「毎日更新」に思う
【5月16日 記】 note を見ていると、よく「申し訳ありませんが、今日は投稿をお休みします。明日はちゃんと書きます」みたいなことを(「記事」ではなく「つぶやき」として)書いている人がいる。
これにいつも違和感を覚えてしまう。
僕は、このブログを始めるときにも、まず「毎日更新するのだけはやめよう」と決めた人間だ(それは無理に書こうとしてつまらない文章を書いてしまうのを避けたかったからだ ── ただし、そのおかげでつまらない記事を書かずに済んでいるかどうかはまた別の話であるw)。
だから、まず何が何でも毎日更新しようとする心意気が理解できない。でも、「毎日更新」を標榜している書き手は note には少なくない。僕にとってこれはかなりの驚きなのである。
その上で、なんで「今日は更新しません。すみません」と謝るのだろう? これは誰に対して謝っているのか?
誰も毎日書いてくれなんて頼んでいない。もちろん、毎回読むのを楽しみにしている読者もいるのかもしれない。そして、その人たちがひょっとしたら「毎日楽しみにしています」みたいなメッセージを送っているのかもしれない。
しかし、まあ、それはそうしょっちゅうあるものではなく、大体ブログなんてものはどれぐらいの人たちが毎回楽しみにしてくれているのかなんてことは却々分からないものなのである。
なのに、今日書かないことを「申し訳ありません」などと書く。それは、別に楽しみにしているわけでも何でもない人たちの目にも届く。違和感を覚える人がいても仕方がないと思う。
そんな中には確かに僕が楽しみにして毎日読んでいる人もいるのだが、そういう人の書いたものであっても、僕はこういう「つぶやき」にはやっぱり違和感がある。いや、別に明日も書かなくても良いですよ。
つまるところ、書き手は特定の誰かに詫びているわけでもなく、さりとて不特定多数に詫びているのでもなく(もしも不特定多数に詫びているとすればそれはとても奇妙な行動だし)、実は自分自身に対して申し訳ないと思っているだけなのではないかな?
毎日書くと決めたのにそれができない後ろめたさをそんな「つぶやき」に託しているのではないかな?と思うのである。
別にそんな人たちを蔑むわけでも、非難するわけでもない。誰でも思うように好き勝手に書けば良い。ただ、不思議には思っている。
無理やり毎日書こうとすることがそもそも無理なんじゃないかなと僕は思うし、体調不良や多忙で書けない日だって絶対あるし、それ以前に、書くことがない日だってそりゃあるだろうと思う。
なのに毎日書こうとするとこういう後ろめたさの裏返しみたいなことを書いてしまうのかな、などといろいろ想像してしまうのである。
僕は「大変ですね」とコメントしたくなる。もちろんそんなコメントを書くと嫌味に思われるだろうから書かないけど。
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