートルズが下手だと信じていたのである。具体的にはどこが下手だということは全くないくせに、彼らは下手だという漠然としたイメージがずっと消えなかったのである。

もちろん、もう少し聴き込んで行くうちに、ビートルズの音楽的才能に少しずつ気づき始め、コード進行やコーラスワークに魅入られたように聴くようになるのだが、なのに心のどこかに「ビートルズは下手だ」という刷り込みがしっかりできてしまっていたように思う。

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Wednesday, June 26, 2019

ロックじゃない

【6月26日 記】 映画『ボヘミアン・ラプソディ』の記事で書いたことだが、クイーンがデビューしたとき、当時高校生だった僕は直感的に「これはロックではない!」と断罪してしまった。このことは、僕のこの映画に対する評価が他の人ほど高くないことに一役買っていると思う。

それは彼らのコーラス・ワークと曲の構成にクラシックっぽいものを感じたからだ。もちろん当時からクラシックの手法を取り込んだロック・バンドはすでに何組かいた。

でも、例えば『キラー・クイーン』だ。あれを聴いて僕は「これはロックではない」、もっと厳密に言うと「クラシックっぽいロックでさえない」と強く感じた。

『ウィ・ウィル・ロック・ユー』や『バイシクル・レース』など、個々にはとても好きな楽曲もあったのだが、でも、最初の拒否感があったことが影響したのか、レコードも CD も(シングルもアルバムも)1枚たりとも買っていない。

所詮ロックに厳密な定義があるわけでもないし、人によって感じ方はさまざまなのだから、やれこれこそロックだの、やれロックじゃないだの言っても仕方のないことである。

でも、あの時代「それはロックじゃない」というのは極めて強烈な言葉だった。何しろ内田裕也らとはっぴいえんどらの日本語ロック論争があった時代なのだ。よしだたくろうが「フォークじゃない!帰れ!」と罵声を浴びた時代なのである。

あの時代の若者による「ロックじゃない」という断罪は、全面的な拒絶であり侮蔑であった。

もちろん、僕は誰かに向かって「クイーンはロックじゃない!」と言ったわけではない。ただ、自分では買わなかったというだけのことだ。でも、やはりそれが強い拒絶であったことは確かである。

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Tuesday, June 18, 2019

晩年

【6月18日 記】 この歳になって漸く自分の人脈が繋がって広がってきた気がする。楽しくて仕方がない。

多分、他の人たちは人生のもっと早い時期から(濃度や速度はその時時で差はあるだろうが)着実に人脈を積み上げて行っているのだと思う。

僕の場合はなんでこんなサラリーマン晩年になってやっとなのかと言えば、それはひとつには僕が奥手で引っ込み思案で非社交的だからなんだろう(小学校の頃からずっとそんな風になじられてきた)。

でも、もうひとつ要素があって、それは僕が今自分がやりたい仕事をやっているから、逆に言うと、昔はやりたい仕事でなかったから人脈も形成されなかったという面もあるのではないかなと思う。そう、ここ何年かは本当に自分がやりたい仕事をやっている。

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Monday, May 27, 2019

薔薇がなくちゃ生きていけない

【5月27日 記】 『Kのトランク』と『スカーレットの誓い』の詞に佐藤奈々子による「薔薇がなくちゃ生きていけない」というフレーズがあって、僕はそのこと、その意味するところをずっと考えている。

この2曲が収められている『マニア・マニエラ』が発売されたのが 1982年だからもう35年以上ずっと考えていることになる。

このアルバムには他に糸井重里の詞による『花咲く乙女よ穴を掘れ』とか、鈴木博文の詞による『ばらと廃物』なんて作品もあって、要は花というものをどう捉えるかという問題になってくる。

ググっててみたら思いがけず mixi (!)に当時の佐藤奈々子の思いを書いたページがあって、それを読むと、彼女にとっての「薔薇」は「最高の宝物っていうか、いつも気持ちの中にあるもので、とってもかけがえのないもの」なのだそうで、これは僕が捉えていた感じよりも遥かに重かった。

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Wednesday, May 22, 2019

社長のイメージ

【5月22日 記】 僕の父は社長だった。

社長と言っても社員は常に2~3人しかいない、本人は「中小企業」と言っていたが実のところ零細企業である。おまけに一度倒産もしたし、家財を差し押さえられたりもした。

小さい頃はもちろん社長というのが何をしている人なのかは知らない。と言うよりも、仕事というものがどういうものかも知らない。そんな僕が社長というものに持ったのはただ偉そうにしている人というだけのイメージだった。

それは社長のイメージと言うよりは、間違いなく父という人間個人のイメージである。偉そうにして、他人を抑圧・支配しようとして、大きな声で何かを指図して、大言壮語して常に自分が一番であると自慢しまくっている男。

僕は社長というのはそんな感じで誰かに怒鳴りまくってる人だというイメージを持った。

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Monday, May 13, 2019

主張する数字

【5月13日 記】 買い物をしたら代金が 2,019円だった。おう、これは令和元年、と言うか、今年ではないか、と思ってしまう。これが 2,020円であったなら東京オリンピックを連想したかもしれない。

しかし、例えば 1980年代には 2020 という数字を見ても、それを年号だと思ったことはなかった。それまでに自分は死んでいるだろうと思っていたわけでもないが、その頃の自分を想像できないくらいの先の話で、だから年号だとは感じなかった。

これも今日まで生きてきた結果なんだなと思う。

我々は生きて行く中でどんどん数字に意味を見出してしまう。例えば 513 という数字を見ると、それは僕が関西で最後の 17年間を過ごしたマンションの号数だ。

あるいは 5月13日を出す人もいるだろう。それはたまたま今この文章を書いている今日の日付だが、僕にとっては 5/13 は特に記憶に残っている日ではないので、513 という数字は直接日付とは結びつかない。

でも3桁の数字や 1231以下の4桁の数字を月日と結びつけるのはよくあることだ。それは誰かの誕生日であったり何かの記念日であったりする。

いや、そんな個人的なものばかりではなく、例えば 1.17 なら阪神淡路大震災だ。9.11 なら NY の同時多発テロだ。そして、3.11 なら東日本大震災だ。

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Tuesday, April 30, 2019

夢の中

【4月30日 記】 夢の中でこれは夢だと分かっている、というような話をよく聞くが、僕は昨日までそんな経験が全くなく、果たしてそんなことってあるんだろうかと俄に信じられなかった。

何かをしている(あるいは、場合によっては、何かに追い詰められている)自分がいて、それを客観視している自分がいるという体験はしょっちゅうしている。でも、それは起きているときだ。眠っているときにどうして自分が夢の中にいると分かるんだろう、とずっと不思議に思ってきた。

ところが今朝見た夢でその謎が解けた。生まれて初めて僕も夢の中でこれが夢だと分かったのである。それは僕が想像していたものとは違っていた。

長い長い夢のごく一部であるその部分の内容はこうである:

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Monday, March 11, 2019

もう春です

【3月11日 記】 だんだん暖かくなってきた。

寒くて震えていたらいつの間にか暖かくなり、それがいつの間にか暑くなってぐったりしてたら、そのうちに涼しくなって、気がついたらまた寒くて震えている。

──そういう循環を一体いつまで何回続けるのだろう、と思ったことも何度かあるのだが、しかし、世界中どこの国でもこんなに律儀にくっきりと四季が巡っているものでもないだろう。

そう考えると、この四季のめりはりは、やっぱり日本人の精神性と言うか、発想の仕方と言うかに確実に影響を与えているような気がする。例えば輪廻転生とか因果は巡るとか…。

そういう(理屈はともかく)感性って、こんな風土の中で生きてきたから培われたってことはないだろうか、などと考えてみたりする。

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Tuesday, February 19, 2019

ambiguity と ambivalence

【2月17日 記】 wowow から録画しておいた『スリー・ビルボード』を観た。どう書けばいいのだろう。ひと言ではとても言い表せない。ただ、さすがにキネマ旬報ベストテンの外国映画部門第1位に輝いただけのことはある。

とある田舎町に娘がレイプされた果てに殺された中年女性がいる。彼女がある日思い立って、人気の少ない街道沿いの、今は何も貼られていない3枚の看板に広告を出した。自分の娘を殺した犯人が何ヶ月も捕まらないことを憤って、警察署長をなじる内容だった。

田舎の警察署長と言えば、役職としては地方の名士である。役職だけではなく、実際に彼は人柄も良くみんなから慕われていた。おまけに彼が膵臓がんで余命幾許もないことは住民全員が知っている。

そんな所長をなじる看板を出したりすると、波紋が起き、彼女への風当たりが強くなるのは目に見えている。

加えて、田舎の警察官は署長のような穏健な男だけではない。差別意識丸出しで権力を振りかざし、平気で暴力を振るうような奴だっているのだ。

そんな彼女と他の住民と警察官たちの確執を描いた映画だ。いや、確執を超えて、それは明らかに非合法暴力による抗争である。

ここで描かれているのは、しかし、正義と悪の分かりやすい対立や対比ではない。それらがものすごくぐちゃぐちゃに入り乱れた人間という存在が描かれている。

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