Saturday, May 16, 2020

本で元気に! 文春文庫人気シリーズ 期間限定1話無料公開中

【5月16日 記】 note に文藝春秋の「本の話」というアカウントがあります。多分、これ書いているのは僕の知人(twitter で知り合って、何回か会ったこともある)の女性ではないかと思うのですが、twitter にも同じアカウントがあって、そのツイートで「本で元気に! 文春文庫人気シリーズ 期間限定1話無料公開中」という企画があるのを知りました。

リンクを辿って見に行くと、そこにあったのは三浦しをんの『まほろ駅前多田便利軒』の「多田便利軒、繁盛中」でした。てっきり冒頭だけ公開して本の購入ページに飛ばされでもするのかと思っていたら、なんと第1話がまるまる読めるじゃないですか。

あっという間に読んでしまいました。で、気がついたらこれは第2弾で、第1弾では伊坂幸太郎の『死神の精度』から同名の第1話が公開されていて、こちらも一気に読んでしまいました。

コロナで引きこもっている人たちへのサービスなのでしょうが、これはなんとありがたい企画でしょう。

僕にとっては人選がとても良かったです。2人とも全く読んだことのない作家ではなく、かと言って大好きで追っかけている作家でもなく、決して嫌いではないけれど、でも、のめり込んではおらず、まあ、今回のようなチャンスがあると読んでしまうし、読んで面白いと思える作家と作品だったからです。

『まほろ駅前多田便利軒』のほうは大森立嗣監督が撮った映画2本を観ていたこともあって、多田が出てくると瑛太の、行天が話し出すと松田龍平の顔が浮かんできます。で、あの映画を見たときの映画評に、僕は随分不思議なトーンだということを書いたのですが、原作を読んでみて、ああ、あれは原作から映画まで地続きのトーンだったんだと気づきました。

小説の冒頭も、便利屋の多田が預かった子犬の姿を見失って探し回っていると、バス停で他ならぬそのチワワを抱いて座っている、高校の同級生・行天を見つける──という映画と同じシーンだったので、何を読んでも何を観てもすぐに忘れてしまうこの僕にしては珍しく、記憶が甦ってきました。

そうか、大森監督の映画は三浦しをんの小説そのままだったんだ、と何だか妙に嬉しくなってしまいました。

改めて思ったのは、三浦しをんって、巧い書き手ですね。凝った表現ができるかどうかということではなく、読み手に書き手の存在を全く意識させることなく、読み手を物語の世界に導き出してくれます。これでこそ作家だなあという感じ。

このシリーズを一から読んでみるのも良いかもしれません。

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Monday, May 04, 2020

『SNS変遷史 「いいね!」でつながる社会のゆくえ』天野彬(書評)

【5月4日 記】 奥律哉、美和晃、森下真理子、天野彬の各氏が登壇したセミナーを聴講したら、お土産にこの本がついてきた。買って読もうかと思っていたのでちょうど良かった。

ちなみに僕はこの4氏を勝手に「電通メディアイノベーションラボの四天王」と呼んでいる。もちろん勝手に呼んでいるのであって、MIL の4トップではないとは思うが(笑)

僕は奥氏とはリアルの交流がある。美和氏と森下氏については何度か講演を聴講しているが、名刺交換したかどうかは定かでない。天野氏とは随分前に名刺交換をしていて、最近では twitter でも交流がある。

僕は天野氏については、まとめるのがとても上手な人という認識をしている。そして、「ググるからタグるへ」と言ったネーミングが非常に巧みな人だ。

この本は学術書ではなく、一般の人が読みやすいように書かれてはいるが、内容としては学術書と全く遜色がないと思う。単に歴史を追っているのではなく、それを常に分析的に展開しているからだ。

そして、その論に説得力があるのは、学者のひたすら観察的な机上の空論めいたものではなく、彼自身が「元若者」として、ブログや twitter などに大いに親しみながら成人し、そのままシームレスに研究の生活に入っているということ、そして、フィールドワークを通じて今の若者(を中心とするユーザ)の生の声を常に聞いているからだと思う。

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Wednesday, April 29, 2020

『猫を棄てる』村上春樹(書評)

【4月29日 記】 僕がこれを読み始めた時に、多分僕と同じことを思った人も決して少なくはないのではないかと思うのだが、とても引っかかったのは、これは小説なのか事実(あるいはノンフィクションと言うべきか、随筆と言うべきか)なのか?ということだ。

登場人物も地名も全て実名のようだ。そして、村上の父親の生い立ちから死に至るまでが、詳細な年代記として記されている。だから、恐らくこれは事実であり、ノンフィクションであるのだが、しかし、極端な言い方をすれば、村上春樹が書いたものは全て小説になるのだ。

村上春樹というフィルタを通ったものを全て小説と捉えるのは決して誤りではないだろう。そして、それは独り村上春樹に限ったことでもないと思う。

副題は「父親について語るとき」だ。「父親について語るときに僕の語ること」ではない。

もちろん『走ることについて語るときに僕の語ること』と同型のタイトルを付けることのほうが不自然であり滑稽であるのだが、その途中でやめたような不完全な“村上語”が、僕には何か村上の心境変化を語っているようにさえ見えてしまう。

父を語るのに猫の話から入り、最後にまた猫の話が出てくる辺りが如何にも村上春樹らしいのだが、そのページの多くを割いて書かれているのは彼の父親の戦争体験である。

多分多くの読者がまっさきに思い出すのが『ねじまき鳥クロニクル』だろう。それまで彼の作品にはなかった戦争の描写が、しかも残忍な描写が現れて、我々は大いに驚いた。僕とほぼ同じペースで村上の長編を読み続けていた妻は、そこから先が読めず、ついに村上を読むのをやめてしまったほどだ。

あの戦争の話は実は村上のお父さんから聞かされたものだというような話は、当時どこかで読んだか誰かから聞かされたように記憶している。

それが、この本で淡々と書かれている。小説的な技巧は必要がない。ただ、淡々と書かれている。

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Monday, April 27, 2020

『遅いインターネット』宇野常寛(書評)

【4月27日 記】 こんなにも頭を使わされる書物を読むのは大学時代以来だ。そこには知的な歓びがある、などと書くと本末転倒であると言われるかもしれないが、そもそもそういう知的好奇心を刺激して“遅いインターネット”に誘うのも著者の狙いのひとつではないか。

とにかくべらぼうな構想の本である。

序章で東京オリンピックと「動員の革命」を語り、第1章では著者の結論の第1である「民主主義を半分諦める」ということをヒントのように提示し、第2章は『アベンジャーズ』で始まり、Ingress と ポケモンGO を経て、仮想現実と拡張現実を語り、ディズニーと Google を対比する。

そして、非日常(+)か日常(ー)かを X軸、他人の物語(+)か自分の物語(ー)かを Y軸として文化を4象限に分け、第三象限の日常×自分の物語がいま、手つかずのフロンティアとして残っている鍵だと語る。

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Tuesday, April 14, 2020

『夏物語』川上未映子(書評)

【4月14日 記】 若い作家が突然現れて今までになかったスタイルで書いた小説が大ブームを巻き起こしたり賞を獲ったりした際に、その作家や作品に対する毀誉褒貶が割れることがある。

古くは村上龍のデビュー作『限りなく透明に近いブルー』(1976年)や池田満寿夫の『エーゲ海に捧ぐ』(1977年)などがその例だろう(もっともその時池田はすでに42歳だったが)。いずれも賞の審査員のひとりが怒って辞めたりしたはずだ。

そういうことがあると僕はとても興味が湧いてとりあえず読んでみる。

読んでみて、「ああ、この人は本物だ」とか「まがい物だ」とか思うのだが、僕が本物だと思った作家は大体その後も本物らしく本物の作品を書き続けている。そうでなかったのは『なんとなくクリスタル』(1980年)の田中康夫くらいのものだ。

結局のところ、川上未映子もそんな作家の一人だったと言って良い。ただし、僕は2007年の芥川賞のときにはすぐに読まなかった。3年後に『ヘヴン』を読んで「あ、本物だった」「もっと早く読めばよかった」と思ったのだ。

ちなみに、同じように「もっと早く読めばよかった」と思ったのは山田詠美だ。

僕はやっぱり文章の巧い作家が好きで(と言うか、「文章が巧くない作家」なんて存在自体が矛盾していると思う。実際にたまにいるけど)、そういう意味で川上未映子も僕の好きな作家のタイプであって不思議ではないのだが、でも『ヘヴン』の後は何も読んでいない。

それが先日とあるイベントで彼女の対談を聴いて、とても共感し、無性に読みたくなったところに飛び込んできたのがこの作品だ。

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Saturday, March 07, 2020

『グッド・バイ』太宰治(書評)

【3月7日 記】 なんでいきなりこんな古臭いものを読んだかと言うと、それは成島出監督の映画『グッドバイ 嘘からはじまる人生喜劇』を観たからで、その映画はケラリーノ・サンドロヴィッチの戯曲『グッドバイ』(2015年初演)を原作としており、その戯曲は太宰治の『グッド・バイ』を原作としていたからで、急にこれが読みたくなった。

太宰治は高校時代にいろいろ読んだから、この短編も読んでいる可能性があるが、何でも忘れてしまう僕のことであるから、読んでいたとしても中身を憶えているはずがない。しかし、映画を観て、この小説は高校生が読んで理解できたとは到底思えないので、どうしてもこれが読みたくなったというわけだ。

と言っても本を買って読んだのではない。僕は映画を見ると必ずパンフレットを求めるのだが、その中にこの小説が全編掲載されていたからである。短い作品だから、パンフレットに全編掲載できたし、短い作品だからあっという間に読めた。

で、最後まで読んで、これが未完の小説であることを初めて知った。そして、サンドロヴィッチの戯曲はこれをかなり膨らませて、と言うか、太宰が書かずに終わったこの先を書いたものであり、もう見事な完成品としか言えないものであることが分かった。

映画を観ているものだから、田島については大泉洋の、キヌ子については小池栄子の顔がどうしても浮かんでくる。とりわけ、舞台でも同じ役を演じていた小池栄子の、ちょっとやりすぎじゃないかと思うほど作った悪声まで脳内に響く。

しかし、原作を読むとこれについては「鴉声」という表記があり、ああ、小池栄子が作ったものではないのだということが分かった。

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Sunday, March 01, 2020

『夏への扉』ロバート・A・ハインライン(書評)

【3月1日 記】 SF小説というものは僕はあまり読まないのだが、その中にあって歴史的名作と言われるこの作品を読んでみようと思ったのは、冒頭の文章がとても素敵だと聞いたからだ。

主人公の「ぼく」はピートという牡猫を飼っている。そして、彼の家には 11のドアと、彼がピート用に板切れで作ってやったドアが一つある。ピートは冬が苦手で、自分用のドアを開けてそこに冬景色が見えると決して外には出なかった。

その代わりにピートは主人公の「ぼく」に人間用のドアを一つずつ開けさせる。

彼は、その人間用のドアの、少なくともどれかひとつが、夏に通じているという固い信念を持っていたのである。

素敵な書き出しだ。この書き出しについて誰かが(多分 JAL の機内誌だったと思うのだが)書いていた文章を読んで、僕は無性に読みたくなった。

この作品の、SF としての道具立ては冷凍睡眠(コールドスリープ)とタイムマシンである。自らが腕の良い技師である主人公は、しかし、他人が作ったこれらの仕組みを通じて、1970年と2000年のアメリカを行ったり来たりする。

1957年に発表されたこの小説が、2000年について書いている未来像があまりに見事で、そのことに驚く向きも多い。確かに、さすがにコンピュータ社会を予見するには至っていないが、今実現しているものとあまり変わらない技術や商品の記述があって、時々驚いてしまう。

だが、僕が一番驚いたのはそこではない。そして、時代を行き来していろんなことを成し遂げるトリックでもない。

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Friday, February 07, 2020

『祝祭と予感』恩田陸(書評)

【2月5日 記】 『蜜蜂と遠雷』の言わばスピンオフ短編集。『祝祭と予感』というタイトルも全6編の最初の『祝祭と掃苔』と最後の『伝説と予感』を組み直したものだが、全ての章が『蜜蜂と遠雷』と同じ『○△と☆□』という構造になっている。

これを読んでいて思い出したのは、語の本来の意味とは少し異なるけれど、「余技」という言葉。そう、これは恩田陸の余技という感じがするのだ。

例えば原作小説を映画化するために設定を膨らませたり、筋をいじったりする作業に似ているのではないだろうか。

映画監督によってはメインの登場人物全員の育った環境や経歴、背景などを細かく規定して役者に渡す人がいると聞くが、ひょっとしたら恩田陸はクランクイン前にこの小説を書いて石川慶監督に渡したのではないかと思うほど。

勝手に原作小説をいじると原作者に怒られることもあるはずだが、何と言っても自分が原作者なのだから、誰にも怒られない。楽しくて仕方がなかったのではないだろうか。そういう感じが僕に「余技」という言葉を想起させたのである。

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Sunday, February 02, 2020

『超ヒマ社会をつくる』中村伊知哉(書評)

【2月2日 記】 僕は中村伊知哉センセの講演を何度も聴いたことがあるし、仕事上若干の繋がりもあり名刺交換もしているが、向こうは憶えているはずがないので気楽に書く。

伊知哉センセの特徴は何と言ってもその胡散臭さである。

京都大学の学生~少年ナイフのプロデュース~郵政省(現・総務省)入省~MITやスタンフォードなど米国の大学に留学~慶應義塾大学の先生~数多くの政府機関や諮問委員会の委員~吉本興業の社外取締役などと、その経歴を見ただけでもかなりのインパクトがあるが、まず目につくのはその容姿、と言うか服装である。

伊知哉センセは常に紋付袴姿なのである。事務所のある赤坂界隈を闊歩するセンセをよく見かけるのだが、これは実はよく見かけているのではなく、半径 50m 以内にセンセがいると絶対に気づくというだけのことだ。

役人時代の写真を見ると、そこでは常に蝶ネクタイを締めていたりする。ともかく目立つのである。

彼のことを「自分が目立つこと、自分のパフォーマンス以外には全く興味がない」と言う人がいる(僕が言っているのではないので、念のため)。いや、本人が目立ちたいのかどうかは知らんが、なんであれ目立つのである。そして、目立つことが明らかに彼の仕事のプラスになっている。

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Friday, January 17, 2020

『[映]アムリタ』野崎まど(書評)

【1月17日 記】 野崎まどの名前をどこで知ったかはっきりした記憶がないのだが、そこそこ前から野崎まどの名前は僕の脳裏に刻まれていた。脚本家としての彼の仕事を初めて体験したのはTVアニメの『正解するカド』で、劇場用アニメ『HELLO WORLD』で完全にノックアウトされた。

でも、彼の小説を読んだことはないと思っていた。それでこのデビュー作にして電撃小説大賞メディアワークス文庫賞受賞作を手にとってみた。

ところがそこではたと気づいたのである。僕は彼の『know』を読んでいた。しかも、Kindle を初めて買った時に最初にダウンロードした記念すべき小説である。

僕の場合は読んだ本でも観た映画でもすぐにほとんど全ての内容を忘れてしまうので、読んだことを憶えていないのは決して珍しいことではない。そのために書評や映画評を書いたりしているようなものだ。

となると、書評が残っていないかと探したのだが、何故だか残っていない。どうしてだろう? 当時は電子書籍で読んだものについては書評を書いていなかったのだろうか? 書評が残っていないと当時自分がこの本のどの部分に何を感じたのかが見当がつかない。

ただ、今まであまり読んだことのなかったジャンルだが面白かったという記憶はかろうじてある。

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