Monday, November 18, 2019

事件への対応

【11月18日 記】 女優の沢尻エリカが逮捕された。来年の大河ドラマの出演が決まっていて、初回から出演してかなり撮り終えており、今からでは撮り直しが間に合わないとか。チュートリアルの徳井義実に続いて NHK は災難続きだとか。

そんなニュースを目にしながら、もういいんじゃないかな、と思うのである。つまり、撮り終えた部分はそのまま放送してもいんじゃないかな、と。

僕が放送局なんぞに務めているからではない。会社に入る前、単なる視聴者だった頃から、と言うか、すでに少年時代から僕はずっとそう感じてきた。

罪を犯したかどうかということと、その人の演技が素晴らしいかどうか、その人の漫才が面白いかどうか(これは主に横山やすしを念頭に置いている)は関係がないのであって、演者として良い仕事ができる(できた)のであれば、それをお蔵入りにすることはないではないか?

──と、僕は中学生の頃から、中学生らしい一途な正義感を以てそう感じ、憤ってきた。

その一方で、思えば昔はおおらかなもので、「この番組は○月○日に収録しました」というスーパーを出して放送しているケースも多々あった。

それは確かに「いや、これを撮ったのは事件が起こる前ですよ」「いや、この番組を撮ったときにはそんな人だとは誰も知らなかったんです」という局の言い訳である。でも、それを許さない視聴者もほとんどいなかったのではないかと思う。

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Wednesday, November 13, 2019

キャッシュレス

【11月13日 記】 国はキャッシュレス化を奨励している。それに乗っかっていろんな会社がいろんなサービスを展開している。それに乗っかって僕もいろんなサービスをいろんなキャッシュレスで利用している。

もちろん、随分前から使っているものもある。例えばクレジットカードがそうだ。ガラケー時代から使っていた(一時使わなくなっていたが)iD もそうだ。

その後(重複するものもあるが)、Apple Pay、PayPay、LINE Pay、楽天ペイなども使っている。使ってみた実感は、使ったほうが得だ、という至極当たり前のものだ。

もしも自分のポリシーとして拒否しているのであれば、それはその人の自由だから別に使わなければ良い。

でも、それほど明確な理由があるわけではなくて、難しそうだからとか、ただなんとなく気が進まないとか、めんどくさいとか、危ないような気がするとかいう理由で使っていないのであれば、一度使ってみてはどうかなと思う。

あるいは、使う前によく調べてみることだと思う──どこかで何かを買った時に、本当にどこで何を買ったかが記録されてしまったのか、それとも店と金額だけが記録されただけなのか、そして、買った人はどの程度特定されるのか、等々(調べて納得が行かなければもちろん使わなければ良い)。

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Tuesday, October 22, 2019

ラグビー・ワールドカップ日本代表チームに思う

【10月22日 記】 日本代表チームの健闘でラグビー・ワールドカップは随分と盛り上がった(日本が敗退した後も盛り上がっているのかどうかは知らないが)。

僕は、前半は海外旅行中だったので全然見ていないのだが、後半は妻が見たいと言い出したこともあって、テレビで何試合かを見た。そもそもがラグビーではなくアメリカン・フットボールが好きなので、にわかラグビー・ファンにはならなかったが、少なくともにわか視聴者にはなったわけだ。

で、何よりも驚いたのは、外国人選手が多いことだ。他のスポーツではこんなに外国人が多い日本代表チームは見たことがない。

いや、だからダメだとか、俺はそんなもの日本代表だと認めないとか言おうとしているのではない。良いとか悪いとかの前に、ただ驚いたのである。

ここでは「外国人」という言葉をどういう定義で使っているかと言うと、何も定義せず、単なる印象論で語っている──つまり、外見の印象と氏名の印象からぼんやりと外国人と書いている。

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Sunday, September 08, 2019

死生観

【9月8日 記】 過日、ジャニー喜多川氏のお別れの会でマッチだったか KinKi Kids の剛くんだったかが、「ジャニーさんもきっと喜んでると思います」と言うのを聞いて、僕はちょっと引っかかった。

最初に書いておくが、僕はジャニーさんに恨みがあるわけでもないし嫌いなわけでもない。近藤真彦氏や堂本剛氏を貶そうとかいう意図もない。ただ、僕は引っかかった。僕にはそういう「故人もきっと喜んでいる」というような感覚がどうしても持てないのである。

だって、故人は死んでいるんだから、もう喜べないではないか?

そんなことを言うと、「何をにべもないことを。こういう時はそういう風に言っておくもんだ」などとたしなめられたりする。

でも、僕には死んでいる人が喜ぶとも悲しむとも思えない。どうしても考えられないし、そんなことはどうしても言えない。だって、もう二度と喜んだり悲しんだりできなくなった状態が死なのだから。いや、仮に喜んだり悲しんだりしているとしても、それは生きている僕らには直接伝わらないのだ。

死後の世界があるとかないとか、それを信じるとか信じないとかいうこととは関係がない気がする。たとえ故人が上空から自分の葬式を見ていたとしても、見られている僕の側で終わっている気がする。だって、基本的にコミュニケーションの手段がないんだもの。

僕にとって人が死ぬってそういうことだ。そして、それは自分が死ぬ場合も同じだ。

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Wednesday, July 24, 2019

選挙コンプレックス

【7月24日 記】 今回の参院選挙も低い投票率に終わり、特に若年層の投票率の低さが目立つ結果となって、おじさんたちやおばさんたちが「なんで若者は投票に行かないんだろう?」「どうすれば彼らは選挙に行くんだろう?」みたいなことを真剣に議論している傍で出てきたのが、あちこちでリツイートされているこのつぶやきだ:

ガンペーさんのツイート

こういうのを読むと一体何をどうすれば良いのか全く分からなくなる。

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Saturday, July 13, 2019

ハエか羽毛か? ──ボクシングの階級名の不思議

【7月13日 記】 昨日、プロボクシングの村田諒太選手が世界チャンピオンに返り咲きました。WBA世界ミドル級です。

ミドル級というのは日本人からしたら割合重いクラスで、調べてみると、白井義男以来今日までに 92人の日本のジム所属(外国籍も含む)チャンピオンが誕生している中で、ミドル級以上は竹原慎二と村田諒太しかいません。

と言うか、2人ともミドル級だから、スーパーミドル級以上でチャンピオンになった日本人ボクサーはいないということです。

でも、考えてみたら middle って「中くらい」「真ん中」の意味じゃないですか。村田諒太って中くらいですか!?

一方「軽い」って意味の light 級のチャンピオンだったガッツ石松なんかを見ると(もちろん引退後の太った姿を我々はTVで見慣れてしまったせいもありますが)「軽い」って印象あります? ごっついおっさんじゃないですか

でも、階級名だけから判断すると、日本人は中くらいよリ軽い選手ばかりってことになります。ただし、多分これは世界的な平均体重から命名された名前ではなく、近代ボクシングを始めたイギリスの白人たちの基準だったんでしょうが。

ミドル級は 160ポンド(72.57kg)以下ということなんで、まあ、日本人男子としては中くらいと言えないこともないですが、筋肉を鍛え上げたスポーツマンが厳しい減量に耐えた結果の 72kg だと考えれば、やっぱり日本では重いほうではないかという気がします。それでも middle級なんですよね。

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Friday, April 05, 2019

令和レモンのレ

【4月4日 記】 新元号が発表されるとすぐに「令和の令は命令の令だから良くない。安倍の意図もそこに見え隠れしている」みたいなことを言い出す人が出てきましたが、それはあまりに一面的かな、と思います。

ちなみに僕は自民党支持者ではないし、ましてや安倍首相の信奉者でもないことを最初に断っておきますね。

一つひとつの漢字にはいろんな意味があります。それを「令は命令の令」みたいに限定してしまうのはどうかと思うのです。そんなことを言い始めると「平成の平は平凡の平だから良くない」などとも言えるわけで、そんなことで(固有)名詞が糾弾され始めると収拾がつかなくなります。

例えば「命令の令では感じが悪いから、今日から法令という用語は一切使わず、全部法律と呼びましょう」みたいなことになりませんか?

あるいは、例えば、新元号が令和じゃなくて命和だったらどうでしょう?

「命和の命は命令の命だから良くない」と同じように言う人ももちろんいるかもしれません。しかし、「命」という字からは「命令」よりも「いのち」を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか? つまり、「命和の命は命令の命だから良くない」という人は令和の場合よりは減るのではないでしょうか?

ともに「命令」という熟語の一部であり、ともに同じような意味も持っている漢字でありながら、それくらいの差は出てくるものなのです。

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Wednesday, August 22, 2018

1つの原理と多様な世界

【8月22日 記】 『カメラを止めるな!』の盗作疑惑(と言っても、「原作」を主張している人物は「盗作」という言葉を使っておらず、これは FLASH の「煽り」であり「釣り」であるのだが)に関して、知人が上田監督を養護するような文章を書いた。

少なからぬ人が同じような論調で書いている。いろんな人の証言などから経緯を追うと、僕もほぼ同じような印象だ(つまり、上田監督の側にも不用意な点はあったようだが、訴えた人物も一旦「原案」で OK を出してしまっているということもあって、今からあくまで原作であると主張するのは無理があるのではないか、と思う)

そしたらそこに「大手の配給会社がついた途端に大企業の肩を持つ提灯持ちみたいな野郎ばかり出てきた」と絡んできた人がいた。

僕はちょっと驚いた。よくもまあそんな単純な発想をするなあ、と。

世間に不思議にはびこっている「電通は日本のマスコミと政財界を支配する黒幕である」説と同じくらい単純な世界観ではないか? いや、ちょっと、よく考えてほしい。世界はもっと複雑なのである。

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Thursday, July 12, 2018

twitter の変成

【7月12日 記】 iPhone の日本発売からちょうど10年経った昨日、博報堂DYメディアパートナーズ メディア環境研究所の「メディア生活フォーラム2018」を聴講してきました。

今回のキーワードは「情報引き寄せ」で、情報が溢れてカオス状態になってしまった今、生活者はもはや“都度検索”などせずに、情報を“引き寄せる”ようになったと言うのです。

スマホ・ネイティブ世代の新しい情報行動は2つあって、ひとつは「とりあえず“ためる”」、もうひとつは「自然に“たまるようにする”」とのこと。

その中で一番驚いたのは、twitter で気になるつぶやきを見つけたら、保存のためにリツートをするという人がいることでした。

僕らが twitter を始めた2009年ごろのリツイートは「自分はこんなに共感した。これをみんなに伝えて共有しよう」というものでした。でも、今の若いユーザは単に自分のメモとして使っているのだそうです。

“他社への共感”から“自分の有益”に。──ソーシャル・メディアはもはや僕らオールド・ユーザが知っているようなコミュニケーションのツールではなく、個人のための便利ツールなっていたのです。

そして彼らは Netflix や Amazon の 「アルゴリズムに任せて」(と、インタビューを受けた若い男性は表現していた)レコメンドされたものを順番に観ているだけで「事足りている」と言いました。

別の若い女性は、「次に何を観るかいちいち探したくない。迷わず観たいから」「次に見るものがなくなるのはプレッシャー」と言っていました。

それも個人的にはよく解りません。僕は次にやるべきことが控えている状態が大嫌いで、「ああ、今日は何もすることがない。何をしようか」と思う幸せを得るために生きているようなものです。

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Tuesday, June 12, 2018

ぼくを見かけませんでしたか

【6月12日 記】 人が死ぬのを喜んではいけない。だけど、好きだった歌手が亡くなるといつも、新たにベスト盤が編まれたり、廃盤が復刻したりしないかな、と思ってしまう。

今日の報道で森田童子が亡くなっていたことを知った。僕が知ったのが今日だったというのではない。そもそも記事自体が「亡くなっていたことが分かった」というものだった。

人は失敗に打ちひしがれたりして極度に気分が落ち込んだとき、明るい曲よりもむしろ暗い曲を聴いたほうが立ち直りが早いものである。無理に明るい曲を聴くと空々しい気分になるだけなのである。

むしろ、徹底的に深く沈み込める曲を聴いたほうが良い。水死体は一旦底に沈まないと浮き上がって来ないと言うではないか(本当なのかどうかは知らないが)。

だから、落ち込んだときは中島みゆきを聴け、それでもダメなら山崎ハコを聴け、それでもまだダメだったら森田童子を聴け──若かった頃そんな話をしていた記憶がある。

そう、それは 1970年代後半である。訃報記事に判で押したように書いてある「『ぼくたちの失敗』が TBSドラマ『高校教師』の主題歌に使われ」というのは、僕らにとってはリバイバルでしかない。

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