『台湾漫遊鉄道のふたり』楊双子(書評)
【1月22日 記】この本のことをどこで読んで知ったのかは忘れてしまったが、とにかくその人が激賞していたことは確かで、その激賞の仕方に惹かれて手に取ってみたのだが、まあ、なんと素敵なお話だろう。感服した。
舞台は昭和13年(1938年、ということは第二次世界大戦開戦の前年だ。日本が参戦したのは 1941年だが)から昭和14年までの台湾。
主人公は日本人の女流作家・青山千鶴子。その千鶴子が、台湾政府からの招聘を受けて、日清戦争(1894年)以来日本の植民地になっていた台湾に講演旅行に行く。そこで千鶴子の通訳についたのが、日本語にも台湾のさまざまな文化にも詳しい若い台湾人女性・王千鶴だった。
名前の共通性もあって2人は意気投合し(少なくとも千鶴子にはそう見えた)、1年間にわたって時々講演を挟みながら台湾の各地を旅する。とりわけ、美食家であり驚くほどの大食家でもある千鶴子の希望で、2人は台湾のありとあらゆる食材や料理を食べ尽くすことになる。
そこには台湾のどこにでもある麺類や揚げ物、果物、スイーツなども出てくるが、中にはそこら辺の台湾人は食べたことも見たこともないような料理も出てくる。とりわけ千鶴子が
わざわざタクシーに乗ってああいう観光地に行くというのも、他人の敷いたレールの上を行くようでつまらない。
と言うような人物だから、2人はさまざまな土地でとても珍しいものや貴重なものを見つけてきて食べるのである。
この小説の魅力はまずこの料理、調理法、味の描写である。どれもこれも、もうめちゃくちゃに美味しそうなのである。
そして、第二の魅力は千鶴子の人柄である。当時の日本人女性としては極めて進歩的で、ものの見方がフラットで、性格的には非常にサバサバしており屈託がない。
政治的なことについても、
帝国の「南進政策」や「国民精神総動員運動」は、この植民地を天皇の国に変えようとする運動だ。こんなのは、この地に住む人々の文化や教養の痕跡を抹殺しようとする、粗暴な行為だろう。
などと思っている。あの時代の日本に果たして本当にこんな女性がいたのだろうか?
女性の地位についても、
「国家総力戦に臨みて男女の区別なし」──こんなことを声高に叫ぶ人もいるが、まったく何を言っているのやら。
「女の人生に立ちはだかる障壁に内地・本島の区別なし」──こっちの方がより正確だろう。
(註)「内地」は日本、「本島」は台湾を指す。
などと言っている。
女性自身の考え方が自らを閉じ込めていたような様相もあったこの時代としては、極めて異例の世界観である。
しかし、その一方で、
もちろん私も、時世に対するこんな恨み言を、軽々しく口にしているわけではない。
と言うくらい賢く、したたかではある。
「聖戦」におけるあり方を問われたりすると、非常に教科書的な答えを淡々と返しておいて、心の中では、
ばかばかしい。ぜんぶ社交辞令に決まっているではないか。私だって必要な時には、心にもないこんな言葉を顔色一つ変えずに披露することはできる。
などと言ってのける(いや、口には出さないのだが)
そんな千鶴子だから、台湾在住のほぼ全ての日本人が台湾人を見下している中で、彼女は王千鶴が何国人であろうと別け隔てなく扱い、彼女が差別を受けそうになると必死で彼女を護ろうとする。それはとても小気味の良いシーンである。
ただ、そうは言っても、日本政府が台湾を強権支配しているという現実は曲げようもない。差別意識のない千鶴子でさえ、千鶴のことを「千鶴(ちず)ちゃん」と呼んでいるのだ。
確かに漢字で書いたら「千鶴」であっても、彼女の名前には中国語の発音による読み方があるはずなのだ。あるいは日本式の名前を付けさせられたのかもしれない。日本語読みにされてしまった台湾の地名も少なからず出てくるのだが、そういうことって台湾人には耐え難いことなんじゃないだろうか。
そんなことを考えて僕は少しハラハラしてしまったのだが、しかし、あの時代にそんなことに思いを馳せた日本人なんてひとりもいなかっただろうな、とも思う。
さて、千鶴子は大好きな千鶴と親友になりたくて心を尽くしてつきあっているつもりなのだが、千鶴のほうは何故か今ひとつ心を開いてくれない。時々千鶴子の好意にピシャリと打ち返すようなことも言う。
そして、ある日とうとう千鶴は千鶴子のところを去ることになる。千鶴子はいろいろ考えるのだが、何が悪かったのか分からない。でも、毎日考えるうちに少しは思うところも出てきたところに、あろうことか台湾在住の日本人の官僚にめちゃくちゃ厳しい指摘をされて目が醒める。
これは、そんな風に政治的な状況をうまく織り込んだ小説である。自らの差別意識や偏見に対して、我々は如何に鈍感なのかということを痛感させられてしまう。
本の冒頭には「昭和二十九年『台湾漫遊録』初版まえがき」というのが付いていて、最初はその本とこの小説の関係がよく分からないのだが、途中から千鶴子は『台湾漫遊録』というエッセイを書き始めている。
そんなこともあって、ついついこの小説は事実に基づいたものではないかと思って読み終えたところに、あとがきめいたものがやたらとたくさん添えてあって、その中に青山千鶴子の娘である青山洋子や、王千鶴の娘である呉正美の手記が出てきて、ああ、これはほとんど事実だったのか、と思ってしまうのだが、その辺りは著者が仕組んだ大きな罠に騙されてしまっているのだ。
この小説は2020年に台湾で発表され、2023年に日本語に翻訳された「台湾歴史百合小説」!なのであった(笑)
最後に千鶴はこう言っている。
でもそんな青山さんは私に対していつも完全に心を開いてくれていた。
とても後口の良い小説だ。人間の描き方がなんだか心地よい。そして、うん、確かに百合小説だ(笑) 本当に素晴らしい物語だった。
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