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Saturday, June 28, 2025

映画『でっちあげ 殺人教師と呼ばれた男 』

【6月28日 記】  映画『でっちあげ 殺人教師と呼ばれた男』を観てきた。

僕は三池崇史のことを割合当たり外れの多い監督だと思っている。当たり外れというのは興行成績のことではなく、僕から見た映画の出来のことだ。まあ、単に僕好みかどうかというだけのことかもしれないが…。

で、何故この映画を観に行ったかと言うと、それは多分これは当たりだろうと踏んだからだ。だって、タイトルからしてヤバそうではないか。

今までにも何度か書いてきたが、僕は映画が事実に基づいているということには全く惹かれない。事実に基づいていると知ったら急に見たくなるようなことはまずないし、事実に基づいていると思って観たら感動が増すようなこともない。

でも、この映画の場合は、内容が美談ではないだけに意味があると思う。

わざわざ「この映画は事実に基づいている」と表示することによって、「この映画は世間を騒がすことが多いトピックに乗っかった単なるフィクションじゃないぞ。現実に似たようなことがあったんだぞ」と警告することになるからである(ただし、あくまで「似たようなこと」でしかないという認識は堅持する必要があるが)。

教師による体罰や虐待は時々ニュースのネタになって、大体において読者/視聴者はそんな教師に対して憤怒の炎を燃やす。だが、このタイトルはそれを「でっちあげだ!」と頭ごなしに否定して、ニュースの送り手と受け手の感情を逆撫でするのである。

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Friday, June 27, 2025

映画『ヴァージン・パンク CLOCKWORK GIRL』

【6月27日 記】  映画『ヴァージン・パンク CLOCKWORK GIRL』を観てきた。

いつもはパンフレットを買うのだが、4,000円もしたので買わなかった。

ロビーで待っていると、前の上映回が終わってどっと出てきた観客たちが一斉に売店に並び始めた。パンフレットやさまざまなノベルティを買うためである。

こういう光景に出くわすのは久しぶりだ。12年前の『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ』のときに、やはりグッズを求める観客のぎっしり詰まった列で床がほとんど見えなかったのを思い出した。

僕は年の割にはアニメを観ているほうだとは思うが、さりとて決してアニメに詳しいわけではない。でも、『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ』前後編 + 新編を観ているので、シャフトというアニメ制作会社と梅津泰臣というアニメータの名前には記憶があった。

この『ヴァージン・パンク』はその両者の原作によるアニメで、梅津がキャラクター・デザインと監督を務め、シャフトがアニメーション制作を担当している。

僕がアニメを選ぶ上で決定的な要素としているのが絵柄である。

絵柄と言っても、単にキャラクターの顔貌だけではない。もちろん第一にはキャラクターの顔、表情。そして、背景の描き方。人物と背景がどう動くのか。構図、奥行きの深さ、色彩、陰影…。全ての組合せを見て、観るかどうかを決めている。

画力が高いかどうか、描写が巧いかどうかだけではない。そこに観る人の好みが入ってくる。僕が『鬼滅の刃』を観る気にならないのは、あの絵柄がどうしても嫌いだからだ。

さて、この作品の絵柄はどうかと言うと、最初に予告編を見たときにまさに魅せられてしまった。

今日見ると、顔、及び表情はあまり写実的でなく、つまり人間っぽくなくて、そこがちょっと不満だったけれど、それは多分意図的にそういう描き方をしたのだろうと思う。

CM と予告編を含めても上映時間は 45分にしかならない短編である。シリーズの冒頭部分を描いた作品で、恐らくこの続きはどこかで OA されるか配信されるかするのだろう。

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Wednesday, June 25, 2025

映画『リライト』

【6月25日 記】  映画『リライト』を観てきた。

松居大悟監督はそんなにたくさん観ているわけではない(これまでに観たのは5本)が、好きな監督である。今回はそれに加えて、ヨーロッパ企画の上田誠の脚本という組合せにも強く惹かれた。

いや、上田誠こそもっと観ていないのであるが、映画で観た『サマータイムマシン・ブルース』や『四畳半タイムマシンブルース』のあのトリッキーなタイムトラベルの設定がものすごく印象に残っていて、今回の『リライト』もタイムリープものと言うか、タイムループものと言うか(おっと、危ないw)だから、きっと面白いだろうと踏んだのである。

しかし、僕はてっきり上田誠のオリジナルだと思っていたのだが、法条遥による原作小説があって、「SF史上最悪のパラドックス」と言われて評判になり、それを読んだ上田誠が「これを映画化したい。松居大悟監督で」と思ったのだそうだ。

原作からしてそうだったのかどうかは知らないが、物語の舞台が尾道で、ラベンダーの香りがしたり、尾美としのりや石田ひかりが出ているなど、これはもう明らかに大林宣彦監督の ”尾道三部作” へのオマージュたっぷりな作品である。

テーマ的にもしっかりと繋がっているし、起伏に富んだ細い山道、港の堤防、ケーブルカーなど、尾道ならではの映像的な美しさも大林作品と通じるものがある。

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Tuesday, June 24, 2025

HTML の基礎を学んでおいて良かったと思う件

【6月24日 記】 このブログを始める4年前に開いた自分のホームページを、僕は完全手書きしていた。

結局手書きHTML ではどうしても追いつかなくなって 2018年に閉鎖したのだけれど、でも、一応 HTML の基礎知識は頭の中に残っていて、それはそれで良かったなあと思っている。

それはどういうことかと言えば、例えば、このブログで昨日書いたような、一部の文字の色を変えたり下線を引いたりした文章だと、放っておくと cocolog はグチャグチャな HTML を書いてしまうことがあるので、自分で手直ししたほうが良いということだ。

いや、必ずそうなるというわけではない。一度の下書きで記事が完成したのであればそれほど変なことにはならないのだが、「色を変えたり下線を引いたりする範囲」を何度か変更したりしていると、そのうちにゴチャゴチャしてくるのだ。

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Monday, June 23, 2025

HTML以外での上付き文字と下付き文字の書き方

【6月23日 記】  先日、上付き文字と下付き文字の PC での書き方を知って、これは憶えておこうと思ったのだが、どこで読んだのかも、どうやるんだったかも完璧に忘れてしまって、仕方なく検索して調べ直してこの文章を書いている。

みんなにも教えてあげようというよりも、むしろ自分用の備忘録として書いている。

上付き文字というのは例えば y = x3 + 4x2 みたいな数式で使われる乗数を表したりするものである。数式以外でも、昔キョンキョンと呼ばれていたアイドル時代の小泉今日子は Kyon2 という表記を使っていた。

下付き文字は H2OCH3COOH みたいな化学式などで原子の数を表したりするものである。

HTML の場合は <sup> と  <sub> というタグを使えば良い(この文章ではまさに HTML でそうやって書いている)のだが、これを例えば Microsoft Word で書こうとするとどうして良いのか僕は知らなかった。

ネットで調べると、

上付き文字も下付き文字も、まずは(上付きでも下付きでもない)普通の英数文字で単語や略語、数式などを打ち、その中で上付きや下付きにしたい文字だけを選んで、上付き文字は Shift+Ctl++、下付き文字は Shift+Ctl+= の3つのキーを同時に押す

と書いてあるのだが、この書き方は日本人にとっては少しおかしいと僕は感じる。

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Friday, June 20, 2025

Netflix の「視聴中コンテンツ」に思う

【6月20日 記】 Netflix の新しいシリーズの初回を観たとする。そうするとその番組は自動的に「視聴中コンテンツ」に登録されるわけだが、それはちょっと違う気がする。

初回だけ観て面白くないので #2 以降は観ないと決めた番組もそこに含まれてしまうからである。

そんな番組がずっと「視聴中コンテンツ」に残っているのも嫌だからどうするかと言えば、「リストから削除」を選んで「視聴中コンテンツ」から外してしまうしか手がない。つまり、観ていないことにするのである。

僕の例を言えば、ここのところ2回連続でそんなことが起きたのだが、しかし、それもちょっと違うだろう。

どんな内容なのか、どんな出来なのかも知らない未見のコンテンツと、観た上でこれはダメだと自ら判断を下したコンテンツがごっちゃにされるのである。

見て見ぬ振りをするとはあまりに雑で姑息だし、第一僕に駄作の烙印を押されたコンテンツとごっちゃにしてしまうのは、未見のコンテンツに対して失礼ではないか。

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Thursday, June 19, 2025

除湿剤の多難

【6月19日 記】  皆さんはクローゼットなどに入れる除湿剤は何をお使いだろうか?

ウチはエステーの「ドライペット compact」を使っているのだが、最近その詰め替え用3個パックがあまり売っていないのである。以前は売っていた店でも扱わなくなっているところがあり、つまりは売れないのだろう。

だとしたら何故売れないのか考えてみると、多分詰め替えが面倒だからではないだろうか。

容器から古い薬剤を取り出して新しいものと入れ替えるだけでは済まない。透明の袋に入った古い薬剤は水分を吸収して水浸しになっているから、その袋を切って水分を捨ててからでないとゴミとして出せないのである。

それが1個2個ならまだ良いが、例えばウチのように合計で十何個も使っていると、いちいちその作業をするのが面倒だと思う人がいるのは分かる。

しかし、僕にとってはそれは何でもないことで、僕としては除湿剤を買って帰るときに荷物が嵩張るほうがよほど嫌である。

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Wednesday, June 18, 2025

映画『国宝』

【6月18日 記】  映画『国宝』を観てきた。

原作の小説は読んだ。彼の作品がテレビドラマや映画になったものはたくさん観てきたが、これは僕が初めて読んだ吉田修一だった(ただし、その後は一切読んでいない)。

例によって書評も書いている。途中ちょっとがっかりした点を挙げながら最後は褒めて締めているのだけれど、これは出版前にゲラをもらって読み、本の宣伝のために書いた書評なのである。宣伝に使われることが分かっていたので、そういう順序で書き終えるしかなかったのだ。

実のところは、僕としてはあまり満足できなかった小説で、本当であれば少し褒めてから最後に否定的なことを書きたい気分だった。

書評にも書いたが、登場人物の心理描写などがほとんどなく、これではまるで“あらすじ屋さんの仕事”だと思ったのである。

しかし、そんな原作を、腕のある脚本家がドラマ化すると素晴らしいものになることはよくあることである。このブログにも書いているが、他にもそういう作家がいる(ここでは実名を挙げないが)。

僕が思うに、原作で人物が描けていない分、脚本家がそれを拡げて行く自由度が高いからなのだろう。

とりわけ今回の脚本家は奥寺佐渡子である。出来が悪いはずがない。早くから大きな期待を抱きながら公開を待っていたのだが、しかし、それにしても既に観た多くの人が口を揃えて激賞しており、これはこれで気持ちが悪い。

まあ、しかし、気にせず観ることにした。監督は李相日である。歌舞伎を扱った映画で、撮影監督がソフィアン・エル・ファニというフランス人(?)なのも気になるところ。

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Saturday, June 14, 2025

映画『フロントライン』

【6月14日 記】 映画『フロントライン』を観てきた。

この映画の情報に触れて最初に思ったのは、へえ、関根光才監督ってこんな映画も撮るんだ!ということだった。

元々は広告映像の作家で、僕が最初に観たのは、オムニバス映画『BUNGO ~ささやかな欲望~ 告白する紳士たち』(2012年)の3作のうちの最初の短編『鮨』だった。もう何も憶えていないが、自分の映画評には「良い画が撮れている」と書いている。

次に観たのは本谷有希子の原作を映画化した『生きてるだけで、愛』(2018年)で、趣里の全裸以外はあまり評判にもならなかったが、このとんでもない女主人公を演じた趣里についても映画についても、僕は高く評価していた。冒頭から趣里が爆走するシーンが強烈で、ここでも僕は「<画は本当にきれいだ」と書いている。

その次が目も眩まんばかりに幻想的な IMAXショートフィルムの『TRANSPHERE』(2019年)。これはまさにアートだった。

そして、一番最近見たのが『かくしごと』(2024年)だった。

東京から実家に帰って認知症の父・孝蔵(奥田瑛二)の面倒を見ることにした娘・千紗子 (杏)と、恐らく虐待を受けている見ず知らずの男の子を育てることにした千紗子、という2つの親子関係の二重構造を描いており、ここでも僕は「映像はやはりとても美しい」と書いている。

今回は一変してかなり硬派な社会ネタである。新型コロナウィルスが日本で最初に確認されたダイヤモンド・プリンセス号を扱っている。

残念なことに概ね船内と港と対策本部が舞台で、これまでのように映像美を打ち出すのに向いた場面構成ではない。だが、役者たちの好演もあって、力のある映像になっていると思った。

空撮をふんだんに取り入れ、時には甲板や屋上のシーンも入れ、人物の周りをカメラがぐるぐる回るなどの小細工も含めて、画に変化をつけていた。

僕は映画が事実に基づいているという宣伝文句には全く惹かれない。だが、コロナ禍もひとまず治まり、そろそろ誰かがあの時のことを描いても良い時期、いや、誰かが描いておくべき時期に来ているんだろうなと思っている。

それができるだけ事実に忠実であろうとして作られたものであろうが、概ね事実に基づいてはいるが映画として成立させるためにアレンジしたり、時には盛ったりしたものであろうが、あるいは当時の設定や状況だけを借りて新たに構築された完全なフィクションであろうが、そんなことはどうでも良い。

大切なのは、あのダイヤモンド・プリンセス号のような、誰も予期していなかった大惨事に直面すると、多くの人がまともでない(つまりは、ヒステリック、短絡的、表層的、あるいは NIMBY 的な)判断をしてしまうのだということを描いておくことである。

問題なのは、その判断が結果として正しかったか間違っていたかということではない。まともな思考の経路を経てまともな判断ができていたかどうかということである。

そして、パニック状態では多くの人がまともでない判断をしてしまい、ごく少数のまともな判断ができた人たちも時として彼らに押し流されてしまうということである。

そういう意味で、この映画は本当によく描けていた。まともな判断とは何なのかということにまともに向き合って、まともに描ききっていた。

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Friday, June 13, 2025

映画『ドールハウス』

【6月13日 記】  映画『ドールハウス』を観てきた。これはもう、内容がどうとかいうことではなく、ほぼ6年ぶりの矢口史靖監督ということで、居ても立ってもいられなくて見に行ったという感じ。

しかし、今回はホラーと来たか!と驚いたのだが、実はテレビではこれまでに『学校の怪談』シリーズで3作も撮っていたのである。全く知らなかった。

そんな矢口が「知り合いの新人脚本家が書いた」と嘘をついて渡した脚本が映画会社の上のほうまで上がって、「これは一体誰だ!」と大騒ぎになり、最後は誤魔化しきれずに「自分が書いた」と白状したのがこの脚本だと言う。

元々怖いものは好きだったが、この映画を撮るには自分の名前があると邪魔になると思ったからだそうだ。なるほどと思った。

娘を亡くした母親がある日骨董市で日本人形を見つけて魅入られたように買い、そのことによって立ち直り、やがて次女を産み育てるが、そこから人形が呪われた動きをし始め…というような筋であることは予告編を見て知っていた。

冒頭は小さな子どもたちを連れた母親たちが道路の真ん中で集っておしゃべりをしている、いかにも平和な住宅街の図である。おお、そんなところから描き始めて間に合うのかと心配になったが、途中何度か時間を飛ばして辻褄を合わせてきた。

主人公の佳恵を演じたのは長澤まさみ、その夫で病院勤務の看護師である忠彦を瀬戸康史が演じている。

パンフレットを読むと、怖がらせるための仕掛けが随所にあったことが分かるが、でも、全体としては、ホラーとしてそれほど目新しい怖がらせ方があったわけではない。定番の、怖い顔が画面全体に突然アップで映るとか、不吉な感じが漂い始めると、カメラが速くもなく遅くもない速度で人物に寄ってくるとか、そんな感じである。

しかし、扱っているテーマが人形である。人形というのは昔から怖いのだ。特に日本人形は。

僕が幼少の頃、僕の家にもケースに入った日本人形が飾ってあったが、僕は家の中に人形があるのがなんか怖くてずっと嫌だった。

その人形の、当たり前なのだけれど無表情をカメラで映すだけで、僕らの背筋は凍りつく。目も口も動かず、表情が変わらないから余計に怖いのだ。

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Wednesday, June 11, 2025

『浮世絵現代』展(東京国立博物館表慶館)

【6月11日 記】  昨日東京国立博物館の表慶館で『浮世絵現代』展を観てきた。ちなみに写真撮影 OK の展覧会だった。Photo_20250611165701

里中満智子、池田理代子、安藤モヨコ、水木しげる、石ノ森章太郎、ちばてつや、楳図かずお、山藤章二、さいとうたかお、池上遼一ら新旧の漫画家だけでなく、黒川紀章、横尾忠則、草間彌生らアート界の大御所たち、さらに和田誠、ビートたけし、安彦良和ら僕らがよく知っている人もいれば、名前は全然知らなかったけれど世界的に認められているらしい世界中のアーティストたちが、あくまで自分たちの感覚と解釈で新たに描き上げた現代の浮世絵の数々が展示されていて、全く飽きなかった。

そして、作品そのもの以外で非常にインパクトが強かったのが、ところどころに添えてあった浮世絵の作り方についての詳しい解説である。

浮世絵というものがどういう手順で作られるのか全く知らなかったわけではないのだが、具体的な説明文や行程を収録したビデオに触れると、ひとつには「よくまあこんな面倒くさいことをやるなあ」と、そしてもうひとつには「よくまあこんなに精緻にできるものだ」という驚きにあらためて襲われる。

とかく絵師ばかりが脚光を浴びるが、浮世絵はあくまで絵師、彫師、塗師、版元の4者の共同作業であるということがよく分かる。

そう言えば、NHK の大河ドラマ『べらぼう』でも前々回の放送で、元の絵は同じなのに、版元の適切な指示によって塗師が絶妙に彩色したものとそうでないものの仕上がり具合の違いを見て、歌麿(染谷将太)が驚くシーンがあったばかりだ。

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Tuesday, June 10, 2025

ポスト・アイドル歌謡曲

【6月10日 記】 一昨日書いた記事の続き。

21世紀になってアイドル歌謡というジャンルがなくなったかと言えば必ずしもそうとは言い切れないのだが、しかし、坂道系を最たるものとして、アイドルはかなりグループ化の様相を呈している。ひとりで歌って下手さを露呈する例はかなり少ない。

昔みたいに女優で歌を出している人がいないかと言えばいるのだが、昔みたいに歌が下手くそなのになりふり構わずデビューさせたような例は少なくなっているのだ。

例えば、歌う女優としては高畑充希とか、池田エライザとか、上白石萌歌とか、みんな聴くに耐える歌唱力がある。もうちょっと古いところではフォルダー5のメンバーだった満島ひかりもいる。

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Monday, June 09, 2025

映画『見える子ちゃん』

【6月9日 記】  映画『見える子ちゃん』を観てきた。僕が勝手に「中村器用監督」と呼んでいる中村義洋監督。これまで映画館で 17本の作品を観てきた大好きな監督なのだが、劇場用映画を観るのはなんと5年半ぶりである。

1999年からは『ほんとにあった! 呪いのビデオ』シリーズを中心としてホラーの作品がとても多くなっていたが、僕はこの人がホラーに特化してしまうのはものすごく勿体ないと思っている。

この映画を見れば、この監督の物語構成力がどれだけ卓越しているかがよく分かると思う。

原作漫画はあるものの、原作者の信頼も得て、中村監督オリジナルの人物や展開も加えて、まさに青春ホラー・コメディと言うべき、とても素敵な作品に仕上がっている。

ともかく、話のまとめ方がとてもきれいなのだ。よくぞこんなにきれいにまとめたものである。

誰が脚本を書いたのか知らずに観たのだが、エンドロールが始まる前に、これは中村監督自らが手掛けた脚本に間違いないと確信した。この手際の良さ、爽やかで鮮やかな終え方は中村脚本ならではである。

今回は監督が仕込んだいくつかの仕掛けに、僕は途中で何一つ気づかないままラストまでなだれ込んでしまったが、問題は読み切れるか読み切れないかではない。仮に早い時点で全部読み切れたとしても問題なく楽しめたと思うし、読後感も変わらなかったと思う。

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Sunday, June 08, 2025

アイドル歌謡曲

【6月8日 記】 『ひとりっ子甘えっ子』という歌があった。筒美京平による 1973年の名曲で僕はめちゃくちゃ好きなのだが、オリジナルでは二度と聴きたくない。何故なら歌っていたのが浅田美代子だったからだ。

浅田美代子の歌をリアルタイムで聴いてきた人だったら皆同じように思うのではないかと思う。浅田美代子自身は「音楽の成績は5だった」と言っているが、少なくとも彼女が出したレコードについて言えば、どれもこれも、誰がどう聞いても聞くに耐えないぐらい下手だったから(ちなみに女優・浅田美代子は好きである)。

誰か巧い歌手がカバーしてくれないかな、そうしたら音源を入手するのに、と思う。

これは彼女のセカンド・シングルだが、同じく筒美京平が作曲して大ヒットした彼女のデビュー・シングル『赤い風船』(1973年)も名曲で、こちらは数多くの歌手がカバーしている。

とりわけ僕は the Indigo によるカバーが好きで(そもそも the Indigo というグループを高く評価しているからでもあるのだが)、音源も手に入れている。

こんな風に昔の名曲が、良いアレンジ、巧い歌唱でどんどんカバーされれば良いのになと思う。

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Saturday, June 07, 2025

映画『ぶぶ漬けどうどす』

【5月23日 記】  映画『ぶぶ漬けどうどす』を観てきた。冨永昌敬監督目当てで観たのだが、期待を裏切らないひねくれた(笑)映画だった。

僕自身は実際に言われたことはないが、「ぶぶ漬けどうどす?」は京都人のイケズさ = 意地の悪さを表すために(「いや、意地の悪さなんかじゃなくて、これが京都の文化であり、その文化を体現した奥の深い表現なのだ」などと言う人もあるかもしれないが)よく引用される決まり文句である。

この映画の主人公・澁澤まどか(深川麻衣)は、まさに「ぶぶ漬けどうどす?」と勧められたら、にこやかに「ありがとうございます」と言って上がり込み、本当にお茶漬けをごちそうになって顰蹙を買うような、一時大流行した表現を使うと KY な女性なのである。

結婚して京都で 450年も続いている老舗扇子店“澁澤扇舗”の長男の嫁となったまどかは、安西莉子(小野寺ずる)と組んでコミック・エッセイを書いている。まどかがストーリー担当、莉子が描画担当である。

冒頭のシーンはまどかが夫の真理央(大友律)とともに彼の実家を訪れるところから始まる。単なる帰省ではなく、まどかは夫の実家や他の京都の老舗を取材してコミック・エッセイにしようという魂胆である。

で、まどかがに店に入って来て義父母(松尾貴史、室井滋)が彼女を迎えたシーンからすでに、彼らの対応はとても柔らかなのに、変な緊張感、うっすらとした不安感、何かが起きそうな不吉な感じがみなぎっている。

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Thursday, June 05, 2025

In due time

【6月5日 記】 「嘘はどうせすぐにバレるから」みたいな文脈で、「すぐに」を in no time と言ったら、中国系アメリカ人の先生に「in no time より in due time のほうが的確だ」と言われた。

なるほど、確かに in no time だと単なる「すぐに」だ。「どうせ」のニュアンスを出そうとすると、in due time のほうが相応しい気がする。

もっとも、辞書を引いても in due time に「どうせ」なんて訳語はついていない。一般的には「そのうちに」「やがて」みたいな訳語が充てられる。

でも、「どうせ」みたいなことを言いたい文脈で、「どうせ」みたいなニュアンスを匂わせるために in due time が使われる局面もあるということだ。その場合には「いずれ」みたいな訳語も良いかもしれない。

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Monday, June 02, 2025

『楽しい音の鳴るほうへ』和田博巳(書評)

【6月2日 記】 和田博巳と言えば僕にとってははちみつぱいのベーシストであって、その他の彼のキャリアについては何も知らなかった。

この本の中で彼は自分のベースを下手だ下手だと言っているが、僕は全く下手だとは思っていなかった(まあ、よっぽど下手なら別だが、そうでなければ僕にそもそもベーシストの巧拙なんか分からないのも確かだが)。

はちみつぱいは(随分後にライブ・アルバムも何枚か発売されたりはしたが)アルバムを1枚だけ出して解散したバンドだから、僕が彼の演奏を聴けたのは『センチメンタル通り』に収められた9曲(復刻版CD のボーナス・トラックを含めても 11曲)だけなのだが、そのいずれの演奏においても僕は彼のベースの音運びが確かに好きだった。

はちみつぱいが解散すると、少なからぬメンバーがムーンライダーズのメンバーとなったわけだが、それ以外の人たちもいろんな新しいバンドのメンバーとなったり、スタジオ・ミュージシャン/バック・ミュージシャンとしていろんなアルバムで名前を見かけたりする中で、和田博巳だけは全く名前が見つからず、この人はどうしたのかな?音楽をやめちゃったんだろうか?などと怪訝に思っていた。

しかし、しばらくするとプロデューサーとして彼の名前を見つけて、ああ、まだこの人は音楽界隈にいたんだと思ったりもした。

しかし、この本を読むまで、最初はロック喫茶の店主であり、最近ではオーディオ評論家として活躍しているなんてことは全く知らなかった。

北海道の山奥で育った彼は、東京の大学を受験すべく東京に出てきた。

しかし、受験に失敗して大学に行く気がなくなり(と言うか、予備校に通い始めてすぐに進学する気がなくなっていた)、ジャズ喫茶に通い、やがてそこでアルバイトの職を得て、そしてある時、父親に資金援助を請うてジャズ喫茶のオーナーとなり、しかしすぐにジャズ喫茶では食えないと思ってロック喫茶に転じたら、それが時代の趨勢と合致して結構流行り、梁山泊よろしくそこにいろいろなミュージシャンや音楽関係者が集まり、そして、彼がいつしかプロのミュージシャンとなって行く姿がビビッドに、そしてあっけらかんと書かれている。

副題にあるように、ここで主に描かれているのは 1967年から 75年、和田は 1948年生まれだから、彼が 19歳から 27歳までの時代である。

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