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Friday, May 23, 2025

映画『父と僕の終わらない歌』

【5月23日 記】  映画『父と僕の終わらない歌』を観てきた。

予告編を観てそれほどそそられたわけではないのだが、まあ、『ちはやふる』3部作や『線は、僕を描く』を撮った小泉徳宏監督ならそんなに悪くはなかろうと踏んで観に行った。

2016年に 80歳で CDデビューを果たしたアメリカ人のアルツハイマー患者の実話に基づく作品なのだそうだ。

冒頭、走るアメ車を俯瞰で追ったシーンに、スローなロッカバラードのアレンジで Smile を歌う声。少し鼻にかかって全体に弱いかと思うと突然張りを効かせる独特の声 ── 1小節聞いただけで寺尾聰が歌っていると分かる。

ちょっと本題から外れたことを先に書いてしまうと、後に出てくる松坂桃李が電話を受けるシーンでは、相手の顔は映らないが声を聞いただけでこれはディーン・フジオカだと分かった。主演の寺尾聰はともかく、僕はディーン・フジオカが出演していることも知らなかったのに一瞬で認識したのである。

声というのは結構記憶に残るものだなあと、我ながら感心した。

さて、幼馴染の聡美(佐藤栞里)の結婚披露宴に出席するために吉祥寺から横須賀に帰省した間宮雄太(松坂桃李)だが、駅に迎えに来るはずの父親・哲太(寺尾聰)が1時間も遅れたために、雄太が車の中でカリカリしているというのが最初の台詞のあるシーンである。

哲太はあまりくよくよするタイプではなさそうで、「すまん、道に迷ってな」などと言うが、雄太は「横須賀で生まれて育ったのに、なんで迷うんだよ」と怒る。この時点で雄太はまだ哲太が初期のアルツハイマーを患っていることを知らないが、観客に対してはこのシーンだけで充分に暗示が効いている。

哲太は若い頃から音楽にのめり込んでいて、もう少しでレコード・デビューできそうなところまで行ったが結局夢叶わず、今は横須賀の楽器屋さんである。

アメリカでの実話をこういう設定に翻案したのは見事で、これがこの映画の成功の第一の要因であると言って良いと思う。

横須賀という土地柄、ドブ板通り商店街という環境、楽器屋という商売、哲太が乗り回す(しかし、病気が発覚してからは免許を返上して運転できなくなる)コバルトブルーのでかいアメ車。哲太をはじめとして、いろんな登場人物が身にまとったファッション、とりわけその色彩。そして、哲太が劇中で歌うのはアメリカのスタンダード・ジャズ。

なんと選曲も編曲も寺尾本人が手掛けたと言う。結婚披露宴で彼が弾き語りをするときに弾いているのがギターではなく、ベースだ(だって、ザ・サベージのベーシストだったもんね)というのがなんとも粋ではないか。

これらの諸設定による明るくてお洒落な雰囲気が、認知症という暗い話題を扱った映画をポジティブなファンタジーに変えている。そう、この映画はファンタジーなのである。しかも、飛び切りポジティブな。

誰でも知っている通り、認知症は進行を遅らせるのがせいぜいで治癒はしない。だから、この映画も絵に描いたようなハッピーエンドには持って行けない。あくまで心が通った瞬間を描き、救いを感じさせる辺りで終わるしかないのだが、まさにそういう形で上手に物語を構成している。

アメリカの実話では、息子に支えられた 80歳の男が CD を発売するに至った。さて、横須賀では家族や近所の人たちと時々は揉めながら、それでも皆の好意に支えられて、哲太はどこまで行けるのだろう?

父と息子の話が中心なのだが、母親である律子(松坂慶子)の存在を無視することはできない。名優・松坂慶子が誰にも真似のできないぐらい情緒溢れる演技をしている。

そして、人物のみならず、景色を含めてのカメラの映像の素晴らしさがある。とりわけ、橋の上を走っているアメ車を突然アメ車の進行方向とは反対に動き出したドローンの映像などは、なんだか心の雲が晴れたような印象さえあった。

Smile, son. ── 哲太の決め台詞も英語である。

粋でお洒落なファンタジーになったのではないだろうか。

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