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Thursday, January 23, 2025

映画『サンセット・サンライズ』

【1月23日 記】  映画『サンセット・サンライズ』を観てきた。

岸善幸監督は、彼の映画デビュー作『二重生活』(2016年)を観た。

巧いところも確かにあるし、確かに面白くもあったのだが、どこか「知が勝ちすぎている」と言うか、「こんな設定とストーリーを一生懸命頭で考えて作りました」みたいな印象が強く残って、それに嫌気がさして、その後立派な賞を獲った作品を含めて一切見ていない。

見ようかなと思ったことは何度もあるのだが、最後にはどうしても観る気にならなかったのである。

で、何故久しぶりに観ようと思ったかと言うと、知人が褒めていたこともあるし、今回は岸自身の脚本ではなく宮藤官九郎が書いたということも大きかった。この想像しにくい組合せが一体どういう作品を産むのか見てみたかったのである。

ただ、結論から先に書くと、この映画は僕にはダメだった。

東京の大企業に勤める釣り好きの青年・西尾(菅田将暉)が、コロナ禍によるリモート・ワークを良いことに南三陸の寒村に転居してくる。

その家の家主が、東日本大震災で夫と子供2人を亡くした(ただし、映画ではそのことはなかなか語られない)百香(井上真央)だった。

大都会・東京に対する嫌悪感に、コロナ・ウィルスの恐怖が重なって、西尾をまともに受け入れてくれるのは百香の義父・章男(中村雅俊)と隣家の一人住まいのおばあちゃん・茂子(白川和子)だけで、西尾は悉く警戒され、敬遠され、あるいは悪意に満ちた対応をされる。

そんな中で新鮮な魚をはじめとする南三陸の大自然と、市役所で働く百香に対する西尾の思いが段々育って行くという物語だ。

宮藤官九郎らしいデフォルメが面白いところも当然あって、僕もところどころ笑いながら観たのだが、でも、総じてそれほど面白くはない。

いくらリモート・ワークと言っても西尾は日中あまりに働いてなさすぎだろう、とか、西尾と百香の気持ちが高まって行く過程がちゃんと描かれていない、とか、そういう個別の点はまあ良いとして、最大の難点は全体を通じて描き方があまりに図式的だということである。

都心と東北の漁村、東京人と東北人、被災地と被害のなかった地方、等々の対比をしたかったことは分かるが、僕にはややわざとらしくて安っぽく見えてしまった。とりわけ「モモちゃんの幸せを祈る会」のメンバー4人(竹原ピストル、三宅健、山本浩司、好井まさお)の描き方が走りすぎた感がある。

恐らく南三陸とも地震とも何の関わりもない役者たちが、ここまでエキサイトした演技をしているのを見て、僕はなんだか白々しい思いになった。

この作品には原作小説がある。楡周平という作家は僕は読んだことはなく、当然この原作も未読だが、もし宮藤官九郎があまり大きく書き換えていないとしたら、原作自体も「如何にも頭で考えた」という感じの残るものだったのだろうと想像する。

小説も映画も、こういう設定でこういう風に進むという大きな構成が大前提として存在し、随所に、ここでは釣りと料理を見せてとか大自然をしっかりアピールしてなどいう細かい狙いが先に決められていて、そこに順番にエピソードを、ぎこちなかろうが何であろうが、放り込んで行ったような感じがするのである。

もし原作からしてそうだったとすれば、岸善幸という監督は結局そういうわざとらしい構成が好きなんだろうなと思う。

別にそんなものを作っちゃいけないとは言わない。ただ、重ねて書くが、この映画は僕にはダメだった。

最後に、登場人物の中で、いつもスルメかじりながらろくでもないことばかりやらかしてくれる爺さんを演じたビートきよしと、東北6県の名前を言えなかった帰国子女社員を演じた茅島みずきには、僕は好感を覚えた。そのことだけはここに書き残しておこう。

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