Wednesday, June 26, 2019

ロックじゃない

【6月26日 記】 映画『ボヘミアン・ラプソディ』の記事で書いたことだが、クイーンがデビューしたとき、当時高校生だった僕は直感的に「これはロックではない!」と断罪してしまった。このことは、僕のこの映画に対する評価が他の人ほど高くないことに一役買っていると思う。

それは彼らのコーラス・ワークと曲の構成にクラシックっぽいものを感じたからだ。もちろん当時からクラシックの手法を取り込んだロック・バンドはすでに何組かいた。

でも、例えば『キラー・クイーン』だ。あれを聴いて僕は「これはロックではない」、もっと厳密に言うと「クラシックっぽいロックでさえない」と強く感じた。

『ウィ・ウィル・ロック・ユー』や『バイシクル・レース』など、個々にはとても好きな楽曲もあったのだが、でも、最初の拒否感があったことが影響したのか、レコードも CD も(シングルもアルバムも)1枚たりとも買っていない。

所詮ロックに厳密な定義があるわけでもないし、人によって感じ方はさまざまなのだから、やれこれこそロックだの、やれロックじゃないだの言っても仕方のないことである。

でも、あの時代「それはロックじゃない」というのは極めて強烈な言葉だった。何しろ内田裕也らとはっぴいえんどらの日本語ロック論争があった時代なのだ。よしだたくろうが「フォークじゃない!帰れ!」と罵声を浴びた時代なのである。

あの時代の若者による「ロックじゃない」という断罪は、全面的な拒絶であり侮蔑であった。

もちろん、僕は誰かに向かって「クイーンはロックじゃない!」と言ったわけではない。ただ、自分では買わなかったというだけのことだ。でも、やはりそれが強い拒絶であったことは確かである。

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Sunday, June 16, 2019

前田敦子

【6月16日 記】 昨日観た映画『旅のおわり世界のはじまり』のパンフレットを読むと、黒沢清監督は、

(前田敦子の)他には考えられませんでした。今回はどうしても主演をお願いしたくて、プロット段階から前田さんをイメージしていました。

フレームに写っただけで独特の強さと孤独感が漂う、本当にすごい女優。この役を演れるのは前田さんしかいないと最初から決めていた。

と言っている。映画を観て僕もまさにこの映画は前田敦子抜きでは成立しないなと感じた。一方前田敦子のほうも、

黒沢さんのオファーなら断る理由がありません。

と出演を即決したらしい。なんと幸せな相思相愛だろう。彼女の黒沢作品出演は『Seventh Code』(2014年)、『予兆 散歩する侵略者』(2017年)に次ぐ3本目だ。

『Seventh Code』では、冒頭から前田敦子が西も東も分からないウラジオストクで、重いスーツケースを引きずりながら青い車を追って全力疾走する、という、ある種『旅のおわり世界のはじまり』に似た展開である。『Seventh Code』の前田敦子の延長上に『旅のおわり世界のはじまり』があるのは間違いない。

ただ、『Seventh Code』には“秋元康との合作”みたいな雰囲気が幾分あり、黒沢清らしさは出しながらも、どこか前田敦子のプロモーション・ビデオ風になっていたところがあったのは残念だと僕は感じた。

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Monday, May 20, 2019

映画鑑賞データベース

【5月20日 記】 ふと気づくと TOHOシネマズ上野が第7位に上がってきていた。僕が映画館に行った回数ランキングである。

昨日観た『コンフィデンスマンJP』で、僕が TOHOシネマズ上野に行った回数は 32回になった。いや、観た映画の本数で集計しているので、正確に言うと 32回ではなく 32本である(ただし、この集計では同じ映画の2回目以降の鑑賞は対象外になっている)。

生涯で一番映画を観た映画館は TOHOシネマズ西宮OS の 152本だ。その次がシネ・リーブル神戸の 70本。第3位がテアトル梅田の54本、第4位が神戸国際松竹の 52本。

そのあと梅田ブルク7の 39本、OSシネマズミント神戸の35本と続き、その次に TOHOシネマズ上野がつけてきた。この映画館はまだできて 20ヶ月ほどだから急ピッチで追い上げてきたわけだ。

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Saturday, May 18, 2019

川栄李奈さん、おめでとう

【5月18日 記】 川栄李奈が結婚する。子どもも授かったとのこと。

AKB48 なんてほんの数人しか知らなかったから、僕は彼女のことを 2014/5/25 の「AKB48握手会傷害事件」まで知らなかった。そのときに傷を受けた一人として彼女の名を聞いて、やまえいさんとしてはかわえいさんのことを他人とは思えなくなったのである。

それでそれから彼女が出てくると注目するようになった。もっとも、ようやく顔をはっきりと識別できるようになったのは 2017年の au 三太郎シリーズの CM での織姫役ぐらいからだけれど。

最初に彼女が出ている映画を見たのが同年 9/29、『亜人』。あの映画で僕は完全に彼女の虜になった。あの時僕はこう書いている:

戸崎の秘書・下村泉を演じた川栄李奈が、髪の跳ね方から上着の裾のめくれ方まで見事に原作に近かったのと、彼女がこれほどまでにアクションのできる人だったことに驚いた。

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映像の力

【5月18日 記】 映画は映像芸術なんだから、映像を使う意味があって、映像で訴えかけるものがあってほしいと思う。もし映像がどうでも良いのであれば、それは映画という手法を採る必要がない。

演説をすれば良い。文章を書けば良い。詩を朗読すれば良い。絵を描いたり写真を撮ったりすれば良い。歌を歌ったり演奏したり、芝居を書いて上演したり、その他のライブ・パフォーマンスを展開すれば良い。

映像で表現する限りはどこか映像に魅力的な部分がほしい。

と、今では思っているのだが、大学時代から社会人を通じて 20代のころは必ずしもそんな風には思っていなかった。

当時つきあいのあった(「つきあっていた」のではない)女の子がいて、彼女があの映画は良かったと言うので、どこが良かったか訊いたら、「映像がものすごくきれいだった」と言われて、しかも彼女がその後延々と映像の美しさについて語ったものだから大いに驚いた、というかげっそりしたことがある。

それしか言うことがないのか! それは邪道ではないか。いくら映像がきれいでも、筋が面白くなければ話にならないではないか!

と。

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Wednesday, May 08, 2019

床屋談義

【5月8日 記】 行きつけの理髪店でいつも僕の髪を切ってくれている女性技術者がいる。

こういう仕事の人って、多分お客さんと1時間くらいは同じ時間を過ごすことになるので、何を話そうかと考えたりするのだろう。それで、多分彼女の場合は僕といろいろ話すうちに、「あ、この人は映画が好きなんだ。映画の話をしよう」と思ったのだろうと思う。

とは言え、客の趣味に追従して自分があまり詳しくない話をしているのではないのだ。彼女自身そこそこ映画が好きで、そこそこ映画を観に行くみたいだし、僕に合わせて話題を探る感じでもなく、自分の気になることを喋ったり、僕の身の周りのことを尋ねたり、他にもいろいろな話をする。

それがとても自然なのだ。

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Sunday, March 31, 2019

故・萩原健一さんに

【3月31日 記】 3月26日に萩原健一が亡くなっていた。近親者で葬儀を執り行ったあと発表された。

世代によってザ・テンプターズだったり、『太陽にほえろ!』だったり、『傷だらけの天使』だったり、『前略おふくろさん』だったりするのだろうけれど、僕が一番語りたいのは PYG である。

隆盛を極めたグループサウンズ(GS)ブームが下火になり、その3大バンドから2人ずつ実力のあるメンバーが結集したのが PYG だった(実は他にもうひとりメンバーがいたようだが)。

音楽と流行の間でどことなくインチキ臭い位置づけだった GS から、漸く本物の音楽をやるグループが生まれた、と僕は熱狂した。

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Thursday, January 10, 2019

起きられない子

【1月10日 記】 日本生命の CM を見ていて思い出した。今ネットでも評判になっている、清原果耶が女子高生を演じているあのCMである。彼女を優しく見守っているお父さんが実はもう亡くなっていたことがラストで判るあの CM である。

あの CM の一番長尺のバージョンの初めのほうで、清原果耶が学校に遅刻しそうになって、「どうして起こしてくれなかったのよ」と母親に当たるシーンがある。母親は「何度も起こしたわよ」などと言う。

同じような光景が我が家でも週に何度かあった。

僕ではない。僕は小さい頃から今に至るまで寝起きが非常に良くて、大体は目覚ましがリッと鳴った瞬間に起きている。今は目覚まし時計というものは使っていないが、昔は新しいのを買いに行くと必ず「できるだけ音の小さなやつ」(秒針が無音で、アラームがうるさくない、または音量を自在に調整できるやつ)を探して選んでいたほどだ。

僕が目にしていたのは姉と母のやりとりである。起きられなかったのは姉で、ほぼ上記の CM と同じだった。姉は「なんで起こしてくれなかった」と怒り、母はあの CM の母ほど穏やかではなく、何度起こしても起きなかった娘に対して時に逆ギレしていた。

そんな姿を日常的に見ていて、僕はふと思ったのである。

どうして姉は起きられないのに母は起きられるのだろう?
どうして子どもは起きられないのに大人は起きられるのだろう?

と。

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Sunday, January 06, 2019

4Kテレビ

【1月6日 記】 テレビ局に務めてはいるものの、まだ4Kテレビは買っていない。

地上デジタル放送が東京、大阪、名古屋で始まった時には、その翌年にデジタルテレビを買った。というか、その年に転勤で単身赴任することになり、どうしてもテレビがもう1台必要になって、それならいっそのことと思ってデジタルテレビを買ったのだった。

大きさはどのくらいだったか憶えていないのだが、値段は憶えている。発売して間もなく、まだ値段が下がり始めていないタイミングだったので約40万円もした。本当に涙流しながら買った感じだ。

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Friday, December 21, 2018

紅白

【12月21日 記】 NHK『紅白歌合戦』を見なくなった。テレビ局に勤務しながら最近めっきりテレビを見なくなったということも背景にないではないが、もっと昔の、まだ人一倍テレビを見ていた時代から、この番組については見なくなってしまった。

それはこの番組が“権威”ではなくなってしまったということなのかな、と思う。

昔は『紅白』の人選にブツブツ言いながら見ていた記憶がある。個人的な体験としては多分1967/1968年辺りのグループサウンズが最初ではなかったかな、と思う。

NHKは長髪でチャラチャラした服を着てやかましい音楽を奏で、女の子に歓声で迎えられ、たまに舞台上で失神して倒れたりする GS を良しとしなかった。だから、ザ・タイガースもザ・テンプターズもオックスも『紅白』には選ばれなかった。

ただ、長髪のメンバーがおらず、髪を七三に分けて、どちらかと言うと背広っぽい衣装で演奏し、日本レコード大賞を受賞したジャッキー吉川とブルーコメッツだけは選ばれた。僕はそれを憎んだ。その優等生的な発想に強い嫌悪感を覚えた。

逆に、もともと GS に反感を持っていた姉は、『青い鳥』や『廃虚の鳩』のような歌を歌い始めたザ・タイガースを「『紅白』に出たいがために教訓的な歌を歌って NHKに媚を売っている」と毛嫌いした。

いずれにしても、あの当時『紅白』に選ばれるというのは歌手にとって大変な栄誉であり、ファンが歌手を評価する基準でもあった。でも、レコードの売上だけではなく、人間の主観が混じる評価軸で出場者を選別して行くのは難しいことだ。必然的に一部の出場者は一部の視聴者の反感を買うのである。

僕は、昔はどれだけ大ヒットしたか知らないが、今は歌番組にも全然出てこない演歌のベテランが出てくるのが許せなかった。あと、水前寺清子をはじめ何人か嫌いな歌手がいて、その歌手の出演時間を狙ってお風呂に入ったりもした。

でも、逆に言うと、番組そのものに対してはそれほどの期待と執着があったということである。嫌いな歌手が出ている間にカラスの行水をして、それ以外はしっかり見たいのであった。「なんであんな奴が選ばれているのか?」と不満を覚える裏には「この番組は日本一の権威であるはずだ」という思いがあったはずだ。

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