【11月26日 記】 映画『あちらにいる鬼』を観てきた。大好きな廣木隆一監督なのだが、内容的にどうにも観る気が起こらなくて先延ばしにしていた作品。脚本は荒井晴彦。
井上光晴と井上の妻、そして当時井上と不倫関係にあった瀬戸内晴美(のちの寂聴)の3人をモデルにして井上荒野が書いた小説が原作。いずれの作家も僕は読んだことがない。しかし、なんで井上荒野がこの3人を取り上げたのか不思議だったのだが、彼女は井上光晴の長女だそうな。知らなかった。
とは言え、これは小説である。ここでは井上光晴は白木篤郎(豊川悦司)であり、瀬戸内晴美/寂聴は長内みはる/寂光(寺島しのぶ)なのだ。
だから、ここで描かれたことが必ずしも実際にあったことではないはずだ。ましてやこの2人に肉体関係があったときには荒野はまだ幼い子供である。彼女が全てを認知できたはずがない。
ただし、両親亡き後これを書くにあたって荒野は瀬戸内寂聴のもとに通ってかなりの取材をしたとのこと。個々のエピソードの真偽は分からないが、全体像としては多分このような世界だったのではないかなと想像できる。
白木はにべもない言い方をすると女癖の悪い男だ。当時の考え方からすると妻にするに最高な女性・笙子(広末涼子)と結婚していながら浮気を繰り返す。映画は白木の妻が白木に言われて(ただし、言われるところは描かれていない)、自殺未遂を図って入院している白木の愛人(蓮佛美沙子)を見舞いに行くところから始まる。
講演会でみはると一緒になった白木は初めて会った瞬間からみはるの着物を褒め、トランプ占いをしてやるなど、気があるのは見え見え。一方みはるのほうも、まずは作家としての井上の筆力に感服し、自分も若い男(高良健吾)と同棲中であるにもかかわらず、次第に井上に惹かれて行く。
一方笙子は夫の悪行にもちろん気がついてはいるが、決して咎めはしない。夫を受け入れ、そして夫が愛した女たちにある種のシンパシーを感じているフシさえある。とりわけ夫と長年の関係にあったみはるにはそうだった。
みはるも白木を妻から奪おうなどとは考えもしなかった。ときには他の若い男とゆきずりの関係になったりもしたが、しかし、そのことと白木への一途な思いは矛盾しなかった。
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