Tuesday, June 11, 2019

我孫子の不思議

【6月11日 記】 多分それぞれの土地にそれぞれの難読地名がある。遠くに引っ越して生活圏が変わったときに、そういう地名に出くわす。

関西から東京に出てきたときに「これは何と読むんだろう?」と思ったのは東急大井町線の「等々力」と「九品仏」ぐらいだろうか(いまだにその辺りには行ったことがないが)。御徒町も難読だが、これは早くからニュースなどで知っていた。

そう、どんなに特殊な読み方をしても、みんなが知っていればそれは難読ではないのだ。

例えば、地名ではないが、「人間」は小学校低学年で習うから何の不思議もなく読んでいるが、これが30歳を過ぎてからある日初めて目にした言葉であったら、ニンゲンと読める人はほとんどいないだろう。

そんな中で驚くのが「我孫子」である。これも知っていたから読める。何故知っていたかと言うと、関東の千葉県の常磐線の我孫子駅を知る前に関西の大阪市営地下鉄御堂筋線のあびこ駅(と、こちらの表記はひらがなではあるが)を知っていたからである。

で、何が不思議って、これをどうしてアビコと読むのか見当もつかないことである。

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Sunday, May 26, 2019

とは言え

【5月25日 記】 最近すごく気になるのは若い人が言う「とは言え」ということばです。 

そもそもは「○○とは言え」と接続助詞的に使う言葉ですが、それを単独で文頭に持ってきます。いや、それは良いのです。昔からある用法ですから。気になるのはそのアクセントです。

全体に平板なんですね。例えば「こめかみ」なんかと同じようなアクセント。我々の世代は「とは」を高く発音していました。 

いろんなことばのアクセントが平板化しているというのは随分前から指摘されていることで、例えば仕事でよく聞く「御社」も昔は「おん」が高い“頭高”アクセントでしたが、最近は「サンマ」みたいな“平板”アクセントで言う若者が多くて、年寄りとしてはこれまた気持ちが悪いんですよね。 

まあ、別にアクセントなんてどうでも良いじゃないか。好きなように発音すれば良い。英語みたいな強弱のアクセントじゃないんで間違えると通じないほどのもんじゃないし。──と言う人もいるかもしれませんが、いや、日本人も意外にアクセントで聞いている(意味を取っている)んですよ。 

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Monday, May 13, 2019

主張する数字

【5月13日 記】 買い物をしたら代金が 2,019円だった。おう、これは令和元年、と言うか、今年ではないか、と思ってしまう。これが 2,020円であったなら東京オリンピックを連想したかもしれない。

しかし、例えば 1980年代には 2020 という数字を見ても、それを年号だと思ったことはなかった。それまでに自分は死んでいるだろうと思っていたわけでもないが、その頃の自分を想像できないくらいの先の話で、だから年号だとは感じなかった。

これも今日まで生きてきた結果なんだなと思う。

我々は生きて行く中でどんどん数字に意味を見出してしまう。例えば 513 という数字を見ると、それは僕が関西で最後の 17年間を過ごしたマンションの号数だ。

あるいは 5月13日を出す人もいるだろう。それはたまたま今この文章を書いている今日の日付だが、僕にとっては 5/13 は特に記憶に残っている日ではないので、513 という数字は直接日付とは結びつかない。

でも3桁の数字や 1231以下の4桁の数字を月日と結びつけるのはよくあることだ。それは誰かの誕生日であったり何かの記念日であったりする。

いや、そんな個人的なものばかりではなく、例えば 1.17 なら阪神淡路大震災だ。9.11 なら NY の同時多発テロだ。そして、3.11 なら東日本大震災だ。

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Friday, April 05, 2019

令和レモンのレ

【4月4日 記】 新元号が発表されるとすぐに「令和の令は命令の令だから良くない。安倍の意図もそこに見え隠れしている」みたいなことを言い出す人が出てきましたが、それはあまりに一面的かな、と思います。

ちなみに僕は自民党支持者ではないし、ましてや安倍首相の信奉者でもないことを最初に断っておきますね。

一つひとつの漢字にはいろんな意味があります。それを「令は命令の令」みたいに限定してしまうのはどうかと思うのです。そんなことを言い始めると「平成の平は平凡の平だから良くない」などとも言えるわけで、そんなことで(固有)名詞が糾弾され始めると収拾がつかなくなります。

例えば「命令の令では感じが悪いから、今日から法令という用語は一切使わず、全部法律と呼びましょう」みたいなことになりませんか?

あるいは、例えば、新元号が令和じゃなくて命和だったらどうでしょう?

「命和の命は命令の命だから良くない」と同じように言う人ももちろんいるかもしれません。しかし、「命」という字からは「命令」よりも「いのち」を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか? つまり、「命和の命は命令の命だから良くない」という人は令和の場合よりは減るのではないでしょうか?

ともに「命令」という熟語の一部であり、ともに同じような意味も持っている漢字でありながら、それくらいの差は出てくるものなのです。

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Saturday, January 19, 2019

驚いた粒

【1月19日 記】 twitter で相次いで以下のようなツイートを見た。

ひとつは高名な政治評論家に宛てたもの:

偉そうに自民党批判しているが、自民党の独裁政権を許したのはあんたたちの世代なんだからあんたたちも同罪だ。あんたに自民党を批判する権利はない。

みたいなつぶやき。もうひとつは誰に向けてのつぶやきかは分からないのだが、

最近の若い奴らはダメだみたいなことを言ってる人がいるけど、その若い人を育てて指導してきたのはあなたたちの世代なんだから、あなたにそんなことを言う資格はない。

みたいなやつ。

これはマズいと思う。この人たちの論理性は一体いつ、何ゆえに、こんなに破綻してしてしまったのだろう?

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Tuesday, December 18, 2018

運は使い切ったか?

【12月18日 記】 僕はあまり大きくない懸賞には割合よく当たる。

PayPay は1回しか使わないうちにキャンペーンが終了してしまったが、それでもその1回だけの購入が全額(と言っても 658円だが)バックになった。

この1ヶ月間に、とあるキャンペーンで Tポイント 1000点が当たり、とあるアンケートに答えて抽選で Amazonポイント 1000点が当たった。

長い人生を振り返ると、最大級の例としては、宝くじで5万円が2回、なんかのキャンペーンで Tポイントが1万点、本を買ったらおまけでついてきた図書くじで図書券 10万円分が当たったことがある。

で、そういうことを言うと、必ず「そんな小さなことで運を使い切っているんだよ」と嬉しそうに言う人がいる。

僕はそれが不思議で仕方がない。いったいどういう精神状態が彼/彼女をしてそんなことを言わしめるのだろう?

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Friday, December 14, 2018

…と思っていて

【12月14日 記】 facebook にこんなことを書いた:

年のせいか、最近聞いてて引っかかる若い人(主にギョーカイ人)の言葉遣い:

    1. 「…と思っていて、」の連続で一向に句点が来ない文章
    2. 「だったりとか」の連発による過剰な婉曲
    3. 平板なアクセント(「山小屋」や「裏山」に近いアクセント)で、接続助詞ではなく接続詞的に使われる(つまり、文頭に来る)「とは言え」
    4. 平板なアクセントでの「弊社」(「閉鎖」や「会社」に近いアクセント)
    5. 自分が課金される側なのに「このサイトに1000円課金してる」などという誤った用法
    6. 終止形が来て句点が付いて文が終わるかと思ったら、何故か引用の格助詞「と」が付く(例えば「それで仕方なくてやってしまいます、と」)

言葉は変わって行くものだという認識は充分に持っているつもりではありますが…。

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Saturday, November 17, 2018

駄洒落

【11月17日 記】 facebook に書いた記事でちょっとことば遊びをしたら「オヤジギャグ」とコメントされた。いや、別にそんなことに腹を立てたり根に持ったりはしないのだが、とても奇異な感じを受ける。

昔やっていたホームページで同じようなことを、2003年の3月に書いているのだが、今はオヤジギャグと言われるものは僕らの小さい頃には単に駄洒落(ダジャレ)と言われていた。

で、今オヤジギャグと言われているものを僕がいつごろから熱心に言い続けている(笑)かと言えば、それは小学校時代からである。小学生が既に言っていたものをオヤジギャグと言われる不思議。

で、その文章の中にも書いたのだけれど、例えば和歌における掛詞や序詞などは全てこの駄洒落の発展したものだと思っている。ああいうのって、見ようによっては単なる洒落ではないか。そして、英語や中国語の詩で韻を踏むのも駄洒落の親戚だと思っている。

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Wednesday, November 14, 2018

ファースト・ネーム

【11月14日 記】 日本人がお互いをファースト・ネームで呼び合わないのは、名前が「姓・名」の順番だからだという説を聞いた。欧米人も日本人もともに姓名の前半部分で呼ぶだけのことで、日本語の名前では姓が言わばファースト・ネームだと言うのである。

それはどうも根拠が乏しいような感じがする。でも、その一方で不思議に説得力もある。

「日本人は名前より苗字が先  → だから先に来ている苗字で呼び合う」という理屈があまりに単純すぎて論理の流れに無理があるのは確かだが、ただ、「名前の成り立ちとして名ではなく姓が先」というのと「名前ではなく苗字で呼び合う」という2つの事柄の間には同じ根っこがあるような気がするのである。

そして、その同じ根っこは中国人や韓国人にもあるような気もするのである。それは、なんか、儒教と言うか、東洋思想と言うか、もっとざっくりと言ってしまうと東アジア人の気質に通じるものがあるような感じがあるのである。

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Thursday, November 01, 2018

Halloween

【11月1日 記】 Halloween の日本語表記にはハロウィンとハロウィーンがある。僕は今までハロウィンを使っていた。

最近知ったのだが、放送局ではハロウィーンを採用するところが多いようだ。英語の発音としては w の後は短母音ではなく長母音であるからハロウィーンが正解だということだろう。それはそれで正しいのだが、ただ、英単語をカタカナに移すときには注意すべきことがある。

以前やっていたホームページでも確か書いたと思うのだが、日本語においては、3音以上の外来語が長音を含む場合、自動的にアクセントがその長音の部分に行きがちなのである。

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