Friday, December 23, 2022

『桃の向こう』平山瑞穂(書評)

【12月23日 記】 この本を何故読もうと思ったかについては note に書きました:

これを読むとさらにその元となった平山瑞穂による note を読まなければという気分になるかもしれませんが、興味のある方は是非それもお読みください。

僕がこの小説を読み終えた最初の感想は、「なんや、面白いやん」でした。平山瑞穂によると、この本は多くの読者に「伏線が回収されていない」「オチがない」みたいな理解をされてしまって、セールス的にも失敗だったとのことです。

多くの読者は、煌子にその後何があって冒頭の桃の林のシーンに繋がったのかが書かれていないことに腹を立てたようなのですが、でも、僕はそれが書かれていないことに、「巧いなあ」と感心してしまいました。

そして、世の中にはこれほどまでにかけ離れた読み方があるのかと改めて愕然としました。

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Monday, December 05, 2022

『少女を埋める』桜庭一樹(書評)

【12月5日 記】 これは却々難しい本だ。いや、難解だという意味ではない。自分の読み方に戸惑いが生じるという意味だ。

内容も時系列も繋がった3篇を収めた短編集なのだが、最初の「少女を埋める」は一言で言うと自伝的小説ということになる。読んでいて、これは創作なのかノンフィクションなのか区別がつかなくなる。いや、区別をつけるべきなのかどうなのかが分からなくなる。

作家になって東京で暮らしている冬子(=「わたし」)は父の最期を看取るためにコロナ禍中の故郷鳥取に戻ってくる。そこにはずっと前からの自分と母との間のわだかまりがあり、そして、その土地には冬子には耐え難い固陋な考え方と因習が色濃く残っている。

そこに象徴的な逸話として、町一番の美人として有名だった少女を攫って城壁に埋めたという昔話が挿入される。

そこで語られるのはそんな田舎に対する冬子の嫌悪感、と言うよりも、そういう空気に触れることによる憔悴である。彼女は東京の人たちとの電話やメールでのやり取りでかろうじて気を取り直す。

東京の知人たちの価値観、感覚が、弱った心を救ってくれると感じる。

その感じはよく分かる。

正論は理不尽なことから救ってくれる。だから、大好きだ。

人によってはこれを極論と思うかもしれない。しかし、これも僕にはよく分かる。整然とした理論に対する信頼感。

わたし、流行って好きだな。文化であり、町のアートであり、わたしたちがいまこの都市で生きていることそのものの喜びの表現だと思う。

田舎の人から見ればこれも一方的な都市礼賛に見えるかもしれないが、これもよく分かる。古い倫理観や価値観から解放された安心感みたいなもの。

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Thursday, November 10, 2022

『カセットテープ少年時代 80年代歌謡曲解放区』マキタスポーツ、スージー鈴木(書評)

【11月10日 記】 マキタスポーツとスージー鈴木が BSトゥエルビでやっている音楽解説番組の書籍化である。

僕もこの番組を何度か観たことがあるし、見始めると前のめりに見続けてしまうのだが、何せ普段はほとんど見ない、と言うか、その存在さえほとんど忘れている BSトゥエルビである。却々レギュラーで観るというところにはたどり着かない。

だから、こういう本が出るのは大歓迎である。大変面白かった。

テレビというのは基本的に自らを大衆メディアと位置づけているので、一部の人にしか分からないようなこと、いろいろ深い解説をしないと理解しにくいようなことは反射的に避ける傾向がある。

だから、この2人がやっているような、Jポップ・シーンを賑わした名曲をさまざまな音楽用語や音楽理論を駆使して紐解いて行くような番組は基本的に成立しないのである。成立したのはひとえに BSトゥエルビであったからに他ならない(笑)

で、多くの人にとってはあまりピンと来なかったり、そもそも何を言っているのか分からないような番組であっても、その一方で僕のようにドンピシャリ嵌ってしまう視聴者もいるわけだ。僕は常にこんな番組があれば良いなあと思っていたし、こういう番組がほとんどないことを嘆いてきた。

そんな欲求不満がこの本で爆発的に解消されたのである。

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Thursday, November 03, 2022

『夜に星を放つ』窪美澄(書評)

【11月2日 記】 窪美澄の直木賞受賞作の短編集である。巧い作家だ。タイトルにあるように、全作に星や星座の話が絡めてある。

彼女の小説を読むと僕はいつも vulnerable という英語の形容詞を思い出す。通常は「弱い」とか「傷つきやすい」とか訳される単語だが、ニュアンスとしては「弱みを見せてしまっている」という感じなのだ。

英英辞書を引くと willing to show emotion or allow one's weaknesses to be seen or known という訳語に当たる(この辞書では第三義だったが)。

そう、そして、この to be willing to の主語は、もちろん小説の登場人物たちでもあるのだが、同時にそれは作者である窪美澄自身であるような気がするのである。

誰にでも弱いところはある。そして、通常はそれを隠そうとするので、他の人には本当のところが見えていなかったりする。でも、本当のところはこうなんだよと言っているのが彼女の小説であるような気がするのだ。

最初の『真夜中のアボカド』はコロナの自粛期間のテレワーク中に家でアボカドの種を水性栽培している OL・綾の一人称で語られる。綾は婚活アプリで麻生さんという男と知り合い、デートするようになる。そして、その麻生さんが星に詳しい。

綾には死んでしまった一卵性双生児の妹・弓がおり、その妹の彼氏だった村瀬くんとはいまだにちょくちょく行き来がある。ひょっとして、綾がこの2人の男性の間で揺れ動くような話かと思ったらそうではなかった。

結構悲惨なことになる。だが、それはこの小説の結末ではなく、そこから綾の語りはまだしばらく続く。そして、ひっそりと終わる。余韻たっぷりに。

2つ目の『銀紙色のアンタレス』は青春小説っぽい作りで、僕はこの中では一番好きだ。

主人公は真。高校一年生、水泳部だ。ここでも彼の一人称で話は進む。

真は夏休みに親と別れて海辺にあるおばあちゃんの家で過ごす。そこに幼馴染の朝日が訪ねてくる。朝日もおばあちゃんとは顔見知りだ。彼女は真と違って頭が良いので大学付属の私立高校に通っている。

おばあちゃんの近所に住む相川さんの娘のたえが離婚して小さな子を連れて戻ってくる。真は近くにいる朝日ではなく、年上で恋の相手としてかなうはずもないたえに惹かれる。

最初に書いたように、青春ドラマっぽい切ない進み行きである。ここでは真がたえに「夏の大三角形」について教えてあげる。そして星座占いの話をする。この話も余韻たっぷりに幕を閉じる。

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Saturday, October 22, 2022

『何が記者を殺すのか 大阪発ドキュメンタリーの現場から』斉加尚代(書評)

【10月22日 記】 今年の6月まで同じ会社で働いていたとは言え、僕は斉加さんとは面識がない。僕が東京勤務が長かったということもあるし、仕事で報道局と絡む機会もそれほど多くなかったということもある。編成部でトラフィック担当をしていたときには報道フロアですれ違っていたかもしれないが、いずれにしても直接喋ったことはなく、今どこかの街ですれ違ってもお互いに誰だか分からないだろう。

橋下徹氏とバトルをしたと聞いたときには威勢の良いお姐ちゃんだなと思ったのだが、これもそんな風に伝えられているがビデオを見ると斉加さんが橋下氏に一方的に罵倒されているに過ぎない。彼女は報道記者としてごく普通に質問をしていただけだ。

仕事でそれほど接点がなかった上に、そもそも僕はドキュメンタリではなくフィクション志向なので、月に一度の『映像』シリーズも限られたものしか視聴していない。しかし、映画『教育と愛国』は劇場に観に行った。ちょうどその日、斉加さんが舞台挨拶、というか感謝と補足のために上京して登壇していたが、思ったよりもずっと柔和な感じの人だった。

そして、今度はこの本である。どうしても元同僚という気分で読んでしまうので、ところどころ「こんなにきっぱり言い切って大丈夫か?」などと心配になってしまう。

だが、この本を読んで一番感じるのは暗澹たる思いである。日本はこのままで大丈夫なのか?

右翼か左翼か、愛国か反日か、みたいなことはそれほど大きな問題ではない。ただただ、根拠を示さずに相手を叩きに行く、主張に一貫したロジックがない、多様性を認めない、自分の気が晴れることが主眼になっていて、その影響については考えない、というか極めてお気楽である。

ネット上でたくさんのインプレッション(ビュー)を稼ぐことが手段ではなく目的になっている。「ネットを見れば誰でも分かることだ」みたいなことをよく言い、ネット上には間違った言説もたくさん流れているということには耳を貸さない。

いや、そもそも自分に都合の良い情報だけを虫食い状態で集めてくる。

そんな人たちが日本中にはこんなにもたくさんいるのである。そんな人たちが、たまたまここでは沖縄の基地反対派や、慰安婦問題を取り上げた教科書や、在日の人たちや、あるいは記者・斉加尚代を叩きに来ているということなのだ。

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Saturday, October 08, 2022

『春のこわいもの』川上未映子(書評)

【10月8日 記】 僕にとって3冊目の川上未映子。前に読んだのは『夏物語』。川上未映子にとってもこの小説は『夏物語』に続く作品。知らなかったのだが、『夏物語』は世界何か国かで翻訳され、ベストセラーになったらしい。

この小説は春。夏の次が春なので、時の流れが逆行している。

6つの短編集である。全てがコロナ禍の下での設定。そして、題名の通り、全てがこわい。そして全てによく分からない部分がある。

もう一度読み返したら分かるのか? ひょっとして自分は何かを読み落としてしまったのか? いや、多分作家はわざとそういう構成にしているのだ。それがまた少しこわい。

でも、ざーっと読み返してみると、ああ、やっぱりそういうことだったのか、と思える箇所がいくつかある。

最初の『青かける青』は入院して手紙を書いている女性の話。

遠からず退院するようなことが書かれているのに、彼女自身はまるで今にも死ぬようなことばかり書いている。「きみ」という語り口からしても若い女性のような気がするのだが、彼女が実際何歳なのかは、客観的な形では書かれていない。

それにね、もしかしたら現実のわたしはもうとっくの昔におばあちゃんになっているのに、認知症か何かになっていて、二十一歳のわたしだと思い込んでいるだけかもしれないんだもんね。

と主人公が述懐しているが、彼女がほんとうに 21歳なのか、あるいはひょっとしたら、まさに彼女が言うように 21歳だと思いこんでいるだけなのかもしれないという気がしてくる。

それが気になって前に戻って読み返すと、作品の印象ががらっと変わってくる。一気に「春のこわいもの」が現れてくる。

2つめの『あなたの鼻がもう少し高ければ』は<ギャラ飲み>志願の女性の話。ネットで人気のセレブに憧れてオーディションを受けに行くが、痛烈に罵倒される。特に顔について。これも怖い。陰惨な話。しかし、余韻は深い。

3つ目の『花瓶』も分からないところが多い。いや、貶しているのではない。この短編集はずっとそういう書かれ方をしている。

自宅で最期の時を過ごしている女性の話。体を満足に動かすこともできない老人。その主人公が、通ってきてくれている太った汗かきの家政婦について、

わたしは彼女の性交をときどき夢想した。いいえ、ときどこどころか、彼女のありとあらゆる性交を、わたしは数え切れないほどに夢想した。

などと言うのを読んで驚く。そんな彼女が今度は自分の性交体験を語り、そして死を語る。そして花瓶に花が入っていない。──それは何を意味するのだろう? これもこわい。

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Monday, September 19, 2022

『ヴィネガー・ガール』アン・タイラー(書評)

【9月19日 記】 肩タイトルに「語りなおしシェイクスピア3 じゃじゃ馬ならし」とある。これはウィリアム・シェークスピア作品のリメイク・シリーズであるらしく、この本は『じゃじゃ馬ならし』の翻案であるらしい。

何となく惹かれて買ったのだけれど、しかし僕はシェイクスピアを読んだことはない。かろうじて2つの劇団で『から騒ぎ』と『真夏の夜の夢』を観たことがあるだけだし、それも随分前のことだ。

その上、このアン・タイラーという作家は全米批評家協会賞やピューリッツァー賞を受賞した上に、作品が何度か映画化もされている有名作家であるらしいのだが、全然知らなかった。

いやあ、知らないことだらけである。

でも、知らなくても全く困らない小説だった。巻末の解説を読んでいたら、「シェイクスピアを知らなくても楽しめるところが多く」という表現が出てきて、改めてほっと安堵した次第である(笑)

で、解説を読むとさらに知らないことだらけで、まず、原作の設定やあらすじが紹介してあったのだが、言われなければ2つの戯曲/小説の関連性に全く気づかないほど違う作品である。

さらに、研究者の間では『じゃじゃ馬ならし』は女性蔑視的な視点が強すぎると非難を浴びている戯曲なのだそうである。アン・タイラーがこの企画に取り組んだのも、シェイクスピアのこの作品が嫌いだから自分で書き直してみようと思ったとのこと。

いやあ、ますます知らないことだらけである。

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Tuesday, September 06, 2022

『平場の月』朝倉かすみ(書評)

【9月6日 記】 全く知らない作家だったのだが、読んでその完成度の高さに驚いた。

中高年の恋物語である。2人は中学の同級生。青砥は妻と離婚して地元に戻った。病院に検査に行ったら、そこの売店に須藤がいた。須藤も今はひとりだった。

そこにあるのはある種中学時代に彼らが抱いた淡い思いの延長であると言えるのかもしれない。しかし、それが十代の恋愛と異なるのは、人は中高年ともなると癌になったり、その結果人工肛門をつける羽目になったり、挙げ句の果てに死んでしまうかもしれないということだ。

もちろん、若者だってある日突然交通事故で死んでしまうかもしれない。しかし、その可能性は 50代の人間が癌にかかる可能性より遥かに小さい。そして、それは自分にも、自分の恋の相手にもいつ起きるか分からない、とても身近な恐怖なのである。

この小説では冒頭で須藤が死んでしまったことが明かされる。しかし、つきあっていたはずの青砥は彼女の死を知らされていなかった。何故そんなことになったのか、そこまでのいきさつが肌理細かく語られる。

とても巧い作家である。

なにが「ほらな」なのか分からない。だが、すごく「ほらな」の気分だった。

なんて、これだけ読むと意味がさっぱり分からない。だが、ひとたびこういう表現が物語の文脈に放り込まれると、そこには曰く言い難い納得感が出てくる。

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Wednesday, August 17, 2022

『日本人の英文法』(T・D・ミントン)書評

【8月16日 記】 高校で習って以来、さすがに英文法の知識もかなり薄れてきたなあと思って選んだ本。著者はケンブリッジ大学卒業で、現在は慶應義塾大学の教授。

如何にも何ごとにおいても厳格なイギリス紳士が書いたという感じの本で、かなり理屈っぽい。そういうのに嫌悪感を覚える人にはお勧めしないが、僕は嫌いではない。

で、学校を出てから何十年も経つと、その間にネイティブが使っている英語自体も多少は変わってくるだろうし、当時日本の教科書に書かれていたことが間違いだったてなことも発覚するだろう。

しかし、一番の問題は、卒業してしまうと、もう誰もそんなことを教えてくれないということだ。今回この本を読んで非常に驚いたことが2つある。

ひとつは、

(A) Bill is shorter than me.
(B) Bill is shorter than I.

という2つの表現のうち、(B) はほとんど使われないということ。

え、そんなはずはない。shorter than I am の省略形だから (B) でなければならないと学校では教わったが。現代口語英語ではほとんど常に直接目的格が来るとのこと。これは as ~ as の後でも同じで、Bill isn't as tall as me. となるのだそうだ。

しかし、となると、(こういうのは日本の文法教科書が喜々として取り上げる比較例なのだが、)

(A) I like you better than her. (私は彼女より君のほうが好きだ)
(B) I like you better than she. (彼女より私のほうが君が好きだ)

の区別はどうするんだ? どっちも than her になってしまって区別がつかないじゃないか? ということになるが、著者によるとこういうのは単なる頭の体操みたいなものであって、実際には (B) はやはり全く使われない表現であり、こういうケースでは省略せずに、 I like you better than she does. と言うのだそうだ(笑)

それからもうひとつは、僕らは学校では「2人のときは each other、3人以上の場合は one another」と教わったが、現代英語では3人以上であっても each other を使い、one another はめったに使われないとのこと。

これも、えー、早く言ってよ!という感じの例だった。

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Thursday, August 11, 2022

『ミーツ・ザ・ワールド』金原ひとみ(書評)

【8月10日 記】 金原ひとみを初めて読んだ。

『蛇にピアス』で芥川賞を獲ったときには、同時受賞者の綿矢りさとともにまだ20歳かそこらで随分話題になったが、僕は綿矢りさの純文学的な魅力に惹かれ、金原ひとみのほうはキワモノ的な感じがして読まなかった。

しかし、あれから 20年近い月日が流れる中で、金原ひとみが書いた小説以外の文章を読む機会が1回か2回あり、なんか悪くない感覚の持ち主だと思った。それが一体何だったのかはっきりとは思い出せない。映画のパンフレットか何かに彼女が文章を寄せていたのかもしれない。

そして、そんな中で今年の4月に NHK が放送した『言葉にならない、そんな夜。』のレギュラー化後の最初のシリーズに彼女が出演して、言葉について語るのを聴いているうちに、これは何がなんでも読まなければという気になってきた。

それで適当に選んだのが、一番出版日が新しかったこの本だったのだが、それが良かったのかどうかは分からない。ただ、想像したのとは随分違った。

なんと言うか、もっと研ぎ澄まされた文章を期待していたのだ。

ここにあるのは、意識してなのかしないでなのか分からないけれど、初めて小説を書いた人のような、会話が延々と続いたあと、時々内省的な独白が挟まれる小説で、風景描写のようなものが極端に少なく、そういう点では全く僕の好みではない。

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