何曜日がダメということはない
【1月26日 記】 例えば歯医者の予約を取ろうと電話をすると、「都合の悪い曜日や時間はありますか?」と訊かれる。僕はいつも「何曜日がダメと言うことはありません」と答える。
そう言いながら、そんな風に言われたら相手はどう思うのかな、と考えたりもする。
別に仕事なんかいつでも抜けられるような、とりわけ定例の会議なんかないような職種の人か、あるいは、リタイアして無職の人か。
歯医者の場合はカルテを見たら僕の年齢は分かるわけで、いや、予約を取ってくれる受付の女性はその際にわざわざカルテを参照したりはしないだろうが、長年通っている歯医者なので、当然彼女も名前を聞けば何歳ぐらいの人だったか思い出すかもしれないし、そうするとやっぱり年金生活者だと思われるのかな、などと。
別にそれが恥ずかしいわけでも悔しいわけでもない。
現に僕は今ほとんど曜日の感覚はないが、別にそのことをなんとも思っていない。いや、今日が何曜日かは知っているが、特定の曜日に対する特定のイメージがない。
でも、そういう生活を引け目に感じたりはしていない。毎日を同じように暮らしている。
働いているときはそうは行かなかった。「ああ、今日はまだ木曜日なのか」などと連日心の中でため息をついていた。平日はどうしても仕事を優先してしまって、自分のやりたいことが充分できなかった。
それが、ここ2~3年は曜日に関係なく好きなことを好きな時間にできる。
働いている時はそんなに忙しかったのかと言えばそれほどでもなかったのだが、性格的に「やらなければならないこと」があると「やりたいこと」より優先してしまうのだ。
と言うより、「やらなければならないこと」をひと通り片付けた上で、ゆっくり、ゆったり、じっくりと自分のやりたいことをやりたいのである。
と言うより、「やらなければならないこと」を思い出してしまうと、たとえそれが明日出社してからやれば良いようなことであっても、平常心で「やりたいこと」に没頭できないのである。
僕が自分のやりたいことを後回しにしてやらなければならないことを先に片付けていると、そして、とりわけそれが妻に関する何かであったりすると、妻はよく「自分のやりたいことを先にやってくれていいよ」と言うのだが、僕はそれは嫌なのだ。
とりあえずもう何もやることがない状態にしてから、自分のやりたいことに取り掛かりたいのである。だから僕は「それを言わないで」と妻にきつく言ったりもする。
そういうわけで、考えてみれば、今が僕の理想の生活スタイルなのかもしれないと思う。何しろ毎日が日曜日なのだから。もちろんやるべきことがないわけではない。でも、例えば家事で言えば、僕がやっていることなんていずれも大したことはないのである。
それで「何曜日がダメということはない」生活を送っている。快適である。
僕は食べ物でも、一番好きなおかずを最後まで残しておいたりする人間である。
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