好意について考える
【11月14日 記】 ドラマやアニメでは、誰かに恋心を抱かれているのにそれに全く気づかないというシチュエーションがよく描かれる。
例えば僕が今観ているものでは、『海に眠るダイヤモンド』では朝子(杉咲花)は鉄平(神木隆之介)のことを一途に好きなのに、鉄平は全くそれに気づかない(周りは結構気づいている)。
アニメ『アオのハコ』では雛は大喜のことがずっと好きなのに、大喜は千夏先輩に首ったけで、雛の気持ちには全く気づかない。
これら以外にも、学園モノのテレビドラマや映画ではそういう状況が何度も描かれてきた。
しかし、そんなことってそんなにしょっちゅうあるんだろうか?と僕は思うのである。
「お前がそう思うのは、お前があまり人に好かれないのでそういう経験がないからだ」と言われると、そりゃまあ全面否定はできないが、しかし、そんな僕でも、長い人生にあっては、自分が好かれているなと感じたことはある。しかも何度か。
中には「いや、困ったな」としか思えなかったこともあったが、逆にそこから彼女を意識するようになって恋に発展したこともある。
ま、しかし、なんであれ、好意を持たれていればフツー気づくだろ?と思うのである。
そして、僕は今、こんな風に思っている:
自分に好意を抱いてくれている人と、とりわけ自分に好意を抱いて自分のことを認めて評価してくれる人と「一緒になる」(結婚という言葉を避けるためにこういう表現にした)のが、幸せになるのに一番近い道ではないか、と。
いや、確かに僕も若いころはそんな風には考えられなかった。むしろ、好きになられたからと言ってそれに乗っかるのはカッコ悪いとさえ思っていた。
それも仕方がない。若いころにはとかく、自分を好いてくれる人ではなく、自分が好きな人と「一緒になりたい」と思うものだが、何故ならそれはそっちのほうがチャレンジングでカッコいいからである。
若者はまずカッコよくあろうとするものだ。でも、自分が好きな人が自分を好きになってくれる保証はどこにもない。ひょっとするとそれは茨の道であり、レッド・オーシャンであるかもしれない。
そんな道を選ぶよりも、自分を好きになってくれた人を自分が好きになれたなら、(自分を好きになってくれた人は自分を評価してくれている人なのだから)それほど幸せなことはないのではないか。
長いこと生きてきて、最近ではそんな風に感じている。
誰かの好意を感じたら、その人のことを冷静に観察し始めるのが良いのではないかと思っている。
【11月15日追記】 この文章にかなり手を入れて note にも投稿しました。
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