『楽しい音の鳴るほうへ』和田博巳(書評)
【6月2日 記】 和田博巳と言えば僕にとってははちみつぱいのベーシストであって、その他の彼のキャリアについては何も知らなかった。
この本の中で彼は自分のベースを下手だ下手だと言っているが、僕は全く下手だとは思っていなかった(まあ、よっぽど下手なら別だが、そうでなければ僕にそもそもベーシストの巧拙なんか分からないのも確かだが)。
はちみつぱいは(随分後にライブ・アルバムも何枚か発売されたりはしたが)アルバムを1枚だけ出して解散したバンドだから、僕が彼の演奏を聴けたのは『センチメンタル通り』に収められた9曲(復刻版CD のボーナス・トラックを含めても 11曲)だけなのだが、そのいずれの演奏においても僕は彼のベースの音運びが確かに好きだった。
はちみつぱいが解散すると、少なからぬメンバーがムーンライダーズのメンバーとなったわけだが、それ以外の人たちもいろんな新しいバンドのメンバーとなったり、スタジオ・ミュージシャン/バック・ミュージシャンとしていろんなアルバムで名前を見かけたりする中で、和田博巳だけは全く名前が見つからず、この人はどうしたのかな?音楽をやめちゃったんだろうか?などと怪訝に思っていた。
しかし、しばらくするとプロデューサーとして彼の名前を見つけて、ああ、まだこの人は音楽界隈にいたんだと思ったりもした。
しかし、この本を読むまで、最初はロック喫茶の店主であり、最近ではオーディオ評論家として活躍しているなんてことは全く知らなかった。
北海道の山奥で育った彼は、東京の大学を受験すべく東京に出てきた。
しかし、受験に失敗して大学に行く気がなくなり(と言うか、予備校に通い始めてすぐに進学する気がなくなっていた)、ジャズ喫茶に通い、やがてそこでアルバイトの職を得て、そしてある時、父親に資金援助を請うてジャズ喫茶のオーナーとなり、しかしすぐにジャズ喫茶では食えないと思ってロック喫茶に転じたら、それが時代の趨勢と合致して結構流行り、梁山泊よろしくそこにいろいろなミュージシャンや音楽関係者が集まり、そして、彼がいつしかプロのミュージシャンとなって行く姿がビビッドに、そしてあっけらかんと書かれている。
副題にあるように、ここで主に描かれているのは 1967年から 75年、和田は 1948年生まれだから、彼が 19歳から 27歳までの時代である。
じゃあ、どうやって彼がはちみつぱいのメンバーになったかと言えば、発端は岡林信康のレコーディングに参加して鈴木慶一と知り合ったことだったと言うが、岡林のレコーディングに呼ばれるほどの名ギタリストであったかと言えば全くそんなことはなく、彼のロック喫茶の常連だった田川律になんとなく誘われて参加してしまったわけで、「僕は懸命に、慶一くんはいとも簡単にギターを弾いた」と書いている。
で、彼のミュージシャンとしての経歴はほとんどその時だけだったのであるが、その後どういう経緯ではちみつぱいに加入することになったかと言うと、中津川フォークジャンボリーではちみつぱいの『こうもりの飛ぶ頃』を聴いて、観客の拍手はほとんどなかったにもかかわらず、彼は心酔してしまったからだと言う。
そして、そこからがこの人のすごいところだと思うのだが、人の好い鈴木慶一に「はちみつぱいに入れてくれ」と頼むのである。
当時のはちみつぱいは渡辺勝、鈴木慶一、本多信介の3ギタリストというとんでもない編成で、慶一に「もうギタリストは要らない。ベースかドラムだな」と言われ、ドラムはとても無理そうに思えたのでヤマハにベースを買いに行ったと言う。
これがこの人の生き方なのである(笑)
解散後は北海道に戻って喫茶店の店主となり、また上京してマネージャーやプロデューサーとして細野晴臣やあがた森魚、オリジナル・ラヴらを手掛け、また北海道に戻りバーを開店し、時にはベーシストとしてステージにも上がり、最後にオーディオ評論家となったのだそうである。
めちゃくちゃ行き当たりばったりなのだが、羨ましいくらい豊かな人生を送っている。
僕はここには主にミュージシャンとしての彼の経歴について書いたが、この本で書かれている彼の浪人時代や喫茶店主時代の彼の生活や、時代のムードと音楽の傾向などについての記述もめちゃくちゃ面白い。
あの時代の音楽を一緒に聴いてきた人、とりわけ僕がこの文章で挙げた固有名詞を一人残らず知っている人には、とても楽しめる、ワクワクするような自伝である。
渡辺勝も橿渕哲郎も岡田徹もすでに故人となっている。久しぶりにはちみつぱいが聴きたくなって CDラックを見てみたら、和田博巳も参加した 2016年の“再結集”ライブ・アルバムを買ったっきり、封も切らないままであることに気づいた。
この時すでに橿渕は亡くなっていたが、息子の太久麿と夏秋文尚が参加しており、なんと渡辺勝も駒沢裕城もいる(この2人が同時に所属していたことはない)。そしてゲストはあがた森魚だ。
心して聴いてみたい。
Comments