ある意味での演歌批判と、五木ひろしの再評価
【2月3日 記】 僕は最近、五木ひろしを再評価している。いや、正確に言うと、五木ひろしが歌った楽曲を再評価している。
なぜなら、大雑把に「演歌」と括られるジャンルにあって、彼が放ったヒット曲にはかなり斬新なものが多かったと、今頃になって気づいたからだ。
世代的な特徴と言っても良いのかもしれないが、僕(ら)は積極的には聴かないものの、さりとて演歌というジャンルに拒否感はない。いや、逆かな? 演歌に拒否感はないけれど積極的に聴くには至らない、と言うべきか。
それはどうしてかと言うと、同じような曲ばかりだからだ。
演歌というのはある程度伝統を踏まえたものだから、その伝統を守り続けると同じような歌ばかりができてしまうという面はあるだろう。それはちょうどアメリカにおけるカントリーやブルースみたいなものなのかもしれない。
しかし、カントリーやブルースにもいろいろな色合いのものがあり、新しいものも順次出てきている。
それに対して演歌は、詞・曲ともにどれを聞いても同じような歌が溢れかえっている。いや、
もちろん時々毛色の違う作品もあるし、その中には名曲というべきものも少なからずある。演歌のサブ・ジャンルもいくつか新しくできてきた。でも、それは昭和の中期までで、昭和の終盤以降、演歌はほとんど進化していない印象がある。名曲と呼ぶべき作品もほとんどないのではないか?
昔の焼き直しみたいなメロディがものすごく多いのである。それは前奏が始まった途端に痛感する。
例えて言うなら“チャンチャカチャン演歌”なのだ。どれもこれもチャンチャカチャンなのである。
昔、平野雅昭という人が歌った『演歌チャンチャカチャン』というのがあったじゃないですか? と言っても、1977年のスマッシュ・ヒットなので、「そんなもん知らん」と言われそうだが(笑)
いろんな演歌を ♪ チャーンカラッチャッチャッチャ という口三味線の間奏で次々に繋いで行くやつ。それぞれ違う歌なのに全部 ♪ チャーンカラッチャッチャッチャ で繋がって何の違和感もない。
僕はあの歌はある意味で演歌のマンネリズムをパロディ化したものだと思って聞いていた。
そして、今この時代に『演歌チャンチャカチャン』に追加で入れ込んでも何の違和感もない、詞も曲もいつまでも“昭和”を引きずった演歌が平成になっても令和になってもたくさん残っているのである。
旧態依然たる男女の関係を、聞いたような節回しに乗っけて歌う演歌が、いつまで経っても幅を利かせているのである。
それに対して、五木ひろしの、特にデビューから数年のシングル曲の多くが、今考えると非常に斬新だったのだ。
それは“チャンチャカチャン演歌”でも“ムード歌謡”でもなかった。
まずは平尾昌晃がデビュー作を引き受けて『よこはま・たそがれ』を書いた。
これは今までの演歌の形式から一気に抜け出した曲だったと言えるのではないだろうか。
歌詞の面でも、延々と名詞(句)の羅列があって、最後に突然「あの人は行ってしまった」という文の形式が出てきて、しかも「行ってしまった」のではなく「行って行ってしまった」であるところがとても新鮮だった。こんな形式の歌詞って、従来の演歌では考えられなかった!
そして次に『長崎から船に乗って』を書いた。
その後を受けて筒美京平が『かもめ町みなと町』を書いた。
タイトルだけ並べると昔の“マドロス演歌”のようだが、ここまでの作品はいずれも作詞が山口洋子だ。旧来の演歌にありがちだった図式的な世界観から脱していたとは言えないか?
そして、その次に藤木卓也が名作『待っている女』を書いた。この詞も山口洋子だ。演歌と言いながら、なんと ♪ ヘヘイヘイ という女声コーラスで始まるアレンジである!
次の『夜汽車の女』も同じ山口・藤木コンビだ。これなんか完全に 16ビートの“ブラスロック演歌”ではないか!
ここまでの作品を書いたのは、いずれも遠藤実や猪俣公章のような(悪い言い方をすると)手垢のついた演歌の作曲家ではない。
筒美京平は言うまでもなく洋楽出身の作曲家だし、平尾昌晃も藤木卓也も元はと言えば「日劇ウエスタンカーニバル」で人気を博したロカビリーのボーカリストだった。こういうスタッフが演歌に新風を吹き込んだのである。
しかし、その次の『旅鴉』が藤田まさと・遠藤実という完全な演歌作家コンビになってしまい(ただし、念のために書いておくと、僕は遠藤実は偉大な作曲家だと思っている)、この曲が五木ひろしの新しかった路線にミソをつけてしまったのではないかと僕は感じる。
だいいち『旅鴉』なんて、それこそ昭和中期の“股旅もの演歌”のタイトルではないか。曲も尺八で始まる(勘弁してよ!)典型的な昔からある演歌である。
幸いにしてそのコンビは1曲だけで、その後また平尾昌晃、藤木卓也、筒美京平らが戻ってきて、あるいは中村泰士なんかも楽曲を提供し、歌詞も山口洋子に戻ったのだが、そこからはちょっと旧来の演歌に寄ってしまったような気がする。
唯一、レコード大賞を獲った『夜空』(これは山口・平尾コンビ)は別として。
いずれにしても、上記の『旅鴉』以外の曲は、間違いなく今までの演歌にはなかった、今までのパターンを脱した演歌だったと僕は思う。
ここでは個別の楽曲の詳しい分析や解説は控えるが、五木ひろしの Wikipedia を読むと、“ポップス演歌”とか“バラード演歌”などと命名されて、確かにそれまでの演歌とは一線を画していると捉えられていたことがよく分かる。
若い人が今聞いても、その斬新性は分からないと思うが、もしあの頃の五木ひろしをリアルタイムで聞いていて、その斬新さに気づいていない人がいたら、もう一度聴き直して、詞も曲もゆっくりと噛み締めてみてほしい。
なかなか良いのである。
しかし、それにしても、ヒットが出ずに下積みの長かった彼に付けられた芸名「五木ひろし」は、今度こそ「いいツキを拾おう」という意味が込められたものとは知らなかった。
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