『庭の話』宇野常寛(書評)
【2月16日 記】 僕は宇野常寛を note でフォローしていて、本になっているものも含めて彼の書いたものはかなり読んでいる。
だから、彼の思考過程もわりと理解しているつもりなのだが、この本を読んで改めて思ったのは、彼がなんと広い分野の人間や著作と交流し、援用し、自分の理論を組み立てているか、ということである。
そもそもどうしてソーシャルメディアの話が庭の話になるのかというところが非常に頷けるのである。
他の分野から理論や考察を借りてきて自分の専門分野に合体するというような手法は、従来多くの学者たちがやってきたことである。カール・マルクスも、マックス・ウェーバーも、大塚久雄もそうだった。でも、最近はあまり見かけないのではないか。
しかも、学者でもない、別に試験に通らなくても誰でもなれる「評論家」の宇野常寛がこんな面倒くさいことをやっていることに驚くのである。
ガーデニング、ケア施設、民藝、ハンナ・アーレントの活動的生活、中動態、美味しんぼvs孤独のグルメ、小杉湯、坂口安吾『戦争と一人の女』、そしてもちろん彼が前から取り扱ってきた吉本隆明 ── このべらぼうな知の集積に僕らはまず驚いてしまう。
彼は、note『「速すぎるインターネット」を克服するための攻略ポイント』の有料部分にこう書いている:
もちろん僕にはかつて提唱した「遅いインターネット」に大きな反省がある。それは他のところでも述べているのだが、メディアの問題をメディアの中だけで解決しようとしたことだ。
その反省がこのような膨大な労作に繋がったのである。
ここでは彼が取り上げたいろいろなことがいろいろなことに繋がって、X を代表とする現在の荒れるソーシャルメディアの問題点を明確に浮き彫りにしてくる。
ただ、最後まで読めば分かるように、彼は「だから今後はこうするべきである」とまで書ききってはいない。
この本は現在のソーシャルメディアの問題点を改善して行くためのベースとなる考え方、取り組み方を書き表したものであり、そのための実践に著者自身が取り組み始めているとは言え、それはまだ始まったばかりなのである。
つまり、この本の分析で全てが解決するわけではないし、そのことに著者自身がしっかりと気づき、指摘もしている。多分、ここからどうして行くかを次の著書で表すのだろう。
僕らもそれを考えながら、次の書籍を待つことにしたい。
あまりに膨大な内容なので、この書評には何も詳しく書かなかったが、興味があれば読んでみてほしい。初めて読む人には読みづらい本かもしれない。だが、いろんなことが見事に繋がっていることに、少なくとも感心してはもらえるのではないかと思う。
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