映画『フロントライン』
この映画の情報に触れて最初に思ったのは、へえ、関根光才監督ってこんな映画も撮るんだ!ということだった。
元々は広告映像の作家で、僕が最初に観たのは、オムニバス映画『BUNGO ~ささやかな欲望~ 告白する紳士たち』(2012年)の3作のうちの最初の短編『鮨』だった。もう何も憶えていないが、自分の映画評には「良い画が撮れている」と書いている。
次に観たのは本谷有希子の原作を映画化した『生きてるだけで、愛』(2018年)で、趣里の全裸以外はあまり評判にもならなかったが、このとんでもない女主人公を演じた趣里についても映画についても、僕は高く評価していた。冒頭から趣里が爆走するシーンが強烈で、ここでも僕は「<画は本当にきれいだ」と書いている。
その次が目も眩まんばかりに幻想的な IMAXショートフィルムの『TRANSPHERE』(2019年)。これはまさにアートだった。
そして、一番最近見たのが『かくしごと』(2024年)だった。
東京から実家に帰って認知症の父・孝蔵(奥田瑛二)の面倒を見ることにした娘・千紗子 (杏)と、恐らく虐待を受けている見ず知らずの男の子を育てることにした千紗子、という2つの親子関係の二重構造を描いており、ここでも僕は「映像はやはりとても美しい」と書いている。
今回は一変してかなり硬派な社会ネタである。新型コロナウィルスが日本で最初に確認されたダイヤモンド・プリンセス号を扱っている。
残念なことに概ね船内と港と対策本部が舞台で、これまでのように映像美を打ち出すのに向いた場面構成ではない。だが、役者たちの好演もあって、力のある映像になっていると思った。
空撮をふんだんに取り入れ、時には甲板や屋上のシーンも入れ、人物の周りをカメラがぐるぐる回るなどの小細工も含めて、画に変化をつけていた。
僕は映画が事実に基づいているという宣伝文句には全く惹かれない。だが、コロナ禍もひとまず治まり、そろそろ誰かがあの時のことを描いても良い時期、いや、誰かが描いておくべき時期に来ているんだろうなと思っている。
それができるだけ事実に忠実であろうとして作られたものであろうが、概ね事実に基づいてはいるが映画として成立させるためにアレンジしたり、時には盛ったりしたものであろうが、あるいは当時の設定や状況だけを借りて新たに構築された完全なフィクションであろうが、そんなことはどうでも良い。
大切なのは、あのダイヤモンド・プリンセス号のような、誰も予期していなかった大惨事に直面すると、多くの人がまともでない(つまりは、ヒステリック、短絡的、表層的、あるいは NIMBY 的な)判断をしてしまうのだということを描いておくことである。
問題なのは、その判断が結果として正しかったか間違っていたかということではない。まともな思考の経路を経てまともな判断ができていたかどうかということである。
そして、パニック状態では多くの人がまともでない判断をしてしまい、ごく少数のまともな判断ができた人たちも時として彼らに押し流されてしまうということである。
そういう意味で、この映画は本当によく描けていた。まともな判断とは何なのかということにまともに向き合って、まともに描ききっていた。
主人公で DMAT の責任者であり、自分たちの仲間をウィルスが蔓延した船内に送り込み、自分は全体指揮のためにヘッドクオーターに残った医師の結城(小栗旬)。
DMAT の No.2 であり、結城の良き相棒でもあり、船内で指揮を執った仙道(窪塚洋介)。
もう最初のシーンから優秀な官僚であることは明らかなのだが、ものの言い方からしていちいち癇に障る厚労省の立松(松坂桃李)。
そして、救急医であり、妻と娘を家に残して乗船し、時には仙道らに熱い想いをぶつけながら奮闘する真田(池松壮亮)。
── この4人が四者四様に素晴らしかった。とりわけ窪塚洋介は助演男優賞モノだと思った。この仙道役はなんと小栗旬からのオファーだった(しかも、これまで小栗からのいろんなオファーを断り続けて、今回始めて受けた)のだそうだ。
何度も悩み、苦しみながら、それでも常に人としてまっとうな判断をしようとする結城。
どこまでも沈着冷静で、クールで合理的で、いきり立つ結城をすかしたりたしなめたり、時には怒鳴り散らしてみせもする仙道。
「DMAT は感染症の専門家ではない」と言って派遣を渋る結城に、「誰かに行ってもらうしかないんですよ」と理屈で迫って翻意させ、しかし、人にただ押しつけるだけではなく自分も省内外に類まれな交渉力を発揮して、次々といろんなことをまとめて来る立松。
そして、常に落ち着いていて、誰に対しても優しさを見せ、同僚たちに尊敬と感謝の念を失わない真田。
そういう人物の描き分けをしながらぐいぐいストーリーを引っ張って行く。
そこに船のクルーである羽鳥(森七菜)、テレビ局のディレクター上野(桜井ユキ)、息子と2人で乗船していた河村(美村里江)、大勢の患者を受け入れた名古屋の病院長・宮田(滝藤賢一)ら、多くの登場人物を絡めた群像劇になっている。とてもよく書けた脚本だと思う。
脚本は「企画」と「プロデュース」を兼ねた増本淳で、この人は元フジテレビらしい。
メインの筋運びだけではなく、例えば渡した缶コーヒーを真田ががぶ飲みするのを見て緊張が緩んで笑ってしまう宮田とか、無事に家に帰った夫を見て抱きついてくる妻に最初一歩だけ後ずさってしまった真田とか、そういう細かい演出が見事に効いている。
誰かが一つの難しい判断をするシーンでは、どのシーンでも、そこに必然的に現れる躊躇や葛藤、不安などを描くことを忘れず、血の通った人間が描かれており、非常にリアルな演出であった。
その一方で、現実にはほとんどずっとマスクしっぱなしだった DMAT隊員の顔を見せるために、わざと船内ではマスクを外した映像を撮ったことを、映画の最後に註釈として出していた。
そう、何もかもが事実通りである必要などないのだ。ただ伝えるべきことを伝えれば良い。
そろそろ誰かがこういう映画を撮るタイミングに来ていたのだ。そして、この映画はその役割を十二分に果たしたと言えるのではないだろうか。力作である。エンタテインメントとしても非常に面白かった。
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