映画『敵』
【1月19日 記】 映画『敵』を観てきた。大好きな吉田大八監督。全編モノクロだ。
筒井康隆の原作で、突然「敵」が現れると書いてあったので、SFミステリみたいな映画かと思って見に行ったのだが、その「敵」が却々現れない。
映画では「夏」「秋」「冬」「春」の四季が描かれ、その都度トリキリのテロップが出るのだが、「春」では延々と主人公の老人・渡辺儀助(長塚京三)の端整な生活が丹念に描かれるだけである。
儀助に家族はなく古い一軒家で一人暮らし。講演や書き物で僅かばかりの収入はあるが基本は年金暮らし。自分の持ち金がいつ尽きるかを計算して、分相応に穏やかに規則正しく生きている。家事は全て滞りなくこなし、とりわけ料理には手間と時間をかけて自分の食べたいものを食べている。
元は大学教授で、「フランス文学の第一人者」とまで言われた人物だった。妻(黒沢あすか)は 20年ほど前に他界している。── といったことが少しずつ明らかになってくる。
儀助のもとには何人かの元教え子がやってくる。料理を作ってくれる鷹司靖子(瀧内公美)、家の雑用を何かと手伝ってくれる椛島(松尾諭)、そして、原稿を依頼してくれる雑誌編集者もいる。
デザイナーの湯島(松尾貴史)と行ったバー「夜間飛行」で、店長の姪で、その店でアルバイトをしている菅井歩美(河合優実)に会う。儀助は彼女に惹かれる。が、ずっと昔から靖子にも惹かれている。
時々来る迷惑メールに混じって「敵」の来襲を知らせるメールが、「秋」になってやっと現れる。儀助は最初そんなものは全く相手にしないが、二度三度とメールを受け取るうちに少し気になってくる。敵は北から4号線沿いにやってくるらしい。
映画は初めは老人の生活を淡々と描いていたが、やがてそこに彼の夢の内容が混じってきて、どこまでが夢でどこまでが現実なのかが分からなくなってくる。儀助にとって分からないだけではない。観ている我々にも分からなくなるのである。
そして、その夢がどんどん非現実的なものにエスカレートして行く(そしていよいよ夢の中に「敵」が入り込んでくる)のだが、儀助はそれに何の違和感も持っていない。いや、これが自分の夢にすぎないことさえ理解している。何故こんな夢を見るのか思い当たるフシが少しある。
この原作が「現代老人文学の最高峰」と言われる作品だったとは、映画を見終わってパンフレットを読んで初めて知った。
ああ、そういう映画だったのか。
となると「敵」とは一体何だったのか?と考え始めるのだが、そこで突然映画の中で瀧内公美が言った台詞「先生はメタファーとして言ってらっしゃるのよ」を思い出した。
ああ、そういうことだったのか。
料理をはじめとして日常生活の一つひとつを丁寧に描いてきたことが、後半にぐっと活きてくる。全編モノクロにしたのも大正解だ。
白黒の中に光と影があり、温度差がある。煩悩があり解脱もある。現実もあり幻想もある。
自分もこの歳になると怖いものを感じる面もあるのだが、不思議に穏やかなものも感じてしまう。
いやぁ、不思議な映画を観た。
完成初号を観た筒井康隆は監督に「傑作です」とのコメントを送ったらしい。
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