Sunday, March 08, 2020

「いいね!」とか「スキ」とか考

【3月8日 記】 僕もいろんなところに文章を書き散らしているが、facebook の「いいね!」とか twitter の「いいね」とか、あるいは note の「スキ」とか、なんであれそういうのは僕が書いたものにはあまりつかない。もちろんそのことには随分前から気がついている。

で、そういうのがいっぱいつくに越したことはないのだが、とは言え、芥川賞がほしくてほしくて、選考委員に嘆願の手紙を書いた太宰治ほどに渇望しているわけでもない。

ただ、なんでなんだろうな、とは思う。しかし、なんでなんだろうな、と思うだけで、そこから先、こうではないかと推理してみたり、じゃあこうしてみようと改善を図ったりということもない。

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Friday, March 06, 2020

他人と同じであることの気持ち悪さ

【3月6日 記】 他人と同じであることの気持ち悪さと他人と同じでないことの不安──僕は間違いなく前者を感じるタイプだが、では後者は全く感じないかと言うと、必ずしもそうではないかもしれない。ただ、僕の場合、後者を感じるときは総じて精神状態の悪いときだと思う。

あるいは厳密に言うと、他人と同じでないことの不安なのではなく、他の誰よりも(あるいは他の大多数の人よりも)自分のレベルが低い、劣っているのではないかという不安なのではないかな。つまり、同様かどうかを気にしているわけではないのだ。

そもそも他の人がひとりひとり違うのだから、ひとりひとり違うものに同調できるはずがないとも考えているので、他人という集合と自分を比較することがないのかもしれない。

他の人と全く同じ人間なんて存在するはずがない一方で、他の人とあらゆる点で違っている人間もいない(もし、いるとしたら、それはヒトではない)。だから、人はある程度他人と同じで、ある程度他人と違うに決まっている。

でも、生きて行く中でどちらを指向するかと言われると、僕は他人と違う方向に向いて進むほうだ。

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Friday, December 20, 2019

生姜

【12月20日 記】 何歳のときだったかはっきりは憶えていない。でも、小学校に上がっていたかいなかったかというころの話だ。

誰かの法事で親戚が大勢集まったときのことだ。その中のひとり(僕とどういう関係の人だったかも憶えていない。多分父親のいとこかなんかだと思う)のおばさんに、食べ物では何が好きかを聞かれた。

僕は生姜と答えた。正確には紅生姜のことだ。

そのおばさんは声を裏返して「しょーが!」と叫んだ。ハンバーグとかカレーとか言う子供が多い中で、僕の紅生姜というチョイスに驚いたのだろう。で、こう続けた。「そんなもん食べてるからガリガリやねん」。

子供のころ、僕は確かに痩せていた。そして、確かに偏食が多かった。でも、その2つに直接の因果関係があったかどうかは定かではない。僕の母も子供の頃はひどく痩せていたと言うし、遺伝的形質かもしれないではないか。

そして何よりも、生姜を食べたらガリガリになる、ということはない。生姜以外ほとんど何も食べていないのであればガリガリになるかもしれないが、生姜が好きだからガリガリになるということはない。

とんでもない言いがかりではないか。

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Friday, November 29, 2019

世の中はどんどん悪くなっているのか?

【11月29日 記】 ふと「世の中はどんどん悪くなっているんだ」という感慨に至った。

悲観ではない。

誰でも年輪を刻んで経験を積んで行くにつれて、世を嘆くようなことが増えてくるものだ。ただ、「近頃の若いものは…」という書き込みはギリシャだがローマだかの時代からあったと聞く。世の老人はいつの時代も昔より今がひどくなったと嘆いてきたわけだ。

で、もし、その言がいちいち正しかったとしたら世の中はどんどん悪くなっているわけだ。

しかし、そう言われても、自分が生まれる前のことは知らんわけで、自分が生まれたときにはもうかなり悪くなった末の話で、中国4000年の歴史かギリシャ・ローマの何千年だか知らないけれど相当悪くなった時点で僕らはバトンを渡されて、そんなこと知らずにそれを良くしようとして、でも、そんなに良くなるわけなくて、それで若い世代が台頭してくると悪くなったと嘆いているわけだ。

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Wednesday, September 25, 2019

冬の練習

【9月25日 記】 暑いときに寒い国に旅するのと、寒いときに暑い国に赴くのとだったらどっちが楽だろう?などと考えてみる。というのは週末から寒い国に旅行に行くからである。

仕事で毎冬ハワイに行っていたときには、家を出る時に着ていたコートを空港のカウンターに預けていた。日本は真冬とは言え、家から空港までほとんど暖房の効いた乗り物の中なので、それくらいの備えで充分である。

その逆はどうかと言うと、僕は暑さには強いが寒いのは苦手ということもあって、そもそもあまり寒い国に行ったことがない。

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Sunday, September 08, 2019

死生観

【9月8日 記】 過日、ジャニー喜多川氏のお別れの会でマッチだったか KinKi Kids の剛くんだったかが、「ジャニーさんもきっと喜んでると思います」と言うのを聞いて、僕はちょっと引っかかった。

最初に書いておくが、僕はジャニーさんに恨みがあるわけでもないし嫌いなわけでもない。近藤真彦氏や堂本剛氏を貶そうとかいう意図もない。ただ、僕は引っかかった。僕にはそういう「故人もきっと喜んでいる」というような感覚がどうしても持てないのである。

だって、故人は死んでいるんだから、もう喜べないではないか?

そんなことを言うと、「何をにべもないことを。こういう時はそういう風に言っておくもんだ」などとたしなめられたりする。

でも、僕には死んでいる人が喜ぶとも悲しむとも思えない。どうしても考えられないし、そんなことはどうしても言えない。だって、もう二度と喜んだり悲しんだりできなくなった状態が死なのだから。いや、仮に喜んだり悲しんだりしているとしても、それは生きている僕らには直接伝わらないのだ。

死後の世界があるとかないとか、それを信じるとか信じないとかいうこととは関係がない気がする。たとえ故人が上空から自分の葬式を見ていたとしても、見られている僕の側で終わっている気がする。だって、基本的にコミュニケーションの手段がないんだもの。

僕にとって人が死ぬってそういうことだ。そして、それは自分が死ぬ場合も同じだ。

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Thursday, August 22, 2019

予断

【8月22日 記】 ウチのマンションのエレベータのカゴの中にはカメラがついていて、各階の乗り場のスイッチの並びにある小さなモニタで中の様子を見ることができる。

先ほどゴミを出そうと思ってエレベータ前に行くと、乗っていた男性が 13階で降りたのだが、降り際に1階のボタンを押して行くのが映っていた。

前にもこういうことを書いたと思うが、僕にはどうしてそんなことをするのか全く理解できない。

そのボタンを押したがために、12階のエレベータホールで重症を負って血がボタボタ滴っている人がボタンを押す前にエレベータが1階に降りてしまい、上がってくるのを待っている間に死んでしまった──なんてことがないだろうかと、どうして想像しないのだろう?

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Tuesday, August 20, 2019

終身雇用時代のやり方

【8月20日 記】 サラリーマンも晩年になってくると、後の人たちに何かを伝えたいという気になる。

自分の成功体験を押しつけて若い芽を摘んでしまうようなことはしたくないが、自分が長いこと働いて掴んだいろんなこと(成功談も失敗談も)を伝えることは、彼らが仕事を進める上でのヒントぐらいにはなるのではないかと思うのだ。

でも、今となってはそれも無理があると諦めた。

何故なら僕らの世代のやり方は終身雇用時代のやり方だからだ。

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Sunday, August 11, 2019

替刃の検証 これが本当の解決編

【8月11日 記】 シェーバー(我が家の場合は BRAUN製)の替刃交換ランプはどのようなセンサーに基づいて点灯するのか? 僕はそのことが気になって気になって、このブログにも都合5回の記事を書いてきた。

  1. 2011/12/28 『替刃の検証』
  2. 2013/1/23 『替刃の検証 returns』
  3. 2014/2/15 『替刃の検証 returns again』
  4. 2015/3/18 『替刃の検証(4回めw)』
  5. 2015/4/27 『替刃の検証 解決編(恐らくw)』

最初の4回は替刃ランプが点灯した時点で、最後の1編は会社の先輩の説を聞いて納得した時点で書いたものだ。

こんなに悩んだ問題が今日一気に解決した。

先週、今年もまた交換ランプがついたのだが、昨日替刃を交換したあと、何故だかランプのリセットができない。単にこのランプ兼ボタンの物理的な故障のように思えるのだが、どこかになにか書いていないかと思いググってみたところ、BRAUN のホームページに辿り着いた。

するとそこにランプ点灯の仕様が載っているではないか!

1分以上のシェービング × 400回でランプが点灯する

のだそうだ。あっけなく問題解決。

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Thursday, August 08, 2019

電波時計の謎3の続編

【8月8日 記】 昨日書いた電波時計の件は、facebook にも同趣旨の記事を上げたら、何人かの詳しい人から詳しい回答をいただいた。

理屈としては却々難しくて、僕も 100%理解して解りやすく解説するには至らないのだけれど、要するに、現在の技術と環境からすると、常に安定的に電波を受信することは望むべくもないことのようだ。

親切な知人は、「今の時計はクォーツだから1日や2日ぐらい電波が取れなくても心配することはない」などと書いてくれるのだが、うーん、それはちょっと違う、というか全然違うんだな。そういうことじゃない。

こういうとき、ひどい奴になると「そもそも時計が全く誤差のない時間を示すことなどないのだから、そんなことを気にするのはナンセンスだ」などと困ったことを言い立ててくる。

僕はナンセンスかどうかなんて全く考えたことがないし、時計が1秒ずれたら誰かがいくら得するとか損するとか、そんなことを心配しているのでもない。時計が合っていることの意義を世間に唱えているのではないのである。

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