Wednesday, December 23, 2020

『みかづき』森絵都(書評)

【12月21日 記】 今年の9月に『風に舞いあがるビニールシート』で初めて森絵都を読んで、面白かったし巧い作家だと思ったので、2冊めに選んだのがこの本だ。

割合新しいもので、短編集ではなく、かつ Kindle化されていることを条件に適当に選んだので、迂闊にも中身についてはあまり知らなかった。

読み始めて驚いた、と言うか、読み進むに従ってさらに驚いたのだが、この小説はどこまでも教育を描き、教育論を語っている。この作家はこんなにも教育に興味のある人だったのか?という素直な驚き。『風に舞いあがるビニールシート』からは想像できなかった。

そして、さらに読み進むうちに気になったのは、この作家は一体今何歳だっけ?ということ。物語は戦後それほど時間が経っていない頃から家族4代に亘って書き綴られている。彼女が実際に生きて経験した時代はどこからなのだろう?

調べてみたら、1968年生まれの 52歳。つまり、この言わばサーガの最初の部分は、彼女の記憶によらず、いろんなことを調べて取材して書かれたものなのである。

最後まで読んで参考文献リストを見るにつけ、この作家がこの小説を書くに際して、どれだけの文献に当たり、どれだけの人と会って話したのかが想像がついた。

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Tuesday, November 24, 2020

『少年と犬』馳星周(書評)

【11月24日 記】 芥川賞/直木賞は元々は新人の登竜門であったはずだが、ここ何十年も「え?そんな人が今ごろ?」という人が受賞する賞になってしまった。馳星周もデビューは1996年、『不夜城』ですでにその年の直木賞候補になり、ベストセラーになったので名前は知っていた。

それからいくつか他の文学賞ももらって、今回漸くこの作品で7度目のノミネートを経て直木賞を受賞した。

僕は多分読むのは初めてなのだが、もっとハードボイルドっぽい、暗黒社会を書く作家だと思い込んでいたので、あまりの素直な作品に拍子抜けしてしまった。

タイトルの通り、犬と少年の話である。1匹の犬を経糸にしたオムニバス形式の、ロードムービー的な作品である。

どうやら東日本大震災で飼い主を失ったらしいシェパードと日本犬の雑種犬が、いろいろな人間と関わりながら、東北から九州まで旅をする話である。

面白いのは、犬の名前が一定していないこと。

首輪に本来の名前が書いてあり、情報を記したチップも埋められているので、この犬の本名が「多聞」であることは明らかなのだが、素直にその名で呼ぶ人は少なく、皆自分勝手に名前を付けて呼ぶのだ。

いかにも人間がやりそうなことではないか。そういうところが、この小説の数少ない技っぽい部分である。

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Sunday, November 15, 2020

『JR上野公園口』柳美里(書評)

【11月14日 記】 柳美里の小説は随分昔に1冊だけ読んだように思うのだが、それが何だったか思い出せない。あるいは読んだような気がしているだけで実際は読まなかったのかもしれない。

しかし、それにしてもしんどい小説だった。

上野恩賜公園で暮らしているホームレスの話で、どこまで読んでもこれは呪詛だった。

主人公は東北の生まれで、結婚してすぐに出稼ぎで東京に出て、以来、家には年に数回しか帰らない生活を続けていた。それでもそれは家族を養うための労働であって、決して辛いものではなかった。

ところが、息子が突然死んでしまい、妻も死んでしまい、彼は抜け殻のようになってしまい、再び東京に出て、いつの間にかホームレスになっていた。

そんな彼の生涯が、上で僕が書いたような整理された形ではなく、断片的に描かれている。話はあちこちに飛び、関心は次々に移り、今の話と昔の想い出が混濁する。

これを読んでいると、まるで小説ではなく、ホームレス本人が語った話をドキュメンタリとして読んでいるような気になってくる。

実際柳美里は彼らに何度も密着して取材したとのことで、だからまるでドキュメンタリみたいによく書けているということなのだが、それだけに彼らの饐えた匂いや、ちょっと酸っぱい残飯の味や、雨に濡れて体にまとわりつくボロ着の感覚まで伝わってくるような感じがある。

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Monday, October 19, 2020

『青春の門 風雲編』五木寛之(書評)

【10月19日 記】 高校時代から熱中して読み始めた『青春の門』。あの頃はクラスメートの多くが読んでいた。

第1部「筑豊篇」、第2部「自立篇」、第3部「放浪篇」、第4部「堕落篇」、第5部「望郷篇」、第6部「再起篇」、第7部「挑戦篇」と読み進んできたが、最初に読んだのはもう何十年も前だ。残念ながら最初のほうの記憶はかなりおぼろげである。

このブログには何度も書いているが、そもそも僕は読んだ本も観た映画もすぐに忘れてしまう。「筑豊篇」から始まってここまでの筋をしっかり憶えたまま読み進むなんてとても無理な話だ。

いや、それどころか、直前の「挑戦篇」の記憶さえほとんどない。調べてみたらそれも無理はない。「挑戦篇」を読んだのでさえ9年も前だ。

だから、今回「風雲篇」を読み始めても、「えっと、この人はどういう人だっけ?」、「あれ、なんでこうなったんだっけ?」みたいなことの連続で一向に要領を得ない。

でも、それにも関わらず、面白いのである。面白いから読み進むことができる。読み進むとまた面白いのである。

そして、これはこの大河小説の特徴なのだが、信介はよく過去の出来事を回想する。それは筑豊での幼少時代から直前の江差での暮らしまで、長いレンジでいろんな時代を振り返る。

僕はそれを読んで、自分の脆弱な記憶力に少しずつ肉付けして物語を補って行くことができる。

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Friday, October 02, 2020

『正義を振りかざす「極端な人」の正体』山口真一(書評)

【10月2日 記】 僕は2016年に、本書の著者である山口真一氏が 田中辰雄氏との共著で出版した『ネット炎上の研究』を読んでいる。タイトルの示す通り、あの本はしっかりとした調査とデータに基づく学術研究書であった。

その中で一番インパクトの大きかった事実は、「炎上参加者はネット利用者の 0.5%だった」ということであり、さらには我々が炎上参加者に対して勝手に思い込んでいたイメージ(低収入、低学歴、独身のネット・ヘビー・ユーザ)は正しくなかったことも思い知らされた。

今回はその山口氏が単独で物した本で、前作と同じく正真正銘の学術研究書であり、決してライトなエッセイなどではない。だが、前作より読みやすいのも確かである。

そして、上で「炎上参加者」と書いた人たちのことを、ここでは「極端な人」という、ややマイルドな表現で統一している。

それは炎上を目論む悪意のある人間を刺激しないためのネーミングなのではなく、あなたも私もちょっと極端になってしまうと攻撃者になってしまうのだという意味が込められているのである。

とにかく、ネットを使っている人は全員この本を読んだほうがいい。あるいは、読んだ人は読んでいない人に内容を教えてあげたほうがいい。こういうことを頭の中でしっかりと明文化することができていれば、僕らは炎上に加担しないで済むし、攻撃を受けても精神の安定を保つことができるかもしれない。

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Tuesday, September 22, 2020

『風に舞いあがるビニールシート』森絵都(書評)

【9月22日 記】 森絵都はずっと読んでみたかった作家なのだが、ずっとそのチャンスがなかった。何故なら僕が彼女を知ったのは僕が電子書籍でしか本を読まなくなって以後のことで、それに対して、彼女の小説は長らく電子化されていなかったからだ。

それがここへ来て一気に Kindle版が出てきた。とりあえず直木賞を受賞したこの作品を読んでみたのだが、読んでみて驚いた。めちゃくちゃ巧い作家である。

めちゃくちゃ巧い作家というのは、僕が作家を語るときのほぼ最大の賛辞だと思ってもらって良い。もっとも、巧くない作家なんてものは単なる形容矛盾だと思ってもいるが(笑)

何よりも驚くのは、ここに編まれている6つの短編の構成やトーンがそれぞれ相当にかけ離れていることだ。どの作家にも得意な分野というものがあるはずなのだが、この人のこのテーマや設定の広がりは何なんだろう?

「器を探して」は読んでいてめちゃくちゃ怖かった。

自分の雇い主であるパティシエ・ヒロミの気紛れと意地の悪さに振り回される主人公の弥生。その一方で、そんな彼女を優しく庇ってくれていた恋人の高典が「僕かあの女か、どちらかを選んでくれ」と言い出して、自らの俗物性と時代遅れの考え方を露呈する。

弥生はどんどん追い込まれる。ヒロミのケーキに相応しい器を早く見つけて東京に戻らなければならないし、メールも電話もずっと無視してしまったので、東京でイライラしている高典にも連絡をしなければならない。

──どっちに進んでもうんざりするほど地獄な感じ。しかし、そこからの展開は見事で、この怖い小説の最後になって一条の光が射すのである。

元々児童文学を書いていた人だと聞いていたので、ひょっとして構成が単純すぎたり文章が不必要に平易だったりしたら嫌だなあと思って読み始めたのだが、なんのなんの、これは大人にしか書けない大人の文章だ。

そうか、彼女は大人の視点で書いていたから多分卓越した児童文学が書けたのだろう──などと、今まで1冊も読んだことがないくせについついそんな風に想像してしまう(笑)

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Thursday, September 03, 2020

『オンエアできない! Deep』真船佳奈(書評)

【9月3日 記】 『オンエアできない! 女ADまふねこ(23)、テレビ番組つくってます』の続編。まあ、一応読んだということで記事を上げておくが、あんまり書くことはない(笑) 前作の書評をお読みいただければそれで充分かと。

ところで勢いで2冊(と言っても電子書籍ですが)一緒に買ったのに、どうしてこんなに間が空いたのかと言うと、別に忙しかったとかいうことではなくて、Kindle の表示の問題である。今回初めて気づいたのだが、シリーズ物は1冊にまとめられたりするようだ。

Kindle の画面では購入した本の表紙のサムネイルが並ぶのだが、そのうち読了した本についてはチェックのマークが入っている。ところが、そこにチェックではなく「2」という数字が入っている本があって、それが他でもないこの本なのだが、それをタップすると2冊の本が現れるという仕組みだ。

おかげで続編の存在をすっかり忘れていた。

さて、2冊読み終えて感じるのは、この真船さんという人もやっぱり何かを作りたい人なのだなということと、放送局というのはやっぱり何かを作りたい人が集まってくるところなのだな、ということ。結局何も作らせてもらえなかったけれど、僕だってやっぱりそういう人なのである。

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Tuesday, September 01, 2020

『一人称単数』村上春樹(書評)

【9月1日 記】 もはや村上春樹以外の何者でもない村上春樹である。しかし、僕がこれを買った Amazon のレビューを見ると結構ひどい評が並んでいる。──面白くない、と。

そうか、これが面白くないのか、と僕は思う。だって、もはや村上春樹以外の何者でもない村上春樹なのに。

僕が村上春樹の小説を読む時、僕の脳裏には音のない映像が浮かぶ。小説だから当然何人かの登場人物が何ごとかを喋っているはずで、しかも、村上春樹の小説には音楽がつきものなのに、それでも脳裏に浮かぶのは無音の映像である。

いや、静かな BGM が流れているかもしれない。しかし、人の声や物音は録音されていない(あるいは消去されている) 。そう、映画やドラマの回想シーンなどで時々使われる手法だ。

村上春樹の小説はそういう小説のような気がする。つまり、人が喋っている時のことを書くのではなく、喋り終わって、次に喋り始めるまでの間を描くような。喋っている今を記すのではなく、過ぎてからそれを回想するような。

ここには8編の短編小説が収められている。

“ガールフレンド”の話であったり、不思議な人物(たまに人物ではなく猿であったりもするが)との出会いの話であったり、村上春樹の小説で何度も読んできたような小説世界がある。

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Tuesday, August 25, 2020

『辞書を編む』飯間浩明(書評)

【8月25日 記】 ある日 twitter 上に、言葉についていろいろ面白いことをつぶやいている人を見つけてフォローした。それが飯間浩明さんだった。そして、辞書の編纂者であるその人が、まさに辞書の編纂作業について書いている本があると知ってダウンロードしたのがこの書である。

もうちょっと新しい本かと思って読み始めたのだが、実は 2013年末に発売された三省堂国語辞典(三国)の第7版の編纂過程について書かれ、辞書より早く 2013年の 4月にに出版され、6月に電子書籍化された本だった。

タイトルは、ご本人が「おわりに」に書いておられるように、と言うか、そんなあとがきを読むまでもなく明らかに、辞書編纂を題材にした三浦しをんの小説『舟を編む』を踏まえている。そういうことが一瞬にして分かる(もちろん『舟を編む』は読んでいる)“言葉好き”の人こそが喜んで手にする本だろう。

何を隠そう僕がそういう人だ。

読み始めて間もないところに「小人数」という表現が出てきて、わざわざ「こにんずう」とルビが振ってある。僕はこういうところに反応してしまう。確かに僕の父母や祖父母は「こにんずう」と言っていたように思う。

しかし、現在の僕はもっぱら「しょうにんずう」と言っている。しかし、そこで「しょうにんずう」は「少人数」なのだと気がつく。現代の日本語では「少人数」が幅を利かせて、「小人数」は廃れつつあるのだ。そんなことをふと考える。

もう少し読み進むと「微に入り細を穿った」という表現が出てくる。これは僕も同じ表現を使う。しかし、世間の人の多くは「微に入り細に入り」という乱れた表現を使う。「微」と「細」、「入る」と「穿つ」が対になっているのに、後半が両方とも「入る」になるとせっかくのカッコいい表現が台無しだなとずっと思ってきた。

などと、読みながらときどき本題から外れて、いろんな言葉について考えてしまう。

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Friday, August 14, 2020

『熱源』川越宗一(書評)

【8月14日 記】 買ったまま長いこと放ってあった直木賞受賞作。

読み始めてすぐに思ったのは、この人はアイヌの末裔なんだろうか?ということ。もし僕が作家なら、そうでなければ怖くて書けない気がする。アイヌでない人がアイヌの物語を綴ると、間違いなくアイヌやその末裔から「それは違う」とのクレームが来るだろうから。

しかし、名前を見る限りそれっぽくない。もし、そうではないとしたら、 そこに至るまでには、興味の強さもさることながら、書くための調べ物も半端ではなかっただろう。何が彼をそこまで至らしめたのだろう?

いや、別にアイヌに興味を持つのが変だとか悪いとか言うわけではない。ただ、例えばマラソンに興味を持ったとかエレキギターに興味を覚えたとかいうことであれば、なんとなく想像がつくのだが、アイヌとなるとどういうシチュエーションでそうなったのかが思い浮かばないということだ。

よほど強烈なきっかけと動機があって書き始めたのだろうと推測するのだが、しかし、その割にはこの作品は、ひたすらアイヌに焦点を当てた小説ではなく、一方でロシア占領下にあるポーランド人を描いていたりもする。

アイヌ→樺太→ロシア→ポーランドという、いわば複雑な占領の構図及び歴史から必然的に導かれたのかもしれないが、しかし、2人の主人公は途中からストーリー上ではほぼ枝分かれしてしまっており、そのため印象がやや散漫になっているきらいもある。

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