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Saturday, March 01, 2025

映画『名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN』

【3月1日 記】  映画『名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN』を観てきた。

生きている間に自分のことが映画になるってどんな気分なんだろう? ボブ・ディランにそれこそ How does it feel? と訊いてみたい気分だ。

きっと事実と違う部分もあるだろう。いや、そもそもディランはこの映画を観るんだろうか?

そんなことを考えながら観に行ったのだが、終わってからパンフを読んだら、ジェームズ・マンゴールド監督は準備段階でボブ・ディランと直接話す機会があったと書いてある。

おまけに主演のティモシー・シャラメについては、自身のソーシャル・メディアのアカウントでディランが「ティミーはすばらしい俳優だから、きっと僕の役を完璧に演じてくれると思うよ」などと投稿していたというではないか。

まあ、そりゃそうなんだ(当然ディランの事務所の社長も P に名を連ねている)けど、その一方で、「なーんだ」という感じ。僕が感じたこのギャップは、ことほど左様にディランという存在は神格化され、常に時代に対する反逆児みたいなレッテルを貼られているということだ。

この映画は 1961年から 65年までの、それこそ a complete unknown だったディランが a rolling stone のような人生を歩み始めたところまでを描いたものである。

しかし、僕がディランをまともに聴き始めたのは 1971年にジョージ・ハリスンが主宰した『バングラデッシュ難民救済コンサート』からである。

このレコードには彼がアコースティック・ギターとブルーズハープで歌った 5曲が収録されていて、その中には、この映画の中でディランが、舞台上でジョーン・バエズがギターで前奏を弾き始めたのに歌うのを拒否した『風に吹かれて』も入っている。

そう、彼はアコースティック・スタイルで昔の曲を歌うことを未来永劫拒否したのではないのである。

ディランが初来日した時の記者会見で、「あなたはフォークソングの神と言われているがどう思うか?」と質問したバカな記者がいた。ディランは「私は神ではない」と答えた。

そう、ディランは神ではないのである。そしてこれは神ではないディランを描いた映画である。

こういう言い方を嫌うファンもいるかもしれないが、この映画は確かにドキュメンタリ的な面はあるが、その一方でエンタテインメントとしても却々よくできた映画になっていると思う。

ディラン役のティモシー・シャラメも、ジョーン・バエズ役のモニカ・バルバロも、ギターや歌の練習に 5年もの月日を費やしたと言う(もちろんそこにはコロナ禍でクランクインの予定が立たなかったということもあるようだが)。

だから、歌のシーンがほんとうに素晴らしい。

最初の魅了されてしまったシーンは、転がり込んだピート・シーガーの自宅で、朝食を取っている家族の横で、ディランがまだ途中までしかできていない『北国の少女』を歌うところ。

次はジョーンのアパートでディランができたばかりの『風に吹かれて』を歌い出すと途中からジョーンがハモってくるところ。

そしてその次はコンサート会場で『時代は変わる』を初披露して大受けに受けるところ。

そして最後は言うまでもなく『ライク・ア・ローリング・ストーン』。

いや、もちろんそれだけではない。エドワード・ノートンが演じたピート・シーガーやボイド・ホルブルックが演じたジョニー・キャッシュの歌や演奏も含めて、この映画で演奏された全ての曲が素晴らしかった。

突然スタジオにやってきたアル・クーパーが『ライク・ア・ローリング・ストーン』のレコーディングに飛び入りして、オルガンで前奏を弾き始めるところなどではうるうるしてしまった。

僕は何しろ遅れて聴き始めたファンなので、ディランとジョーン・バエズがそんな関係にあったなんてことはこの映画を観るまで知らなかった。それから、てっきりこの映画にもザ・バンド(ザ・バンドについては僕はディラン以上に好きだ)が出てくるものだと思っていたのだが、それはこの直後からだった。

描く期間としては短すぎると感じる人もいただろう。でも、短期間だったけれど、そして短期間だったからこそ、とても良い音楽映画だった。

そして、何よりも秀逸だったのはディランの NY での最初の恋人であり理解者であったシルヴィ(この役だけはディランの希望で名前を変えてあるとのこと)を演じたエル・ファニングである。

彼女のディランに対する真摯な愛と、その愛がぐらぐらと揺れる両方の気持ち──ジョーンに取られるのではないかという不安と、彼がどんどん自分とはかけ離れた存在になって行くという不安。何度も何度も今にも泣き出しそうな表情になるけれど、それでもやっぱりディランを優しく見つめる。

素晴らしい演技だった。

そんな風に一人ひとりの人間(ディランのエレクトリック・サウンドに激怒した人も含めて)を描くことによって、時代が浮き彫りになる。

時代の雰囲気を見事に再現した、とても良い映画だった。

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