Sunday, August 12, 2018

『ドリーム』(と邦題)

【8月12日 記】 会社の同僚が貸してくれた DVD で『ドリーム』(セオドア・メルフィ監督、2016年、アメリカ合衆国)を観た。

とても面白い良い映画だった。下世話に言うと、黒人差別版「細うで繁盛記」なのだが、これをひとりの物語にせずに互いに友人である3人のストーリーに編み込んだのが正解だと思った。

すでに公開が終わってから長く、いくつか賞も獲って評価の固まった作品なので、こういう場合僕はあまりくだくだと映画評めいたものは書かないのだが、ひとつだけ、タイトルについて書いておきたい。

以前自分のホームページをやっていたときにも、「考えられなかった邦題を考える」「アバウト・ザ・タイトルズ・オブ・ムービーズ」などと題して、近年の邦題の無策とレベルの低さを嘆いたことがあったが、この『ドリーム』がそのとき例に挙げた映画と同じぐらいひどいと言うのではない。

『ドリーム』というタイトルは、原題をカタカナにしただけの芸のないものではなく、フンイキだけでテキトーな日本語を持ってきたものでもなく、ちゃんと映画の中の台詞から拾っているからだ。

だが、原題を知ると少し残念な気分になる。

Continue reading "『ドリーム』(と邦題)"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Tuesday, July 24, 2018

お疲れ様の行方

【7月24日 記】 若い人が「お疲れ様です」を乱用するのは気持ちが悪いというような話は、これまですでに数えられないくらいの人が数えられないくらいのところに書いているし、僕自身も(このブログではなく、すでに閉鎖した)自分のホームページに何度か書いている(ちなみに初めて書いたのは2002年だった)。

やっぱりある年齢以上の世代にとってはとても違和感のある表現なのだ。

昔は「お疲れ様でした」というのはひとつの仕事に区切りがついた時しか使われない表現で、従って、せいぜい一日に一度しか(何日もかかる仕事であれば、その仕事にケリがついた時しか)聞けない台詞だった。

それが今では、下手すると朝イチでかかってきた電話で言われることになる。

しかし、それに対して「バカ野郎、まだ会社に来たばっかりだ。疲れてなんかねえよ」と言っても仕方がない。それは「おはようございます」と言われて、「バカ野郎、俺は今日は7時から会社に来て働いてるんだ。何がお早うだ。ちっとも早くなんかねえ!」と管を巻くようなものである。

使っているうちに元々の字義から離れてしまう言葉はたくさんある。全てが元々の字義でないとおかしい、と言い出すと、僕らの世代でも途端に使えなくなる言葉が山ほどある。

若者たちの「お疲れ様」を観察していると、しかし、彼らもやはり「お疲れ様でした」は一日(あるいはひと仕事)の終わりにしか使っていないのに気がつく。

だから、「お疲れ様でした」の意味は昔とそれほど変わっていないのである。

Continue reading "お疲れ様の行方"

| | Comments (1) | TrackBack (0)

Wednesday, July 04, 2018

辞書を引く

【7月4日 記】 ことばの意味を間違って憶えて使っていた、というようなことは多かれ少なかれ誰でもあるだろう。

そして、正しい意味を知ったときに、「そうだったのか。じゃあ、これからは正しい意味で使おう」と素直に思えるものと、「えー、その言葉そんな意味で使うのか」と納得が行かないものがある。

例えば「あざとい」は辞書を引くと「あくどい」という意味が出てくる。でも、この言葉は「こざかしい」という意味で使う人のほうが多いのではないか? あるいは「わざとらしい」という意味で使っている人もいる。

でも、「あざとい」の意味として、「あくどい」は大抵の辞書が載せているが、「こざかしい」はまれに載せていない辞書がある。そして、「わざとらしい」と説明している辞書は、少なくとも僕は見たことがない。

僕は初めて辞書を引いたときに、「んー、『あくどい』はなんか違う」と釈然としない気持ちになった。

Continue reading "辞書を引く"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Sunday, June 24, 2018

ミレナの鐘

【6月24日 記】 東京に出てみると、全国共通の言葉だと思っていたものが実は方言だったというようなことは結構ある。しかし、逆に方言だと思っていた言葉が実はそうではなかったというようなことはないだろうか?

方言でなければそれは何かと言うと、それはある地方でしか通じない言葉である方言ではなく、我が家でしか通じない妙な言葉である。

小さい頃、母方の祖母が隣に住んでいた。祖母は徳島出身である。だから、よく徳島弁(阿波弁)の語彙を持ち出した。

でも、僕が徳島弁だと思っていたものが実はそうではなく、ひょっとしたら世界中で祖母だけが使う独特の表現であったかもしれないと気がついたのである。言うならば「うちのおばあちゃん語」。

例を示そう:

  1. あくちが切れた
  2. あほらし屋の鐘が鳴る
  3. あんずあんずする
  4. うちゃもういやいや
  5. ええ年かきもそげて
  6. えくそいき
  7. 風邪はゴキの風邪
  8. ミレナの鐘の音

Continue reading "ミレナの鐘"

| | Comments (1) | TrackBack (0)

Sunday, June 03, 2018

【6月3日 記】 「神対応」ということばが気持ち悪い。

そもそもここ10年くらいの間に「神」が随分安売りされるようになった気がする。家出少女が自分を泊めてくれる男が現れるのを待つことを「神待ち」と言ったりするのもそれ。「神ってる」という動詞もそれ。

ただし、物事を誇張する際に神が持ち出される、神になぞらえられるのは昔からあったことではある。

例えば「神業」。でも、これは軽々しくは使われなかった。とてもじゃないが人間にはできそうにないような“わざ”に触れて驚嘆したときに思わず口をついて出てくることばだった。

例えば「神の手」。これは指圧などの施術師や考古学の発掘調査をしている人などへの賛辞だが、決してその人たち自身が神だとは言っていない。あくまで手だけが神で、頭や体の他の部分は人間なのである。人間が人間の手で信じられないようなことをするので、手だけは神なのではないかと言ったのである。

例えば「神通力」。これもその力を発揮した人が神だと言うのではない。人間なのにまるで神に通じるような力なのである。

じゃあ、「神対応」という表現は対応した人間のことを神だと言っているのかと言うと、必ずしもそうではないかもしれない。単に「神のような対応だ」と言うにすぎない。ただ、軽々しすぎる、安すぎるという印象はある。

仮にも相手は神だぞ。

Continue reading "神"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Monday, May 28, 2018

「アメフット」考

【5月28日 記】 日本大学のアメリカン・フットボール部の事件が世間を騒がせているが、この問題をテキスト・メディアが報じるに際して、「アメリカン・フットボール」の2つの略し方を目にする。

「アメフト」と「アメフット」

そして、僕の周りの少なからぬ人が「アメフット」は気持ち悪いと言う(もっともある年代以上の人だけかもしれないが)。

ホームページをやっていたときに何度も書いたことだけれど、それは日本語において多くの略語が「前半後半から2文字ずつ4文字」あるいは「前半後半から2音ずつ4音」という原則に従っているからだ。

ただし、音を基準にする場合、二重母音や長音、撥音、促音などは全て2音と数える。アメフットは5文字5音だから気持ち悪いのだ。

もちろん、古くはベア(ベース・アップ)とかモガ(モダン・ガール)みたいに前後半から1文字ずつ、あるいは1音ずつ持ってきて構成された略語もある。

しかし、かなり以前から2+2形式は主流である。

泥縄とか学割とか──それって「2文字」とか「2音」とか言うよりもむしろ「漢字1文字ずつ」じゃないかと言われるかもしれないが、そうではない。たまたま漢字の切れ目が2文字、2音であったというだけのことである。

鰻丼(うなぎどんぶり)をうなどん、「モーニング娘。」をモームスと略すように、漢字の読みがどこで切れるのかはあまり関係がない。

モームスの例からも分かるように、この略し方は固有名詞にも使われる。無声映画時代のスター阪東妻三郎がバンツマ、木村拓哉がキムタクと略されるのもこの例である。

Continue reading "「アメフット」考"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Tuesday, May 22, 2018

音頭

【5月22日 記】 深夜ドラマの『やれたかも委員会』が好きだ。ものすごくデトックスになる。で、このエンディングで流れているのが shiori によるカバー『君のひとみは10000ボルト』だ。

この曲、1978年に堀内孝雄が発表したときから思っているのだが、リズムとの兼ね合いを考えると区切れがおかしいのだ。

つまり「きみの・ひとみは・いちまん・ボルト」ではなく「きみのひ・とみはい・ちまんぼ・ると」になっているのである。

特に「き」から「い」までは同じ高さの音なので、メロディラインでアクセントをつけることができない。そうするとどうしても強拍・弱拍でことばが区切れてしまうのだ。

こんな風に切れ目のおかしい歌は時々あるのであって、僕が昔大いに気になったのはイルカの『なごり雪』である。

こちらは「なごり雪も 降る時を知り」とは聞こえずに、「なごり雪も 降る時 お尻」と聞こえてしまう。みんなあんまり気にしていないかもしれないが…(笑)

Continue reading "音頭"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Saturday, May 19, 2018

Stars and Stripes から

【5月19日 記】  多分あまり共感してもらえないだろうけれど(笑)、なんか電撃的に分かったような気になったので書きます。

アメリカの国旗のことを星条旗と言います。英語で言うと the Stars and Stripes です。ちなみに、日本人は頭韻というものに気づかずに通り過ごしがちですが、この表現は S で韻を踏んでいます。

で、stars が「星」ですから、引き算すると stripes が「条」ということになります。そこで私は、

そうか、「条」はストライプなのか!

と大いに納得したのでした。

Continue reading "Stars and Stripes から"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Tuesday, May 08, 2018

難読と常識とオイラーの等式

【5月8日 記】  時々変なことが気になり始める。今まで何も思っていたなかったのに、急に引っかかり始めるのだ。

最近で言うと、例えば英語の第一人称の代名詞の主格はどうして I と大文字で記すのだろう、というようなこと。

これは、以前やっていたホームページの「ことばのエッセイ」シリーズの中で、僕が繰り返し述べてきたことなのだが、幼少の砌に、あるいは何か物事を習い始めた最初の頃に教えられたことは違和感なく受け入れてしまうのである。

例えば、「人間」を「にんげん」と読ませるのは、これは本来かなりの難読の例のはずだ。でも、小学校に入って割合すぐの頃にこれを習うので、これは「にんげん」と憶えてしまって違和感がない。

「長谷川」を「はせがわ」と読むのも、辞書の巻末付録の難読漢字のコーナーに記載されていて何ら不思議はないが、大体小さい頃にどこかで長谷川さんなり長谷川くんに出会ってしまっているので、それ以降はそういうものとして捉えているのだ。

かくして、それらは「難読」ではなく「常識」となるのである。

Continue reading "難読と常識とオイラーの等式"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Saturday, April 28, 2018

さとみの変貌

【4月28日 記】 2007年4月に、当時やっていた自分のホームページに『さとみ』という文章を書きました。石原さとみではありません。形容詞や形容動詞につく接尾語「さ」と「み」の比較について書いたものです。

まずは、やや長くなりますが、この文章に少し手を入れてここに再掲したいと思います。

********** 以下再掲

さとみ

私が加入しているメーリングリストにこんな投稿がありました。

「厚い」→「厚さ/厚み」っていうふうに、形容詞から「さ」と「み」の2種類の名詞ができるんだけれど、「速い」→「速さ/速み」とはならない。

  • できるのは「甘い」「苦い」「暖かい」「高い」?
  • できないのは「薄い」「低い」

何故できるものとできないものがあるのでしょうか?

それに対して私は以下の趣旨でコメントしました。私が投稿する前に「み」=「味」なんだろうかという疑問が出されたり、さらに「『高み』なんて言葉あるか?」という指摘もあったりしたので、その辺も踏まえたコメントになっています。


「み」は形容詞・形容動詞の語幹に付きます。

「味」は多分当て字でしょう。ただし、辞書によると「甘味」「苦味」「人間味」などは味や趣きを表す言葉なので、この場合は「味」を使うのが正解なのだそうです。そういう意味では「+み」と「+味」は分けて考える必要があるのかもしれません。

じゃあ「新鮮み」とか「真剣み」とか「面白み」などの場合は「み」なのか「味」なのか、この辺りは大変判別がつきにくいですね。私にもよく判りません。

その他にも、まず区別しなければならないのは、「厚み」の「み」と「高み」の「み」は違うということ。後者は「…な所」という意味です。

「弱み」は弱いところ=弱点、「高み」であれば高いところ、「深み(にはまる)」であれば深いところという意味で(ただし、「深みがある」という表現の場合は別。これは後述)、これを「さ」と比較するのは無理があるので、一旦ここでは除外します。

あと古語では「~を…み」で「~が…なので」という意味を表す用法があります。崇徳院の有名な歌に「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」(川の瀬の流れが早いので…)というのがありますが、もちろんこれは別の用法ですので、これもここでは除外します。

さて、その上で両者を比較すると、「+さ」があくまで客観的な判断基準であるのに対して、「+み」は非常に主観的な表現であると言えます。

  • 「+さ」=客観的
  • 「+み」=主観的

「親しさ」と「親しみ」を比べてみればよく解ると思います。

だから主観的・感情的な要素が入る余地が大きい形容詞・形容動詞には「+み」が成立しやすいとも言えます。

速さには大体基準があって、自動車なら時速 20km は速くないですし、人間が 100m を 10秒台で走ると速いと思うはずです。それに対して、どれくらいなら厚いと感じるかは、それが何であったとしても、場合によって人によってかなり感じ方が違って、それほどはっきりとは定まらないのではないでしょうか。

そういうわけで「速み」は成立しにくいが「厚み」は成立しやすいと言えます。

あるいは、「親しさ」は「どのくらい親しいかの程度」、「親しみ」は「親しく思う気持ち」と言い換えたらもっと解りやすいのかもしれません。

  • 「+さ」=程度、説明
  • 「+み」=気持ち、思い入れ

ただし、「親しみ」の場合は形容詞「親しい」の語幹+「み」ではなくて動詞「親しむ」の連用形が転じて名詞になったものという解釈も成り立ちます。ちょうど動詞「悲しむ」から名詞「悲しみ」ができるようなものですね。

いや、逆に「悲しみ」は「悲しい」の語幹+「み」であるという解釈も成り立つのであって、正直言って私のような素人には判別がつきません。専門の学者はどういう解釈をしているのか訊いてみたいものです。

話は戻りますが、主観的・感情的というところから転じて「+み」は抽象的な、計測不能なものに対しても使えます。

  • 「+さ」=具体的、計測可能
  • 「+み」=抽象的、計測不能

「暖かさ」と「暖かみ」を比べてみてください。

暖かさは摂氏何度という形で測ることができますが暖かみを測る尺度はありません。「深みがある」というのもこの類です。

大体以上が私の解釈ですが、そもそも穴だらけの説明ですし、いずれにしても言葉というものは必ずしもルールに従わないもので、しかもそのルールは時代とともに変化して行きます。

でも、そこが言葉の面白さだと思います。言葉がそういうものであってこそ、面白みがあるというものです。

上で述べたような牽強付会な説明を試みるより、大雑把に感覚的に把握しておくのが良いのではないかと思います。

ところで「茂み」の「み」って何でしょう? 元が形容詞でもなければ、マ行五段活用の動詞でもないですもんね。「茂り」→「茂み」なんでしょうか?
これは私にも全く解りません。


【追記】ある人が「茂み」についてネット上に書いているのを見つけました。

その人は「み」を場所を表す接尾語と捉え、「深み」も「弱み」も「茂み」も全部一緒に「…な所」という説明をしていました。うーん、どうでしょう?

上にも書きましたが、「深い」「弱い」が形容詞であるのに対して、「茂る」は動詞です。ひとまとめにするには少し無理があるように思います。

他に動詞の例があるかな?と考えたら、すぐに「窪み」を思い出すのですが、これはマ行五段活用の動詞「窪む」の連用形を名詞に転用したものであり、非常に一般的な用法です。ところが「茂る」が「茂り」ではなく「茂み」になるところが不思議だと思うのです。

ただ、いずれにしても、意味は「(草木が)茂った所」です。「深み」=「深い所」と同じような意味の構造です。成り立ちが違うのに同じような意味の構造であるところがなんだか気持ちが悪いのですが(笑)

********** 以上再掲

さて、気がついたら主にネット上に若者言葉として新しい使い方の「さ」と「み」が出てきていました。例えば「分かりみ」。

Continue reading "さとみの変貌"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

その他のカテゴリー

iPhone | おすすめサイト | ことば | アニメ・コミック | ウェブログ・ココログ関連 | ギャンブル | グルメ・クッキング | ゲーム | サイト更新情報 | スポーツ | ニュース | パソコン・インターネット | ファッション・アクセサリ | プレイログ | ペット | 今日のBGM | 仕事 | 住まい・インテリア | 学問・資格 | 心と体 | 心に移りゆくよしなし事 | 恋愛 | 携帯・デジカメ | 文化・芸術 | 文学・歴史 | 旅行・地域 | 日記・コラム・つぶやき | 映画・テレビ考 | 映画・テレビ評(05) | 映画・テレビ評(06) | 映画・テレビ評(07) | 映画・テレビ評(08) | 映画・テレビ評(09) | 映画・テレビ評(10) | 映画・テレビ評(11) | 映画・テレビ評(12) | 映画・テレビ評(13) | 映画・テレビ評(14) | 映画・テレビ評(15) | 映画・テレビ評(16) | 映画・テレビ評(17) | 映画・テレビ評(18) | 書籍・雑誌 | 書評 | 書評(02) | 書評(03) | 書評(04) | 書評(05) | 書評(06) | 書評(07) | 書評(08) | 書評(09) | 書評(10) | 書評(11) | 書評(12) | 書評(13) | 書評(14) | 書評(15) | 書評(16) | 書評(17) | 書評(18) | 経済・政治・国際 | 美容・コスメ | 育児 | 舞台 | 芸能・アイドル | 趣味 | 関西・関西人 | 音楽