【3月1日 記】 映画『名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN』を観てきた。
生きている間に自分のことが映画になるってどんな気分なんだろう? ボブ・ディランにそれこそ How does it feel? と訊いてみたい気分だ。
きっと事実と違う部分もあるだろう。いや、そもそもディランはこの映画を観るんだろうか?
そんなことを考えながら観に行ったのだが、終わってからパンフを読んだら、ジェームズ・マンゴールド監督は準備段階でボブ・ディランと直接話す機会があったと書いてある。
おまけに主演のティモシー・シャラメについては、自身のソーシャル・メディアのアカウントでディランが「ティミーはすばらしい俳優だから、きっと僕の役を完璧に演じてくれると思うよ」などと投稿していたというではないか。
まあ、そりゃそうなんだ(当然ディランの事務所の社長も P に名を連ねている)けど、その一方で、「なーんだ」という感じ。僕が感じたこのギャップは、ことほど左様にディランという存在は神格化され、常に時代に対する反逆児みたいなレッテルを貼られているということだ。
この映画は 1961年から 65年までの、それこそ a complete unknown だったディランが a rolling stone のような人生を歩み始めたところまでを描いたものである。
しかし、僕がディランをまともに聴き始めたのは 1971年にジョージ・ハリスンが主宰した『バングラデッシュ難民救済コンサート』からである。
このレコードには彼がアコースティック・ギターとブルーズハープで歌った 5曲が収録されていて、その中には、この映画の中でディランが、舞台上でジョーン・バエズがギターで前奏を弾き始めたのに歌うのを拒否した『風に吹かれて』も入っている。
そう、彼はアコースティック・スタイルで昔の曲を歌うことを未来永劫拒否したのではないのである。
ディランが初来日した時の記者会見で、「あなたはフォークソングの神と言われているがどう思うか?」と質問したバカな記者がいた。ディランは「私は神ではない」と答えた。
そう、ディランは神ではないのである。そしてこれは神ではないディランを描いた映画である。
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