アイドル歌謡曲
【6月8日 記】 『ひとりっ子甘えっ子』という歌があった。筒美京平による 1973年の名曲で僕はめちゃくちゃ好きなのだが、オリジナルでは二度と聴きたくない。何故なら歌っていたのが浅田美代子だったからだ。
浅田美代子の歌をリアルタイムで聴いてきた人だったら皆同じように思うのではないかと思う。浅田美代子自身は「音楽の成績は5だった」と言っているが、少なくとも彼女が出したレコードについて言えば、どれもこれも、誰がどう聞いても聞くに耐えないぐらい下手だったから(ちなみに女優・浅田美代子は好きである)。
誰か巧い歌手がカバーしてくれないかな、そうしたら音源を入手するのに、と思う。
これは彼女のセカンド・シングルだが、同じく筒美京平が作曲して大ヒットした彼女のデビュー・シングル『赤い風船』(1973年)も名曲で、こちらは数多くの歌手がカバーしている。
とりわけ僕は the Indigo によるカバーが好きで(そもそも the Indigo というグループを高く評価しているからでもあるのだが)、音源も手に入れている。
こんな風に昔の名曲が、良いアレンジ、巧い歌唱でどんどんカバーされれば良いのになと思う。
考えてみれば、アイドル全盛のあの頃、せっかくの良い曲を下手なアイドルが歌って台無しにした例は枚挙に暇がない。
小林麻美の『初恋のメロディ』(1972年)しかり、風吹ジュンの『愛がはじまる時』(1974年)なんかもそう(ちなみに、女優としての風吹ジュンは昔から今に至るまで変わらず大好きなのだが)。
あの頃は新人タレントがドラマなどで人気が出ると即レコードを出すというのが定番だった。そういうレコードが軒並みヒットしたからだ。
例えば『時間ですよ』や『寺内貫太郎一家』にアイドル的な立ち位置で出ていた新人女優たちは皆順番に歌手デビューさせられていた。西真澄、浅田美代子、谷口世津、天地真理、いけだももこ…。
ちなみに浅田美代子の『ひとりっ子甘えっ子』や『わたしの宵待草』を作詞した小谷夏は『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『ムー』などのプロデューサー久世光彦の変名である。同じ流れで堺正章の『涙から明日へ』や天地真理の『ひとりじゃないの』なども作詞している。
そう言えば『ムー』でデビューした岸本加世子もなんか歌を出していたなあ。あと大竹しのぶなんかも歌っていた。2人とも(そこに風吹ジュンを加えて3人ともと言っても良いが)今では押しも押されもせぬ大女優だが、みんなそういう流れで歌わされていたのである。
ああ、なんという時代だったのだろう。誰が歌ったかにかかわらず、良い曲はちゃんと歌い継がれて残って行けば良いのだが。
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