映画『ゆきてかへらぬ』
根岸吉太郎監督が 2009年の『ヴィヨンの妻』以来 16年ぶりに撮った映画(その間、何して食ってたんでしょうね?)と言うが、僕にとっては 2005年の『雪に願うこと』以来20年ぶりの根岸作品だ、と思い込んでいたのだが、調べてみたら『ヴィヨンの妻』も 2007年の『サイドカーに犬』も観ていた。
その2作品はそれだけ印象に残っていなかったんだろうなと思う。逆に言うと、『雪に願うこと』の印象がそれだけ強かったということか。
で、自分が書いた『ヴィヨンの妻』の映画評を読み返してみると、褒めてはいるが貶してもいる。どうして現代劇を撮らないんだろう?というのが一番の不満であったようだ。
僕は旧い時代を描いた映画は積極的には観ようと思わない。昔を描いて今に通じるものを感じさせるという手法もあるにはあるのだろうけれど、そんな回りくどいことせずに今の時代を描いてほしい、今の時代の映画を観たいというのが僕の志向である。
ところが、今回も舞台は大正時代。脚本は『ヴィヨンの妻』と同じく大御所・田中陽造だ。
描かれるのは中原中也と小林秀雄と長谷川泰子。それぞれ、木戸大聖、岡田将生、広瀬すずが演じている。
木戸大聖はここのところよく見る俳優だが、今回は大きな役をもらった。
しかし、中也は良いが、小林秀雄をこんなイケメン俳優が演じて良いのだろうか、とも思った(まあ、中年以降の写真しか見たことないのだが)。
ま、それは良いとして、さて、雑駁なまとめ方をしてしまうと、この3人が三角関係になるのである。
僕は中原中也の詩も小林秀雄の評論も読んだことはある。僕にとっては中原中也は天才詩人であり、それに対して小林秀雄は単に試験問題によく使われる文章を書く評論家だった。
しかし、あれ?この2人って同じ時代の人だったのか?というのが最初の感想だった。
と言うか、この2人ってほんとに知り合いだったのか?と言うか、こんなに親しかったのか?と言うか、ほんとに一人の女を取り合ったの?というのが映画を見始めてすぐに思ったことだったのだが、大筋事実であったようだ。
ただし、田中陽造は
『ゆきてかへらぬ』にも基になるものはありましたけど、やっぱり映画としては使えない。『ラブレター』の時のように創作しました。
小林秀雄の本を読んでも、中原中也のことは一応語っているけど、映画になるようなことは一切語っていないんですよ。中也もそう。語っているのは長谷川泰子だけなんだ。ただ、もう僕は『ラブレター』で懲りたから、女性の告白は信用できないと(笑)。そんな三すくみのような状態で描きましたね。
と言っている。
で、映画本体に話を移すと、冒頭の眠っている広瀬すずの顔のクロースアップから始まって、屋根の上の柿の実を拾う広瀬、細い路地を歩いてくる番傘を真上から狙った俯瞰と、まことに日本映画的な美しい構図が続いて引き込まれる。
ただし、ストーリー自体は、この話は一体どこへ行くんだろ?みたいな、ちょっとまどろっこしい感じにしか僕には思えなくて、最初はそんなに面白くなかったのだ。
長谷川泰子は女優である。この映画では大物女優に食ってかかる威勢の良さを見せたり、後には主演級になったりしているのだが、実際には一介の大部屋女優で終わってしまったらしい。
で、この奔放な女優に2人の文学者が翻弄されるのである。最初は3歳年下の 17歳の中原中也が。そして、翻訳者であり批評家であり、中也の最大の理解者であり親友でもある小林秀雄が遊びに来て、物語は一気に動き出す。
広瀬すずの演技がすごい。
めちゃくちゃ感覚的だが、頭は良く、常識に囚われずに、気ままで、気が強くて、なにごとにも積極的で自信に満ち、どういう行動に出るか予想がつかない。こういう女性が男をメロメロにしてしまう図は容易に想像がつく。
ただ、僕はこういう面倒くさい女は勘弁してほしいと思うのみだ。別にこういうタイプの女性の人格を全面否定する気はないのだが、少なくとも自分の伴侶に選ぼうとは思わない。
ただね、そんな勘弁してほしい女優の話なのだけれど、この映画をずっと見ているとね、これはどう考えても良い映画だし、どっからどう見ても非常にできの良い映画であるとしか言えないのである。
べらぼうによく描けているのである。脚本も演技も。人間のなんたるかに迫っている。人間という奇天烈で複雑な存在を余すところなく描ききっている感じがした。
冒頭の凝りに凝った映像の後は、それほど奇を衒ったシーンはないいのだが、最後に来て、泰子が撮影所の事務所で訃報の電話をうけるところや、喪服姿の小林と泰子が焼き場の近くのベンチに座っているところの両方のシーンで、じわりじわりとカメラが寄って行くところはものすごく印象的だった。
ここまでに随分字数を費やしてしまったので、あまりストーリーには触れないいまま終えるが、これは名作であることだけは言っておきたい。
いくつかの賞で広瀬すずは主演女優賞を、根岸吉太郎は監督賞を、田中陽造は脚本賞を獲れるのではないだろうか?
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