【6月14日 記】 映画『フロントライン』を観てきた。
この映画の情報に触れて最初に思ったのは、へえ、関根光才監督ってこんな映画も撮るんだ!ということだった。
元々は広告映像の作家で、僕が最初に観たのは、オムニバス映画『BUNGO ~ささやかな欲望~ 告白する紳士たち』(2012年)の3作のうちの最初の短編『鮨』だった。もう何も憶えていないが、自分の映画評には「良い画が撮れている」と書いている。
次に観たのは本谷有希子の原作を映画化した『生きてるだけで、愛』(2018年)で、趣里の全裸以外はあまり評判にもならなかったが、このとんでもない女主人公を演じた趣里についても映画についても、僕は高く評価していた。冒頭から趣里が爆走するシーンが強烈で、ここでも僕は「<画は本当にきれいだ」と書いている。
その次が目も眩まんばかりに幻想的な IMAXショートフィルムの『TRANSPHERE』(2019年)。これはまさにアートだった。
そして、一番最近見たのが『かくしごと』(2024年)だった。
東京から実家に帰って認知症の父・孝蔵(奥田瑛二)の面倒を見ることにした娘・千紗子 (杏)と、恐らく虐待を受けている見ず知らずの男の子を育てることにした千紗子、という2つの親子関係の二重構造を描いており、ここでも僕は「映像はやはりとても美しい」と書いている。
今回は一変してかなり硬派な社会ネタである。新型コロナウィルスが日本で最初に確認されたダイヤモンド・プリンセス号を扱っている。
残念なことに概ね船内と港と対策本部が舞台で、これまでのように映像美を打ち出すのに向いた場面構成ではない。だが、役者たちの好演もあって、力のある映像になっていると思った。
空撮をふんだんに取り入れ、時には甲板や屋上のシーンも入れ、人物の周りをカメラがぐるぐる回るなどの小細工も含めて、画に変化をつけていた。
僕は映画が事実に基づいているという宣伝文句には全く惹かれない。だが、コロナ禍もひとまず治まり、そろそろ誰かがあの時のことを描いても良い時期、いや、誰かが描いておくべき時期に来ているんだろうなと思っている。
それができるだけ事実に忠実であろうとして作られたものであろうが、概ね事実に基づいてはいるが映画として成立させるためにアレンジしたり、時には盛ったりしたものであろうが、あるいは当時の設定や状況だけを借りて新たに構築された完全なフィクションであろうが、そんなことはどうでも良い。
大切なのは、あのダイヤモンド・プリンセス号のような、誰も予期していなかった大惨事に直面すると、多くの人がまともでない(つまりは、ヒステリック、短絡的、表層的、あるいは NIMBY 的な)判断をしてしまうのだということを描いておくことである。
問題なのは、その判断が結果として正しかったか間違っていたかということではない。まともな思考の経路を経てまともな判断ができていたかどうかということである。
そして、パニック状態では多くの人がまともでない判断をしてしまい、ごく少数のまともな判断ができた人たちも時として彼らに押し流されてしまうということである。
そういう意味で、この映画は本当によく描けていた。まともな判断とは何なのかということにまともに向き合って、まともに描ききっていた。
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