Sunday, November 24, 2024

『方舟を燃やす』角田光代(書評)

【11月22日 記】 角田光代の小説を読むのは実に久しぶり。2016年の『対岸の彼女』以来ということになる。

「以前は人生の暗い面ばかり描いてきたが、あることがきっかけで今では人の希望を描くようになった」みたいなことを角田自身が言っているのを何かで読んだが、久しぶりに読んでみると、確かにそういう部分もあるような気もするが、あんまり変わっていないような気もする。

この小説は柳原飛馬を主人公とする話と望月不三子を主人公とする話が交互に出てくる。飛馬は少年時代から、不三子は高校時代から始まり、ともに人生の長い期間が描かれている。

そこには(以前の?)角田光代らしい、人生におけるトラウマめいた事件を描いた部分も多い。

2人ともある意味でなんとか他人の役に立ちたい、誰かを助けたいと思うのだが、そんなには上手く運ばないのである。

で、この2人の話が却々繋がらない。読んでいる途中で、一体いつになったら繋がるのかとじれてしまう。

しかも、飛馬のエピソードはどれも結構面白いのだが、不三子のほうは(ひょっとしたら僕が男だからかもしれないが)それほど面白くない。

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Sunday, October 13, 2024

『砂嵐に星屑』一穂ミチ(書評)

【10月12日 記】 元同僚(と言っても今は取締役だが)が facebook で褒めていたのを読んでこの本を読みたくなった。

ちなみにその元同僚は社員のひとりに教えてもらって読んだらしいのだが、その社員が多分巻末に解説を書いている山内健太郎である。

僕は彼とは一言二言しか喋ったことがなくてよく知らないのだが、社内では結構評価されている社員なのではないだろうか。彼が書いている note なども面白い。

一穂ミチは今年直木賞を獲った作家で、会社員を続けながら小説を書いていると言う。その会社というのが在阪の放送局らしい。

作品に出てくるのがナニワTV で、その所在地からして朝日放送(ABC)をモデルにしているようだが、ということはこの人も ABC の人なんだろうか。

この短編集は5つの作品から成っている。舞台は全てナニワTV だが、それぞれ主人公は異なっていて、いくつかの作品に重複して現れる共通の登場人物もいる。

で、僕もかつて放送局に勤務していたのだが、この小説、ほんとに「テレビ局あるある」なのである。もう「あるある」の連続で、一般の読者にはそういうのが分からないだろうから残念で仕方がない。

例えばタイトルにある「砂嵐」が何のことなのか、一般の人には分からないだろうが、僕らにはそのひと言だけで通じる。

そういう事物の名前だけではない。とにかく僕らはそこで起こるひとつひとつの事象や習慣の「あるある」具合に驚き、そして、それを楽しむのである。

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Wednesday, September 25, 2024

『水車小屋のネネ』津村記久子(書評)

【9月24日 記】 初めて津村記久子を読んだ。確か僕が働いていた局で番組審議委員をしている人だ。

このタイトルを見て、僕は勝手にドーデーの『風車小屋だより』のような小説を想像していたのだが、全然違った(笑)

なんでこのタイトルからフランス、プロヴァンス地方の短編集なんだ?と言われるかもしれないが、日本では、まあ、あるところにはあるのだろうけれど、わりと都会に住んでいると水車なんて目にすることは滅多にないではないか。そこから、フランスの風車に連想が飛んでしまったのである。

さて、この小説に出てくる水車は何をしているかと言えば、その近くの蕎麦屋のためにそば粉を挽いているのである。

そして、主人公はその水車で粉を挽くことに加えて、水車小屋で粉挽きの“番”をしているネネという名のヨウム(オウムみたいな鳥)の世話をも仕事にしている理佐という女性と、10歳下の妹・律である。

姉妹は、離婚して女手ひとつで自分たちを育ててくれた母親が、最近できた恋人に夢中になってしまい、その男が娘たちを邪険にしていることも目に入らず、その男の事業のために理佐の大学進学のための費用を使い込んでしまったことにいよいよ絶望して、2人で家を出て、たまたま見つけたこの不思議な仕事が住居も提供していることに惹かれて、この田舎町にやってくる。

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Saturday, August 31, 2024

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』三宅香帆(書評)

【8月31日 記】 三宅香帆の「著書」となると『女の子の謎を解く』しか読んでいないが、note や東洋経済オンラインなどで数多くの記事を読んできた。

そんな風に僕が割合早くから目をつけていた三宅がこの著書で一躍ベストセラー作家になってしまって、僕としてはちょっと悔しい気さえする。

僕は今まで彼女を「解釈の人」だと思ってきた。

小説、古典文学、漫画、テレビドラマ、アニメ、映画、配信番組などについて彼女が書いている文章には、いずれも彼女でなければ読み込めないような深くて斬新な解釈があった。

それは単に「こんな風にも読める」とか「こんな印象を持った」というようなことではなく、いずれもその本やドラマが作られた背景にある現代社会のあり方と密接に結びついた解釈だった。

そして、今回のこの本を読んで驚いたのは、この本では彼女がしっかりと史学的なアプローチに基づいて検証しながら論を進めているところである。

今まではむしろ人文科学の人だと思っていたのだが、この本は極めて社会科学的なアプローチで書かれており、その点が僕にとっては新しく、意表を突かれた。

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Wednesday, August 21, 2024

『女の国会』新川帆立(書評)

【8月21日 記】 女性たちの話だ。章ごとに語り手が変わるが、主人公グループとでも呼ぶべき登場人物は4人。

まずは野党・民政党衆院国対副委員長の高月馨(46)。そして、その政策担当秘書の沢村明美(29)。次に毎朝新聞社の記者で与党・国民党担当の和田山怜奈(33)。最後に国民党所属の O市の市議会議員で元地方局アナウンサーの間橋みゆき(39)。

小説の冒頭は高月のライバルである国民党衆院国対副委員長・朝沼侑子の不可解な自殺から始まる。そして、それをきっかけにこの4人が順番に繋がって行く。

高月は口癖のように言う。「私、憤慨しています」と。言うと言うより、ひどい目に遭うたびに怒声を上げる。

だが、憤慨しているのは高月だけではない。他の3人も、それぞれ個性は異なるが、多かれ少なかれやはり憤慨しているのだ。何に憤慨しているか?──ひとことで言うならジェンダー・バイアスにであり、それを許している社会に対してである。

僕はこの小説を読み始めて、ああ、著者も同じように憤慨しているんだな、と思った。

無愛想にしていれば女らしくないと言われ、女性らしくすれば女を使っていると言われる。障害だらけの環境で、それでも負けじと泳いでいこうとする高月の決意があらわれている気がした。

そういう表現には同じように著者の思いも読み取れる。

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Sunday, August 11, 2024

『渋谷系音楽図鑑』牧村憲一・藤井丈司・柴那典(書評)

【8月10日 記】 この本が 2017年に出版されていたことを僕は知らなくて、スガイヒロシさんの note で初めて知ったのだが、「これは何が何でも読まなアカンやつや」と直感してすぐに購入し、読んでみたらまさにその通りの本だった。

書名を見ると「渋谷系」と言われた楽曲のカタログ本と思うかもしれないが、全くそんな本ではない。

日本の流行音楽や、果ては文化という大きなワードで括るべきものを、歴史と経験とデータに基づいてしっかり分析し、本質となる流れを洗い出した画期的な大著なのである。

この本の著者は 1946年生まれの音楽プロデューサー・牧村憲一と、1957年生まれのプロデューサー/プログラマー/アレンジャーの藤井丈司、そして 1976年生まれの音楽ジャーナリスト柴那典の3人で、冒頭から第五章までを牧村が執筆し、最後の二章が著者全員の鼎談になっている。

牧村憲一については津田大介との共著『未来型サバイバル音楽論』を読むまで名前を知らなかったのだが、今回この本を読んでみて、ここまで深く長く日本のミュージック・シーンに関与し、かつ育ててきた人なのかと改めて驚いた。

柴那典についてはネット上や雑誌などで今までいくつか文章を読んでいる。藤井丈司は僕は知らなかったのだが、この世代的にもかなり離れている3人の組合せはかなり巧く機能していると思う。

牧村憲一はこの本を自分の音楽体験や最初のキャリアから書き起こしたりはしていない。渋谷の地形や開発の歴史などから説き起こしている。つまり、タイトルに反して、単なる図鑑にする気など全くなく、時代と文化を語ろうとしているのである。

彼はフリッパーズ・ギターを見出し、デビューさせたプロデューサーで、そのこともあって「渋谷系」の始祖のように語られることも多く、これまでにも何度か「渋谷系」を語る本を書いてほしいと言われたことがあるそうだが、実は「渋谷系」という呼び名はフリッパーズが解散した頃から出てきたもので、牧村としては非常にご都合主義なものだと否定的に感じていたのだと言う。

そういう一般人が知らない背景や、数多くのミュージシャンとの豊かな交流のエピソードなども交えながら、彼は音楽というものがどういうものなのか、あるいはどうあるべきだと感じているのかというようなことを、非常に深く掘り下げて語っている。

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Wednesday, August 07, 2024

『ゼロK』ドン・デリーロ(書評)

【8月7日 記】 時々重厚な本を、と言うか、読むのがしんどい本を読みたくなる。そういう時に手に取るのがドン・デリーロだ。この本もしばらく前に買っておいたのだが、本棚に置いたまま自分の中にそういう機運が高まるのを待っていた。

しかし、この本は 2016年刊行で、日本で翻訳されているものの中では2番目に新しい作品なのだが、ますます読みづらく、読むのに難渋を極めるようになってきた。

僕が初めて読んだのは『アンダーワールド』(1997年)で、あの複雑に絡まった重層構造の物語にクラクラしながら魅了されたのだが、この本で描かれるのはほとんどひとつのストーリーなのである。

『コズモポリス』(2003年)にしても『堕ちてゆく男』(2007年)にしても、いろんな人物やいろんな時代のいろんな物語がぐちゃぐちゃに絡み合った話であり、そこがしんどいけれどデリーロを読む愉しみであったと思う。

しかし、この小説で語られているのは主人公ジェフリーの父・ロスとその再婚者であるアーティスの、自ら望んだ「死」についてがほとんどを占めるのである。死と言っても自殺ではない。いや、厳密に言うと死ですらないかもしれない。

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Saturday, July 20, 2024

『一度読んだら絶対に忘れない英単語の教科書』牧野智一(書評)

【7月20日 記】 去年の9月に買った本だが、この本は僕には全く響かなかった。

もうちょっと面白いか、最悪でも役に立つかと思ったがどちらでもなかった。あまりに面白くないので途中まで読んで放置してあったのだが、読みきらずに置いておくのが好きではないので、無理やり斜め読みで読み終えた。

語源を解説するのを売りにした本なのだが、「接頭辞の ex- が“外へ”という意味を、pre- や pro- が“前に/先に”を表す」など、あまりに基本的な、ほとんどの人が知っているのではないかという例が載っていて、これを読んでも実利がない。

かと言って、このような本を書く時に ex- や pre- についてひと言も書かないというわけには行かないだろうから、難しいところではあるが…。

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Friday, July 19, 2024

『トゥモロー・アンド・トゥモロー・アンド・トゥモロー』ガブリエル・ゼヴィン(書評)

【7月19日 記】 僕は電子的なゲームにはほとんど親しまずに育った。でも、ゲームの知識がなくても、この小説はしっかり楽しめるし、ゲーム作家である登場人物たちの気持ちはちゃんと伝わってくる。

作中には実際に存在して大ヒットもしたゲームがたくさん登場するので、もちろんそういうゲーム体験があったほうがもっと楽しめるのだろうけれど…。

逆に、ゲームを知らない人が読むよりも、深いゲーム経験がある人のほうが著者の記述に反感を覚えたりする可能性もないではない。しかし、この著者はゲームというものすべてに深い愛情を注ぎ込んで書いている(僕が読んでもそう感じる)ので、それは杞憂というものだろう。

僕はなんとなく、「この小説で彗星の如く現れた大型新人」みたいなイメージで読んでいたのであるが、調べてみたらこの小説が 10 作目であり、作家としても脚本家としても実績のある人で、 2016 年には翻訳小説部門で本屋大賞まで受賞していた。

のちに「アンフェア・ゲームズ」という会社を設立するサムとセイディとマークスの3人がメインキャラクター。サムとセイディは小学生時代から、そして大学の寮でサムと同室になるマークスは大学時代から、トータルで四半世紀以上に亘る物語が描かれる。

サムはコリア系、セイディはユダヤ系、マークスは日系+コリア系のアメリカ人で、所謂 WASP からは程遠い。この辺りにも設定の妙を感じる。

交通事故の重症で入院していたサムと、癌で死にかけていた姉のアリスのお見舞いに来ていたセイディは、たまたまスーパーマリオを一緒にプレイしたことで友だちになる。

その後、ちょっとした感情のもつれから疎遠になってしまうが、大学時代に地下鉄の駅で2人は巡り合う。この小説はその場面から始まる。映画のオープニングのような、とても良いシーンである。

サムはハーヴァード、セイディは MIT という、ともに名門大学に進学している。そして、その時、サムはマークスに借りたピーコートを着ていた。

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Monday, June 10, 2024

『冬に子供が生まれる』佐藤正午(書評)

【6月10日 記】 この小説を読み終えて最初に思ったのは、すぐに「伏線が回収できていない」などと騒ぎ立てるような若い連中には、この小説はからっきし受けないんだろうな、ということ。

彼らは小説の途中で分からないことがあるとそれを「伏線」だと思い、自分が読み終えるまでにその全てを分かるようにしてくれるのが作家だと考えているのだろう。

だが、現実の世の中がそんな風ではないように、小説というものもそんなものではないし、佐藤正午という作家もそんなものは書かない。

佐藤正午という作家は読者を宙吊りにして不安を煽る作家だ。

ただ、今回は、こういうことは僕の場合時々起きるのだが、割と早い段階で、僕は電子書籍で読んでいるのでページ数は言えないがキンドルの%表示で言うとちょうど 20% のところで、あ、そうか、これはつまり大体こんな感じのことが起きているんだな、と読めてしまった。

だから、中盤以降は、いつもの佐藤正午を読んでいるときのような不安感は少なく、ただ自分の読みがどれくらい当たっているかを確かめる旅になった。

とは言え、やっぱり佐藤正午である。主人公のマルユウこと丸田優はいきなり「今年の冬、彼女はおまえの子供を産む」というショート・メッセージを受け取るのである。彼は未婚である。なんとも言えず、ざわざわした感じの物語の切り出し方ではないか。

しかも、今ではメジャーな存在になってテレビに出ている高校の同級生たちのバンドが、自分を元メンバーのベーシストだったと言っている。それはマルユウではない。でも、彼ら全員が取り違えている──マルユウと誰かを。

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