『楽園の夕べ ルシア・ベルリン作品集』ルシア・ベルリン(書評)
【4月1日 記】 誰かが書いた書評をどこかで読んだら面白そうだったのと、訳者が岸本佐知子だったので選んだ短編集だが、初めて読むルシア・ベルリンは、とても鮮やかで、悲しげな物語を書く人だった。
冒頭の『オルゴール付き化粧ボックス』はまるで 20世紀初頭に書かれた小説のようで、ひょっとしてこの作家は常にこういう設定の物語を書く人なのかなと思ったのだが、読み進むと、作風は作品によってかなり違ってきた。
舞台となっている場所もチリであったりニューメキシコであったりニューヨークであったりする。登場人物の境遇や職業も随分違う。金満家であったり極貧に喘いでいたり、華やかな人生であったりアルコール依存症に沈んでいたり…。
このバラバラは何なんだ?と思いながら読んだのだが、これらは全て作者ルシア・ベルリンの実人生/実体験をベースにして書かれたものであるらしい。ということは作者自身がこのような浮き沈みの激しい人生を送ったということだ。
訳者あとがきにはこう書かれている:
彼女にとって小説を書くということは、浄化のような作業だったのかもしれないと思えてくる。事実のままでは語りえない体験に、フィクションという形で居場所を与えること。消し去るのではなく、新たな真実として存在させること。
そういう記事を読むと、ああ、なるほどなあと思う。
そして、実体験とフィクションをないまぜにしてできあがった情景が、何とも言えず切ないのである。
例えば、『日干しレンガのブリキ屋根の家』で、ギアを入れ間違った車に轢かれた犬の死骸を、マヤは汚水溜めの横に穴を掘って埋める。そして土をかけていると「初めて目にする死に動揺し興奮していた」息子のサミーが、それまで母親が毎日花壇に水をやっていたのを思い出して、「ここにも水をやるの?」と訊くのである。
マヤは笑った。笑いながら泣いた。
── 悲しい。でも、まさに笑いながら泣くような、ぎりぎりのユーモアが常にあるような気がする。
一方、『霧の日』では、
あなたから来た手紙はすぐには開けずに、空がニューメキシコみたいになる夕方まで待って屋上で読んでいたんだよ。
などという、とてもしっとりとした表現もある。
達者な作家である。そして、全ての話の裏に物悲しい音楽がうっすらと流れている気がする。そういう人の世の悲しみを知り尽くした作家なのだと思う。
しかし、その作風はひっそりと静かに悲しかったり、笑って良いのか泣いて良いのか分からないくらい皮肉に富んでいたりもする。
とても多彩な作家なのである。
ただ、僕にとっては、登場人物が多すぎて、次から次へと新しい人物が出てくるので、そして、1編読み終わるとまた別の名前の別の人が別の土地で生きている話になることもあって、名前が却々おぼえられず、あるいは混乱し、ついて行くのがいささかしんどかったのも事実。
まあ、なんであれ、いろんな人がいろんなところで生きているカタログのような、悲しくてもある意味豊かな短編集であった。
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